星の子

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022514745

感想・レビュー・書評

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  • あなたは友人との会話の中で、友人の両親の日常風景をこんな風に説明されたとしたらどう感じるでしょうか?

    『水をしみこませたタオルをね、頭の上にのせてると、悪い気から守られるの。うちのお父さんとお母さんはそう信じてるんだ』。

    家族の日常を隠すでもなく、ごく普通にそう語る友人。一方でそこに違和感を感じざるをえない聞き手の感情。『これはね、特別な儀式で清められたお水でね』と、『金星のめぐみ』という水をありがたがる家庭がそこにあると知った時、果たしてあなたはその友人とどのように向き合っていくでしょうか?

    文化庁の統計では、日本には18万を越える宗教法人があると言います。人と宗教の向き合い方も多種多様です。これだけの数があると、信仰される側にいる人もいるでしょうし、当然に何かのきっかけでその宗教に積極的に入信した人もいるでしょう。一方で、『その学者をだました誰かも、やっぱり別の誰かにだまされてて、その別の誰かもそのまた別の誰かに 』と騙し騙されの結果論という人もいるでしょう。では、信者となった人の子供たちは、そんな両親のことをどう見ているのでしょうか?私たちは、親の姿を見て育ちます。そんな親が、朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて…と行う行為と同じように『水をしみこませたタオルをね、頭の上にのせてる』という行動を日常の中で普通に行っているとしたら。どこか違和感を感じることがあっても、子供にとって一番”信じるべき”存在である両親が取る行動を否定することなどできるものでしょうか?

    この作品は、『だまされてるの?』と訊かれて、『わたし?だまされてないよ』とさらりと答える中学生の物語。『金星のめぐみ』という水の『効能』に囚われながらも、お互いを”信じ合う”家族の姿を垣間見る物語です。

    『小さいころ、わたしは体が弱かったそうだ。標準をうんと下回る体重でこの世に生まれ、三カ月近くを保育器のなかで過ごしたそうだ』と語るのは主人公の林ちひろ。『母乳は飲まないし、飲んでも吐くし、しょっちゅう熱をだすし、白いうんちをだすし…』という ちひろを抱いて『家と病院のあいだを駆け回る毎日』を送ったという両親。そんな ちひろに生後半年目にして、湿疹が全身を覆うという事態が襲います。専門医の治療も民間療法も効果を発揮しない日々。そんな中『我が子について抱える悩みを、会社でぽろっと口にし』た父親に対して一人の同僚が次のような言葉を口にしました。『それは水が悪いのです』。そして『翌日、プラスチック容器に満タンに入れられた水を』渡され『この水で毎晩毎晩お嬢さんの体を清めておあげなさい』と言われた父親。併せて指示された方法を伝えると『うんわかったやってみる』と母親は ちひろの身体をその水で洗い始めました。『翌朝もわたしの体を洗った。その晩も、その次の日の朝も。一日二回』という中、『目に見えて肌の赤みが引いて』いきます。そして『水を買えて二カ月目で、「治った!これは、治ったといえる!」』という日が到来します。『この水を飲みはじめてから風邪ひとつひかなくなった』という父親はパンフレットをもらってきて自らその水を頼むようになりました。『「金星のめぐみ」という名前で通信販売されて』おり、『免疫力向上、美肌、高血圧…』とびっしりと効能が記されていたというその水。そんな ちひろの話は『奇跡の体験談として顔写真付きで会報誌に掲載され』ました。『にっこり笑う小さなわたしの体を、父と母が両側からぎゅっと抱きしめている写真』は『幸せいっぱいの笑顔』に溢れています。そして、『五歳のとき、落合さんの家へいった』と、水を勧めてくれた同僚の家を訪問した家族。そんな場で『落合さんの頭の上に、白いものがのっていることに気がついた』ちひろは、『奥さんの頭の上にも、白いものがのってい』るのを見ます。『お試しになります?』と落合の勧めに従って真似をする父親は『なるほど。こういうことですか』と感想を述べました。それに対して『巡っていくのがわかるでしょう…特別な生命力を宿した水ですからね』と説明する落合。『女性会員のなかにはこれで赤ちゃんを授かったっていうかたもいらっしゃる』と補足する落合の妻。そして『その日、帰宅してから、父は早速落合さんのまねをしはじめ』ました。『「羽根が生えたみたいに体が軽いぞお」といい、母にも実践するよう』勧める父親。すっかり『金星のめぐみ』の効能に魅せられていく両親。そんな中、ちひろが『小学二年生のときに、「雄三おじさんお水入れかえ事件」』が起こり、家族と周囲の人々との間の関係が崩れていく物語が始まりました。

    第157回芥川賞の候補作となり、また2020年には芦田愛菜さん主演で映画化もされたこの作品。未熟児として生まれ、病弱だった主人公の ちひろを襲う原因不明の湿疹が、父親の会社の同僚である落合により『それは水が悪いのです』と断定され、『この水で毎晩毎晩お嬢さんの体を清めておあげなさい』という言葉を信じた先に、完治という結果を体験した家族が宗教に走る姿が描かれていきます。神秘的な光景を見せつけて入信へと誘い込むのは新興宗教の一般的な手口としてよく言われることです。ただ、この作品で取り上げられる『金星のめぐみ』という水は、何をやっても消えない ちひろの湿疹を消す効果を見せることが、読者の中にモヤモヤ感を生みます。そんな眉唾な話は当然に否定したくなる一方で、特に身近な存在であればあるほどに目を覚まさせてあげたくもなるのだと思います。それが妻の弟による『雄三おじさんお水入れかえ事件』でした。これによって、その水の真偽のほどが明らかになりますが、そこで今村さんは『これはね、特別な儀式で清められたお水でね』と父親に語らせることで、読者にも父親が騙されていることを納得感を持って暗示します。しかし、そう簡単には目を覚ませない両親は『身なりにかまわなくな』るなど、ますますその世界にハマっていきます。一方で『あそこの家の子と遊んじゃいけません』と、そんな家族と関わることを避けようとする周囲の人々。そんな物語で注目すべきは、やはり主人公ちひろの存在だと思います。今村夏子さんは「こちらあみ子」で、主人公のあみ子の視点に固執し、彼女の目を通して不思議な美しさを纏った世界の有り様を描いていました。この作品の主人公・ちひろはあみ子のような”危うさ”は持ち合わせてはいません。どちらかと言うと、両親を、そしてそんな両親を見る身近な人々をも客観視する、そんなクールな一面をも持ち合わせた存在です。私たちは、大人になっていく中で、またニュース報道の中でこの世には怪しげな新興宗教というものが存在することを知ります。しかし、ちひろは、まだ物心つく前からそれを当たり前とする環境の中で育ってきました。『高そうな水だな』と、『金色のラベル』が貼られたペットボトルを話題にされても、それが当たり前の環境で育った身には、なかなかに他人にとってはそれが当たり前でないという感覚は理解できません。また、『星々の郷』という大規模な施設で行われる泊まりがけの大規模な集会の様子が細かく記述されてもいきますが、それが ちひろ視点である限り、それが問題視、危険視されるようなイベントには見えないから不思議です。新興宗教を信じる両親の元に育つ子供視点から、その内側にある世界がどのように見えるのか、とても興味深い世界を見ることのできる作品だと思いました。

    そんな新興宗教を大胆に物語に組み込んだこの作品。今村さんの作品では「あひる」でも同様に宗教の『お祈り』の場面が登場します。しかし、そんな「あひる」でも、そしてもっと大々的に宗教を取り上げているこの作品でも、その主題はあくまで別のところにあると思います。『私はこの作品を通じて、「”信じる”ってなんだろう?」ということについて深く考えました』と語るのは映画で主人公・ちひろを務めた芦田愛菜さん。『自分にとって信じたいと思えるような人って誰だろう』と芦田さんがおっしゃっる通り、”信じる”ということは、集団社会で生きる私たち人間にとって、ある意味で最も大切な概念だと思います。この作品では、その作品の長さに比して数多くの人物が登場します。それは、両親や姉という一番身近な存在に始まり、一方は新興宗教側で生きる人々であり、もう一方は『雄三おじさん』に代表されるような主人公家族を宗教から抜けさせようと試みる人たちであり、そしてちひろの友人のような、そういったものとは無縁に、ただ ちひろの友人であるという存在に分けられると思います。そんな彼らそれぞれが語ることに、ある意味で素直に耳を貸していく ちひろ。自分が今まで生きてきた経験の上に、そんな彼らの言うことを理解しようとする彼女はそれぞれの言わんとすることを”信じて”生きています。そして、友人の一人、なべちゃんが ちひろに問うシーンがあります。『あんたはどう?だまされてるの?』と、訊く なべちゃんに、『わたし?だまされてないよ』とはっきりと返す ちひろ。自分を大切にしてくれる両親を”信じて”いる一方で、宗教はあくまで、生まれ育った日常の一つと捉えている ちひろの冷静な感覚。”信じる”対象である両親の行為をある意味で割り切って捉えている ちひろ。そこに”だまされる”というような余地は生まれないのだと思います。そして、それが故にこの作品の主題は、”家族愛”なんだと思いました。『奇跡の体験談として顔写真付きで会報誌に掲載された』のは両親が ちひろを挟む絵柄。『ふたりともわたしのほっぺたに顔をくっつけて、幸せいっぱいの笑顔を見せている』というその写真。これと同じ絵柄を別のシーンでも見ることになる読者。それは家族の真に幸せな姿をそこに見るものなのだと思いました。

    この作品の結末はある意味あっけなく訪れます。私も一瞬、そこで話が終わったことに、えっ?という思いで一杯になりました。それは、未来の ちひろたち家族の有り様を読者に委ねる形の幕切れです。それが故にブクログのレビューでも、その結末をどう捉えるかについて議論はあるようです。しかし私は、この物語の結末は、その先に続く家族の幸せを描いたものなのだと理解しました。一つには最後のシーンの意味合いが直前の会話の中に暗示されていることです。実のところ、読書スピードを上げすぎて、私は直後に読み返してしまいましたが、それは家族の会話の中に上手く表現されていると思います。そして、もう一点は、この物語が ちひろ視点となってはいるものの、例えば落合さんの家を『大人の目から見ても豪邸には変わりないのだろうけど、当時は小さかったからなおさら圧倒された』と書いたりするなど、極めて第三者的に過去の振り返りをするような、一種過去の家族の姿をクールに垣間見る視点で描かれているところです。他の今村さんの作品同様、こういった部分が物語全体をどこか冷めた目で読ませることにも繋がっていると思いますが、一方でこの冷静さこそが未来に繋がる家族の幸せを暗示しているようにも感じました。

    『この小説では「この家族は壊れてなんかいないんだ」ということを書きたかったので、ラストシーンに登場させるのも家族だけにしました』と語る今村夏子さん。

    新興宗教という土台の上に、お互いを信じ合う家族の深い絆を感じさせる物語。それは、”壊れてなんかいない”家族の絆の強さ、”家族愛”をとても感じさせてくれた、そんな印象深い作品でした。

  • 『琥珀の夏』を読んで、こちらも読んでみたくなりました。
    『琥珀の夏』は常に緊張感のある読書だったけれど、こちらはゆるーくて、ふわーっとしていて、時々クスクスしたり吹き出したりの読書でした。
    新興宗教に対して人それぞれ色々な意見があると思うけれど、この作品を読み終わった今、私は本人が幸せならばそれでいいのではないかなぁと思います。

    ちーちゃんのお父さんとお母さん、仲睦まじくて、私には幸せな夫婦に見えました。ただ思春期のちーちゃんからすると、『あれが私の両親です』とはなかなか言えないよなぁ。

    先日読んだ岸田奈美さんのエッセイに書かれていた言葉
    「自分が選んだパートナーこそが家族の最小単位」
    これが念頭にあれば苦しむ人はいなくなるのではないかと思います。
    近頃よく耳にする“親ガチャ“ではないけれど、実際親は選べません。子どもは親の所有物でも一部でもないのだから、子どもは自由に生き方を、パートナー(家族)を決めていいのだと思います。
    親も子もお互い依存したり強制したりしなければみんなが幸せになれると思います‥‥まぁ、それが難しいんですけど‥‥

    物語の最後ははっきり描かれていなかったけれど、私はそれぞれがそれぞれの方向へ進んでいくのではないかな、と思い本を閉じました。


  • キレイな装丁とタイトルに惹かれ手に取ったこの作品。
    主人公は小さい頃から病弱だった林ちひろ…娘が苦しむ姿をなんとかしてあげたいと、両親がのめり込んだのが「宗教」…。ちひろは生まれながらに「宗教」に属しており集会や研修旅行などに自然な形で参加し自身の居場所を作っていくが…ちひろの姉は家出し、両親はますます「宗教」にのめり込む…。
    読み終えてみて、これから何かが変わっていくんだなぁ…そう漠然と感じました。ちひろにも高校生になったらバイトしたり、友達とカフェで恋バナするような当たり前の日常があるといいなぁ…そんな風に願ってしまいました。

  • 新興宗教に傾倒している家で育った少女の話。
    少女・ちひろにとっては新興宗教が「標準」である世界だった。
    だけど世間とのずれに挟まれていく。

    ちひろはいろんな方面からいろんな種類の愛情を受ける。
    宗教から逃げ出そうと助け舟を出してくれる親戚、「友達じゃない」といいつつ一緒にいてくれる友達、同じ宗教の同年代の子たち、そして先生。
    けれどきっと、ちひろにとって一番うれしくて必要としている愛情をくれるのは、両親だけなのだろう。

    宗教団体の中では、ちひろはすごく居心地が良かった。
    その宗教の力で健康になったちひろ。
    雑誌にも取り上げられちょっとした有名人になったちひろ。
    団体の行事は楽しくて、「いい人」ばかりに囲まれているちひろ。
    「宗教外」の人からいくら助け舟を出されようとも、この宗教の中がちひろにとっての居場所なのだ。

    わたしの読解力が乏しいからなのか
    ちょっとよくわからない突然な終わり方だった。
    いつまでも両親と寄り添って星を見上げること。
    たとえ新興宗教の中にいようとも、世間から見ると歪な形であろうとも、ちひろにとってはそれが最大の幸せなのかな…と。
    そんなふうに解釈した。
    傍から見ると異様でも、人にはいろんな幸せのかたちがある。


    人によって評価が割れる作品かなと思う。
    辻村深月さんはこの作品を大絶賛していたそうだけど、ちょっとそれは私には理解できなかった。

  • タイトルが素敵な感じだなって読みだしたら、宗教にハマっていく両親と2世の話しでした。
    近所の公園でカッパのフリして皿に水かけてる時点で怪しすぎ。
    それが両親だって告白しても、壁を作らずに普通に接してくれ心配してくれるクラスメイト、信仰の自由を尊重してくれてるとこがいいですね。また、好きな人が信じるものを、一緒に信じたいと宣言する彼氏もカッコいいなぁ。

    逆に、霊感商法の被害にあって訴えてる人がいるとの噂や両親の手から子供を保護しようと真剣に心配してくれる親戚夫婦。

    宗教に対する見方は様々だけど、作中に神とか教理に関する記述は一切ないところが小狡いですね。
    読者の先入観と偏見で読み進めていくしかないところとか

    主人公の家がだんだん小さくなっていくところから察すると相当献金してそうだし、長女は家出してしまったのだから。周りから見れば騙されているように映るところが、
    本人達は洗脳されているのか不幸に感じてない訳だから救いようがないのか、むしろ救われてるのかなんとも言いがたい。
    幹部クラスになると金持ちで、大きな家に住んでいるのは宗教に限った話でないけど、どの辺に幸福を感じるかなのかなぁ。

    カゴの中で暮らした方が幸せな鳥もいるし、不自由を感じるなら抜け出せばいい訳だしこれも本人次第なのかなぁ。

    最後に親子3人で流れ星探して、いつまでも星を眺め続けたってあるのが。
    ゾーッとするんですけど。
    雪山とか行くのでわかるのですがタオルが凍りつく温度ってゆうと–10℃以下なんですけど、長時間いると凍死するんじゃないかと心配になります。

  • うーん?終わりに近づくにつれて不穏な空気がすごいのに、唐突に終わってしまってアレッという感じだった。
    宗教的なものって、子供は幼い頃から親の意向で何の疑いもなく信じているから、それが外から見たらどう見えるかなんて分からないんだろうな。自分の信念に関係なく、親が信者だからというだけで気付いたら入信させられているのは、思考の広がりも止めてしまうだろうし気の毒に思う。
    なんかちょっと現実的なお話でゾクっとした。

  • 最近とても好きな今村夏子さんの作品。
    「あひる」、「こちらあみ子」に引き続き手に取った。

    今まで読んできた今村作品とは異なる印象、全体に漂う「不穏感」は少なかったように思う。
    個人的にはその「不穏感」中毒になっていたので、「あひる」の方が好みだったかなぁ…

    自分のために宗教にのめり込んでしまった両親。
    周囲からの異物を見る目に気が付きながらも、両親を裏切ることができない主人公。
    両親、親戚、学校との関係を何とか成立させようと、努力する主人公がとても印象的だった。

    根底にある、信仰の部分を変えることって、そう簡単なことではないように感じる。

    自分だったらどうするかなぁ…と考えながら読み進めた。
    働き始めるまで我慢して、その後は程良い距離感で付き合うことを選択するだろうか。
    すぐに決別できる決断はできない気がする、ましてその理由が自分にあったのなら。

    両親と星を見ながら終わる最後のシーン。
    個人的には、主人公、そして両親共に離れて暮らすことを覚悟したように感じた。

    <印象に残った言葉>
    ・あんたはどう?だまされてるの?(P108 なべちゃん)

    ・最近増えてんだよ、季節はずれの不審者が…(P118 南先生)

    ・わからない。わからないけど、お父さんもお母さんも全然風邪ひかないの。わたしもたまにやってみるんだけど、まだわからないんだ。(P173 ちひろ)

    <内容(「Amazon」より)>
    大切な人が信じていることを、わたしは理解できるだろうか。一緒に信じることができるだろうか…。病弱なちひろを救うため両親はあらゆる治療を試みる。やがて両親は「あやしい宗教」にのめり込んでいき…。第39回野間文芸新人賞受賞作。

  • カルト教団にハマっていく親に、違和感を感じながらも親を理解をしていく子供目線で語られるストーリー。
    親がカルト教団にのめり込んでいったキッカケは、子供の皮膚病や病弱な体質が魔法の水で治ったことからだった。
    家の私財をつぎ込んでいるからだろうか、うちはどんどん貧乏になり長女は家出。
    家庭はいつ崩壊しても、おかしくない状況。
    叔父や他人から親の怪しい言動を指摘されわかっているが、親を擁護する子供の気持ちが痛くさえ感じる。
    親が否定されることは自分も否定されることだと子供心にわかるのだろう。

    最後に流れ星を追うシーン。
    見えた親と見えない子供、行き違いがいつまでも続く。
    見えなかった子供は親が見えたと話す流れ星を一生懸命に探し、親に理解を示す子供の気持ちが描かれて物語は終わる。

    家族の形を壊したくないと子供は本能的に思うのだろうか、奇妙な感覚になる。
    親は子供にイビツな愛情を注ぐ、子供はそんな親のことをイヤだと思っても完全に離れることができない。
    親への愛情と嫌悪感が押したり引いたり、そして砂磁石のように子供は親の元へ引き込まれていく。
    たとえどんな親であっても、子供は親を信じ子供の時の記憶は楽しく永遠に持ち続けるのだろう。

    家族とは、親とは、自分にとってどういうものか、考えさせられる本。
    映画化もされている。
    映像で見るのも楽しみな1冊。

  • 生まれたときから当たり前の世界。
    こっちが良いのか、悪いのか、外側から見たらどうなのか。
    どちらが正しいのか間違っているのか。

    余白の多い文章だなと思った。
    人によって解釈は変わるんだろうな。
    映画は興味ないけど、作った人がどう解釈したかはちょっと気になるかも。

  • 病弱な自分の健康を願うばかりに新興宗教にのめり込み、耽溺していく両親。子どもである主人公の視点からの日常が短く平易な文章で、淡々と綴られる。「こう読まれたい、受け取ってほしい」という作者の思惑をばっさりと破り去り、読み手に大きく委ねた勇気のある作品に思える。読み進むと、日常の幾重もの違和感。主人公の子どもにとっては日常で当たり前の状態。相対はない。それしかない。親は幸せを願っているのに、失う仕事、経済的基盤、周囲との繋がり等々の本末転倒の羅列。表面的には家族に食事も会話もある。通学も進学もする。
    しかし、栄養の偏りや生来の感覚である空腹に本人が気づかない。子どもは自分では気づけないものである。何が充足で不足なのかを知って育つという点でもやはり家庭は大切と痛感。最後に、家族3人が同じ流れ星を探し続け、右往左往する光景は「幸せ」という「魔法の杖」を手に入れようと執着する両親の滑稽な姿に見えた。

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著者プロフィール

1980年広島県生まれ。2010年『あたらしい娘』で「太宰治賞」を受賞。『こちらあみ子』と改題し、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で、11年に「三島由紀夫賞」受賞する。17年『あひる』で「河合隼雄物語賞」、『星の子』で「野間文芸新人賞」、19年『むらさきのスカートの女』で「芥川賞」を受賞する。

今村夏子の作品

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