ヒーローを待っていても世界は変わらない

  • 朝日新聞出版 (2012年8月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784022510129

みんなの感想まとめ

民主主義の複雑さや面倒さを直視し、個々が小さな行動を起こすことの重要性を説く内容です。現代日本における「ヒーロー待望」の風潮に対して、著者は自らの力で社会を変える意義を強調しています。強いリーダーシッ...

感想・レビュー・書評

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  • 最近「エヴァンゲリヲン新劇場版Q」を観た時、その直前に「巨神兵、東京に現る」という短編が流れた。これが衝撃的だった。本編よりもこちらが遥かに問題作だった!
    神は世界を救わない、むしろ破壊する。(←極めて受動的な世界認識)しかし、自分だけは助かってみせる。(←この利己主義)という作品だった。それは、まるで橋下現象を分析した湯浅誠の「水戸黄門」型民主主義を想起させた。

    このエヴァが大ヒットしている世界で、対話型民主主義を実践する湯浅誠の活動は、それなりに意義のある仕事なのである。

    最新の湯浅誠の「運動論」のパンフレットである。例によって、「話ことばで」しかし「理詰めで」、橋下現象だけでは終わらない水戸黄門型民主主義よりも、対話型民主主義を選ぶ彼の「決意」が語られる。

    引用と要約によって、ざっと内容を概観してみたい。

    最後の最後では、私は楽観している。日本社会の底力を信じているのだろう。しかし短期では、強い危機感を持っている。だから短期と長期の二正面作戦が必要だ。(3p)

    湯浅誠は討論番組で「話し合う言葉が見つからない」経験をしたという。相手が「蛸壺化」「ガラパゴス化」しているのである。

    切り捨てても何も変わらない。その人たちに通じる言葉を見つけ出して行くのが私の仕事。(12p)

    障害者の兄の補助金(「既得権益」)を奪って、「正義」を行った気になっても、現実の収支は母や私、またそれを介した人々の諸活動の収支と深く結びついている。結果、惜しんで削った分の何十倍か何百倍かの活力と富を、社会は失う事になる。(41p)

    民主主義はめんどくさい。最近増えているのは「お上に上申」型民主主義。「私たちは言いたいことを言いたいように言わせてもらう。それをよく聞いて下さい。判断はあなたに任せます。私を裏切らないと信じています」という考え。
    「水戸黄門」型民主主義。選挙で選ばれた、王制・貴族制に近い。それに「待っていられない」という焦りが加わる。「ガラガラポン欲求」

    議会政治はダメだ、政党政治はもうダメと壊していった時に、それよりマシなものが出てきたことがない、というのも歴史的な事実です。(略)「壊す時には、壊す前にその建物がなぜ建てられたか考えてみよ」という格言がヨーロッパにあるそうですが、それを思い出します。(64p)

    問題は、橋下さんという個人ではなく、チョムスキーの言った「土壌」つまり水戸黄門型ヒーローを求める人々の心理にあると私は考えています。そうだとしたら、それが実際には不可能なものを探し求める「ないものねだり」である以上、「ないもの」を探し求める行為は、必ず裏切られます。
    現実には存在しない「青い鳥」を探し続けても、それは見つからない。「いまあるもの」への不信感をテコに「次」を探し求めるサイクルそのものを対象化、相対化しない限り、橋下さんが失脚したとしても、ネクスト橋下が出てくるだけです。橋下さん自身が、ネクスト小泉であり、ネクスト民主党なわけです。
    しかしそれは単純な繰り返しではない。すでに多くの人が指摘しているように、日本には「待ったなし」の課題が山積みしています。にもかかわらず「ないものねだり」の水戸黄門探し、青い鳥探しが続き、こいつがダメ、あいつじゃないか、やっぱりそいつもダメ、という非生産的なサイクルを繰り返していれば、症状はどんどん深刻化していきます。(83p)

    民主主義とは、高尚な理念の問題というよりはむしろ物質的な問題であり、その深まり具合は、時間と空間をそのためにどれくらい確保出来るか、という極めて即物的なことに比例するのではないか。(85p)

    「諦めなければ夢は叶う」「その気になればなんだって出来る」というのは、極めて日本特有の意識

    社会の側に責任を少し多めに見積もるくらいでちょうどいいのではないかと考えています。(103p)

    参加のハードルを下げること、声をあげられない人たちに寄り添って一緒に解決策を探すことか「私たちの仕事」

    民主主義(原則)は求めるが、することは目の前のこと(現場)、というのは、昔からの湯浅誠の変わらないスタンス。

    足場ボランティアとは何か。盥のお湯がツール(手段)、本来の目的は、「大丈夫ですか」と聞いても「大丈夫です」としか答えない信頼関係の不足を、ツールを使って乗り越えることです。(136p)

    これはコミュニティの問題であるのと同時に、民主主義の問題です。人と人を結びつけるスキルやノウハウが乏しいと、仲間内で固まることしかできなくなります。(138p)←左翼に対しても向けられた批判ではないか。

    日本は「コミュニティをつくる」というノウハウの蓄積に乏しい。戦前の濃密な地域コミュニティ(地縁関係)は、高度成長期に企業共同体(社縁)に組み込まれていった。さらには、男は社縁を中心に血縁、地縁が連動している。そして、社縁自体は現実は変化して「人をまるごとの性格、生活者として受け止める」関係から、結果主義で評価する「ドライな存在」になった。しかし、「社縁中心」の価値観は大きく変わっていない。そのギャップに落ち込んだ人たちが一挙に無縁状態に入る。

    日本のソーシャルワークをつくる必要性がある。ソーシャルワークとは、「関係性の調整」である。

    ヒーローを待っていても、世界は変わらない。誰かを悪者に仕立てあげるだけでは、世界はよくならない。ヒーローは私たち。なぜなら私たちが主権者だから。私たちにできることはたくさんあります。それをやりましょう。その積み重ねだけが、社会を豊かにします。
    2012年10月12日読了

  • 今こそ強いリーダーが必要だ、と考える人に読んでほしい本。調整はしたくない、自分の思うように独断で決めてくれるリーダーに出てきてほしい、と思っていないか?誰もがそう考えた時にどうなるのか?「民主主義とは非常にめんどくさくわずらわしいものである」という著者の指摘は真実だと思う。

  • 民主主義はめんどくさい。が、みんなでそのめんどくささを引き受けていこう。という。
    日本社会に蔓延する「反対」。ヒーローを担ぎ出して、白紙委任。それが駄目なら退場させる。その風潮に一石を投じる内容。強いリーダーに身を委ねず、反対ばかりせず、小さなことでも自分のできることを具体的にやっていこう。そう思える良書だ。

  • (2012/11/12読了)民主主義っていうのは時間もかかるし面倒なんだよ、その面倒さが嫌で、ヒーローが颯爽と現れて難問をスパっと解決してくれないかな願望が広がっている・・・という指摘。ああまさしくそんな感じの今の日本。

  • この本を読んで、帯にある「決めたい」のか「決めてほしい」のか?という言葉の意味がよく分かるようになった。テレビで街角の人に政策をどうしてほしいかというインタビューをよく見るが、「自分の要求通りに決めてほしい、自分は何もしないけど」ということを言っているだけに過ぎない。自分の思う未来があるならば、その調整責任は背負わねばならないのだと思った。どんなに大きな問題であろうと。

  • 民主主義において自分がなすべきことを教えてくれる。この題名の通りである。自分で何かしなければいけない、社会は助けてくれない。ただ、悲観的になる本ではない。地に足をつけて、自分で歩いていくことの必要性が理解できる。わかりやすく、そして自分で考えることができる一冊。

  • 【読書その112】自立生活サポートセンター・もやい事務局長・反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠氏の著書。内閣府参与として政権に入っていた著者が考える民主主義論。政治関係の本ではこの半年~1年くらいで一番面白かった本。そう、ヒーローは待っていても世の中は変わらない。自分が何をできるか、何をすべきか、考える良いきっかけに。

  • 上品かつ紳士的な文章の中に、すました顔で冗談も混じっていて、深刻になりすぎずに読み切ることができた。確かに格さんいらないかも。いや、いるかも。

  • 個人的には、けっこう苦労して大学をでたと思っている。
    でも、苦労しても、努力しても、“人と同じスタートラインにようやく立てた” “そこから前に進むには、さらに頑張らないといけない” というさみしい実感ばかりだった。
    そんな苦労や努力は、目には見えなくて、わかってくれないなら、その苦しさを、忘れてはいけないと思ってた。

    だから、この本に書かれていたように、“自分の声を聞いてもらえない。政治的なものは余裕のある人がやればよい”と感じて、社会を拒んでた。
    それを、いじけてるって、誰かは言うかもしれない。

    だけど、この本は違う。

    本当に追い詰められた人のどうしようもできない現実を、真剣に理解しようとしてくれている。
    上とか下とか、勝ちとか負けとか、強いとか弱いではなくて、どんな人でもコミュニティの一部としてその存在を認めてくれている。

    「困難を抱えた人は、新たなチャレンジを課してくれる先生とされる。その困難を解決していくことが地域と社会の課題解決力を高め、工夫と仕掛けを豊富化するチャンスとして歓迎されるのです」(156)

    2013.6.10

  • 現状の日本の民主主義の問題について、貧困問題に携わっている著者が提言する著。
    自己責任論や安易なシステム批判は、要するに諸問題の利害調整や合意形成というめんどくさい過程をすっ飛ばして、オイシイところだけ貰いたいというモノグサ心理の表れなのだと気付かせてくれる。
    日々仕事と生活に追われる者には問題を考える時間も場所もない。しかし「誰か何とかしてくれ」では結局それぞれに皺寄せが来るだけ。
    人的関係の構築から地道に進むしかない。
    「~しなければ。で終わらせてはならない」
    心当たりがありすぎてグサグサ突き刺さる内容だった。

  • 「誰か決めてくれ、自分の思い通りに」ではなく、また言いっ放しでなく、調整も含めて引き受けることが民主主義では必要と指摘。耳が痛いが、「実現」が目的であれば必須か。民主主義に「時間・空間が必要」とリアルに捉えるのが興味深い。

  • 民主主義は、他の誰でもない、まず自分から行動すること―「誰かがやってくれるだろう」と待っているのでは遅すぎる。「○○党はダメ」とつぶやいていても何も変わらない。今、自分の進んでいる一歩がやがて大河になることを信じて進むしかないのだ。今年のマイベストブック。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「やがて大河になることを信じて」
      皆で持ち寄れば、早く大きくなるかも知れません。
      早いより、ゆっくりの方がシッカリしたものになるかも知れ...
      「やがて大河になることを信じて」
      皆で持ち寄れば、早く大きくなるかも知れません。
      早いより、ゆっくりの方がシッカリしたものになるかも知れません。
      文句を言うなら、やっぱり動かなきゃ!
      2014/04/01
  • 政治家任せにして、バッシングにやんややんやと狂喜しているといつのまにか後ろからサクッと刺されている

    そんな筋書きが予測し得る中で人任せにしない→いかに他人を巻き込み、主体的に考えるか

    その大切さを説いた本

    具体的な方法論は少ないが良い指針にはなる

    以下メモ書き

    既得権=ひとりひとりの必死の生活とそこから出てくるニーズ

    民主主義=面倒、時間がかかる
    余裕のない人々(物質的にも精神的にも)の増加→ヒーロー待望論

    一つ一つの問題について議論するどころか考えるにも時間がかかる
    →「誰か決めて!」
    →「レッテル貼りをすればそれ以上考えなくて良い」(所詮既得権を守りたい人たちが騒いでいるだけと他人事にして、考えなくて良い)

    一緒に考えたい→参加に障壁
    その障壁を低くする
    ex子育てや介護などの集会の際に託児スペースを設ける

    高度な民主主義
    →あらゆる問題について主体的に考える時間や空間の確保に比例

    デモは社会を変えるか?
    デモをすることができる社会を作れる
    →選挙以外で人々が一人一人の民意を社会に示すことで多様な民意があることを示すことができる→無視できないから調整する必要→現状より少数者の意見が踏まえられた内容豊かな政策を生める→よりよい社会を作る土台に
    =人と人とをつなぎ、その関係を結び直す工夫と仕掛けの蓄積が必要

  • 湯浅さんは内閣府参与になって変わったという話をよく聞きます。この著書を読めば、わかります。政府の中や官僚との付き合いの中から、どちらの立場もわかるという論考になり、「半貧困」を読んだ時の様な感動はなく、歯切れが悪くなっているなという感じはしました。ただ社会運動側の方向性として、「社会運動がとるべき方向性は、バッシング競争で負けないためにより気の利いたワンフレーズを探すことではなく、許容量を広く取って理解と共感を広げていくために、相手に反応して自分を変化させ続けていくこと、政治的・社会的な調整と交渉に主体的にコミットすること、そして自分という存在の社会性により磨きをかけていくことではないかと思います」という民主主義は時間のかかる調整過程である、ということなのでしょう。それができる人はそんなに多くはなく、逆の意味で湯浅さんというヒーローを待ち望む心性が我々の中にもないか、よく考えてみることが必要でしょう。

  • この本についてではなく、湯浅誠さんの活動や講演やラジオや記事から思ったことを書く。

    私は湯浅誠さんに興味を持っている。
    湯浅さんは、ホームレス、子供の貧困、被災地支援、民主主義などの問題だと思う事についてどうにかしようとし、私はその問題を取り上げて伝える記事やラジオや講演を視聴し、そこに登場する湯浅さんを捉える。
    そこでの湯浅さんの話には、人の心のどうしようもなさや、関係の中にある人の心の複雑な細部が語られることがある。 
    どうしてそういう心になるのかを、心だけ留まらずに、背景にあるそうならざるを得なかった環境に目を向け、環境をどうにかしていこうとする。
    そしてそういう人の心は受け止めるが、その心にこうすればいいと教えたり批判したりしても、その心には受け入れられないと考えている。
    だから環境をどうにかしていく事に力を注いでいる。
    環境といっても、制度、お金だけでなく、人とのつながりニンゲンも環境の一部だ。

    私が問題だと思うのは、自分の性格だ。
    これは、湯浅さんがどうにかしたいという問題にはならないかなぁと思う。
    しかし、この性格は学校や職場や家庭でうまくいくかどうかに関わり、そこから落ちていくと社会問題とされる名のつくものにつながっているかもしれない。

    心が硬直し人を恐れるような心になると、仕事内容ではなく人に怯える事に脳の多くの部分が使われ、仕事に熱心になれない。
    この心の硬直は、様々な人と共に生きる中で、私がどうしても負わねばならないものなのか?
    強いと言われる人は、心ではなく仕事内容を見て真っ当なことを人を恐れずに言う。
    私は仕事内容よりも心へ多く神経が向いてしまう。
    注意、神経の向かう先が違うと何をやっても気遣う先が違うから相手に反してしまう。

    私が他の部署で働く人と関わりながら話しながら仕事をしたいと強くいったのは、思い返すと、それができないからこそできるようになりたくて出た言葉なののだろう。

    大学にはサークル活動をするための部室があった。
    そこには同じ授業を受ける同じ学科の子ではなく、違う学科の子がポツポツとやってきていた。
    そこで話すのが楽しかったし気が休まった。

    ある部屋をあてがわれて、今まで話したことのない人と共に何かをすることで、関係が生まれて記憶に残るように人間を直に知ることができた。

    ある特定の人の集まりが生まれ、その集まり同士を結びつけられると、a集団とb集団は合体されても分離している。
    a集団から1人、b集団から1人、c集団から1人と集団から1人抜いて集めるとその1人1人は交わるかもしれない。
    集団と集団ではなく、そういう1人対1人の関係の中に希望を持つことはできる。

    まだ私は人との関係に絶望しない、恐れるけれどそれでも。 小説読むより関係する方が詳細で脳に染みついてしまうんだから。

    湯浅氏のように働きかけていく人がいて、働きかけられる人々がいる。 働きかける人には、秀でた知と豊富な経験の魅力を感じてしまう。 
    人との関係を見つめ、自らも経験し、広く長い視点をもつ働きかける人は、現場のみを知る人よりも多くの蓄積が生まれ魅力的になるのは当然だろう。
    その蓄積されたものがすごく魅力的なんだ。
    人間の、ひとりひとりの、人と人の関係の、1人の内面の、集団となったときその中の一人一人の、集団そのものとしての、教えるもの教えられるものの関係にあるときの教える者の立場からの、教えられる立場からの、そういう様々な視点をのぞいた蓄積。 人間についてよく知っているんだ。
    三島由紀夫が小説の中で挿入する心の説明のように、よく心を捉えている。

    自分の思ったことを言えない、やりたいことがあってもそれは手の届かないものだとして諦めてしまう、どうせとか私なんかと思ってしまう学生が多い事に違和感を感じた石黒和己さんは、NPO法人青春基地を作り高校で高校生が興味のある人に会うやりたいことをやることの手伝いをしている。その中で、高校生が教師から教えられる生徒としてでなく自ら動き出し学んでいく道があることを、それが不可能ではないことを体験する機会を作っているらしい。
    石黒和己さんが抱いたこの違和感は、私も抱く。
    石黒和己さん自身はやりたいことはやる、自分の気持ちは大事と思い学生時代を過ごしたから、そうではない人に違和感を感じたというが、私は、自分の思ったことが言えない、それでも学生時代が過ごせてしまうこと、自分の思った方に意見が持てるくらい興味のある関心のある方向に進まないと学びが進まないこと、にこれは良くないと思いどうにかしたいと思っている。
    代官山ティーンズクリエイティブも、子供学生といろいろな大人をワークショップでで会わせて経験をさせている。

    こういう活動をする人を記事や文章や講演などで見て、私について考えてみると、毎日行く職場が主な生活でそこで一緒に働く人々から多くの刺激を受けて関係して生きている。 
    そこでちゃんと仕事をしながら、職場の人と会話をしていくことが今の私には大事だ。
    しかし会話はなかなかうまくいかない。
    だからもっと気楽に会話できる人になりたいと思う。
    が難しい。

    共にいて1年2年と過ごし行為や発言から受け取るものは大きい。(言葉にして意識化することは少ない、感じとる)
    講演や記事や著書から受け取るものとは違うが、活動家のそういう発信は、言葉になって意識化されて伝えられ、身近な経験をその言葉に沿って解釈させる。

    集団の中に入り人と関係していくことと、全体をどうにかこうにかしていくことの2つ。
    集団の中に存在するために精一杯な人は、自分の面倒を見るのに精一杯で余裕がないから全体がうまくいくことにまで考えが及ばず、まずは自分がしっかりとすることが全体がうまく回る事につながると考えるのではないか。
    私はそうだ。


    https://npo-kigyo.net/2019/12/16/【特別インタビュー】会報誌「aile」vol-108-番外編/
    ↑この記事は湯浅誠をアイドル俳優アーティストを取り上げるように湯浅誠そのものについての珍しい記事だ。

    講演で湯浅誠さんはウンウンと頷く賛同者を集めたいのではない。講演に来ないような人に少し話を聞いてほしい、こういう社会課題があることを知ってほしいのだ。
    だから、自分の講演にきた聴講者に伝えるのは、貴方の持っている意見と同じようなことを言って賛同し合うのではなく、自分の家族や友人や知り合いの中で意見が異なる人や会話をしないような人と話をして、自分と異なる意見を持つ人の背景を見に行くこと、そして自分の意見も伝えてみること。 (とっても難しいことを求めている)

    それは私が美術の作品を展示するときに感じたものと似ている。
    展示ギャラリーは、わざわざ室内の部屋の中に閉じ込められてしまうので、興味のある人の目にしか触れない。
    美術館やギャラリーに来る人にしか作品は出会わない。
    せめて廊下に展示できればいろんな目に触れられる。
    閉じ込められた空間を開いて路上へ開く方がいいと思っていた。
    だから、壁のグラフィックや落書き、看板、ポスターは多くの人の目に触れていいなと思った。
    さらに樹木は彫刻作品のようだし工事現場や解体中建設中の現場は空間作品のようだった。
    ファッションや肉体は最も良く目に触れるそれぞれの表現だった。
    閉じられた空間で、見たい人にしか見えないところでの表現は衝撃的な出会い、価値観の違う人との出会い、衝突、がない。 批判が少ない仲間内の空間。
    こんなところでの表現はつまらない。

    路上で多様な意見のある人の目に触れさせようとしたら、活動においてはデモ行進や路上の演説になるのだろう。
    アートにおいては路上のパフォーマンスやハプニング。

    専門性の高い興味のある人が集まる空間では、共有された常識があり、一般にもわかりやすく噛み砕くことなく、深いところまで話せるという利点があるだろう。
    が。が。
    専門性高く高くなっていって、宇宙に飛んでいく船ができたり、病気を治せる薬ができたり、便利な機能のアプリができたら、専門家は偉い人として扱われて人々はその恩恵を授かる。人々は豊かになったのだろうか? その専門家は偉いのか? 労働者の暇の娯楽が増えて、専門性を持つ人との文化資本の差が広がったのではないのか?  

    話の合う合わないで日常会話の相手は選ばれるから、合わなかったら真剣な話をしようとしたとき、普段話せてないのにそのときだけうまくは話せないよ。
    だから日常会話から始まっている。

    その日常会話に全く可能性が持てないから、私は他にも先にも希望が持てなくなっている。
    日常会話がどうしてそんなに怖いのか?

    この湯浅誠さんの言うように、いろんな人に耳を傾け、否定せずなぜそう思うのか聞き、気が許せて安心して微笑めたらいいなと思うけれど、湯浅さんの言うように全然できない。 本当に難しい。 
    湯浅誠さんは人見知りしないと自分で言い、柔らかくもあり堅くもあり様々な人と話してきたであろう湯浅さんでさえ難しいと言う。
    それを、多くの人ができるのか? 
    もっと小学校中学校高校で出来上がってしまう集団の中での佇まいを変えていかないと大人になってからどうにかするのは大変なことがあると思う。

    意見の異なる相手、話しにくい相手、上の世代、下の世代、そう言う人とも棚していくことを湯浅さんは勧めていると先ほど書いた、しかしそう言う人といる場ではなかなか会話が弾まないことが多い。
    安心できる場、否定されない場、では自分の素直な思いが言いやすい、萎縮せずに発言できるという多くの人にとっての実際の事実がある。
    安心できる場は居場所となる。
    居心地の悪い場には近寄らなくなる。
    居場所か、多世代多様性交流か、2つの選択ということにはならないが、二つの場はちょっと違う、居場所に流れやすくないか?

    職場は多くの人にとって上司部下話しやすい話しにくい人がいて、それでも職種で分けてみれば職種ごとに同質で、職場の詳細な多様性と多くの時間を共にするに疲れ、外でよく知らない多様性と触れ合わずにすれ違う。

  • ・民主主義というのは、まず何よりも、おそろしく面倒くさくて、うんざりするシステムである。

  • 一億二千万の民意はそれぞれ違うという、わかっていたとが実は…という内容で興味深い。

  • 政治
    社会

  • 現代社会に関して、民主主義は面倒くさいということ中心に分かりやすく指摘している本。

  • 5年前の本だがタイトルに惹かれて図書館で借りた。民主主義の本質を今更ながら知った気がする。名著だと思う。
    「調整責任と決定権限はセットだ」という考え方からすると、小池新党のいう「しがらみのない政治」は調整責任を放棄する「政治の退化」と言わざるを得ない。

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著者プロフィール

「反貧困ネットワーク」事務局長、「自立生活サポートセンター・もやい」事務局長。元内閣府参与。

「2012年 『危機の時代の市民活動』 で使われていた紹介文から引用しています。」

湯浅誠の作品

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