転移

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022506665

作品紹介・あらすじ

作家であり、主婦であり、母であったひとりの女性のかつてないガン闘病記。中島梓=栗本薫の命の証。

感想・レビュー・書評

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  • これも母がガンで急逝したことをきっかけに読み始めました。これを読んで「癌という病気にだけはなりたくない」、「癌という病気でだけは死にたくない」と骨身に染みて思いました。

    この上ないキツイ治療の連続にもかかわらず、治るどころか着々と蝕まれていく肉体、刻一刻と迫り来る死への恐怖に心まで追いつめられてゆく。どんな我慢も努力も苦労も報われない、そんなガンの恐ろしさを「ガン病棟のピーターラビット」とともにこれでもかというほど思い知らされました。

    母が亡くなるときもそうだったけど、癌という病気はまるでエイリアンのようです。誰がどこから見ても死ぬとは思えない、本人でさえ死ぬなんて絶対に思えないほど、気力だけは活き活きと満ち溢れた状態のまま、癌という訳のわからぬものに体を侵略され、もっともっと生きていたいと叫びながら殺されていく・・・。

    とにかく「無念」・・・その言葉に尽きます。「転移」の最後の手書きノート、パソコンの「ま」→改行の印字、何もかもが「まだまだ生きたい!!生きてやりたいことがいっぱいあるのに!!」という無念の叫びが伝わってきます。

    ◆追記◆
    一度読み終わったあともう一度何気なくパラパラと読んでみたら、最初に読んだときより不思議と面白く読むことが出来ました。気付けば中島梓という作家に惹き込まれ始めていました。

    普段自分は小説というものを読まない人種なのですが、ここにきて初めて「さすがはベテランベストセラー作家だなぁ」としみじみ感じとることが出来ました。

    なんていうか面白いというか上手いんですよね書き方が。ひとつひとつの言葉の流れや言い回しがまるで「あずさ節」のように耳に心地よく響いてきます。

    末期ガンという暗い内容であるのに、彼女独特の節回しがかかるとたちまち躍動感にあふれ彼女の世界がどんどん広がってゆきます。

    自分が小説とかを読まない理由がほとんどの場合「長い」イコール「めんどくさい」からですが、しかし彼女の作品はちっとも長さを感じない。いくらでも読んでいられるし読んでいたいと思わせる。そこがベストセラー作家の実力なのでしょう。きっと自分は今までつまらない作品ばかりに出会っていたのだろうなぁと思います。

    この本の最後は彼女の最期と重なっており、この本自体もまさに絶筆となっていますが、有名なグインサーガとともに彼女の死は非常に残念なことであったと心から思います。

  • 毎日、中島梓さんと同じご病気の方たちと接する者として読みました。
    にこやかだったりすぐれない表情だったり、一人ひとりそしてその時々で、様々にお話をしてくれる患者さんの心のうちを知りたかったので。

    中島さんは、外に向けてはライブをしたり執筆活動やインタビューなどもこなし、家庭では食事を作ったり、植物やペットの世話をし、好きな着物を着て素敵に充実した毎日を過ごされている方だったんですね。

    病状と亡くなった日を照らし合わせて、さぞかしお体は辛かったことと思います。
    そんな状態でそんな無茶を…、と読み始めた当初は思いました。
    けれど、それらを取り上げてしまったら、それこそ“生ける屍”になってしまったことでしょう。

    だらだら過ごすことに強く罪悪感を感じ、常に何か生産的なことをしなくては、頑張らなくては、という思いが、痛々しく思える反面、その気持ちがあったからこそ、病と向き合いあきらめることなく過ごせたのでしょう。

    なかなかここまでアクティブな患者さんにお会いしたことがなかったので、とても勉強になりました。
    いつまでも、自分の好きなこと・好きなものを追い求める気持ちって大切ですね。

    終わりの方の、入院してからの記録が辛かった。
    手書きの2ページと改行のページが……。
    うすれゆく意識の中で、何を思ったのでしょうか。

    ただ気になるのが、緩和ケアやホスピス、医療用麻薬についての誤解が見受けられたところです。
    免疫療法やかかりつけの医院があったようですし、親しい方からマッサージを受けるなどされていましたが、もっと積極的に症状緩和の治療を受けられていれば、より多くのことができたのではないかと、少し残念に思いました。

  • 闘病記で、ただ暗く悲しくなく、思わず読んでしまったものは、これともう一冊だけ。『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記 』(文春新書)頼藤 和寛さんのご本だけである。それ以外に私が手にした闘病記といえば「ありがとう、愛!」安井かずみさんくらいか。

    最近周囲の親しい友人が、癌ではないが病気にまつわるあれこれを相談してくる事が多く、私自身はどういうわけか、明るい普通の本を受け付けなくなってしまって、もう聞くのは一杯のはずが、逆に闘病記を選んでしまった。私自身はグイン・サーガのファンで、栗本薫さん名義のご著書も大好きだったから、彼女が亡くなられてからこの本だけはつらくて読まなかったのだけど…。

    読後の感想は悪くない。見事な生き方をなさったな…とこころから思う。ご家族や周囲の支え、良いドクターに恵まれてのことであろうけれど、それにしても見事。ぎりぎりまで美しく装うことや、暮らすことを愛し、何より書くことを愛していらした。

    グイン・サーガの最後の方で、レビューに「早く続きを書け」といった趣旨のものがあって、とても腹が立ったが、やっぱり思う。人間案外ギリギリまで色々できるが、これまでかとなってきたなら、出来ない事も厳然としてあるのだ。こんな見事な「人に読ませる事のできる本」を残していったのに、何が早く書け、だろうと。

    この日記も見ていると、亡くなられたことをこっちが知っているからかもしれないけれど、ある時期の記述を境に、がくっと苦しくなっていて、ああ、と思う。ここからこのひとは死に向かって行ったのだなと。ずっと一冊読んでいると、同じような記述なのに明らかに色合いが変わるところがあり、そのくせプロの筆力でもって淡々と同じ色合いのように感じさせて先を読ませる。

    その隙間から零れ落ちる重さ、苦さ。どうにもならなさに、先を読んでははっとする。

    「死ぬ時に馬鹿な冗談を言って死にたい。」という私の家族の言葉に、「そんなものいよいよとなったら苦しくて、言葉も出ないよ。やめてくれ。」と、いつも切実に頼んでいるが、ふとそのやり取りを思い出した。

    私はいつまで生きて。

    いや

    いつ死ぬのだろう。

    苦しくないわけがない。わかっている。
    でもいつまで、私として生きるだろう。

    せめて少しでも、人らしく苦しまず
    揺すぶられずいられたらいいのだが。

    いま、独りでいたくない。
    だけど誰にも言葉をかけられなのが悲しい。

    自分の思う人と、誰にも責められず
    思う通りの言葉を交わしたい。

    それはいつまで、私に許されるだろう。

    中島さん、知りたいですよね…その答え…。

  • 2009年5月26日、栗本薫=中島梓氏が、56歳の生涯を閉じられました。

    2008年にすい臓がんが肝臓に転移し、抗がん治療をしながらも大ベストセラーである「グインサーガ」や「東京サーガ」シリーズを精力的に執筆し続け、そしてその合間に最期の闘病記となる本書を2008年9月から2009年5月の意識を失う直前まで書き続けられました。

    死の直前まで書くことを辞めない、その作家としての本能に感動しました。

  • 「アマゾネスのように」「ガン病棟のピーターラビット」に続く中島梓(栗本薫)3冊目の闘病記です。
    「ガン病棟のピーターラビット」の最後でガンが肝臓に転移したことが触れられ、その後から亡くなるまでの記録です。
    この3冊目は日記として書かれています。
    前2冊と異なり、この本では状況がとても切迫していきます。まぁ亡くなる直前までの日記なので、当然と言えば当然かもしれません。
    しかしやはり彼女は凄い人です。本当に小説に命を捧げた人なのですね。
    2009年5月17日に昏睡状態に陥り、26日に亡くなります。しかしその直前まで日記は記録されます。
    15日と16日の日記はパソコンではなく手書きで書かれています。かなり字が乱れていて読み取れない文字もあるようです。そして17日にはパソコンで1文字だけ。ここまで来るともう執念ですね。
    この本はかなり前に購入していたのですが、彼女が亡くなってもう7年。やっと読めました。あらためてご冥福をお祈りいたします。

  • 配置場所:摂枚普通図書
    請求記号:916||N
    資料ID:51000241

  • こんなに才能ある人をなくしてしまったのが残念です。
    でも、そんな人がこのような体験をしてそれを残してくれたことは貴重、読むことができ、ありがたいです。

  • 中島梓(小説家としては栗本薫)の最後のガン闘病日記。日1日と病状が悪化する中で、自分自身を客観的に俯瞰して記録したその言葉は重い。
    また、大好きな着物や食べ物の話も意識を失う直前まで頻繁に触れられていて、それだけでも著者の人となりが想像できるというものである。

    これを読むと今「生かされている」ことがいかに貴重なのか、あらためてずっしりと思い知らされる。

  • 読んでみようと思ったのは、中島さんのエッセイは好きだから。
    「息子に夢中」は今でも大事に持っていて、よく読み返します。
    いろんな日々考えていることの他に、その時の仕事の進捗状況に食事のメニュー。
    何が楽しいのかと思うと、何なんだろうと思うけれど、やっぱり読んでいると楽しいのです。
    そんな中島さんのエッセイであり、しかも最後の言葉なら、これはやっぱり読んでおくべきだろうなと思ったのがきっかけでした。

    そして、思っていた以上に衝撃を受けました。
    闘病記は読むのにそれなりの覚悟が要ります。
    今まで読んだ本は少なくともそうでした。
    で、そんな気負いはこの本にはありません。
    あるのは、病気に向き合うことと、その中で自噴の生き方をみつけること、そして病気と折り合っていく日々のような気がします。
    戦っていない、病気とは。
    だからと言って辛くないのかというと、そんなことはなく、文章は淡々としているものの、こんなすごい症状で、小説を書き、家族の食事を作り、日々過ごしている彼女の生き方に、すごく驚きました。
    戦っていたら、きっとこれは出来ないのではないか。お互いに譲歩するところは譲歩して共存しているからこその、この頑張りなのかな、と思ったり。

    もう終わりに近づいてきたのに、読み切ってしまうのが怖くてだらだら読んでいます。
    最後のページは我慢できずに見てしまったのですが、これの校正をしていた編集者さんたちは、泣いたんじゃないのかな、と思ってしまうような最期でした。

    これを読み終わった時、本当の意味で彼女にお別れを言って、冥福を祈れる。
    そんな気がします。

    で、読み終わりました。
    何というか…感想を書く言葉が見つからない感じです。
    リアルに中島さんをそこに感じた、そんな本でした。
    心から、彼女の冥福をお祈りいたします。
    私たちに貴女の生きざまを見せてくれてありがとう。
    そう思いながら。

  • 読んでいる途中なので
    レビューは読後に

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