読み解き「般若心経」

著者 :
  • 朝日新聞出版
4.02
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本棚登録 : 168
レビュー : 29
  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022506849

作品紹介・あらすじ

般若心経、白骨、観音経、法句経、地蔵和讃-詩人の技を尽くして画期的な現代語に訳していく。

感想・レビュー・書評

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  • 昨年末に読んだ、
    「とげ抜き」があまりに面白かったので、
    これも読んだ。
    伊藤比呂美は「家族アート」を、
    以前読んで、あまり面白くなかったので、
    読まなかったけれど、
    「とげ抜き」と同時期に出た、
    これを読んで、
    やった! と思った。
    予想通り、文体が同じなのである。
    「家族アート」の時とはたぶん違うはず。
    この本も、素晴らしい語り口で、
    ん? 誰かに似てるっぽい、
    と思っていて、
    高橋源一郎に似ている。
    今回は般若心経。地下鉄の中で読む。
    翻訳がポップで素晴らしい。
    笑えるし。
    伊藤比呂美はもの凄く、
    今、面白い。最高です。

  • 信仰を持たない私ですが、中学の頃、美術の先生の口から初めて聞いた時から「色即是空」の4文字の魔力にとりつかれっぱなしで、それに、なんてったってこのお経の中には、私の名前の一文字もあったりなんかして。 (父よ、ありがとう。)
    そんな単純な理由で魅かれてはおりますが、たぶん「般若心経」を理解するのは、なかなか単純なことではないのでしょうね。
    てなことは、置いといたとしてもです!
    お経の訳とともに語られている伊藤比呂美さん自身のエッセイでは、その飾らない生き方や感性に触れ、私は何故か気がすっと軽くなりました。
    あぁ、私のしてきたことなど、まだまだヒヨッコww
    そして、そんな詩人の手にかかると、「般若心経」は
    たまらなくカッコイイ詩になってしまうのだーー!!

  • 意味、なんてものはどうでもいいようなもので、お経はコミュニケーションのためにあるのだと思いました。
    私事ながらうちは日本人にありがちな浄土真宗か浄土宗かもわからない浄土真宗で、帰省すると祖母だけが熱心に、亡くなった祖父の為毎日お経をあげます。祖母曰く、お経だけが死者と会話出来る共通言語だと、お経をあげることにより爺ちゃんは喜ぶのだと。私は全くそうだと思わないのですが、祖母の喜ぶ顔が見たいので祖母と一緒にお経をあげます。つまりお経ってのは生きてる者の為にあるような気がしてならないのです。

  • 2015/11/6
    懐かしいお経に会えた

  • 般若心経の新約が秀逸。
    とても心に響いて、何度でも読んでしまう。

  • 詩人伊藤比呂美による仏教経典の現代語訳とエッセイ。

    同時代の作家で一人あげるとしたら・・・・。伊藤比呂美を私はきっとあげる。同時代とは不思議な言葉だ。作品だけを客観的に受け止めることはできず、生きた時代というものを暗黙のうちに共有してしまっているのだから。

    本章の最初の章のタイトルは、「読み解き「懺悔文」 女がひとり、海千山千になるまで」。

    ここでいう女は、明治でも、大正でもなく、そして全共闘世代ともいうべきベビーブーマー世代でもなく、その子どもたちでもなく、その空隙のような時代の我々である。

    「ギシギシが立っていた。スイバが立っていた。花(紫)が割いていた。菜の花が実をつけていた。そして枯れていた。ガマが芽生えていた。アザミがすっくと立っていた。クズが伸び、ヤブガラシが伸び、サイバンモロコシが伸びていた。アレチハナガサが咲き、花(黄)が咲き、花(ピンク)が咲き、花(紫)が咲いていた。キジバトが鳴いた。るーるるーるるー。ふーふふーふふー。ことばでなんとあらわしたらいいのか、子どもの頃から五十年考えて、まだ確定していない。ムクドリが群れていた。スズメが枯草をくわえた。川の中の石の上にカメがいた。水が流れた。鯉がはねた。」

    ハイコンテクストな風景。殺風景な時代に我々は子ども時代を暮らしていた。

    「懺悔をざんげと読むのは、近世以降、と辞書に書いてあった。懺悔をざんげと読むのは、キリスト教の影響、と別の辞書に書いてあった。ここでは「さんげ」と読む。懺とは、心を小さく切り刻むこと。つらいのをがまんして心を切り刻んでいくこと、と辞書に書いてあった。」

    「昔聞いた落語で、どこかの放蕩者が、おてんとうさまと米の飯はついてまわるんだといって飛び出した。いつの世にも、どこにも、いたのである、馬鹿が。今は私があの身の上だ。」

    いまはわたしがあのみのうえだ。いまはわたしがあのみのうえだ。

    伊藤比呂美の言葉は、若い頃に読んだのと同じに、いまもいじいじと痛い。

  •  伊藤比呂美さんのファンの方へは「カノコ訳の般若心経が素晴らしいです! おすすめ!」の一言に尽きると思います。べつにファンの方にはおススメしなくてもいいのか。

     伊藤比呂美さんが般若心経(および色々の仏典)を訳していく、つまりは般若心経の言葉と向い合って、ひとつひとつを自分の身に落としていく作業というのは本当に、言葉との戦いだなぁという気がします。その証拠に、伊藤さんが参考にしてきたであろういろいろの仏教の解説書は、どこかで戦うことを辞めてしまっているためです。それゆえになんだか読んでいる方もわかんなくなってくる。多くの学術書が言葉と戦うことを辞めてしまう。で、冷たくなって積み上がる。

     読んでいて訳のわからない本というのは、裏を返せば書いている方もなんだかよくわからなくなっているがゆえ、という部分もあるんじゃないかしら。
     その辺、伊藤さんは海千山千です。さすが自称するだけはある。長女のカノコさんはアメリカぐらしのところもあって、日本語に般若心経を日本語化しきれないところもあるのだけれども、感覚に近い英単語を置いていくことによって、より嘘のない、実感に近いところでの翻訳作業をすることに成功しています。で、この下訳を伊藤さんがくっきりとした日本語で描き直す。
     なんという精巧な作業。
     この方向性の真逆に、アタシも大好きな柳瀬尚紀さん(フィネガンズ・ウェイク他)がいます。もしかすると比較して論じることが出来るかもしれない。

     詩とは、言葉を扱う作業とは戦いであると思います。その戦いの片鱗をまざまざと見られる、本当の「詩人」ならではの本ではないかしら。
     いいものです。「とげ抜き地蔵縁起」よりも「女の絶望」よりももっと自由。

  • ぼくと「女流」の相性は悪く、現代詩ともなると、本を読みまくっていた時代のかなり後の方になって読んだ伊藤比呂美が最初の体験だと思う。詩集は『青梅』だったはず。

    そんな彼女が「般若心経」などの「お経」を取り上げて、書き上げたエッセイ群。但し、お経を使って日常(死に関わる日常)を描いたというのではない。逆に日常を使ってお経に現れる「言葉」を描いたエッセイ群。

    久しぶりに見る伊藤比呂美(オッパイだとか、女性が描く肉体的な話を、ぼくは照れてしまって読めない)の言葉のパワーが炸裂している作品。詩人が評価する「お経」の中の「言葉」は、お経自体のパワーに現代詩パワーが乗っかってすごい力で迫ってくる。

    この本を読み終えて、昔書棚にあったはずの伊藤比呂美(現代詩関連の本はほとんど手元に残っていない)の作品を、改めて購入してみたところ。

  • 老母の死を軸に、生、老、死を見つめ直すエッセイが、お経の訳詞とあいまって、りっぱなお説法になっている。きれいごとなく、本音をさらけ出しているのに、抵抗なく身にしみてくるのは、観察眼の素晴らしさと、表現力の成せる技か。おすすめ

  • 短いお経類の分かり易い解釈のほんです。

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著者プロフィール

1955年、東京都生まれ。詩人。78年に現代詩手帖賞を受賞してデビュー。性と身体をテーマに80年代の女性詩人ブームをリードし、同時に『良いおっぱい 悪いおっぱい』にはじまる一連のシリーズで「育児エッセイ」という分野を開拓。近年は介護や老い、死を見つめた『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(萩原朔太郎賞、紫式部文学賞受賞)『犬心』『父の生きる』、お経の現代語訳に取り組んだ『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』を発表。人生相談の回答者としても長年の支持を得ており『女の絶望』『女の一生』などがある。一貫して「女の生」に寄り添い、独自の文学に昇華する創作姿勢が多くの共感を呼んでいる。現在は、熊本と米国・カリフォルニアを拠点とし、往復しながら活動を続けている。

「2018年 『たそがれてゆく子さん』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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