- 朝日新聞出版 (2016年11月5日発売)
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感想 : 91件
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Amazon.co.jp ・本 (328ページ) / ISBN・EAN: 9784022514318
感想・レビュー・書評
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妻に他界されてから一人で生活している父親と、その息子夫婦が主に描かれています。父親のもとを訪れた息子夫婦がその生活の様子から認知症を疑い、受診の結果はレビー小体型認知症の中期と診断される…。父親の思いと息子夫婦の思いがかみ合わず、認知症状は悪化の一途をたどる…。最終的には認知症の父親を受け入れることになる…。読み終えてみて、ノンフィクションかのように感じたが小説だよね…ってこと、それくらい真実味がありました。家族が感じることだけでなく、当事者どう受け取るのかも描かれているのがよかったです。また父親の日記の変化からも目を離せなかったです。認知症介護の過酷さ、つきなみだけど大変さ、人それぞれだけどどんな過程で認知症は進行していくのか…そんなことを知るための良書とも言えます。多くの人が今後の課題として受け止めてほしいです。
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非常に読みやすい。介護される老人の面からも書いているのが良かった。認知症のこと、サポートのこと、参考になる点が多いのでは。誰もがなりうるし、認知症と接することも多くなるだろう、読んで良かったと思う。家族の一員、恩返し等、発想の転換は、認知症の方に関わらず、いろんな面で言えるし、大切なところですね。久坂部さんはドクターなので、ズバリと書いてくるし、現状が伝わる。硬くなくて文章うまいなあ。
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意外にも初読みの作家さんだった(自分では読んだことがあるような気がしていた)。
認知症とは無縁の生活を送っている人が読めば、本書は冗長に思えるかもしれない。
私には、この本の状況よりもっともっと悲惨だった部分と、この本の状況よりはかなり恵まれていた部分との両方がある。
本書の雅美の心情に共感した。
しかし雅美の方が、私よりよっぽど偉い。
稀に本書の和気医師のような無責任なことを言う医師っている。
本書では、この和気医師の発言に一番腹が立った。 -
主人公の幸造が認知症を患いその視点から物語は始まるが交互に嫁の視点からも語られるため介護される側、する側の両方の気持ちが感じられる。
幸造はボケ防止に日記をつけているのだがだんだんと病気が進むにつれ文章が正しく書けなくなってくる。とても切ない。
介護は綺麗事ではなしえない。自分がされる側する側どちらかになる時が来ても想定通り、予想通りにはならないだろう。その時が来たら覚悟するのみ。ありのままを受け入れる。簡単なことではないけど。
この本の最後のように感謝の気持ち、恩返しの気持ちで介護し、また介護されるのは理想だろうけど自分にそれができるか、自分は感謝される様な人間になれるか自信はない。
だけどこの本を読んで良かった。表面しか知らない介護の中身を少しだけ知れたように思う。
解説も良いですね。 -
素晴らしい本と出会いました。
認知症患者と、その家族の数年間。
介護をする家族の苦労は想像を絶するものとは思っていましたが、認知症を患った本人の気持ちというのを考えたことはありませんでした。
少しずつ出来ないこと、わからなくなることが増える事実に、恐怖や不甲斐ない気持ちを持つ幸造さんを思うと、介護をする側の気持ちは二の次であるべきだと感じました。
知之雅美夫妻が、幸造さんに対する気持ちを改めてからの終盤は涙が止まりませんでした。
幸造さんが幸せな人生と思えて本当に良かった。
私には両親、義両親が4人健在です。
とても幸せなこと。
この先いつかこんな日が来るかも知れませんが、その時は今までの感謝の気持ちを忘れることなく、自分に出来ることをしたいと思います。
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認知症が進行して行く男性が物語テラーの形の異質な介護小説なので興味深く読了しました。多数の人に訪れる認知症だが渦中の語り手が恐れや悩みや悔しさ等を日記に綴ることで抗ったり受容したり確認したりする体裁が取られている。医師であり作家でもある作者の伝えたいことが分かりやすく語られていますね♪ つい過日読んだばかりの「長いお別れ」と併せて凄く理解できる小説でした。そして他人事ではなく誰もが遭遇する可能性の高い終末に思いを至すひとときでした。
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父親の姿と重なって、怒りながら、泣きながら読んだ。
介護する側だけでなく、される側の気持ちや受け止め方など、逆視点での見方を知ることで、言葉のかけ方や対応の仕方、予測できない行動に対しての理解など、とても勉強になった。
幸造さんの日記…認知症が進むにつれて、だんだんできないことが増え、否定的悲観的になるのを、とてもつらい気持ちで読んだ。誰よりも自分の事が分かっていてこんなに傷ついているのかと、周りの対応がこんなにも認知症患者を追いつめているのかと、本当に反省することばかりだ。
幸せな一生だった…。最後にそう思ってもらえるように、私も父にできる限りのことをしたいと思った。 -
実際に認知症の祖母を抱える家族としては読んでいてとてもつらい内容だった。家族の苦労もさることながら、日記に綴られる認知症患者本人の苦しみや恐怖に精神をえぐられた。少しずつ記憶が欠けて行って、周りのことが自分でできなくなっていって、周りから疎まれるような存在に自分がなってしまう…それはどんなにもどかしく、辛くて悲しいことだろうか。
ちんぷんかんぷんなおばあちゃんに冷たく接したこともあったのを思い出し、反省した。今後は腹が立つことがあってもこの本を思い出して、優しくしようと思う。この本を読んでよかった。 -
読み応えのある作品で、一気に読めた。
優しかった義父が少しずつ少しずつ壊れていく。
変化を先に気が付いた嫁やそれを受け入れがたい息子の葛藤と共に、壊れていく自分に不安や痛々しいほど頑張ろうと思っている義父。
「老い」や痴呆症状について学べると共に 患者の葛藤が真実味を帯びて迫ってくる。
いま 一人で住んでいる母の心の声が聞こえてきそうだ。
そして 自分自身の老いも始まっていることに気づかされる1冊だと思う。
ちょっと辛いけど お勧め。 -
身につまされる。いずれ、自分もそうなる。どちらの立場にもなる。良い小説。介護する側、される側、これは他のことにも通じる。教師と生徒。経営者と労働者。強いものと弱いもの。すべてにあてはまる小説。
個人的には安楽死法を待ちたい。 -
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正直とっても怖かった!!
身近に認知症の人がいないから余計に怖くて、きっといたらこんな感じなんだろうと思った。日記は本当に怖かった。
まだ私は29歳だけど、きっと今後両親が認知症になればこういう現実が待っていると思った。
また友人にケアマネの子がいるが、症状については仕事を一生懸命やってきた人ほどなると話してました。
朝方までかけて一気に読みました。
是非いろんな人に読んでほしい本です。 -
筆致に引き込まれ一気に読んだ。
去年亡くなった父と幸造の共通点がいくつかあって、父のことを思わずにはいられなかった。
この本を父が元気なときに読んでいれば、もっと父のために色々と出来たのではないかと思った。
認知症が進むと、「人格が壊れてゆく」みたいな言葉を耳にすることがある。
でも、この本を通して、人格云々は違うのではないかと思った。
認知症の世界、と言っていいのかどうかは分からないが、それを私たちは知らないから、理解の出来ないことが目の前に起こって、それを「人格が壊れた」とごまかしているだけではないか。遠ざけようとしているのではないか。
息子夫婦、特に嫁に雅美はきついと感じた。自分のことしか考えてないじゃないかと。でも、それは自分も同じだった。あそこまできつくないにしても。
でも、最後は息子夫婦も幸造を受け入れた。そして、幸造は
「幸せな一生だったよ・・・・・・
自分の人生はこれでよかった。だから、今、こんな穏やかでいられる。」
と感じ、最期の時を迎えることができた。
涙、涙で読んだ一冊。 -
認知症本人と介護する家族の視点が交互に描かれていて、どちらの葛藤も読んでいて辛い。
出来れば避けて通りたい認知症の問題だけど、自分にも起こり得る事として読めて良かった。 -
認知症に関する失敗と後悔の先取学習に。
べき論が嫌いな人向け事例集のような小説。 -
舅・五十川幸造が踏切の無い線路を渡ろうとして保護され、迎えに来てほしいと連絡を受けた雅美。今まで元気に独り暮らしをしていたためあまり気にかけていなかったが、久しぶりに家に行ってみると認知症を疑わざるをえない状況が多く見つかった。
認知症の家族を介護していかなければならない雅美(家族側)と、当の本人・幸造の視点が交互に綴られる。おそらく、今まで介護に関わったことのない人間が読めば、雅美がとても自分本位に考えているように見えるだろう。しかし私を含め、実際そういう家族を抱えてみたことがある人が読めば、この本は誇張でもより悲劇的に書かれたものではなく、これが現実で、雅美の考えは人間として至極真っ当で、嫁としてはかなりがんばっている方であると思うのではないのだろうか。幸造が、自分を少しでも保とう(その根底には家族に迷惑をかけたくないという思いがある)と書き続けている日記、そして自分に課した漢字テスト。随分早い段階から、ちいさな「つ」が使えなくなっていたり、頭が混乱する様子が垣間見えて切なくなる。 -
読み進めるのがつらい本でした。
でも読んで良かった。
自分の親、配偶者の親、自分自身、置き換えて考えさせられる、大切な一冊になりました。 -
2018/06/09-06/23
▶︎高齢者とその家族必読書。
▶︎認知症読本より認知症が理解できる認知症小説。
▶︎認知症にどう対応するかが実感できる小説。
▶︎認知症患者は現状をどう認識しているかが分かる小説。 -
ボケ老人…って今は言わないか。
認知症を発症した老人っていうんだっけ?
うちも他人ごとではないな~と思うことが多いのだけど…
なんでボケてる人はあんなこと言ったり思い込んだりするんだろ?って思ってたりする。
で、この本読んで「うおっ!そうだったのか~」
なんて目からうろこが落ちる感じ。
だってね、この本の主人公はボケかけてる本人。
斬新!
そんな目線から書いた小説って今までなかったもんね。
少しずつ日付を忘れていく感じとか
歩きなれた道を忘れていく様子とか
妄想と現実と想像が交差していく感じとか
車の運転ができなくなっていく様とか…
めちゃくちゃリアル。
家族の大変さもリアル。
でもって最後はホロリでよかった。
介護ってされる側もする側もホントに大変。
いざ自分が…ってなるとどちら側でも悩むわ~。
ってボケたらもう悩まないか…。
色々考えさせられた一冊。
読んでよかった。 -
この本を読んで、祖父を思い出した。
私の祖父は、亡くなる数年前にはボケが進行していて、息子のこともわからなければ、妄想もあったし、昔のことと今のことがごっちゃになったり、トイレから出られなくなったり、夜中塀をよじ登ろうとしたり。入院すれば、小児病棟で尿を撒き散らかしたりと、それは結構なものだった。
その頃は、私もまだ中学生だったので、その深刻さがわからなかったが、両親の苦労はかなりのものだったと思う。しかし、両親は楽天家なのか、それほど苦にしている様子も見せず、笑いながら対処していたことを思い出す。
さて、本書は介護する側と、認知症になった幸造側、両方からの視点で描かれている。心が優しく、しっかりした幸造がボケていくのを受け入れられない息子。早く対策をと考える嫁。自分はしっかりしているのに、やりたいことを取り上げられていく幸造。特に幸造の心理描写は、認知症と判断された人ってこんな気持ちなんだろうなと思えるほどリアルに迫ってくる。
自分がはっきりしていることをわかってもらえない辛さ。自分がやりたいことを取り上げられていく辛さ。自分が何をしようとしていたのかわからなくなる辛さ。自分が何もわからなくなっていく辛さ。
祖父はもしかしたらこんな気持ちだったのかなと思うと、今さらながら何もしてあげられなかった自分が情けなくなると同時に、下向きにならずに明るく対応していた両親の強さを感じた。今後、身内に認知症になる者ができた時のヒントを与えられた作品だ。
著者プロフィール
久坂部羊の作品
