- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022512765
感想・レビュー・書評
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在日韓国人の話。
身近にいないから、実感がわかないけど、苦労の連続なんだろうなと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「在日」というものを、あまり考えたことがなかったので。
プロローグにいる主人公の娘のように、今や韓国大好きな日本人がたくさんいる。
けれど、多数の人に受け入れられ、ファンがたくさんいたとしても、それでもどこか一方で「これだから・・・」といった扱いを受ける。
「~~だから見下す」って考えは、本当に嫌だな。
そんな考え、子どもだけかと思っていた。
掲載時は最後の章がなかったとか?
なんだかとても良い終わり方をしていたけれど(ある意味ハッピーエンド)これが無かったら、ちょっと物悲しかったかも。
在日に限らず、好きな人を好きなように愛せる時代がきたらいいのにね。 -
テーマがタブー視されてきた在日のことだから、そこに挑戦したということで☆3個。内容は展開など多くのツッコミを入れたくなった。小説というより、ドキュメンタリーを書いてはどうなのかなあといらぬことを思ってしまいました。
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母のスキャンダル…いかにも一人っ子らしいものの考え方。少しのんびりしたところが母と対照的。
ともちゃんの秘密…自分の秘密を知り張っていた糸が切れる。
告白…心配してくれる友がいることは素晴らしい。
ミアネ、クレド、サランへ…熱くて直線的な愛は男の蒸発で儚く消える。
ひとかどの父…男の我がままに振り回される妻子。何も言わずいきなり身を隠すなんて勝手過ぎる。 -
主人公の朋美が幼いうちに別れた父親と再会するまでの物語。再会までの過程で、父親は韓国から密航で来日した民主化運動の活動家であることもわかる。
構成としてはなかなか面白い。1990年を中心に、20代の朋美の、母とのしっくりいかない関係、仕事相手の黒沢への父親像を投影したかのようなあこがれを交えながら、首都圏を離れ関西に移っていた父親と名乗らず再会する。出会った父親が世捨て人のように今を生きている姿も、小説としては哀感があっていい。
1990年(現代)の合間に、時代が行き来しながら朋美の少女時代や母と父の出会いなどが読者に明らかにされていく構成は意欲作であることを感じさせるし、なかなかこなれた感じにまとまっている(装丁画が軽い感じで、作品の重厚感を損なわせているのが残念)。
単行本になる際、朋美が母と娘とともにソウルを旅している現代がプロローグとエピローグとして挿話された。これがなかなかすくわれる。中心となる1990年では、何だか危なっかしく不安定な様子だった朋美が、生い立ちや親子関係の葛藤を乗り越えた姿を感じさせてくれるので。
深沢さんの本を読むのは『ハンサラン 愛する人びと』に続いて2冊目。日本語講師などをしていたようだが、僑胞というわけでもないみたい。当事者でない人が、しっかり在日の人々のことを話にできることも大切だと思うので、在日韓国朝鮮人の話が続くことに興味津々。 -
記憶の奥にいるだけの父。
事業に成功し、議員に立候補した母の過去が暴かれたとき、自分の出生の秘密を知ることになる。
「在日」という存在、知らなかった過去へ、物語は進む。