終わりと始まり

著者 :
  • 朝日新聞出版
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本棚登録 : 104
レビュー : 17
  • Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022510969

作品紹介・あらすじ

C0095【文学/随筆】朝日新聞本紙好評連載の単行本化。沖縄、水俣、東日本大震災の問題にかかわり続け、いまその発言がもっとも注目される小説家が、少数者の居場所や原子力優遇策への批判、震災後の心の傷にふれる。深みのある思索の名コラム。

感想・レビュー・書評

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  • この4年の間に朝日新聞に掲載されたコラムです。 折り返しのころに起こった震災・原発事故には動揺しながらも、声高にならず、“良識”を伝えてくれたことに感謝。.



    ・・・本の感想としては反則なのだけど先週掲載されたばかりの朝日のコラムから引用します。

    「終戦記念日」が巡ってくる。

    という出だしで始まり、

    途中の

    昔から自然災害の多い国だったから、ひどい目に遭ってそれを忘れるのには慣れている。国内にいた者は忘れるようにしたし、遠い戦場から帰還した者は何も語らなかった。

    そして

    福島第一の崩壊は東京電力という会社にとって究極の恥であったはずだ。しかし東電はもちろん、一蓮托生でやってきた財界も自民党も恬然として恥じることを知らない。

    と・・・。


    そうなんだよね、戦後、一億総懺悔なんて言い出して、戦争責任を国民のみなで背負うことにしたり、 原発を利権絡みで長年推進してきた国の背景を追求しないままで自民党圧勝を導いたり(民主党は民主党で確かにあまりと言えばあまりの稚拙な政治だったけど)、何でも忘れる日本人なんだなぁ、私たちは、と苦い思いにかられ、

    また、

    野田政権は、電気が足りない、と大飯原発を再稼働させたけど、夏が終わってみれば関西電力は他の電力会社からの融通だけで乗り切れた、とコラムを読むと、
    あぁ、そうだった、なんかもうすっかり前のことみたいで忘れてたよ、なんて重ねて恥ずかしく思ってみたり。

    リアルタイムで読んでいるコラムを一冊にまとめて数年分を一回で読む、という作業の意義をこんなところで感じても仕方ないのだけど、でも、そうだよね、これが大事なんだと思う。

    池澤さんという人の筆致が好きで、だから本来ならば、

    キャラを引用しての事故説明の習慣を捨ててみよう。ぼくってこんな人・・・から脱却しよう。

    なんていう、“非常事態”ではない時のコラムの話をここでは感想として書きたかったのだけど、
    やはりこの一冊の中心はどうしても、震災・津波・原発になってしまう。

    最後にまた引用します。

    今、気になっているのは、みんなが「考える」より「思う」ことで決めるようになったことだ。五分間の論理的な思考より一秒の好悪の判断。


    ・・・・目新しい言い方ではないかもしれないけど、
    改めて、うん、そうだよね、せめて五分間は考える自分でいたいです。

  • 池澤さんの発する言葉は、とても静かだ。何かを攻撃すること、否定すること、破壊することで、自己を主張しようとするような人や言論が脚光をあびるような今の世の中にあって、池澤さんのように丁寧に言葉を紡ぎ出していく人を、私は信用する。「考える」ことと「思う」ことの問題提起にははっとさせられる。「思い」がないと、空疎なものになってしまうと常々考えているので、どきっとしたけれど、「思い」にもいろいろなものがある。池澤さんの危惧する「思い」は感情的な一瞬の反応のことなのだと思う。その時に好きか嫌いかで瞬時に物事を断定してしまう「思い」とは違う「想い」にちかいものは、「考える」ことを続けていく上では欠かせないもののはずだから。池澤さんのように、凝り固まらずしなやかに思考することを心がけたいものだ。

  • 池澤さんの東日本大震災後のエッセイ。じっくり再読しよう。

  • 2008年の末に亡くなった加藤周一の「夕陽妄語」に代わり、2009年4月から池澤夏樹の連載が朝日新聞紙上で始まった。 私はその前後に20年近くとっていた新聞購読を中止したので、このエッセイを読んだ記憶がほとんどない。本格的に加藤周一連載の後継に落ち着くことも、実は幾分疑っていた(それまでは暫定的に大江健三郎の連載があった)。あれから10年近く経って、既に二巻目が出ているこの本の第一冊目をやっと読んだ。

    池澤夏樹は加藤周一の後継であると思っていたわけでもなく、期待していたわけでもない。それでもやはり新聞後継連載のエッセイを読んでみるのが怖かったのだろうと推察する。

    題名の意味が不明だったが、加藤は漢詩から採ったが、池澤は「さりげないものがいいと思って」外国人の詩から採ったことが、今回知れた。いい詩である。2年後に詩の内容が現実(震災)に追いついたのは、偶然である。

    読んでみると、池澤夏樹は多くの点で違っていた。文学よりも、旅の話が生き生きと語られる。ともかく池澤夏樹は「行動的」である。被災地に何度も通った。加藤も震災後神戸に訪れているが、その比ではない。もちろんだから優劣をつけるわけでもない。最新のマンガや映画の内容を何度も俎上に載せる。古典を大切にしていた加藤とかなり違う。日本に帰って住んだ土地である沖縄と北海道の話題が多くを占め、「戦後日本文学の1番大事な作家」と評価する石牟礼道子氏の関係か、水俣の話題も多かった。3.11の後からは、少なくとも2年間の2/3は震災関連話題で占める。古今東西の遠くに広がらず、比較的身の回りの話題が多いというのは加藤周一のそれとは違うだろう。

    しかし、教養はやはり古今東西に広がっており、社会を批判的に見る目は比較的鋭い。イサム・ノグチが好きだから、政治の話をしないわけではない。むしろ積極的にしている。これらは「夕陽妄語」の伝統に似るだろう。

    加藤周一は私にとっては、仰ぎ見る大先生だった。池澤夏樹は大学で演習のお世話になっている先生のような気がする。学ぶべき所は多いが、時々は「それは違うでしょ」と言いたくなるのである。ともかく、読み継いでいきたいと思った。

  • い図。ハードカバーの方。
    多数が少数を飲み込んでしまうことの怖さ。無意識や、傍観するだけという行為はつまり、多数側にまわってしまうということだということ。自分が小中高で感じた友達や先生との関係についの考えや行動…。どのコラムも、読むごとに自分の体験や生活を思い返し、重ね合わせて色々と考えさせられた。こうやって自分と周りのこと、社会の出来事を見つめ直して考える時間をもつこと、大切だな。ほんとは考えるだけでなく行動に移さなければいけないこともあるんだけれど、普段からこうやって立ち止まって考えることをしておかないと、知らぬ間に視野が狭くなってしまう。
    とはいえ、自分の周りの幸せのために行動し、考えることも大切なのだけれど。
    いつなんどきも、自分の足元と、もっと広い社会のどちらにも柔軟に目と体を向けられる人でありたい。それを自分には大それたことだと一歩引くのではなく、踏み込んでいける人でありたい。
    そう思った。

    本や映画、作家や資料を探す際にキーワードとなる出来事が多く紹介されていて、参考になった。再読候補。

    ・p173で取り上げられていた映画『pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』、見たい。
    2017/8/21

    ◆引用
    ・p194…事態を正確に読んだ上で楽天的にふるまう。それは不運を乗り切る力の一つであるだろう。(2012/8/14)

  • 現代にも、ペンで戦おうという気概を持った人はいるのだな。と言うのが読後の率直な感想。
    文学が世の中を変えることが出来る、なんて言える作家が、いや、一般市民でも、果たして何人いるのかな。
    (自分は数年前、今いる会社の人事部の面接担当に文学部出身と言うと、「何をするの?作品を読んで感想を言い合うの?」とか聞かれて、世間の文学の認識ってそんなものなのだろうかと、キレそうになったことを思い出した。閑話休題。)
    2009年から2013年も、全く激動な時期だった。3.11以前と以後、終わりと始まり。
    この時期に、このコラムを残してくれた池澤夏樹に感謝。
    シンボルスカの詩が、刺さる。
    刺さらない方が、この詩の意味を理解できない方が、幸せだとは思うけど。自分以外の人の幸せも、凡人なりに考えなきゃね。

  • 3.11をまたいだエッセイ、たとえば伊集院静など、何冊目だろう。連載エッセイの宿命としてテーマ選択の時系列がどうしても見えてしまうのが気の毒だ。たとえば本書では原発については3.11の一年以上前から連載が始まっているにもかかわらず、一度も取り上げられてはいない。震災直後の「なじらない」「あおらない」という自分への戒めの表明は大変共感するものだが、その後一年半以上も続く震災関連一色ともいえる多少なりともヒステリアぶりには思わず身を引いてしまう。穿った見方であって欲しいが沖縄移住も、もしかして逃げたのではと。

  • 久しぶりに池澤夏樹のエッセイ(というかコラムだとご本人は)を読む。この人の小説は前の世紀のものは殆ど読んだし、エッセイもいくつも読んだ。僕は考え方を同じくする部分が非常に多い作家のひとり。これは朝日の連載を収録したものだそうだが、ちょうどフクシマ前後の日本についてそれぞれ彼の呈示する視点から気づくことは多い。実はその姿勢全てに共感するわけでは無いのだが、多分ちょっと良くも悪くも傍観者的な視点があって、それが共通するものなのかも知れない。読んで気づいたらアクションしないと意味は無いけどね。それと、アメリカ的なものにどっぷりつかってそこから逃れられないのに、アメリカ的なものに対する疑問を抱いている中途半端さも一緒かも(苦笑)。原発のことがあるので、本書に対してネットではアンチな書き込みも見る、それですらひとつひとつ中途半端になるのが結構笑えます。中途半端バンザイ。僕はハードカバーで読んだけど、来月早々に文庫化されるそうです、一読おすすめ。
    余談ですが「終わりと始まり」というタイトルは、ポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカの同名の詩からだそう。冒頭と巻尾に引用されていますが、非常に印象に残った。

  • コラム。

  • 核にも反対されている方。原発や政府に対しても、ガツンと言ってくれている。

    メモ
    p13何かを終わらせ何かを始めるためには、一つの積極的な意思がいる

    p29四国学院大学 被差別少数者特別推薦入学

    p43ワープロで書いた小説で芥川賞を受けた最初の作家

    p53どうも日本人は人材論が好きらしい。それもリーダー論が好き

    p67 終末論。映画2012、渚にて、ザ・ロード

    p150子犬が室内で粗相をしたら、その場へ連れて行き、鼻面を押しつけ、自分が出したものの匂いを嗅がせて頭を叩く。お仕置きをしてそれはしてはいけないことだと教える。我々はこの国の電力業界と経済産業省、ならびに少なからぬ数の財政界人から成る原発グループの首根っこを捕まえてフクシマに連れて行き、壊れた原子炉に鼻面を押しつけて頭を叩かなければならない。

    p180怖いというのは理論や思想以前、感情よりもっと深い、ほとんど本能レベルの反応である。

    p181琉球の時代 大いなる歴史像を求めて/高良倉吉

    p196 父と暮らせば/井上ひさし

    p56〜【性格とキャラ立ち】
    p169〜【不安を抱いて生きる】

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著者プロフィール

池澤夏樹(いけざわ なつき)
1945年、北海道帯広市生まれ。1964年に埼玉大学理工学部物理学科に入学し、1968年中退。
小説、詩、評論、翻訳など幅広い分野で活動する。著書に『スティル・ライフ』(中央公論新人賞、芥川賞)、『マシアス・ギリの失脚』(谷崎潤一郎賞)、『花を運ぶ妹』『カデナ』『光の指で触れよ』『世界文学を読みほどく』『アトミック・ボックス』等多数。また池澤夏樹=個人編集『世界文学全集』、同『日本文学全集』も多くの読者を得ている。旅と移住が多い。
2018年9月から、日本経済新聞にて連載小説「ワカタケル」を連載。

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