豆大福と珈琲

  • 朝日新聞出版 (2016年9月7日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784022514110

みんなの感想まとめ

日常の中にある人間関係や生活の美しさを描いた作品は、主人公とその幼馴染が共同生活を通じて築く新しい形の関係性が印象的です。男女の会話は洗練され、シンプルながらも深い意味を持ち、読者に心地よい余韻を残し...

感想・レビュー・書評

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  • 初めて片岡義男さんの本を読んだ。片岡義男さんは前から気になっていた作家だった。

    珈琲にまつわる昭和感が漂う5編の短編集。
    『豆大福と珈琲』『深煎りでコロンビアを200グラム』『鯛焼きの出前いたします』『この珈琲は小説になるか』『桜の花びらのひとつ』

    喫茶店で交わされる登場人物たちの会話が都会的でお洒落で素敵。

    最初の物語『豆大福と珈琲』が、印象的。豆大福の描写が普通はそこまで豆大福を観て食べないだろうと思うくらい詳しすぎておもしろい。思わず笑ってしまった。と同時に、無性に珈琲を飲みながら豆大福が食べたくなった。

    『一個の豆大福は、けっして小さくはない。食べ始めるとき、半分残すか、と思ったほどだ。食べてみると、残すなんてとんでもない、あまりのおいしさに夢中で、気づいたときにはひとつ丸ごと、きれいに食べ終えていた。
     一個の豆大福が僕の体のなかに入り、心の内部においてやがて転換されたもの、それはなにか。それこそが、この豆大福のおいしさであるはずだ。僕の心身の隅々まで静かに行き渡り、そこにしばしば落ち着いたもの、それは幸福感だった。一個の豆大福を夢中で食べ終えて、僕はたいそう幸福な状態となった。』

    鯛焼きをナイフとフォークで食べる描写も面白い。鯛焼きは頭か尾ひれからガブリと食べてしまう私には、そういう本格的なと言うか上品な食べ方はしたことがなかったので。

    『ナイフとフォークで瀬川は鯛焼きを食べた。まず腹のまんなかを三角に切り離し、フォークの先に突き刺して口に運んだ。鯛焼きは見事な出来栄えだった。これならみやげにもらった編集者は喜ぶだろう、と頭のいっぽうで思いながら、もういっぽうでは、スプーンをどのように使えばいいか、考えた。鯛焼きをふたつに開き、餡をスプーンですくってすべて食べる、という食べかたはあり得るのではないか、と思って彼はひとり笑顔になった。』

    こんな描写を読んでいると、鯛焼きも食べたくなってしまった。
    鯛焼きの出前というのもユニーク!

    「冷やし中華やエビチリソースの出前があるなら、鯛焼きの出前があってもいいでしょう」
    「出前は何匹から?」
    「何匹でも」
     と奈美子は笑った。

    心に残った言葉
    ・コーヒーが体のなかへと入っていく。食道を下るそのコーヒーを、途中までは自覚出来たが、そこから先は体ぜんたいにコーヒーが広がっていく感覚があり、広がりきったところで精神と接する、と彼はきめていた。

  • 洗練された?都会人らしい??スマートな???登場人物に、どうにも共感できず。

  • うーん、昭和的な文体が読み込めずに読めずに返却した。タイトルのある豆大福と珈琲ってあうよねぇと思って手に取ってみたけど特に美味しそうだなという描写もなく少し物足りない気持ち

  • 2024.12.19市立図書館
    自分が遅まきながら片岡義男にお近づきになった作「豆大福と珈琲」をひさびさに読み直してみたくなって借りてみた。

    タイトル作「豆大福と珈琲」は朝日新聞に連載された小説(2014.10.1-11.1)、
    「深煎りでコロンビアを200グラム」は「小説トリッパー」2016年春季号が初出、
    残りの「鯛焼きの出前いたします」「この珈琲は小説になるか」「桜の花びらひとつ」は書き下ろし。

    「豆大福と珈琲」なにが印象深かったのか、もはやすっかり忘れていたが、読み返してみて、主人公と幼馴染が結婚という制度と関係なくひとつ屋根の下で共同生活をしようとする、ただし男女はもちろん大人と子どもも対等に自立を尊重しあって暮らす、という展開が十年前は新鮮だったのだと思い出した。

    「深煎りでコロンビアを200グラム」書かれたのは2016年だけれど、舞台は1998年で、さらに20年ほど前の若かりし日を回想するという内容で、古い小説を読んでいるような感覚だった。「クラッチ・ペンシル」がわからなくて、調べてしまった。

    書き下ろし作品の書かれたタイミングはわからないが、いずれも前2作と同じような空気で、語り手の男性が喫茶店やバーにいく話であり、であう女性は洗練されてて話し言葉が品があってていねい、そして登場人物が長年気を遣い合いつつ男女の仲にならないのが特徴的。そして最後の「桜の花びらひとつ」はメタ小説っぽく、語り手=小説家がこの本に出てきたこれまでの話に出てきた人物が再登場してすれちがうような話を書こうとする話。
    昔の映画化されたような作品はしらないけれど、これが片岡義男という作家の核にある世界なのだな、と感じた。

  • 表紙の感じがカッコ良かったので手にとる。
    今気づいたんだが、女の人が2人、いる。
    表題の豆大福と珈琲、は好きだった。
    他の話も登場人物の感じは同じなんだけど、
    正直、誰が誰か分からなくなってしまって…。
    ラストの話で結構まとめてくれたもは助かった。
    当意即妙な会話感。頭がよい人達感が強い。
    かっこいいなあっとは思うけれど、
    頭の回転が遅い私にはきっとこの会話にはついていけないだろうなあっと気後れしてしまう。

  • 無駄な言葉を削ぎ落とした読み心地の良かった。
    男女の会話もさっぱりしてて キザに見えるセリフも片岡小説ならありだと思う。
    一世を風靡した片岡義男さんが健在で嬉しかった✨
    そんな彼ももうすぐ80歳と聞いて 時の速さをため息ひとつです。

  • 何十年ぶりかに読んだ新作は、何ら変わりなくスマートな男女の会話とそれが相応しいシチュエーションが描かれていた。作風が殆ど変わっていないと感じる。唯一、タイトルが少しだけ普通になったかなぁ。一番好きなタイトルは、「一日中空を見ていた」かな。

  • 1. 豆大福と珈琲
    2. 深煎りでコロンビアを200グラム
    3. 鯛焼きの出前いたします
    4. この珈琲は小説になるか
    5. 桜の花びらひとつ

    4つの物語の登場人物が5で一堂に別々に登場する短編集。
    おしゃれな雰囲気の「物語」を、その場の空気感を想像しながら楽しむ本だなぁと思いました。ストーリー自体の面白さに引き込まれてぐいぐい読み進めるのではなく、珈琲を飲みながらその空気を想像する本。

    わたしにはどの短編も登場人物を覚えるのがむずかしく、最後の桜の花びらひとつでうまくつなげて想像することができなかった。
    全部が淡い雰囲気の物語で、難しかったなぁという印象です。

  • 久しぶりに何か難しいかも…ていう本を読んだ(笑)
    コーヒーを通して色んな話が展開されてて最後は
    駆け足で読んだけど面白かった!

  •  『珈琲が呼ぶ』( https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/4334979769 ) というコーヒーにまつわるエッセイを読んだら関連図書としてあがってきたので、じゃぁと読んでみた(たまたま地元の図書館にもあったし)


     『~呼ぶ』と前後しているが、微妙に本書のほうが早そうだ。いや、ほとんど平行してなのか、そこはかとなく内容がカブる。特に、本書4作目「この珈琲は小説になるか」の以下の記載、

    「この路地のなかほどで、ミロンガとラドリオという二軒の喫茶店が、斜めに向き合っていた。
    この路地の景色は20年前とほとんど変わっていない、と矢吹は立ち止まって思った。」

     は、『~呼ぶ』の、「ミロンガとラドリオを、ほんの数歩ではしごする」とモロにカブる。

    「ここで言う僕の東京とは、ほとんど変わることなく残っている場所のことだ。」

     ということは、小説である本書の主人公の行動は、ほとんど著者の行動がモデルになっているということが分かる。翻訳者や作家の主人公が、喫茶店、珈琲などを題材にささやかな人間関係をスタイリッシュに描き出す。

     だがしかし、文体、作風が確立しているからか、安心して読み進めていけるのだが、70代半ばの著者(本書執筆時)が描く30~40代の登場人物たちは、およそ当代の30代、40代じゃない。老境に達しても、同年代の物語としない気概たるや、なかなか若々しいのだが、どうなんだろうなあと思いながら読んだ。
     まぁ、それが片岡ワールドなんだろうな。

     初出がメディアだった「豆大福と珈琲」「深煎りでコロンビアを200グラム」は良かった。書下ろしの残り3作は、ほとんどやっつけ仕事っぽい(苦笑)。「桜の花びらひとつ」で、それまでの登場人物を絡めて最終話で、うまくまとめようとしたのだろうけど、そもそも、そういうつもりで書いてないだろうから、それほど上手く回収できているとは思えなかった。

  • 豆大福のおいしそうな描写からはじまる。
    読んでいる最中に2つも豆大福を食べてしまった。
    (2日に分けて)

    行きつけの喫茶店を持ちたくなる。

    男性から見て素敵な女性がでてくる本。

  • 昔よく読んだ 片岡義男氏
    今回は 頭に入ってきにくかった
    残念

  • 突拍子もない題名がラストでしっくりくる
    -------------
    P37
    生きる日々とは、いろんな作業の連続だよ。
    そこに仕事が重なる。
    そのような日々のための場所は、自分の家だ
    ------------
    先程NHKの「情熱大陸」で上野千鶴子を観たが、
    それを連想する、新しい、風通しと見通しの良い生活、
    男女、家族の距離のとり方がいい感じの話だった

    上野は
    ①父親が亭主関白で母親が苦労していた
    ②介護などで使われる「家族のような」は嫌い。
    家族が一番手では決してないから
    と言っていた。
    だからこその距離感なのだろう

  • ・豆大福と珈琲
     「朝日新聞」 2014-10-01~2014-11-01
    ・深煎りでコロンビアを200グラム
     「小説トリッパー」2016春季号
    ・鯛焼きの出前いたします
     書き下ろし
    ・この珈琲は小説になるか
     書き下ろし
    ・桜の花びらひとつ
     書き下ろし
    の5編の短編集。
    片岡としてはなかなか秀逸。
    ・豆大福と珈琲が一番好き。

  • タイトルに惹かれて手にした一冊でしたが、失敗した…
    短編集でありながら、どれもおなじよーなにたよーな話。意識高い?のか、この良さが解らなければ読まんでええわ、ってな感じなので、もうこの手の本は止めておこう…
    ①かつての同級生か幼馴染でまとまる
    ②女性は歳よりも遥かに若く見える(40代半ばだが30にしか見えない)美人のキャリアウーマン、男性はクリエイティブな居職のプロフェッショナル
    ③どちらかがバツイチなりの経歴を持つ独身
    ④これってイケてるっしょ?って云う空気

    自分には「まるごとソーセージとファンタ」くらいのジャンクさが似あってるみたいなので。ごめんなさい。

  • いつもの乾いた(さらっとした)感じの男女の話、同じような場面が色々な短篇集で出てくるのでチョット錯覚をおこしそう。「桜の花びらひとつ」以外は佳作。
    コーヒーを漢字で珈琲と書くとなぜか日本茶の如く感じられ豆大福と合うみたいと陥る。

  •  ジャンルとしての片岡義男。
     小説ではないので、要注意。

  • ストーリーが平坦な流れで、かつ会話が不自然なもの。
    著者の年齢を考慮すれば仕方のないことか…
    食べ物や珈琲が出てくるが、さほど詳細な描写ではない。
    退屈な一冊

  • 子連れで地元に戻ってきた幼なじみと
    「結婚」をしないまま、新しい「家族」の
    かたちを示していく『朝日新聞』連載の
    表題作ほか、あらゆる小説的企みと
    歓びにみちた「珈琲」をめぐる5つの物語を収録。

  • 珈琲をキーワードとした短編小説集。著者自身が経験したことを頭の中で再構築したような登場人物の会話が好きです。文具ファンもちらっとですが楽しめます。

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著者プロフィール

片岡 義男(かたおか・よしお):1939年東京生まれ。早稲田大学在学中にコラムの執筆や翻訳を始め、1974年『白い波の荒野へ』で作家デビュー。1975年『スローなブギにしてくれ』で野生時代新人賞を受賞。ほか代表作に『ロンサム・カウボーイ』『ボビーに首ったけ』『彼のオートバイ、彼女の島』など多数。

「2024年 『日本語の外へ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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