帝国の慰安婦

著者 :
  • 朝日新聞出版
3.91
  • (12)
  • (30)
  • (7)
  • (2)
  • (2)
本棚登録 : 322
感想 : 33
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022511737

作品紹介・あらすじ

性奴隷vs.売春婦、もはやこの議論は無意味か。対立する「記憶」の矛盾を突き、「帝国」と植民地の視点で見直す。「慰安婦問題」解決のため、"第三の道"を提案する、大佛論壇賞受賞者による渾身の日本版。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 慰安婦、挺対協、アジア女性基金のそれぞれの経緯、画一的な善悪性ではなく、検証された歴史的な事実に基づき、問題の解決方法を提示しています。

  • 読むには気の重い本だと思いながら買ったが、読み始めると一気に最後まで読んでしまう、そんな迫力のある本である。慰安婦をめぐり、日本と韓国の間には、硬直した関係が続いている。韓国はこの問題を女性の人権の問題として国際社会に訴え、日本の一部の人たちは強制性はなかったとして、慰安婦問題自体をなかったかのように処理してしまおうとしている。ぼくは韓国の態度はやはりかたくなというか、本当に慰安婦のことを考えているのか、この問題を借りて日本たたきをしようとしているのではないかと思ってしまう。日本に謝罪を求める態度は、近頃はやりの土下座をさせずにはすまないという態度に通じるものがある。おそらく、謝罪は永遠に続くであろう。土下座は優越感を満足させるものでしかない。本書は、そんな両国間に横たわる硬直関係を、事実を提示することで、なんとか打破したいという気迫のこもる良著である。なにが問題か。残念なことだが、軍にとって慰安婦は必要不可欠なものであった。これはどこでもあることで、女性の人権という観点から言えば、米軍に対する韓国人慰安婦も、日中戦争期の米軍に対する中国人慰安婦もそこに入る。しかし、韓国が日本を非難するときに持ち出すのは、年端もいかぬ少女たちをむりやり連れて行って性奴隷にしたという点である。軍が慰安婦を必要としたことは事実であるし、軍の管理のもとにおかれていたのも事実だ。(慰安婦を連れて戦地を行軍もしている)しかし、少女たちを無理矢理連れていったり、暴力をふるったのはむしろその仲介をした朝鮮人業者たちではなかったかとパク・ユハさんは言う。彼らが貧しい親たちに甘言で少女たちを連れていったという方が事実らしい。もし、強制というものがあれば、その業者たちこそ非難されるべきであり、それは過去の朝鮮人みずからに批判を向けることでもあるが、慰安婦問題ではそこがすっぽり抜けていたという。もちろん、元を正せば、それは朝鮮を植民地にした日本帝国そのものの責任ではある。本書が「帝国の慰安婦」と称するゆえんだ。つまり、日本帝国の植民地であるがゆえの貧困、皇民意識等々が韓国の女たちを慰安婦にさせたと言えるのである。だから、一番悪いのは帝国であるが、そこにいた女たちの親、業者の朝鮮人たちに非がなかったかというとそうでない。そのことに対する反省なくして日本だけを責めることができるかというわけである。逆に、この問題を女性の人権問題だけに限ってしまうと、朝鮮での特殊性が消し去られてしまうのである。たとえば、韓国は中国と手を組んで日本を批判しようとするが、中国で日本軍が中国人を強姦したり、無理矢理慰安婦にしたのは犯罪行為である。オランダ人慰安婦の場合もそうだ。質が違う。20万という数も挺身隊の数としては合うが、挺身隊に行かされた(あるいは自ら行った)少女たちがすべて慰安婦になったわけではない。しかも、慰安婦になったものは、そのほとんどが20歳を越えており、15歳などという年齢にあるものはごく例外だという。日本大使館やアメリカにおかれた慰安婦像は身なりのいい女子学生であるが、そういう子たちは挺身隊へ行き、ときに慰安婦にさせられることはあっても、最初から慰安婦として連れていかれたのではない。最初から慰安婦としてだまされ連れていかれたのはもっと貧乏な子たちであった。したがって、こうした特殊なケースを従軍慰安婦の典型とし、日本を批判し、世界に訴えていくことは、時に兵隊たちとともに戦おうとした慰安婦や、兵隊たちを愛した慰安婦たちの存在を忘れ、彼女たちを政治的に利用するものでしかない。朝鮮における慰安婦の特殊性はまさに日本帝国とその植民地という構造が生み出したものであり、日本人はもちろん、朝鮮人もそのことを直視せず、その構造を抜きに慰安婦問題を論じることはできない、パク・ユハさんはそう訴える。日韓条約締結の際、日本が個人保証の可能性を提起したにもかかわらず、韓国政府は経済援助を優先させ、その提案を断っているのだそうだ。日本がこの問題は法律上終わっているというのには理がある。だから、アジア女性基金が名目上民間の名の下でやったのは仕方なかったし、実際のところ、そこには政府がかなりかかわっていたのである。それを拒否したのは、本当に助けるべきはだれかを忘れた行為ではなかったろうか。

  • 2018.02―読了

  • 帝国の慰安婦
     ~植民地支配と記憶の戦い

    朴裕河(パク・ユハ)著
    朝日新聞出版
    2014年11月30日発行

    待ちに待った本、やっと回ってきました。


    著者は1957年、ソウル生まれ、韓国の世宗大学校日本文学科教授。
    慶應義塾大学文学部国文科を卒業し、早稲田大学の大学院博士課程まで修了している。この本は、2013年に韓国で出版され、日本語訳が待ち望まれていたが、2014年、自らが日本語で書き下ろしたもの。
    朝日新聞出版だが、朝日新聞が報道してきた内容を支持するものでなく、むしろ逆で、朝日新聞が“間違い”を認める以前に出版されているこの本でも、「吉田清治証言」は疑わしいとしている。

    慰安婦に関して、日本軍の関与はあったことは明らかと繰り返し言っている。営業について監督していたし、軍の指定した慰安所もあったので、運営に関しては確実に関わっていた。しかし、強制連行に関わったかどうかに関しては証拠がないので結論づけていない。
    全体としては、そうした事実関係についてはフェアに整理していると思える。

    この本に関する対立点は別のところにあると思われる。
    著者が最も言いたかったことは、元慰安婦の支援運動がちょっとしたボタンの掛け違いというか、初期の勘違い、誤解などから始まってしまった不幸が、今日のような解決困難な日韓関係につながってしまったという点。
    支援運動の中心体は、「韓国挺身隊問題対策協議会」という団体で、初代会長がユン・ジョンク梨花女子大学教授(現在は名誉教授)。この団体名からして、挺身隊=慰安婦と間違われたことを物語っているが、なぜか団体名は変えていない。教授の勘違いの可能性を指摘している。

    慰安婦の存在を世に広く知らしめたのは、ジャーナリスト千田夏光が書いた1973年「従軍慰安婦“声なき女”八万人の告発」。しかし、大きな問題になったのは1990年以降、そして支援運動が広がったが、この段階ではまだ十分に研究が進んでいなかった。誤解や間違いを含めて支援運動が広がり、それに韓国のメディアと政権がのっかってしまったために、日韓関係が一気に悪化していったというわけである。

    なかでも、日本の支援運動が慰安婦問題を社会変革と結びつけてしまったために、強制連行ありと考える人と、左派、韓国、反日などがひとくくりに扱われてしまい、強制連行なし=右派、嫌韓、ヘイトスピーチとなってしまった。
    この本は、安易に挺身隊問題対策協議会の主張に乗っかり、政治利用した韓国政府に対する批判の本として読むことができるが、日本版を書き下ろすにあたって、このような日本の支援運動や、その逆のヘイトスピーチに至る対立についても丁寧に書き添えたのではないかと想像できる。

    慰安婦問題は、強制連行ウンヌンもさることながら、それ以上に重要な問題がどこかに飛んでいってしまっている点を、著者は繰り返し指摘している。本来なら、人権問題と植民地支配の問題として考えなければいけない。そもそも、公娼制度があったこと自体が問題であり、そのような差別、さらには貧しい家は娘を売るという家長制度が悪の根元でもある。
    連行については、軍や国と慰安婦との関係ばかり言っているが、圧倒的に悪いことをしたのは「業者」であり、莫大な利益をあげてきたのに、彼らには責めの目が向けられないのはおかしい、ということも強調している。

    この本は、我々が新聞読んで分かった気になっているのに冷や水を浴びせかけてくれる。慰安婦問題について、何も知らないということを思い知らせてくれる。例えば、朝鮮半島は日本の植民地であり、朝鮮人は日本国民だった。そして、朝鮮人慰安婦は、日本人慰安婦の代替として、愛国行動していた(させられていた)のであり、インドネシア人や、そこに残っていた元宗主国のオランダ人を慰安婦にした行為とは、事情が違うということを、言われて初めて我々は気づく。
    最後に締めくくるのは、以下の言葉。
    慰安婦問題は、実は日本国が自国の女性たちにも強制した問題なのです。「河野談話」を修正しようとする否定派が「強制性」あるいは売春の議論をするためには、こうした苦痛を味わわされた自国の女性たちをまず先に思い浮かべなければならないでしょう。植民地の女性たちは、彼女たちを「代替」するために投入された存在に過ぎませんでした。日本の方々にはぜひそのことを思い出していただきたいと思います。

    そう、まずは、日本の貧しい家庭の娘が連れていかれたのである。
    反日だの、嫌韓だのの材料にするのはもってのほか。
    自らの首を絞めることになる。

  • 従軍慰安婦とは何なのか?
    ともすると、日本軍がナチスのように、強制的に未婚女性を連行したように思われているが、実際にはそんな簡単な問題では無い。
    問題として、慰安婦を必要とした構造的な原因
    (日本軍を展開していた大日本帝国、植民地支配という支配ー被支配の構造、慰安婦を必要とする男性・家父長制社会・戦争というそもそもの問題)

    慰安婦を供給した側の問題
    (貧困・供給業者・不正を取り締まらなかった治安当局)

    など、全てを大日本帝国に帰するは困難であり、法的責任を問うとすればまずは甘言・誘拐・欺して、慰安婦を送り出した業者にある(むろん日本が道義的責任から逃れることはできない)

    ただ、日本も道義的責任に向き合おうとした1990年代の取組は、韓国の支援団体の反対に頓挫し(韓国世論)、今や解決の糸口は見えようとしない。

    日韓双方この本を読んで一度頭を冷やした方がいいと思う。

  • ずっと読もうと思っていたのだが、韓国で慰安婦の人から(著者によると支援団体から)名誉毀損等で訴えられてるとなんとなく知り、どういうことなのかと思ってますます読めなくなった。
    手強そうなので、まず90分の高橋源一郎さんの講義、続いて90分著者と高橋さんの対談(「飛ぶ教室」のイベント)をYouTubeで見る。ついに読もうと思ったのはこの「飛ぶ教室」の課題の本として取り上げられたからなのだった。著者のお話を聞いた時点で、名誉毀損で訴えられた理由もわかった。韓国や慰安婦の支援団体にとっては、認められない内容だからである。しかし、慰安婦の名誉を少しも棄損してないことは読めばわかる。
    「公的記憶」という言葉を初めて知ったのだが、それは必ずしも事実ではないのである。「公的記憶」に合わない事実は削除されていくという。

    この本を読んだことと講義を聞いたことで、ますます自分の中の慰安婦に対する考えが複雑になった。
    もともと単純だとは思ってはいないのだが、今から思うと一面的であったような気がする。
    慰安婦と言っても一色ではない、個人個人色々なパターンがあるということは、忘れがちなことだった。
    まだまだ理解が足りない。
    できるだけたくさんのことを知る、ということが大切ということをおっしゃってたので、知り続ける努力をしていきたい。

  • 慰安婦問題で、挺身隊と慰安婦と分けながら、慰安婦とした業者の問題を中心に説明している。
     日本の軍隊の問題については前提としてあまり説明されていないので、軍隊と慰安婦については他の本で予備知識を得てもいいかもしれない。
     単純な解決法はないという主張。

  • 映画「主戦場」にも登場

  • 事実認定を細かくしている良書であるが、本国で焚書扱いされているのが残念!朝日新聞出版が出しているのは驚いたが親会社の朝日新聞は、もっと自らの誤りを世界に発信しなければならない!

  •  一度は読んでおこうと手に取ったところ、読むほどに引き込まれ、また自分の持つ「正しさ」の基準が揺らぐのを感じた。自らの強い政治的主張を前提としたような本であれば冷笑もできるのに。
     物理的な強制連行か、無垢な少女か売春婦かという議論は重要ではない、という筆者の指摘に色々考えてしまった。国家としての謝罪や合意にはどこかで線引きが必要だとしても。
     「軍人の強制連行」はなかった、慰安婦と兵士の疑似家族・同志的関係、韓国の米軍基地村、こういった記述は筆者の言う「否定派」を喜ばせるかもしれない。自分自身、極限的状況下で韓国人慰安婦の命を救おうとした軍や日本人慰安婦の記述の中に人間性を感じてほっとした。しかし、筆者の主張の根幹は、強制性を「直接的」と「構造的」に区分した上で、前者の強制は業者であったとしても、後者の強制、言い換えれば植民地かつ女性であるという二重の搾取の原因は日本という帝国にあるというものだ。
     同様に筆者は挺対協を中心とする「支援派」も批判する。「無垢な少女が連れ去られた」という「公的記憶」に当てはめて純化してしまった、というものだ。筆者が引用する多くの慰安婦の証言は90年代に韓国で出版されたものなのだが、「支援派」は自分の活動に合致する部分のみ抜き出して利用している、ということだろうか。
     末尾で筆者は、解決に向けて、日韓両政府が国民協議体を作り期間を決めて対話を始める、日韓のマスコミはこの20年の誤解を正し相互理解を深められるような記事を書くべき、と提案する。だが現実には、ここまで本問題がこじれてしまってはもはや難しいように思える。

全33件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1957年ソウル生まれ。韓国・世宗大学国際学部教授。慶應義塾大学文学部卒業、早稲田大学大学院で博士号取得。専門は日本近代文学。ナショナリズムを超えての対話の場「日韓連帯21」に続き「東アジアの和解と平和の声」を立ち上げ、市民対話の場づくりに取り組んでいる。著書に『反日ナショナリズムを超えて―韓国人の反日感情を読み解く』『和解のために』『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』『引揚げ文学論序説 新たなポストコロニアルへ』など。夏目漱石、大江健三郎、柄谷行人などの韓国語翻訳も出版している。

「2017年 『日韓メモリー・ウォーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

朴裕河の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
スティーヴン・ワ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×