オブジェクタム

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022515643

作品紹介・あらすじ

【文学/日本文学小説】祖父はいつも秘密基地で壁新聞を手作りしていた──大人になった主人公が記憶の断片を追いながら、ある事件と祖父の真相のかかわり合いを探る(「オブジェクタム」)ほか、林芙美子文学賞受賞作「太陽の側の島」など3篇を収録。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、街中に『カベ新聞』が貼られているのを見かけたことはあるでしょうか?

    街中に何かが張られている光景というと、政治家のポスターがまず思い浮かびます。イタズラをされて落書きされたり、目に画鋲が…といったものもたまに見かけます。他に思い浮かぶのは、鳥や猫が逃げました、探しています、というような内容のチラシでしょうか?そもそもそんな何かしらのものを張るという行為について、きちんと許可をとっているのかなあ、と思うこともあります。

    では、『カベ新聞』はどうでしょうか?小学生だった頃に、学校の廊下の掲示板に『カベ新聞』を張ったことを思い出します。これは経験のある方もいらっしゃるでしょう。では、そんな『カベ新聞』が街中に張られていたとしたらどうでしょうか?内容もそうですが、誰がそんなものを張っているのか、色々なことが気になります。

    さてここに、『月に一回くらいのペースで町内の決まった十数か所に貼り出されている』という『カベ新聞』の製作の裏側を見る作品があります。『誰が貼っているのか、どうやって作られているのか、町の人たちは知らない』というそんな秘密の裏側を読者が知ることになるこの作品。そんな『カベ新聞』に関わっていた少年がそんな時代を振り返るこの作品。そしてそれは、さまざまなモノが描写されていくその先に読者がノスタルジックな思いに包まれる物語です。

    『講習以来はじめて』という『高速道路』を『慣れないレンタカー』で走るのは主人公の中野さと。『子どものころ住んでいた町』へとやってきた中野は、そんな町が『記憶の中よりもずっと小さくしょぼくれていたことに気づ』きます。そして、『通っていた小学校の正門から右の道を』 進むと、『「なつかし広場」だとか名づけ』た場所へ至り、中野はそんな場所に過去を振り返ります。『小学校から帰る途中、同じクラスのカズと並んで広場のカベに貼られた一枚の紙をながめていた』というその時代。そこには、『太字で「新聞」と四角ばった二文字の漢字があって、下には活字に見えるぐらいていねいに書かれた小さい手書き文字が隙間なく並んでい』ました。『月に一回くらいのペースで町内の決まった十数か所に貼り出されている』というその『カベ新聞』は『誰が貼っているのか、どうやって作られているのか、町の人たちは知』りません。『スーパー山室と八百永青果店、ナスと柿に於ける傷み率の比較』といった『記事の内容』は、『ふつうに考えたら退屈で、とてもおもしろそうだなんて思え』ませんが、『この新聞を読んでいる人はとても多かった』という事実がありました。そして、『いつもの信号でカズとわかれた』中野は、カズの『後ろ姿がすっかり見えなくなったのを確かめてから』『家に帰るための道から』はずれ『小さな道に入』ります。バス停から乗ったバスを『終点のひとつ手前』で降り、さらに歩いて『ススキ野原』へと出ると、そこには『よく色があせた、アウトドア用のテントが立って』いました。『三、二、五、二のリズムでテントの布を指ではじくと』、『おう』という声がし、『ファスナーが開いて、中からじいちゃんがまっ黒く汚れた顔を突き出し』ます。『上半身は裸』で、『薬とかガソリンスタンドにも似た油っぽいインクの匂いがする』というおじいちゃん。『テントの中には木でできた』机や、『ハンドルのついたローラーが置いて』あり、『ローラーハンドルや木枠もぜんぶ、黒インクで染まってつやつや光ってい』ます。『ランプも暖房もない』というその場所は『この中でする作業は、日が暮れるまでに終わらせるのが決まり』でした。『新しいの、みんな見てたよ』と報告する中野は、『じいちゃんからたのまれて八百屋とスーパーを回って、ばれないように何日も傷んだナスと柿を数え』ます。そして、『数をもとにしてグラフとか記事を書いたのはじいちゃん』でした。『なんで、隠れて新聞を作ってんの』と、『もう何度、この質問をしたかわからな』い問いかけをすると『せまい町の中で、書く人間の正体がわかってしまうと客観性に支障が出る…』と答えるじいちゃん。そして、『出るか。このごろは日暮れも早いから』というじいちゃんの一言でテントを出て帰途についた中野。家へと帰り着き『母さん、ごはんなに』と訊く中野に、『今日ね、マーボーナス。秋だし、急に食べたくなっちゃってね』返す母親。中野は、『カベ新聞』のことを思い出し『笑ってしまいそうにな』ります。そんな過去の記憶から我に帰った中野は、『まだあったんだ』と『シート部分はあらかた剥がれて骨組みだけになってはいるものの』『倒れることなく地面に食いこんで』いるテントの『樹脂製のポール』を見ます。そんな中野のあの時代と今がどこかノスタルジックな世界の中に描かれていきます。

    表題作でもある「オブジェクタム」という中編と、二つの短編が収録された変則構成なこの作品。そんな三つの作品の中からこのレビューでは、表題作〈オブジェクタム〉と短編〈太陽の側の島〉について取り上げたいと思います。

    まずは、〈オブジェクタム〉からです。“小学生の頃、祖父はいつも秘密基地で壁新聞を作っていた。手品、図書館、ホレリスコード、移動遊園地 ー 大人になった今、記憶の断片をたどると、ある事件といくつもの謎が浮かんでは消える”とどこか分かったような分からないような内容紹介が不思議さを醸し出すこの中編。"オブジェクト”の元となったラテン語から来た言葉という「オブジェクタム」という耳慣れない言葉を書名にしたこの作品は、読み始めても不思議な雰囲気が終始漂い続けます。ストーリー的に複雑というわけでは決してないものの温度感を感じることがない中に物語は淡々と進んでいく印象を受けます。なかなかレビューにまとめるのも難しいのですが、印象に残った物というかシーンを取り上げたいと思います。

    一つは、『遊園地』です。『小さいころ住んでいた町には遊園地がなかった』という中野は、小学生のとき『遠足の潮干狩りで巨大アサリを採りに行ったとき』高台に『ひと目でわかる観覧車とジェットコースターのレール』を目にします。しかし、家に帰って『もうあれは動いていない、何年も前に遊園地はつぶれている』と聞いた中野は、『遊園地は、つぶれたあと乗り物をすぐに取り壊さないでいる』ということに『驚』きます。そして、そんな光景をこんなものに喩えます。

    『死んでいるのに、離れたところから見ても生きているときと姿が変わらないのは、ザリガニとかカブトムシみたいだと思った』。

    極めて子供らしい喩えだと思いますが、そんな風な喩えがでること自体凄いとも思います。そして、そんな『遊園地』は、『町に、移動遊園地なるものがやってきたことがあった』と『遊園地』から繋がる違う思い出へと移ります。そんな中に、中野の心が囚われたものが、『巨大な張りぼての象の頭』です。『牙があって、耳が大きくて、鼻の長い生きものの頭が、トラックの先頭にへばりついたいた』というその光景。そんな象を幼き日の中野は細かく見ていきます。『耳や鼻には蝶つがい状の金属や歯車がいくつも組みこまれていて、細かく区分けされた部品同士はワイヤーや油圧のピストンでつながれているのが見えた』というその張りぼてを見て、『みんな、本物の象を見るよりも興奮していた』と冷静に周囲の人のことを観察する中野。そして、大人になった中野は、

    『あれはなんだったんだろう。ひょっとして現実じゃなかったんじゃないか』

    そんな風に感じます。そんな象徴的に登場するものとして、もう一つが『ホレリスコード』があげられます。さて、あなたは、これがどういうものかご存知でしょうか?それこそが、『昔はデータを記録して、保存するために穴の開いた紙を使っていた』ということに起因するものです。そんなデータを読むためには専用の『マシン』が必要なことも説明されていきます。データが記録されているかもしれないのに、読む機械がなければ決してそれを知ることのできないある種の儚さ。なんともノスタルジーな感覚に包まれる作品だと思います。そして、そんな作品はさらなる不思議感の中に結末を迎えることもあって好き嫌いが結構分かれそうな作品にも思いました。

    次に短編〈太陽の側の島〉です。こちらは、前者とは全く異なり、なんと二人の人物の書簡のやりとりだけで構成されているのが何よりもの特徴です。このような構成を取る作品としては、計56通の手紙のやり取りだけで構成される湊かなえさん「往復書簡」、さらに通数が増え、なんと計179通もの手紙のやり取りが行われる三浦しをんさん「ののはな通信」という圧倒的な構成の作品を思い出します。しかし、これら二作は作品全体が手紙のやり取りだけで構成されています。この高山さんの作品はあくまで収録された一つの短編の中での話なのでここまでの通数にはなりませんが、それでも結構な数がありますので、いつもの如く手紙の数を数えてみました。

    ・真平 → チヅ 7通

    ・チヅ → 真平 8通

    計15通の手紙だけで構成されていることがわかります。そんな手紙は、『元気でやってますか、陽太郎ともども変わりないですか』という真平からチヅに当てた一見なんのことはないやり取りから始まります。しかし、『出征の際の測定』、『自ら掘った暗い壕』、そして『彼らは敵ではありません』といった言葉の登場に一気に緊張感に包まれます。そうです。この作品は夫婦の間の手紙のやり取りが描かれていくとはいえ、それは、出征した夫と故郷を守る妻の間のもの、舞台は戦時中であることがわかります。そんな中にさらに時代の現実を伝えるこんな表現が登場します。妻のチヅから夫の真平宛です。

    『こちらでは昨日、雲の厚い空から何枚もの刷り紙が降ってまいりました』、『刷り紙を拾い上げて見ると、幾つかの都市の名前と、そのうち数箇所に新型の爆弾を落とすので記載の都市からお逃げなさいというような文章が書いてございました』。

    えっ、という衝撃。そんな文章は『その中には、私どもの住むこの町の名もあったのでございます』と続きます。しかし、そんなやりとりは、お互いの生活を綴っていく中に次第に高山さんならではの不思議な世界感に包まれていきます。上記した『刷り紙』が伏線となって展開していくその不思議感漂う結末。15通の手紙のやり取りだけで構成する物語の中に、戦争によって離れ離れにならざるをえなかった夫婦の物語。私には表題作よりもこちらの物語により心惹かれるものがありました。

    『ここで新聞作りの手伝いをすることが、ゲームをしたりマンガを読むことより退屈なものになるということはなかった』。

    “秘密基地”でじいちゃんと『カベ新聞』作りに勤しんだあの時代のことを振り返る主人公を見るこの作品。そこには、ノスタルジックな思いに包まれる物語が描かれていました。一つの中編と二つの短編が全く異なる印象をもたらすこの作品。そんな作品の表紙を飾る不思議なイラストに見入ってもしまうこの作品。

    淡々と描かれる日常生活の事ごとが、いつの間にか夢幻世界に読者を引き摺り込んでしまう高山さんの真骨頂を見る物語。なんとも不思議感漂う作品でした。

    • kuma0504さん
      おはようございます。
      壁新聞というと、文化大革命時代に貼られた内容が、すぐさま日本のニュースになっていた頃のことを思い出しますし、現代も街の...
      おはようございます。
      壁新聞というと、文化大革命時代に貼られた内容が、すぐさま日本のニュースになっていた頃のことを思い出しますし、現代も街の掲示板に警察署のニュースが貼られています。内容は空き巣が増えているから気をつけてね、的なのですが、ちゃんと左肩には4コマ漫画、セオリー通り割り付けして記事を流すように作られていて、おそらく警察署の新人が新聞の作り方を学んで作っているんだろうな、と思いついつい毎回読んでしまいます。(今も毎月ボランティアで某団体の新聞を作っているので)
      2023/08/29
    • さてさてさん
      kuma0504さん、こんにちは!
      最近は色々な物がWebになってしまって寂しくい限りですが、一方で、だからこそ紙の掲示が気になることがあ...
      kuma0504さん、こんにちは!
      最近は色々な物がWebになってしまって寂しくい限りですが、一方で、だからこそ紙の掲示が気になることがあります。警察署のニュース、なるほど、読んでもらうための工夫があるわけですね。警察の紙掲示はそれ自身が防犯啓発を兼ねているような気もしますので、今後も生き残っていくように思います。
      この作品では、おじいちゃんとの関わりが描かれていましたが、やはり紙の方が絵になる、というかドラマになりますね。
      2023/08/29
  • 三つの中短篇が収録されている中で、個人的には、表題作の「オブジェクタム」が秀逸だった。この作品オンリーなら星5にしたかったくらい。

    ノスタルジックで、どこにでもありそうな平凡な町で起こる、奇妙で面白くて、ちょっと怖いエピソードの数々には、固定観念という言葉は存在しないかのように思えてくる。

    アパートの、ゴミの溢れた部屋の子供たちが苦しんでいることを、想像できるだろうか。

    そこに住む姉妹の姉、「ユメ」はピエロのような見た目でも、周りの大人たちよりもしっかりしていることは?

    おじいさんが川原で石を拾い集めている姿を見て、何を想像する?

    子供の頃に、自分のよく見知っている町なかで、突然知らない場所に迷い込んだときの、何ともいえない恐怖感は?

    何のたわいもない、大したことのないものでも、集まれば、すごいことになるかもしれない。

    遊園地は来たのか、来なかったのか。

    見たことない千円札。

    本当は自分の生きている世界にも確かなことって、何も無いのかも・・なんて想像すると、空恐ろしくなってきた。

    ところで、上記の姉妹の妹の名前は「ハナ」。
    それを見て私は、なんとなくチャットモンチーの代名詞にあたる曲、「ハナノユメ」を思い出した。

    イメージ的に、あながち近からずも遠からずだと思いましたが、いかがでしょう?

  • 表題作のほかに短編2作。どれも掴みきれないというか、答えを求めなくていいと思えるところが好きだなと思った。

    「オブジェクタム」は、主人公が小学生の頃のことを回想していく話。
    祖父との秘密の活動や話に聞く遊園地はなんだかノスタルジック。そしてそこから主人公の今の行動が繋がったら、あれと思う。懐かしい思い出は嘘ではないはずなのに。
    本当かそうでないかは自分の中なら好きに決められるから好きな方を真実にすればいい、と思っているので、きっと私なら確かなものにしようとはしないだろう。

    「太陽の側の島」は、南の島に出征した夫と妻との書簡のやりとり。
    南の島の独特な風俗と妻の不思議な体験が合わさって、そんな風に考えたら死ぬことや残されることが少しは怖くなくなるだろうか、なんてことを思った。

    「L.H.O.O.Q.」は、これはもう分からない。
    あれこれ考えずにそのまま受け取って、犬を探す行動と会話にちょっとした可笑しみを感じた。

  • 初読作家さん。3編の短編集。表題作は大人になった「自分」がレンタカーを運転して子供の頃に住んでいた街を訪れる描写から始まり、「じいちゃん」の秘密の新聞にすぐ繋がる。ノスタルジックなものかと読み進めてもほどほどで、家庭状況が悪い女子生徒とその姉と知り合うけれど登場人物のメンバーの一部として落ち着き、勝手に借りたものを返す気持ちの罪悪感もそこそこで、読み心地としてはふんわりと終わった。他2編もどう捉えたらいいのかと考えながら読んでふんわりした感触が残った。
    (読み切れてないのかもな~)

  • 各界の著名人絶賛の書ですが…
    これを「素晴らしい!」と言えるほど、読書の達人にはなれてない未熟者です。
    表題〝オブジェクタム〟
    〝太陽の側の島〟
    〝L.H.O.O.Q.〟
    の三作品。
    どれも文学なのです。
    だけどSFなのです。
    主人公が子どもの頃の記憶をたどっていく物語。
    じいちゃんとの思い出…だけど色々解決せず!

    2作目〝太陽の〜〟が個人的には好き。
    出生率した夫真平と息子と留守番をする妻シヅの文通。
    SF色がはっきりしてて分かりやすい。

    3作目、妻が飼っていた犬を探す…謎の短編
    もはや何故その題名なのかさえ私の足らん頭では理解不能。笑
    でもなんか面白かった。
    2019年1月2日
    今年の1冊目

  • 太陽の側の島、がお気に入りかな。
    嫌いじゃないけど、もう少し謎に手が届く方が、自分としては好み。でも、不思議と読み進めたくなる。一気読みしてしまったのは確か。

  • なんだろう…ちょっと昔の話、って感じだ…
    今ではない昔、どこかに転がっていた話

  • 『カムギャザー‥』も良かったけど、こちらはもっと好きな作品だった。
    表題作の、一見バラバラの細かい仕掛けが最後に近づくにつれて繋がって行くのは『カムギャザー‥‥』もそうだったんだけど、とても上手くて面白い。今回は(と言っても、実際に書かれたのはこちらが前なのだが、私が読んだのは逆だった)ホリスコード、壁新聞、移動遊園地、偽札、祖父と孫の秘密などの一つ一つに惹かれるものがあって、ちょっとノスタルジックな味わいもなんともいい感じ。しかし、甘ったるくはなく、虐待を受けている姉妹の苦しさや、祖父の裏の顔など、刃を突きつけるようなところもある。読んでいて、映像が焼き付く。ススキの中のテント。シュヴァルの宮殿のようなオブジェクタム。ピンクの幼稚園バス。ハナのゴミ屋敷。
    2番目の「太陽の側の島」がまた良かった。諸星大二郎の漫画で読んでみたい。戦争で南洋の島にいる夫と、故国で障害のある子どもと暮らす妻の往復書簡になっている。初めは第二次世界大戦中の話かな、と思いながら読んでいたが、そういう具体的な歴史上の話じゃないんだというところがだんだんわかってくる。三作目の「L.H.O.O.Q」にもヘンな生きものが出てくるが、これに出てくるヘンな生きものは、より生と死のあわいに生きている異形の生きものなのだが、どこか愛らしい、あるいはすっとぼけた味わいがある。特に妻が拾ってくる「兄ぃや」は「うどん、キツネつきの」の生きものみたいに不気味だけど可愛い。
    私たちが暮らすここは、本当にここなのか?生きているのと死んでいるのとどれだけ違うのか?そんな気持ちが湧いてきて消えない。

    高山羽根子という作家が好きになってしまった。

  • ずいぶん話題になっていた(ただし狭い範囲で)短編集だが、例のごとく出版時に読みそびれていたものを今読んでみた。表題作ほか2編を収録した独立短編集。いずれも、初出以降に改稿がなされている。

    まず表題作「オブジェクタム」。設定全体が夕暮れというわけではないけど、身近な不思議、というよりも自分の知らなかったことをつないで、昔見たある日の夕暮れの特別さを描いた作品。小道具のディテールに細かいところが、長野まゆみ作品のディテール描写を思い出す。日常の下に悪意やアウトロー感が垣間見える感触は今村夏子作品のようだが、意外にも今村作品のようなえぐみは少ない。本題とはずれるが、現代の作家さんが高齢者を扱うときに、徹頭徹尾健康そのものの状態で登場させることは少なくなったな、というのを実感した。小説は時代の鏡でもあるので、それでいいのだと思う。

    次の「太陽の側の島」は、第2回林芙美子文学賞受賞作。戦地←→本土を行き来する書簡と、助けた「兄ぃや」の話。設定された舞台と登場人物のやり取りには松本零士の戦争漫画や野坂昭如の戦争童話集の趣があり、「これはどう転んでもつらいやつや…」と予測しながら読み進めると、ふわりと軽やかに抜ける瞬間がやってくる感じ。幸福感かもしれないし、朗らかな狂気かもしれないが、読後感は悪くない。

    最後は「L.H.O.O.Q.」。語り手の何に対しても感情を持たない、あるいは持たなくなってしまった様子と、飼い犬探しのアンバランスな道のり。こんな人はいなさそうに思うけれど、実際に存在するんだろうと思わせる。作中で犬はひどい目に遭わないので(たぶん)、メンタルに優しい(たぶん)。

    どの作品も、語り手以外の背景や小道具描写がものすごくくっきりと際立っており、読んでいると手前にいる語り手よりも、少々遠景のそこに焦点が合ってくる。背景のものすごく精密なアニメを観て、「ここの描きこみ、すげーなー」と独り言をもらしてしまい、語り手の存在を一瞬忘れる感じに近い。だからといって、語り手をノーカウントにするほど雑なわけではなく、一人称語りを使いながら、ドライな三人称視点寄りの小説として、巧妙にバランスを取っているように思う。個人的には、もう少しどぎついパンチを叩き込んでくるような濃さがあってもいいのかなと思うけど、これらの題材でそれをやられてしまうと、これ以上読みたくなくなる「お腹いっぱい」レベルにすぐ達してしまうので、やっぱりこのバランスである必要があるんだなあ、と。

  • 「うどん キツネつきの」以来、2冊目となる高山羽根子作品。
    いつの間にか芥川賞候補になるまでの作家になっていたなんて、全然知らなかった。

    「うどん キツネつきの」は満点じゃないにしても、それなりに面白く読めた記憶がある。
    本作「オブジェクタム」も感想は似たり寄ったり。
    中編1編と短編2編からなる作品集で、どれもサラリと読めてしまう。

    「オブジェクタム」は幼い頃の記憶を頼りに、当時感じていた違和や謎を解明しようとする、といったようなお話。
    日常の中に、ほんの少しだけ異物が混ざってくるのだけれど、そんな異物もやはり日常の範疇に含まれており、立ち止まるでもなく、追いかけるでもなく、自然に目の前を通り過ぎていく、って感じだろうか。
    違和の原因や謎は結局は解き明かされることはないのだけれど、逆にこれらが解決してしまったら、きっと作品としてはとんでもなく白けた内容になっていただろうなぁ、と思わせてくれる。
    つかみどころがないんだけれど、それが魅力にもなっている、ってところだろうか。

    「太陽の側の島」が僕としては一番面白かった。
    戦地に赴いた夫と、祖国に残った妻との書簡のやりとりのみで構成されている作品。
    ここでも不可思議な出来事が日常的なものとして扱われている。
    戦地も母国も、一つの大きな空の下で結ばれているのだが、その結ばれ方が……。
    上下逆さまに空を飛んでいく飛行機の謎に触れた箇所には、思わずゾっとしてしまった。

    「L.H.O.O.Q.」は正直、僕にはよく判らなかった。
    他界した妻が飼っていた犬が行方不明になり、それを探しているうちに……といった内容。
    何か大切なものが含まれているように思えるのだけれど、読解力を著しく欠いている僕の頭では見つけられなかった(汗)。

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著者プロフィール

1975年富山県生まれ。2010年「うどん キツネつきの」で第1回創元SF短編賞佳作を受賞し、デビュー。2015年、短編集『うどん キツネつきの』が第36回日本SF大賞最終候補に選出。2016年「太陽の側の島」で第2回林芙美子文学賞を受賞。2019年「居た場所」で第160回芥川龍之介賞候補。「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」で第161回芥川龍之介賞候補。2020年「首里の馬」第163回芥川龍之介賞受賞。その他、『オブジェクタム/如何様』『パレードのシステム』などがある。

「2023年 『ドライブイン・真夜中』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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