作品紹介・あらすじ
子連れで地元に戻ってきた幼なじみと「結婚」をしないまま、新しい「家族」のかたちを示していく表題作「豆大福と珈琲」ほか、たしかな文体とスタイリッシュな世界観で読者を魅了してやまない、片岡義男の最新小説集。
感想・レビュー・書評
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表紙の感じがカッコ良かったので手にとる。
今気づいたんだが、女の人が2人、いる。
表題の豆大福と珈琲、は好きだった。
他の話も登場人物の感じは同じなんだけど、
正直、誰が誰か分からなくなってしまって…。
ラストの話で結構まとめてくれたもは助かった。
当意即妙な会話感。頭がよい人達感が強い。
かっこいいなあっとは思うけれど、
頭の回転が遅い私にはきっとこの会話にはついていけないだろうなあっと気後れしてしまう。
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無駄な言葉を削ぎ落とした読み心地の良かった。
男女の会話もさっぱりしてて キザに見えるセリフも片岡小説ならありだと思う。
一世を風靡した片岡義男さんが健在で嬉しかった✨
そんな彼ももうすぐ80歳と聞いて 時の速さをため息ひとつです。
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何十年ぶりかに読んだ新作は、何ら変わりなくスマートな男女の会話とそれが相応しいシチュエーションが描かれていた。作風が殆ど変わっていないと感じる。唯一、タイトルが少しだけ普通になったかなぁ。一番好きなタイトルは、「一日中空を見ていた」かな。
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1. 豆大福と珈琲
2. 深煎りでコロンビアを200グラム
3. 鯛焼きの出前いたします
4. この珈琲は小説になるか
5. 桜の花びらひとつ
4つの物語の登場人物が5で一堂に別々に登場する短編集。
おしゃれな雰囲気の「物語」を、その場の空気感を想像しながら楽しむ本だなぁと思いました。ストーリー自体の面白さに引き込まれてぐいぐい読み進めるのではなく、珈琲を飲みながらその空気を想像する本。
わたしにはどの短編も登場人物を覚えるのがむずかしく、最後の桜の花びらひとつでうまくつなげて想像することができなかった。
全部が淡い雰囲気の物語で、難しかったなぁという印象です。
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久しぶりに何か難しいかも…ていう本を読んだ(笑)
コーヒーを通して色んな話が展開されてて最後は
駆け足で読んだけど面白かった!
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『珈琲が呼ぶ』( https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/4334979769 ) というコーヒーにまつわるエッセイを読んだら関連図書としてあがってきたので、じゃぁと読んでみた(たまたま地元の図書館にもあったし)
。
『~呼ぶ』と前後しているが、微妙に本書のほうが早そうだ。いや、ほとんど平行してなのか、そこはかとなく内容がカブる。特に、本書4作目「この珈琲は小説になるか」の以下の記載、
「この路地のなかほどで、ミロンガとラドリオという二軒の喫茶店が、斜めに向き合っていた。
この路地の景色は20年前とほとんど変わっていない、と矢吹は立ち止まって思った。」
は、『~呼ぶ』の、「ミロンガとラドリオを、ほんの数歩ではしごする」とモロにカブる。
「ここで言う僕の東京とは、ほとんど変わることなく残っている場所のことだ。」
ということは、小説である本書の主人公の行動は、ほとんど著者の行動がモデルになっているということが分かる。翻訳者や作家の主人公が、喫茶店、珈琲などを題材にささやかな人間関係をスタイリッシュに描き出す。
だがしかし、文体、作風が確立しているからか、安心して読み進めていけるのだが、70代半ばの著者(本書執筆時)が描く30~40代の登場人物たちは、およそ当代の30代、40代じゃない。老境に達しても、同年代の物語としない気概たるや、なかなか若々しいのだが、どうなんだろうなあと思いながら読んだ。
まぁ、それが片岡ワールドなんだろうな。
初出がメディアだった「豆大福と珈琲」「深煎りでコロンビアを200グラム」は良かった。書下ろしの残り3作は、ほとんどやっつけ仕事っぽい(苦笑)。「桜の花びらひとつ」で、それまでの登場人物を絡めて最終話で、うまくまとめようとしたのだろうけど、そもそも、そういうつもりで書いてないだろうから、それほど上手く回収できているとは思えなかった。
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豆大福のおいしそうな描写からはじまる。
読んでいる最中に2つも豆大福を食べてしまった。
(2日に分けて)
行きつけの喫茶店を持ちたくなる。
男性から見て素敵な女性がでてくる本。
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昔よく読んだ 片岡義男氏
今回は 頭に入ってきにくかった
残念
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突拍子もない題名がラストでしっくりくる
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P37
生きる日々とは、いろんな作業の連続だよ。
そこに仕事が重なる。
そのような日々のための場所は、自分の家だ
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先程NHKの「情熱大陸」で上野千鶴子を観たが、
それを連想する、新しい、風通しと見通しの良い生活、
男女、家族の距離のとり方がいい感じの話だった
上野は
①父親が亭主関白で母親が苦労していた
②介護などで使われる「家族のような」は嫌い。
家族が一番手では決してないから
と言っていた。
だからこその距離感なのだろう
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・豆大福と珈琲
「朝日新聞」 2014-10-01~2014-11-01
・深煎りでコロンビアを200グラム
「小説トリッパー」2016春季号
・鯛焼きの出前いたします
書き下ろし
・この珈琲は小説になるか
書き下ろし
・桜の花びらひとつ
書き下ろし
の5編の短編集。
片岡としてはなかなか秀逸。
・豆大福と珈琲が一番好き。
著者プロフィール
1939年東京生まれ。早稲田大学在学中にコラムの執筆や翻訳を始める。74年「白い波の荒野へ」で小説家としてデビュー。翌年には「スローなブギにしてくれ」で第2回野性時代新人文学賞受賞。小説、評論、エッセイ、翻訳などの執筆活動のほかに写真家としても活躍している。『10セントの意識革命』『彼のオートバイ、彼女の島』『日本語の外へ』『万年筆インク紙』『珈琲が呼ぶ』『窓の外を見てください』『いつも来る女の人』『言葉の人生』ほか多数の著書がある。
「2022年 『これでいくほかないのよ』 で使われていた紹介文から引用しています。」
片岡義男の作品