アンアンのセックスできれいになれた?

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022508072

作品紹介・あらすじ

たった20年前は「女はもっと自由に」って、みんな言ってたのに…。そんな考え方、もう古いの!?女性のためのアダルトグッズショップを経営する著者が鋭くつづる日本女性のセックス観の変遷。雑誌「an・an」のセックス特集から垣間見える、女性の生き方40年史。

感想・レビュー・書評

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  • 名作すぎて、5回くらい震えて1回号泣した。号泣したのは、北原さんとこの間亡くなった飯島愛さんの関わりについて書かれた部分。それは単に自殺してしまった飯島愛さんへのセンチメンタルな共感とかじゃなくて、セックスに対する女の悲しい思いを飯島さんが象徴していたように読み取った北原さんの、セックスに纏わる女の悲しさに対する寄り添い方に、ものすごく心打たれたから。


    私は筆者の北原みのりさんより10つ年下で、かつてはオリーブとかJAPANとかを購読しているサブカル女子ではあったが、アンアンという雑誌については今までほとんど手に取ったことがなかったし、アンアンはいつもセックスや「どうやったらもてるのか?」についてばかり書いてあるつまらないマニュアル雑誌、というイメージしかもっていなかった。


    そんな私はついこの間、生まれて初めてアンアンを購入した。
    私の恋人が会社の人たちと一緒に、「”脈あり”かと思ったら全然違った!思わせぶりな男の心理とは」という企画で紙面に載っていたからだ。生まれて初めてかぶりつくように読んだアンアンはとても「興味深く」て思わず、アンアンすごいなあ、とツイッターでも呟いた。おもしろかったのは、自分が知っている人の意見を紙面で読んだってこと以上に、ここまで女に「もてること」や「愛されること」を求める雑誌と、それを詠んでいるこの社会の女たちってなんなんだろう?と思ったのだ。



    北原さんも後半で指摘しているような「愛される女になることが大事」イデオロギーや愛あるセックス至上主義。

    そして愛される女になるためには、いくつものマニュアルが存在する。複雑で(でもすごく単純なところもある)プライドが高く、地雷の多い男の子たちが、肉食系・草食系・文化系など様々なカテゴリーに分けられていて、それぞれに対してより効果的なアプローチがあり、彼らの求める女の子像がこれでもかというくらい詳細に提示される。やれこういう仕草にきゅんとくるだの、こういう状況ではこんな言葉をかけてほしいだの。



    アンアンから私が感じた事は、読んでる女の子たちが全然主体的になれていないっていうこと。希求する先が自分を中心とした憧れの世界じゃない。いつも参照枠があって、そこに照らし合わせながら自分の立ち位置を確認したり、男に通用する魅力を評価される世界。



    私という女が中心で、女目線で書かれていたセックスから、男に愛され、認めてもらうためのセックスへ。

    この本(北原みのり『アンアンのセックスできれいになれた?』)では、アンアンという雑誌の分析を通して、日本で女にとっての性のあり方やセックスがどういう風に変わっていったのかを分析し、提示している。







    セックスは愛とつながるけれど、愛とつながらないこともある。

    一時期センセーショナルな事件だった東電OL殺人事件の被害者は、殺されたのに「売春していたから」騒がれ、死んだあとも社会的にレイプされた。

    愛とつながらないセックスをする女の子はビッチって言われる。男は言われないのに。



    愛とつながらないことをすごく恐れている女の子たちがいて、それは身体にリスクがあるから。

    怖いのは、妊娠したらどうしよう、ということ。それは男は絶対持つことのない(そして絶対にわからない)怖さだ。

    生命を生み出すという奇跡をおこして、場合によってはそれを殺してしまわなければいけないということが自分の内部でおこるのは、はっきりいって半端ない。もし半端なくなんかなくて、堕ろしてもへっちゃら!っていう女の子がいるとしたら、それは自分が傷つかないように麻痺させているからだ。


    愛あるセックス至上主義や「愛されるオンナになることが大事」イデオロギーは、この怖さによって加担され、そしてその怖さが愛=性の関係を正当化することで、女の子たちのセックスを「愛」という名前でとことん縛る。大事にしてもらうために。愛されるために。セックスしても嫌われたり飽きられたりしないために。愛っていう看板を掲げているだけ何倍もタチの悪い、抑圧だ。


    本来ならば、と思う。
    自分のために体があって、それを男の人が愛してくれたら気持ちがいい。
    ほめてくれて、夢中になってくれるような体でいたいと思うのは、そういう体であれば自分自身も自分のことを好きでいられるからだと思う。

    でも愛あるセックス至上主義のせいで、自分を愛してくれるはずの男の反応や評価や視点を気にして、女の子たちがもがいているのだとしたら悲しすぎる。


    私は自由でいて、そんな自由でいる自分を可愛いとか魅力的だと思ってくれる男の人と一緒にいたい。
    究極のところで味方でいてくれるのならば、社会で言われているような女的な役割も性奴隷的プレイも、喜んでするのに。

    私には、「自由になりたい私、従属したい私」があり、男という主体の中に収まりたい欲だって持っている。
    でもそれは私の「趣味」だ。それを社会的な雰囲気で当たり前のように押し付けられるなんて、ごめんだ、と思う。


    女の人にも、そして男の人にも読んでほしい本。

  • 自分の中にあったセックスへの疑問が的確に指摘されており、おそろしいほどの共感にくらくらときました。

    結婚するまで処女でいるという貞操観念が薄くなったとはいえ、女性が不特定多数とセックスすることは「ヤリマン」で「ビッチ」は当然、下手すると「自傷癖」なんて言われてしまう。
    でも男性は本能だから認められて当然。
    女にも性欲があるのに、不思議ですね。

    本書で一番面白かったところは、「セックスで女がする仕事」を金額で表したところ。
    アンアンの付録である女性向けアダルトビデオ、その内容(草食系のカレをその気にさせて喜ばせる方法)を観て驚愕した著者が、女優の行動を仕事として金額化しています。
    例えば、決して自分からパンツを脱がない(控えめな女と思わせる演技力と手間)……○○円 など。
    どうして風俗並の技術を身につけて奉仕に徹してまでカレを喜ばせなければならないのでしょうか?
    セックスが愛と不正確な形で結びつけられた風潮によって、愛を得るために奉仕セックスをすること。それを自ら求めて「セックステクニック特集」を漁る現代の日本女性の姿を哀しく思います。

    主体的に、自由で、楽しむセックスを提案したかつてのアンアンはどこへ行ってしまったのでしょうか?
    そして、そんな形をとった雑誌は再び現れるのでしょうか。

  • 多くの人々、特に男性のほとんどには理解も共感もできないだろうが、私には北原さんの怒りや嘆きが、痛いほどよくわかる。
     子どもの頃から抑圧されてきた性的欲望を語っていい、肯定していいのだと、女たちの背中を後押ししたバブル経済と雇用機会均等法がもたらした力は、もしかすると一時の幻想だったかもしれない。だからと言って、女たちがようやく手にした性的主体性が、男が支配する商業主義の世界に、不気味にねじくれた形で絡めとられてしまったことを、女たちだけのせいにすることはできないはずだ。私たちが夢みたものそれ自体は、決して時代の徒花ではないのだから。
     なつかしさや悲しみではなく、怒りとともに、あの時代をふりかえれ。まだ実現せぬ私の主体性のために。

  • 自由にセックスするなんて、もはや面倒くさいという時代。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「面倒くさいという時代」
      時代だからなの?
      「自由」の意味が、誰とでもなら自制をするのは良いコトでしょうね。
      病気を持ってる人が、増えてるの...
      「面倒くさいという時代」
      時代だからなの?
      「自由」の意味が、誰とでもなら自制をするのは良いコトでしょうね。
      病気を持ってる人が、増えてるのかどうかは判りませんが、不安に思う、人を巻き込むような自由さとは無縁でいたいです。。。
      2012/12/13
  • アンアンの変遷をたどることは、日本の女の変遷をたどることだった。買うだけで、バッグに入れてるだけでかっこいい女になれたような気がしたアンアン。自由でかっこいい女が一番輝いていた時代の一番かっこいい雑誌。みんなが自由に私らしく生きられるんだと信じていた時代の。私もそのひとりだったから、この本は心にひりひりとしみる。この20数年を、「こういうことだったんでしょ。」と要約してくれたような。あまりにやるせない要約だけど。
    ちなみにアンアンのセックス特集をお金出して買ったことは一回だけあります。。。

  • ananで、愛のあるセックス礼賛になってから技術系の特集が組まれ出したというのが示唆深い。つまり明確に、「セックスは自由の象徴でなく、お仕事、または、カレとの関係を深めるための技術なんだし」という訳だ。愛のための技術としてのセックス。ケッ。

  • 私は、フェミについても、an・anについても、はっきり言って全く興味がない。そして、フェミやan・anに興味がある人々についても、殆ど知らない。そういう私が読むと、本書はある一人の70年代生まれの女性(とは、即ち年代的にも、譬喩的にも、スーザン・ソンタグのこどもの世代、というふうに変換される)が思春期から今日に至るまで、驚くことに少しもブレることなく関心を抱き続けてきた問題意識を、なんとも愉しく書いてしまった一冊、という印象を与える。大抵の場合がそうであるように、著者が問題意識をその筆致にありありと顕在させ、愉しく書いてしまったものには、鼻しらむものである。フェミニズムの本が、政治家の著作物のように、殆ど読めたものでないのもそのためだ。

    だが、本書、著者の鬱憤を書き捨てた全ての章が終わり、あとがきに差し掛かるとなかなかおもしろい。特に村木厚子さんについてのくだりは本書の中でどこか異色を放っている。

    「──女性は自由になったのか。
    言うまでもなく、そんな問いが立てられている以上、見当違いが続くものだ。問題は自由か否かではない。問題は女性ではない。著者が、00年代に入って突如として、長年愛読していた雑誌や社会全体が理解できなくなったのは、その変貌のためなんかではない(その意味では社会は常に変貌しながらのみ存在するのだ)。それは、筆者が思い描いていた解決されるべき──あるいは、ぶっつぶされたい──問題が、なし崩しに近い状態で解消されたからではないか。問題意識が向かう先をなくし、弄ばれている不満の現れではないか。」

    小悪魔agehaの愛読者がan・an世代から「傷だらけのイタイタしい少女」として描かれているが、(そのどちらにも属さない世代、80年代始め生まれ、元不登校児と帰国子女である)私からすれば、なにか問題がないとやっていけない類の感性────つまり、己の充実した生活のために問題を作り出してしまう傍若無人な感性こそ、いかんともしがたい、バブル世代特有の負の遺産にみえる。

    加えて、今日街角やネット上でたまに見かける、実年齢は小悪魔ageha世代、感性はan・an愛読者、といった女性たちが、なにか格別な不気味さを放っていることを、読みながら何度となく思い出していた。

  • ananは、過去には女性がセックスに積極的になるということを後押していて、その後バックラッシュがあったということは知らなかった。

  • タイトルの勢いに、内容が負けてる感じがしました

  • <span style="color:#0000ff;"> (P30) 70年代前半、アンアンにセックス特集はない。セックス特集が必要ないほどに、生きることがそのまま、性!生!政!であった。はっきりいって毎号がセックス特集である。</span>
     
     とウーマンリブ運動が華やかなりし1970年に、時代の最先端の申し子として誕生したアンアン。

     80年代のバブル期に入ると、遊ぶこと、そして働くことを奨励し、90年代には「セックスで綺麗になる」と題した特集を組んで、女の欲望を女目線で肯定する。

     しかし、00年代に入ると「(恋愛・結婚の)勝ち組/負け組」がちらほらし始める。

    <span style="color:#0000ff;">「世の中はわずかの間に急激に変化した。不況は長引き、家庭は崩壊し、残酷な事件が相次いで起こる。生きていくだけで精いっぱいなサバイバルな状態になった今(略)(00.3.10)」
    </span>
     恋愛やセックスは雇用も結婚も不安な女性のための、優良物件な男性を確保する手段となり、自由を謳歌する輝く女性の権利ではなくなった。
     それらは「男」を世話するマネジメントやお仕事と化したのだ。

     という、(ある意味)怖いお話。

    <span style="color:#0000ff;">「セックスはオープンになったのか。女性の性は解放されたのか(P188)」

    </span> の問いに、著者は戸惑いながらも、こう答える。

    <span style="color:#0000ff;">(P192) セックスはどんどん過激になり、女の人はどんどん解放されていっている。と語られる時、多くの人の頭の中にあるのは若い女性の姿だろう。でも、この国でこの10年で一番変わったのは間違いなく中年女性だ。初体験の低年齢かなんかより、性行動の高齢化の方が、ハッキリと目に見える大きな変化だ。(略)40代、50代の女性たちがこれまでの日本の歴史にないほど、自由自在に人生を拓いていっているのを感じる。結婚も仕事も子供も恋愛もセックスも貪欲に手にし、何も諦めようとしない鼻息の荒さが衰えることがないのを感じる。(略)この国の女のセックスが過激(中高年)と保守(若年層)に大きく振れいているのを感じる。
    </span>

     個人的な感想として、フェミニズム(男社会への恨み節???)は現代女性の生きづらさを説明する強力なツールであると思う。
     説得力もあるし、そういうのを書く女性は知的で面白い、まじめな人なんだと思う。
     だから、そういう女性をちゃんと大切にできる男性っていうのもいるんじゃないか、と思う。
     というかいてほしい。
     端的に言うと「男社会への恨み」と「男性個人に対する恨み」は別のものであってほしいナ、というのが私の率直な願望である。

    <span style="color:#00cc00;">(東電OLと村木さんを比べて。村木氏が自身の勝因を以下のように語る)
    「気持ちが折れない、健康で体力が続く、いい弁護団に恵まれる、自分の生活と弁護費用を賄える経済力がある、家族の理解と協力を得られる、という5つの条件がそろう幸運に恵まれないと戦えないんです」
    (略)東電OLは経済力があった。経済力しかなかった。</span>

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著者プロフィール

北原 みのり Kitahara Minori
作家、女性のためのプレジャーグッズショップ「ラブピースクラブ」を運営する(有)アジュマ代表。2021年アジュマブックススタート。希望のたね基金理事。著書に『日本のフェミニズム』(河出書房新社刊)など多数。

「2022年 『パパはどこ?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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