- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022508867
作品紹介・あらすじ
1歳児の双子と6歳の小学生の娘を持ち母を在宅看護する文化人類学者が提唱する、3・11後の私たちが今、やっておくべきこと。
感想・レビュー・書評
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薦められて購入。
震災について、敗戦にからめて分析している。
震災についての色々な思いを整理してくれる本。
○人の横のつながりが断たれ、自己責任、個人主義になってしまった世の中だからこそ、よけい辛い。(買い占めなどは、その最たる象徴)
○状況に順応するのは得意でも、状況を産み出すのは苦手。(空気を読むことはできても、壊せない。作れない。)←こういう人間に育つにのは、どんな原因があるんだろう。日本文化とは言うけれど、その文化を支えている育て方って?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
震災のあと被災地の人だけではなくて我々日本人全員になにかモヤモヤしたものを残した。震災によって我々は重要な転換期にきているのである。ここでいい方向に日本人全体がいけばかなり日本はよくなるのでは?と思います。
慈悲をもって怒れ。 -
あれから先の日本人の選択は、正しかったと言えるのだろうか。結局、問題を隠蔽する無責任体質は戦時中から全く変わっていないのであり、これこそが我らの「国民性」であり「本質」なのではないか。
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(2012.07.07読了)(2012.06.28借入)
【東日本大震災関連・その96】
副題が「震災後を生きる心のマネジメント」ですので、被災者が震災後を生きのびるための心の持ち方について書かれた本だろうと思って借りてきたのですが、違っていました。
「はじめに」に書いてあるのですが、「被災地から離れたところにいて、実際に被災をしていない人たちの心のマネジメントです」。
「復興を成し遂げるための私たちの「心のマネジメント」です。」というのですが、
被災していない人が復興を成し遂げるという意味がよくわかりません。
話は飛びますが、著者の名前を見たときに「上田紀行」でも本の題名になり得るなと思ってしまいます。長野の上田市を訪ねた本というイメージです。
(他人様の名前について、あれこれ言うのは、不謹慎かもしれません。ごめんなさい。)
本題に戻ります。
震災後に向けて、まず頭の整理をしましょう、その整理の仕方について、著者の意見を述べてみたい、ということのようです。
こういう観点からの本も成り立つというのには、ちょっと驚きました。
【目次】
はじめに
1章 創造のきっかけを作る
2章 天災と人災をはっきり分ける
3章 「空気」に自分を沿わせない
4章 生きる意味を見直す
5章 慈悲からの怒りを持つ
あとがき
●津波と原発事故(34頁)
震災(地震?)と津波は明らかに天災です。
原発事故はどうだったのでしょう。
確かに地震によって津波が起き、原発が襲われたことは天災です。しかしそのことによってあれだけ大きな被害と恐怖を生み出した事故に至ってしまったことに関しては、はっきりと人災であるといえるでしょう。これまでの経緯を見てみると、今回のような巨大地震について、何回もその危惧が表明され、それを当事者たちが意図的に無視してきたことがうかがえるからです。
●対象の整理(46頁)
私が「心のマネジメント」として明確にしておきたいのは、「共感するべき対象」と「怒るべき対象」をきちんと分けるということです。対象を整理しないことには、怒りの表出もできず、心からの共感もできないからです。
怒るべき対象は、地震や津波による外部電源、非常用電源の喪失という危険性が指摘されてきたにもかかわらず、見て見ないふりをしてきた東電の体質、国の無責任、さらには原発を生み出した日本のエネルギー政策のシステムです。
一方、共感すべき対象は、今あげたように現場で被爆しながらも頑張っている人たちです。このように怒りと共感の対象をはっきり分けなければいけません。
●第三の敗戦(64頁)
第二次世界大戦における軍事的な敗戦という「第一の敗戦」、バブルの崩壊という経済的な「第二の敗戦」、そして安心と信頼の崩壊という「第三の敗戦」。そしてその第三の敗戦を迎えた日本社会に、東日本大震災というさらなる災いが降ってかかったのです。
●空気を読む(65頁)
日本の社会システムを徹底的に追求していくと、その先には、日本型無責任体制に行き当たります。簡単に言うと、ひとりひとりがその場の空気を読むばかりで、本当に重要なことが検討されない、そして誰も本当のことを言わないという、「最初に状況ありき」ですべてが進んでいくような日本社会の在り方のことです。
●素晴らしい面(67頁)
日本人は苦しい状況に置かれたとき、自分のわがままを抑え、忍耐強く、仲間と力を合わせて乗り越えていく力があるというところです。
●懸念される面(67頁)
日本社会の懸念される面というのは、日本人は最初に状況が与えられた中でうまく生きることは得意なのですが、その状況自体が正しいかどうかを判断したり、もしその状況がふさわしくなければ新しい状況へとみんなの手で変えていく、状況を作り上げていくことに関してはとても不得意だということです。
●決められたことに従う(81頁)
われわれ日本人の行き方として、自分の意見は意見、議論は議論といたしまして、国策がいやしくも決定せられました以上、われわれはその国策に従って努力するというのがわれわれに課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方であります
●既成事実への屈服と役割への逃避(82頁)
状況は既に私に先立って作りだされてしまっている。だから私個人にできることはなく、自分はその場の中で空気を読みながら、自分に与えられた役割を果たすだけの存在である。内閣総理大臣であろうが、外務大臣であろうが、すでにある状況の中でその役割が振られただけなのであって、私はその中で自分を無にして、その役割をまっとうしなければいけない。
●どこが幹か(120頁)
何が自分にとって本当に大切なことなのか、自分が求めているもののどこが幹で、どこが枝で、どこが葉なのか。この震災は、私達日本人にとって、その全体を俯瞰してみる重要な機会であったのではないでしょうか。
●慈悲の怒り(137頁)
慈悲の怒りは悪意の怒りとどのように違うのでしょう。まず悪意の怒りは「人」に向かっているといいます。けれども慈悲の怒りは人に向かっているのではなく「行為」に向かっているのです。だから、子どもが毒に触ろうとしている時にやめなさいというのは、その子どもの行為に向けられているのであって、子どもがその行為をやめてしまえば、その怒りはなくなるというわけです。
☆関連図書(既読)
「復興の道なかばで」中井久夫著、みすず書房、2011.05.10
「悲しんでいい」高木慶子著、NHK出版新書、2011.07.10
「前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録-」麻生幾著、新潮社、2011.08.10
「亡国の宰相-官邸機能停止の180日-」読売新聞政治部、新潮社、2011.09.15
(2012年7月11日・記) -
あなたには
不動明王の怖い顔の向こう側に
慈悲の心が見えますか。 -
心のマネジメントかと思いきや、原発事故が人災だという怒りが大半を占める。人災に対しては怒りを持てというが、原発事故に関しての怒りは、解決策がなければもうたくさん聞いたし、世の中を変える力にはならない。これを福島の人が書いているなら共感するけど、ニュースとかで知った情報で怒っているんだなという印象。怒りに対しては、ダライラマとの対話が面白そう。
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震災から復興していくために、必要なこと、それは「慈悲の怒り」だという著者。
「慈悲の怒り」とは、社会的な問題に心からの関心を寄せて、何とか社会の不正をただしていきたいという気持ちによって生じる怒り。
そして、怒りが向かう先は「人」ではなく、「行為」。
自分に危害を加えている相手に対して、「あいつを殺せ」という言葉をぐっとこらえ、その相手がなぜそのような悪となってしまったか、人を苦しめるその根本的原因、システムを解明し、改善していくこと。
もう一つの怒りは、悪意から生じているもので、怒りは「人」に向かう。
例えば、誰かから危害を受けたら「こいつが悪い、こいつを殺せ」と叫ぶようなもの。
ある状況の中で、誰かを名指して怒りをぶつけるだけで、水戸黄門的な勧善懲悪で溜飲を下げる文化に長年親しんできたため、その悪を生みだした状況自身を変えていくことができない。そして同じ過ちが何回も繰り返される。
間違っていることは間違っている、悪いことは悪いと声を上げることは大切。その結果、悪者が罰せられたらそれでいい、という今までのやり方で終わるのではなく、そういった悪を生みだすシステムそのものにも切り込んでいかないといけない。
そう思うと、怒りも必要だけれど、人としてどのように生きるか、哲学というのでしょうか、そういったものがなければ、どこかぶれてしまうのではないかと思います。
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天災と人災とに分け考えるべきだと言うことは理解した。
しかし,その渦中にあるものはどうすべきなのか,
私はそれが知りたい。 -
原発推進と、対米開戦へのみちのりの類似点から、日本特有の「空気」の存在をあげ、今何を大切にすべきかを提唱。
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『慈悲の怒り』とは何か?安易な悪人叩きではなく、人災をもたらしたシステムに対して怒りを持つこと。そのシステムを変えるために忍耐強い努力を必要とするのが、慈悲の怒りである。
震災後、日本人の忍耐力が賞賛された。だが日本人は状況に順応して耐えるのは得意だが、状況を変革するために粘り強く働きかけることは苦手。これから必要とされるのは、後者の忍耐力だ。
この発想は、多くの労働運動、社会運動と共通していると思われる。