- Amazon.co.jp ・本 (353ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022515667
作品紹介・あらすじ
令和元年第14回「中央公論文芸賞」受賞作!
【文学/日本文学小説】日本の成長と歩を合わせるように、技をみがき、道を究めようともがく喜久雄と俊介。血族との深い絆と軋み、スキャンダルと栄光、幾重もの信頼と裏切り。二人は、舞台、映画、テレビと芸能界の転換期を駆け抜け、数多の歓喜と絶望を享受していく。その頂点に登りつめた先に、何が見えるのか?
感想・レビュー・書評
-
15の時から兄弟同様に育った喜久雄と俊介。
役者が親兄弟の死に目にもあえないというのは、本当のことでした。
その他に枝葉末節、その他の登場人物たちの話も大変読ませる物語でした。
歌舞伎を一度も観たことがない私でも、何度も歌舞伎を観たような気持ちになる文章の巧さでした。
以下途中までのストーリー。
山陰の温泉街で芝居をしていた俊介がみつかりました。
春江と、三歳の男の子一豊も一緒でした。
そして、明治座で復帰公演が行われます。
喜久雄は芸妓の市駒との間に綾乃という娘もいて、認知もしていますが、後ろ盾鵜を得るために、歌舞伎役者、吾妻千五郎の娘の彰子と結婚します。
喜久雄も俊介もそれぞれの活躍のあと、『源氏物語』で共演し大ヒットとなります。
そして一番の事件と言えば、俊介の右足、左足が順に壊死。両足共に切断。
「喜久ちゃん。もうあかん…。悔しいけどここまでや」
「俊ぼん、旦那さんは最後の最後まで舞台に立ってたよ」
芸事を極めることの執念の凄まじさをみました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
吉田修一というと「横道世之介」のイメージが強く、どんな作品かと思い読み始めたが、良い意味で印象が変わった作品となった。
ヤクザの息子として生まれた喜久雄が、"三代目花井半二郎"として重要無形文化財、つまり国宝となるまでの生涯を綴った作品。
上下巻合わせて結構なボリュームの作品だったが、読み応えがあった。
華々しく見える梨園の世界ではあるが、その世界で生き残るためには壮絶な努力と覚悟、忍耐が必要だということをまざまざと見せつけられた。それは決して役者本人だけではなく周りで支える人間も同じこと。これはあくまでフィクションではあるが、ノンフィクションのような、そんなリアルさと生々しさみたいなものが伝わってきて、最後まで引き込まれるように読んだ。特に下巻中盤からの展開の壮絶さを圧巻だた。
そして、芸を極めるということについても考えさせられましたね。極めても極めても終わりがない、終わることができない。その先にあるものは希望なのか、はたまた孤独なのか。。
これはぜひ映像化してみてみたいと思った。そして何より歌舞伎が見てみたくなった!新たな世界との出会いに感謝です。 -
さあ、これは感想が大変。物語が幕を閉じても、しばらくポカン。人間国宝の人間ならぬ名演に、さざなみのように興奮が湧き起こってくる。
人間関係の濃さで作られた作品なのに、主演男優だけ脱け出して独りで歩いていく。作中の表現をお借りすれば「狭い水槽の中の錦鯉」。それじゃ枠に収まるはずがない。待てとも、待ってくれるなとも言えないもどかしさすら覚える。
私のような芸事に暗い凡人にすら、この非凡な世界を親しみやすく描いてくれている。吉田修一さんの筆力も尋常でない。インタビューを検索したら、実際に歌舞伎の舞台にまで上がられたとのこと。舞台側からの空気に鋭い緊張感が走っているのはこのためか。観客席からでは推し量れない重圧が、私でも容易に想像できた。
──生前、先代はよく言っておりました。女形というのは、男が女を真似るのではなく、男がいったん女に化けて、その女を脱ぎ去った後に残る形であると。とすれば、化けた女を脱ぎ去った後は、まさに空っぽなのでございます─
これから歌舞伎を楽しむにあたって、これぞ追っかけの見どころ。
「空っぽ」という境地まで登り詰めた千両役者。もはや役者は仕事ではなく、性分だという。無論それは捨てられるはずもない。国宝に至った人間がまさに「空っぽ」の入れ物、モノに変わってしまった瞬間を目撃できたんだと感じられた。
これぞ金輪際現れない無敵のアイドル。
そんな言葉しか浮かばない。語彙不足。 -
長崎のヤクザの息子・立花喜久雄
弟子入りした大阪の歌舞伎の名門・丹波屋
そこで出会ったのが生涯のライバルであり親友でもある丹波屋の息子・俊介
師匠である花井白虎の死、お家騒動、俊介の出奔、そしてついに俊介との再会
波乱万丈の青春を駆け抜けた歌舞伎に生きる2人を描いた上巻
下巻は…
丹波屋の東京進出、そして俊介の復帰をかけた公演の成功
一方、喜久雄はスキャンダルまみれ&自らの復活をかけた政略結婚
そして芸能界が「売れんかな」と仕掛ける2人の宿命のライバル対決
そんなこんなを乗り越えて芸の高みを目指す2人
全ては順調に進むと思えた矢先、大先輩である万菊の意外な死、さらに俊介の病気、喜久雄が愛するものたちへ降りかかる様々な不幸…
芸の頂点を目指す喜久雄が契約したのは悪魔か神様か?
うわ~!もう文句なしの最高傑作!
章ごとに泣いた~!!
芸に行き、芸に魅入られたものたち
美しさを追求し、自らも美の一つとして生きることを決めた選ばれしものたち
上巻で万菊が俊介と喜久雄に言った言葉が「あ~こういうことなのか…」と胸にストンと落ちてくる
歌舞伎役者として生きる喜久雄は歌舞伎役者として死ぬ
そこにあるのは一つの芸に生きたということだけ
賞や名誉などは関係ない
自らが芸に納得し、舞台に立つという幸せの絶頂であることだけ
この小説を読み終わった時に
映画「髪結いの亭主」が思い浮かんだ~
「しあわせの絶頂で死にたい」
この作品を読み終わった今、ひたすら歌舞伎が見たい。
今までなんとなく観ていたけど
舞台を前にしたあの独特の雰囲気、香り、音
全てを感じたい~
すごい作品を読んだ!! -
順番の所為で下巻から読むことになってしまったけど、それでもたいへん面白かった❗ この年齢になっても歌舞伎のカの字も知らない私ですけど、歌舞伎世界にのめり込みそうになります♪ よくもまあ こんな題材を提供してくれたものだ 笑。しかも終始 引き締まった展開で息をも付かせないので、ぐいぐい引き込まれてしまいました。令和元年10連休の締めに相応しい素晴らしい本だった!大満足でした。
-
今まで自分が知っていた吉田修一とは全然違う。作者名を伏せて読んだら多分誰の作品なのか私は当てられないと思う。こんな引き出しがあったなんて、吉田修一、これからもまだまだ読み続けるよ。
いやそのまえに、『国宝』だ。歌舞伎って知らないようで知ってるようで知らない不思議な世界。
最近、歌舞伎役者はよくテレビにもでるし、そのプライベートや妻たちのあれこれも目にすることは多いのだけど、それでもやはり「梨園」というのは秘密のベールに包まれた世界のようで。
歌舞伎の世界はなんとなくハイソで高級なイメージがあるけれど、実は割と泥臭く家庭的だったりもする。そして意外と極道との共通点が多い。表と裏、光と影、聖と邪、と相反するように見えて、身体が資本、「家」を何よりも大切にする、(実でも疑似でも)「親」への忠義を守る、「子」を決して見捨てない、遊ぶ時にはカネに糸目をつけずとことん遊ぶ、そして己の信じた道をひたすらまっすぐ進む。そんな反対のようでよく似た世界を走り抜けた男たちの物語に、心が熱くならないわけがない。
極道から梨園へ、喜久雄がその大きな転換を乗り切り「国宝」と呼ばれるまでになったのには本人の素質や努力ももちろん彼を支えた周りの人間の力の大きさたるや。常にそばにいた徳ちゃんは言うに及ばず、彼を受け入れた二代目、そしてなによりおかみさんの力。実の息子と同じように、いやそれ以上に息子の座を奪った喜久雄を見守り育て支えたその情の深さ。この物語の芯にあるのは誰かを受け入れそばにいて守る、その力だと思う。
一見排他的に思えるこの世界の懐の深さにとにかく驚いた。そして自分が歌舞伎を支えているのだという矜持。
この世界の物語を読むと、「命をかけて」、という言葉の薄っぺらさを思い知るだろう。 -
ちょっと読みにくいと思っていた語り口の効果にやっと気づいた花道篇。
これはフィクションだけど、芸の道はこのように厳しく、だからこそ観客は魅了されるのか。
壮大過ぎて圧倒されっぱなし。
私は読んでる間ずっと、鬼気迫る梨園の人々を外から見つめる、ただの一般人でしかなかった。 -
いやぁ、凄かった!壮絶にして壮大な物語。読み終えた今、鳴り止まない拍手を送りたい。
極道と梨園という出所の全く違う2人の物語。喜久雄は極道の家に生まれ、俊介は梨園の家元で生まれ育った。2人は歌舞伎を通して切磋琢磨して成長していく。
極道の家に生まれた喜久雄が三代目となり、二代目に見切りをつけられた俊介は失踪する。途中、別々の人生を過ごしたが、運命はいつしか2人を結び付ける。更に精進していく2人だが、さらなる試練が2人を待ち受ける。
ラストシーンは圧巻!
登場人物では、なんといっても徳次。徳次がいい味出してたな。