あちらにいる鬼

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  • 朝日新聞出版 (2019年2月7日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784022515919

作品紹介・あらすじ

【文学/日本文学小説】人気作家・みはるは講演旅行を機に作家・白木と男女の関係になる。一方、白木の妻・笙子は夫の淫行を黙認、平穏な生活を送っていた。だが、みはるにとって白木は情交だけに終わらず、〈書くこと〉を通じてかけがえのない存在となる。父と母、瀬戸内寂聴をモデルに3人の〈特別な関係〉に迫る問題作。

感想・レビュー・書評

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  • 小説家の父・井上光晴と作家で僧侶の瀬戸内寂聴の不倫を娘である井上荒野が書く。
    この作品に恨みや憎しみなどの感情を覚えることはなく、ただ静かな深い愛を感じた。
    なるべくしてなった関係なのか…不自然さが無い。
    だが、男女関係を断つように僧侶になった瀬戸内寂聴の心のうちは、計り知れない感情の渦の中に埋もれてしまったかのようで見えない。
    もっと見えないのは妻の方であったが、
    ことばに表すことのできないものがあっただろう。
    最期にそばにいてくれる人がいるということは、幸せだったと言えるのだろう。

    2022年11月現在 映画上映中




  • 井上荒野さんの作品はまだ数作しか拝読していませんが、この作品は作者渾身の作ではないかと思いました。

    作家であるお父様の井上光晴さんと、お母様、そして尼僧で作家の瀬戸内寂聴さんの不倫関係を書かれた作品です。
    荒野さんとしては、作家として書かずにしておけないテーマだったのであろうと思いました。

    白木篤郎(井上光晴氏)はどうしようもない、女たらしのダメ男ですが、女たらしゆえになぜこれほどにと思う程女性にモテます。
    長内みはる(寂聴氏)は懐の深い女性で、男前です。
    妻の白木笙子は本当に賢い女性で、二人ともなぜ、こんな男性が好きなのだろうと思ってしまいます。
    そのエピソードも色々出てきますが、妻が産院に一人でいるときに他の女性の元に行ってしまっているなんて、妻の心中を考えると全く持って酷いとしかいいようがないです。
    でも、確かに篤郎は女性にだらしがなかったけれど、本当に人間らしくて、面白い方であったのでしょうね。

    この作品は1966年篤郎40歳、笙子36歳、みはる41歳、長女の海里5歳から始まりますが、昔の人は皆大人ですね。
    作者の荒野さんは私より少し世代が上の方ですが、完全に二人の女性の目線から書かれていらっしゃいます。
    私は、父親を見る娘の目線で読んでしまったように思います。

    最後の二人とも篤郎のことが本当に好きだったのだとわかる場面では、なんだか不覚にも涙が滲んでしまいました。
    二人の女性の関係は、修羅場のようなものは一度もなく、途中からは同じ人を好きになったという同士のようにもみえる清々しいもので、読んで嫌なかんじになる話では全くありませんでした。
    この作品は、荒野さんの代表作となられるのではないかと思いました。

  • 瀬戸内寂聴さんと最後の男井上光晴氏とその妻の物語。書いたのは井上光晴さんの娘、井上荒野さん。めちゃくちゃ感動した。

    長内みはるは作家の白木篤郎に会い、小柄で声が大きく野暮な男だと思うが、不思議な魅力に惹かれていく。やがて男女の仲になるが、自分の他にも女がおり、自分一人のものにはならないと悟る。みはるは愛に疲れ、自由になるために出家する。一方、妻はみはるがただの浮気相手ではないと感じ…

    3人の人間性と三者三様の愛し方が書かれていて、ドロドロとはしておらず、じーんと感動する作品です。
    嘘つきで弱くて可愛いところもある作家、篤郎。どうしようもない男です。そんな男を愛する者として、会わずしてお互いを認め合い尊敬しあうみはると妻のバランスが絶妙。
    篤郎の死に際して『ただわたしたちは自分で選んでここにいるのだ』と思う出家したみはると『私という人間のほとんどを、持ち去っていくのを感じた』と思った妻。それぞれ女としての愛し方と生き方を貫こうとする姿がかっこよかった。

  • 夫婦とか家族というのは独自のルールがあって他人からの干渉など全く関係ないのかもしれないが篤郎は本当に嫌な男だと思った。堂々と不倫するわりに、後始末を妻にさせている。妻は妻でその役割を多少渋々しながらも受け入れている。不倫相手の女に妻から謝罪して、傲慢ですねと言われていたが、そのとげとげしい言葉を受けるべきは篤郎なのである。篤郎の妻はなんと損な役割なんだろう。

    浮気して女との情事を楽しんだのなら後始末までしかりするのが男の甲斐性だと思うけど。後半では篤郎にのぼせた女たちを今度は不倫相手だったみはるが諫めている。周りの女にこれほど迷惑をかけてもケロッとしている篤郎の浮気癖は殆ど病気のようなものだったのかもしれない。井上光晴の本は読んだことがないのでその女遊びが文章にどれほど影響していたのかはわからないけれど、書くということを続けるためには必要だったのかな。

    父の破廉恥な様子を冷静に客観的に文章にして、母の気持ちになって母の感情を描く。親を近くで見てきた娘にしかできないけれど、娘ならやりたくないと思う。でも荒野さんは不倫相手のみはる(寂聴)の気持ちまで丁寧に描写していてすごい。荒野さんでないと書けない文章で編集者がこの物語を書かせたかった気持ちがわかる。

    いくら相手を好きでも何度でも女遊びをされてそれでもおまえが一番だって言われるなんて屈辱かも。でもそれも一つの夫婦の形なのかもしれない。

    いろんな立場の女の気持ちを丁寧に描いた物語だった。最後がんで亡くなっていく篤郎の様子が哀れで栄枯盛衰を感じて寂しい気持ちになった。

    でも私は武田泰淳と武田百合子の夫婦関係が好きだな。武田百合子が夫をすごく愛していて泰淳がそんな百合子を優しく見守って、ときに子供に叱るようにしかって、つつみこむ感じがとても好きだった。篤郎(井上光晴)の妻は篤郎の代わりにしか小説を書かなかったけれど(この辺りが実際には本当かどうかはわからない)、百合子さんは泰淳になんでも良いから日記を書いておけと言われて書いていた富士での生活の日記が富士日記として残っている。百合子さんの才能を見抜いて世に出させた泰淳は本人も才能ある男として、妻の才能を殺さず素晴らしいと思う。

    色々な夫婦の形があって千差万別どれをとっても同じものはないかもしれないけれど、裏切りはやっぱり最低だなと思う。物語としてはとても良かったけど篤郎がねぇって感じで星は3つかな。

  • 瀬戸内寂聴と井上光晴がモデルになっているお話し。
    そうとは知らず読み始めたので、最初はフィクションとして、途中からはノンフィクションとして読んでいましたが、どちらにしても心の機微の描き方が上手く、最後まで楽しく読めました。
    淡々と事実を描くだけというわけでもなく、過度に物語へ舵を切るわけでもない絶妙な具合でした。

  • 穏やかなように見えて
    二人の女性の中には
    しっかりと鬼もいたんでしょう
    それがお互いに見えてもいる
    また 二人を苦しめる
    男こそ真の鬼でもある

    でも最後まで
    友人でもあった 妻と愛人と夫

    この真の恐ろしさを隠して
    男性は見ないふりをしないと
    不倫できないですね

  • 瀬戸内寂聴さんと井上光晴、その妻
    不思議な恋愛関係をモデルに井上光晴の娘が描いた作品。

    不倫にありがちなどろどろした愛憎というよりも
    寂聴さん(小説の中ではみはるさん)と井上光晴の妻(小説の中では笙子さん)の同志だからこそわかるある意味の愛を感じる作品。
    と、いうか、1人の男性を愛した2人の女性の愛のカタチを描いた小説。
    それも愛、これも愛、きっと愛なのかしらね…

    井上光晴(小説の中では白木)が、
    ま~ホントにどうしようもない女好きな男(でもモテモテ)として描かれているんだけどそれでも2人の女性はこの男の人でないとダメだったんだろうな…

    白木は2人の女性(みはると笙子)に対してめちゃくちゃ甘えているとしか思えないんだよね~
    自分が寝た女のことをさりげなく伝えたり
    ばれるようなウソをついたり…
    でもってそれを許す(というか見て見ぬふり)をする2人は愛ゆえなのか…

    読んでたらもうはがゆい感じがして
    白木に対してイライラして何度か本を閉じてしまった

    いつまでも追いかけられたい、愛の中心にいたいっていう白木のエゴだと私は思ったんだけど、それでも2人の女性は白木に愛を感じているのだから、まあそれはそれで白木の愛は2人を幸せにしていたんだろね~。

    でも、私はこんな男、一番キライだわ。
    って、こんなふうに愛すべき憎まれっ子を描き切った井上荒野さんの文章力がすごい。

  • 愛しか無い

    ってな事で、井上荒野の『あちらにいる鬼』

    いや、久々に痺れる1冊じゃった。

    長内みはる(瀬戸内寂聴)と作家の白木篤郎(井上光晴)の不倫、篤郎の妻 白木笙子はみはると篤郎の不倫関係を知りながら黙認と言うよりも二人の不貞の愛を育てている様な…

    不倫を越えて不倫敵までをも愛したと言うのか、友情と言うのか理想の愛の形じゃないかなっとわしは感じました。

    お互いをリスペクトしてるから成り立つ関係じゃないかなっと。

    笙子の感性って言うのか生き様が格好良すぎる。

    篤郎のクズっぷりもクズ過ぎてどうしょうもないけど、クズも突き抜け切ると魔力な魅力が溢れ出るんじゃろなぁと。

    そして圧巻なのがこの3人の実話的な小説を篤郎と笙子の娘 海里(井上荒野)が書いてる事に衝撃を受けたわ~‼️

    何て言ったらええか言葉に出来ないけど、この作品は本当に痺れた‼️

    寂聴さんの晴光との不倫関係を描いた小説も読みた過ぎる

    これ映画にもなってたんじゃね。笙子役に広末涼子とか最高過ぎるんでこれも観なきゃ‼️

    2025年28冊目

  • 文学作品としては、芸術性が高い。自らを登場させながら、不倫相手の半生を記す。記憶を辿り、補い、想像し、紡ぐ。ドロドロとするはずの男女の性愛をドラマチックに描く。しかし、モデルとなった生臭坊主を面白がって世間がエンタメ化している様が中々素直な感情で受け入れ難い。最近、高級風俗嬢が出家?して有名になっている人がいる。人間の過去には固執しない。苦難や反省もあるだろうから。しかし、生き様として過去を肯定して売りにしてしまえば、ならば出家とは何だろうか。この自らの嫌悪感は何か、考える。

    文学作品は、人間社会を多角的な視点で描くから、読み手に寛容性を齎す。書き手は寛容性を突き抜け、自在性を手に入れ、奔放になるのだろうか。最近読んだ数冊は、作家の自制心が欠如し、それ故人生に起伏を与え、芸術性を高めたようなストーリーが続いた。

    想像力が性の奔放さを与え、書けば書くほど、実社会で再現したいという欲求が抑えられなくなるのだろうか。登場人物の臨場感が自在性を煽り、リアルとの境界線は危うく時に嫉妬さえする。なりたい自分を想像してみよう、言葉にしてみよう、という手法に近い症状を齎すのかも知れない。

  • 作者の父 井上光晴と、私の不倫が始まったとき、作者は五歳だった。(瀬戸内寂聴)

    単行本の帯である。つまりは、作者・井上荒野の父・光晴と、瀬戸内寂聴は長年不倫関係にあり、本書はその両者と光晴の妻であり荒野の母である女性の3人の物語である。
    俗名瀬戸内晴美こと寂聴が出家したのは、そもそも光晴との関係を清算するためであったという。晴美との関係ばかりでなく、光晴は、度々、行く先々で浮気をした。その父に母は終生添い遂げた。
    そういうとスキャンダラスなようでもあり、横暴な父に耐え忍ぶばかりの母だったようにも聞こえるが、本作ではそのようには描いていない。
    むしろ、嘘つきで浮気でどうしようもないところを抱えつつも愛すべき男と、それを挟み、どこか戦友のようでもあり、男とよりも互い同士の方が共感し理解しあっていたような2人の女の物語である。

    実話をモデルにはしているが、作品自体はフィクションである。
    著者インタビューによれば、3人のうち、存命の寂聴にはかなり詳しい話も実際に聞いているが、父母は故人であるため、確かめることのできない点も多い。

    物語は長内みはる(=寂聴)と笙子(=光晴の妻)が交互に語る形式を取る。
    すでに作家であったみはるは、地方で行われる講演会に招かれ、白木篤郎(=光晴)と知り合う。第一印象はさしてよいものではなかったが、そこから2人は徐々に距離を詰めていく。
    笙子はその気配を薄々感じつつ、篤郎の妻としての日々を過ごす。
    その2人の間を行ったり来たりし、時に別の女にも寄り道をする篤郎。
    みはるは篤郎との関係に行き詰まりを感じ、終止符を打つために1つの決心をする。
    年月を経て、2人の女の間には共感に似たものが芽生えていく。

    さて、おもしろかったのか、と言われれば、おもしろくはあったのだが、何だか釈然としない読後感も残る。つまるところ、この作品が「話題性」を超える何かを持っているのか、というのが私には最後まで掴み切れなかったのだ。
    それは登場人物の誰にも深い共感を覚えなかったからかもしれない。
    乱暴な言い方だが、篤郎がいかにも昭和の作家で、バイタリティあふれ、放埓である。満州生まれであるとか、炭坑の暴動を主導したとかいう、自筆の年譜が嘘であるというのもなかなかすごいが、妻が書いた小説を自らの名前で発表したというのも強烈である。
    「作家」として生きることというのは、それらを呑み込んでしまうほどにすごいことなのか、そうでなければ「作家」ではないのか、そのあたりがどうにもよくわからない。
    夫よりも才能があったかもしれない妻は、しかし、夫の死後も結局は作家とはならなかった。そこには深い孤独があったようにも思うが、笙子が書かなかった理由は判然とはしない。
    みはるは、自分の気持ち(というか性愛を伴う本能のような感じがするが)に正直な人物で、ただ、時に世間のモラルと自分の中の軸がずれることがあるのが、一部からは非難され、一部には強く支持される源なのだろう。そこはそこでよいが、男との関係を断つために選ぶ手段が「出家」というのに仰け反る。源氏物語の女君や平家物語の白拍子かよ!?というところである。このあたりの発想は作家ならではなのだろうか?

    個人的には、本作の山は、2人の女のそこはかとない交情に加えて、笙子が書き続けなかったこととみはるが出家したことなのではないかと思うが、その2つとも描き込みが十分だったように思えないのだ。後者に関しては、それこそ寂聴自身がどこかに書いているのかもしれないが。
    タイトルも若干わかりにくい。「鬼」と言われたら、何だか般若の面のような、おどろおどろしい情念を思い浮かべるが、それよりはもっと「逃げ水」のような、追いかけても手に入らないものを3人が3人とも追っているようにも思えた。
    3人が3人とも、つながっているようでつながっていない。つながっていないようでつながっている。そのことが湛える深い孤独にふと胸を突かれる。

  • これは素晴しい作品だった。
    身内だからこそ書けたのか。
    父、母、そして不倫相手。だけれどもその不倫相手・寂聴は後々はいい関係性になっているし。

    実際に「みはる」が語ってるし、「笙子」が語っている。
    その間を篤郎が行ったり来たり。

    これはやっぱり笙子さんが素晴らしかったですよ。
    笙子さんであったからこそですよ。

    私は瀬戸内寂聴さん、というより瀬戸内晴美さんが好きでした。
    井上さんの本も、晴美さんの本も読み進めたい。
    この不思議な関係性をもっと知りたいです。

  • ずっと前から気になってた本だったけど、なんとなく読む機会がないまま・・が、映画化されると聞いて、しかも寺島しのぶさんが剃髪されると聞いてこれは早急に読まねばと思い読んでみました。
    モデルになってる井上光晴さんはきっと魅力的な男性だったんだろうけど、それより瀬戸内寂聴さんと井上さんの奥様の笙子さんがとても素敵な女性に描かれていました。今の時代、芸能人の不倫騒動は再起不能なくらい罪人のように叩かれるけど、この時代に比べたら現代の不倫騒動なんておままごと程度に思える。ただ、不思議とドロドロしていない、女性の強さが美しい文学的な不倫のお話です。

  • 2021年11月9日。
    作家の瀬戸内寂聴さんが逝去された。
    享年99歳。

    多くのメディアでその訃報が伝えられたなか、最も興味が引かれたのが作家の井上荒野によるものだった。

    人気作家だった寂聴さんは51歳で出家。
    その当時男女の仲にあった作家の娘がこの本の著者その人だ。

    物語は、作家の長内みはると、その不倫相手である白木篤郎の妻・笙子の視点から交互に描かれていく。

    「何かあって白木を好きになったわけではなかった。理由などないのだ。雷に打たれたようなものだとわたしは思った。結局、あの徳島の講演会の日の朝に、わたしめがけて白木が落ちてきたのだ」(みはる P75)

    男女の関係を解消するために、出家を決めたみはる。

    その場に行かなくて良いのかと、妻の笙子は篤郎に告げる。

    そして、男女の中ではなくなった篤郎と寂光となったみはるの友人としての付き合いは続いていく。

    「そんな男を、どうして彼女は愛してしまったのだろう。眠りに落ちながら、私はまだ考えている。愛が、人に正しいことだけをさせるものであればいいのに。それとも自分ではどうしようもなく間違った道を歩くしかなくなったとき、私たちは愛という言葉を持ち出すのか」(笙子 P102)

    書き続けることで、自分を探し続けた寂光。

    書くことを拒むことで、自分が明らかになることを拒んだ笙子。

    「作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった」

    「モデルに書かれた私が読み傑作だと、感動した名作」

    この本のモデルとなった寂聴さんが、帯に絶賛のコメントを寄せている。

    自分の力でどうすることもできないものを「業」と呼ぶならば、その中で生き抜いていく人たちの心が強く伝わってくる力作。

  • モデル小説というのは特に珍しいものではないと思うが、これはちょっと凄味がある。著名な作家であった父の愛人(それも超有名人)と、自分の母の視点を交代させながら、その奇妙な関係について、娘の小説家が語る。こういうのはあまり例がないのではないか。

    興味深いのは、愛人(瀬戸内寂聴さん)の語りの方が、生々しく迫ってくる感じがすることだ。取材もされたのだろうが、おそらく想像によるフィクションもある程度あると思われるのに、実に自然で、まるで寂聴さん本人が語っているような気さえしてくる。それに比べると、著者の母(文中では笙子さん)の胸の内は、私にはよくわからなかった。そこにまた不思議な味わいがあるとも思うが。

  • 著者の御父上とその不倫相手であった瀬戸内寂聴先生の話であると知っては読まずにおられようか。

    この作品は、井上荒野さんが作家として、作家の娘として、書かねばならない、向き合わずに通り過ぎることのできない業のような作品だったのではと想像します。
    やぁ、作家ってすごいと思わされました。
    瀬戸内寂聴先生を「鬼」と呼んじゃうし。しかしそうとしか言えないと言うのも伝わってくる。
    作中で井上さんのお母さんに当たる女性もすごい。女の生き様という言葉が浮かびます。

    井上荒野さんは何冊か読んでいますが、自分は結構「読むぞ!」と構えて読まなければ何か心をざらっとすっかり持って行かれそうな怖さを感じるので元気な時(?)に手に取ります。

    確か年末か年始に読んだのですがすっかり登録するのを忘れていて今頃登録(汗)

  • これは凄い小説だった。力を込めて読む話しで、読後しばらく脱力した。

    まずは実話である事。作者が自分の両親を描いている事。父親の不倫を詳細に書いている事。その不倫が深く、精神的にも繋がり、不倫相手の女性が出家する程である事。作者の母が不倫に気づき、嫉妬もし、それでも泰然とし美しくあり続けている事。そのうち母と不倫相手が共感し始める事。父の死後も不倫相手・母の3者の繋がりが絶える事はなく、お墓にまでそれが繋がる事・・。書き切れない程、凄みのある内容が含まれているが、最大に凄いのは、これを綺麗にまとめている作者の力量だと感じた。その力量の為に、決して綺麗な内容ではない話のはずなのに、高潔な内容だったという印象さえ残すような小説に昇華されていたと思う。

    やはり印象に残るのは母の強さ、賢さ、美しさ。その最期も美しかった。最期の描写は、さすがに身近にいた人にしか描けなかったと思う。涙が出た。

    それにしても、ここまで愛される男性もすごい。描写からはどこがそこまで良い男性なのか分からなかったが、それはやはり娘が描いたからか?と真面目に思う。

  • 瀬戸内寂聴と井上光晴の不倫をモデルにした小説を光晴の長女井上荒野が描いたもの。
    長内みはる目線での心情、妻である笙子の心情を交互に繰り広げながら、不倫、出家、死について触れる。
    昭和の時代背景による固定観念や互いのクセの強さ、そんな相手を好きでいる雰囲気が最初から最後までびっしり。映画ではどうなっているのだろう。
    320冊目読了。

  • 自分の両親のことを冷静に見つめて書けるだろうか?
    自分が同じ立場なら、書こうとは思えないだろうな。
    関わりのあった人がすべて亡くなっていたりしてもね〜。
    このような父を夫を受け入れられるってどういう人なんだろうか。自分の心を乱す人と一緒にいたくはないな、と思う。そして、お別れすることになるだろうな、あたしなら。
    他人は他人と思いたいけど、家族となると関係が近すぎる。

  • 最初は映画で寂聴ならぬ寂光を演じた寺島しのぶさんと伯山先生の対談から作品の存在を知り、え?そんな話を実の娘が書いたの?という驚きと、映画は見てないけど寺島さんっぽい!との思いで読んでみた。ついでに本を読む前に、作者の荒野さんと寂聴さんの対談も読んだのだが、いやあ、本当に母親が苦しんでいなかったからか苦しんでいる姿を全く家族に見せなかったから、こうやって踏み込めるんだろうなあと感心せざるを得ない。が、一場面だけ、母親が井上(父)に声を荒げる場面がある。それを別室で聞いていた荒野さんは、もしかしてその時垣間見た母の怒りの蓄積を軸に、この作品を書けたのかもなあ。しかし死人に口なし、だから真実はなんとも。

    寂聴さんは物心ついたときすでに出家していたが、幼心に、彼女の経歴やなぜこの人が出家したのかについて語る親の口調に引っかかるものを感じ、今の今まで作品を読んでこなかった。普段は芋づる式の読書が好きなので、関連する作品を次々読むのだが…うーん、今回はやっぱり寂聴さんの(出家前の)作品には惹かれないなあ。多分、世の中を大雑把に分けるとすれば、私は捨てられる4歳女の方であり、4歳児を育てる方であり、反対側の世界に全く惹かれないからだろう。そうなると荒野さんの母親は、その二分された世界を上から眺めている感じだったのか。

  • 「不倫」と言ってしまえばそれまでだが、一般論では語りきれない、善し悪しを超えた男女の関係、否、妻も含めた人間関係に引き込まれた。

    著者は井上光晴の娘。娘として父母を、瀬戸内寂聴を見てきて本書を執筆。本書が、著者にとってどのような意味があるものなのかを知りたいと思った。

    最後は、いつのまにかノンフィクションになっていたかのように感じさせられた。

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著者プロフィール

1961年東京生まれ。成蹊大学文学部卒。1989年「わたしのヌレエフ」でフェミナ賞、2004年『潤一』で島清恋愛文学賞、2008年『切羽へ』で直木賞、2011年『そこへ行くな』で中央公論文芸賞、2016年『赤へ』で柴田錬三郎賞、2018年『その話は今日はやめておきましょう』で織田作之助賞を受賞。他の作品に『もう切るわ』『ひどい感じ 父・井上光晴』『夜を着る』『リストランテ アモーレ』『あちらにいる鬼』『あたしたち、海へ』『そこにはいない男たちについて』『百合中毒』『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』『小説家の一日』『僕の女を探しているんだ』『照子と瑠衣』『猛獣ども』『しずかなパレード』などがある。

「2025年 『私たちが轢かなかった鹿』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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