【第161回 芥川賞受賞作】むらさきのスカートの女

著者 :
  • 朝日新聞出版
3.34
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本棚登録 : 3515
レビュー : 444
  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022516121

作品紹介・あらすじ

第161回芥川龍之介賞受賞作!

近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性が気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために〈わたし〉の職場で彼女が働きだすよう誘導する。『あひる』、『星の子』が芥川賞候補となった話題の著者による待望の新作中篇。

感想・レビュー・書評

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  • “あなたの好きな色は何ですか?”と聞かれた時、あなたは何と答えるでしょうか。

    私は”緑”が好きです。読書で目が疲れたら、窓の外の緑をしばらくぼやっと眺めて癒されます…と私なら答えるでしょう。でも、当然のことながら、人の好みは千差万別です。”青”が好きな人がいれば、”黄”がいいと答える人もいるでしょう。でも、そんなその人の答えに、人は自分の持っているそれぞれの色が持つイメージを自然と重ね合わせてしまいがちです。“青”に開放感や広大さを、”黄”に明るさや幸福を、そして”緑”に若さや癒しを感じるように、色が持つイメージというものは、それを好きだという人の、そしてそれを身につける人の印象をも左右してしまうものです。では、『むらさき』はどうでしょうか。高貴さを感じる一方で下品さも感じさせる、神秘さを感じる一方で不安をも感じさせるという二面性を持った色、それが『むらさき』だと思います。そんな『むらさき』色のスカートをいつも穿いている女が登場する物語がここにあります。そして、それはそんな女をずっと観察し続ける『黄色い』カーディガンを着た女の物語でもありました。

    『うちの近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる』と書名がそのまま登場する冒頭。『いつもむらさき色のスカートを穿いているのでそう呼ばれているのだ』というその女を『若い女の子だと思っていた』が『決して若くはない』と気づく『わたし』。『うちの近所の公園には、「むらさきのスカートの女専用シート」と名付けられたベンチまである』というその女。そんな女がパン屋で買った『クリームパンを』食べるのを観察する『わたし』。ゆっくり食べる姿を見て『わたしの姉に似ている気がする』と感じます。姉は『むらさきのスカートの女みたいに最後のひと口に時間をかけるタイプだった』という共通点。そして『姉に似ている気がするということは、むらさきのスカートの女は、妹のわたしにも似ているということになるだろうか』と思い、『あちらが「むらさきのスカートの女」なら、こちらはさしずめ「黄色いカーディガンの女」といったところだ』と考えます。しかし、『「黄色いカーディガンの女」が商店街を歩いたところで、誰も気にも留めないが、これが「むらさきのスカートの女」となると、そうはいかない』と女を見る人々の反応が『一、知らんふりをする者。二、サッと道を空ける者。三、良いことあるかも、とガッツポーズする者。四、反対に嘆き悲しむ者』に分かれると分析します。さらに、そんな女が凄いのは『周りの人間がどんな反応を示そうと、決して自分の歩みのペースを変えないこと』とも指摘します。『週末のどんなに人通りの多い時間帯でも、決して物や人にぶつからない』で町を歩く『むらさきのスカートの女』。そんな女の一挙手一投足を細かく観察し続けている『わたし』は、『何が言いたいのかというと、わたしはもうずいぶん長いこと、むらさきのスカートの女と友達になりたいと思っている』とその胸の内を語ります。しかし『いきなり声をかけるのは変だ。ナンパじゃないんだから』と考える『わたし』は『まずはちゃんと自己紹介をしたい』、それは『不自然でない方法で』と考えをまとめます。そして、それは『同じ学校に通う者同士なら、あるいは同じ職場に勤める者同士なら、それが可能と思うのだ』という結論に到達します。そんな『わたし』は、自分の働く職場に彼女を就職させようとあの手この手を使って『むらさきのスカートの女』に働きかけていきます。そして…。

    「むらさきのスカートの女」という書名だけならまだしも、本の表紙のとても不思議な、もしくはとてもシュールなイラストにも妙に惹かれるこの作品。冒頭からひたすら繰り返される「むらさきのスカートの女」という表現の頻出ぶりが常軌を逸しているレベルです。これだけ繰り返されると流石に数えたくもなります。
    ・むらさきのスカートの女 418回登場!
    単行本180ページ程度の決して長くはないこの作品において、一回登場する度に11文字も費やし、この表現だけ抜き出すと4,598文字にもなるという圧倒的な物量です。これだけ繰り返して同じ表現が出てくると、これはもうイライラを通り越して、呆れてしまう、もしくはほとんど病的にしか感じられないレベルです。しかもこの頻出する表現で面白いと思うのは、例えば人を表現するのに”背の高い男”だったとしたら、それは恐らくどんな場面でも通用します。しかし、この女は確かに”むらさきのスカート”を穿くことが多かったとしても、それはいつもと言うわけでは当然ありません。なのにいつでも「むらさきのスカートの女」と呼ぶために、こんな面白い一文が出てきました。『昨夜のむらさきのスカートの女が何色の何を穿いていたのか、わたしはどうしても思い出すことができなかった』。ほとんど意味不明とも言える『わたし』の混乱ぶりが現れているこの一文。これをシュールと言わずしてなんと言えばいいのでしょう、という、この作品のある意味での面白さを表した表現だと思いました。

    そして、この「むらさきのスカートの女」という表現ですが、平仮名とカタカナと漢字を『の』で繋ぐという視覚的にもとても面白い表現だと思います。そんな表現が頻出するこの作品では、平仮名とカタカナが不思議に混じり合った擬音語、擬態語も多数登場します。
    ・髪はパサパサのボサボサ
    ・しゃこしゃこしゃこ、と歯を磨いているような音
    ・ガブリ、ガブリ、と立て続けに三口
    ・ペキペキという音を立てながら根元から折れ
    ・くおー、くおー、と規則的ないびきが聞こえてきた
    という感じで、特に歯を磨く表現や、いびきの表現でこのような擬音語、擬態語の表現は聞いたことがないですし、どうして、これが平仮名で、これがカタカナなのか?という視覚的にもとても不思議なインパクトを持っていると思います。そして、その違和感から読書のスピードも安定しません。妙な引っかかりを感じながらの読書は異物感満載ですが、次第にこの文章表現の面白さに気持ちが高揚してくるのを感じます。普段、見ないような表現、リズム感に彩られた文章は、日常使う脳とは違うどこかが刺激されるようにも感じました。そう、ある意味で、日本語の表現の可能性を感じるのがこの作品。それが、この作品の一番の魅力だと思いました。

    書名、そして文章表現について見てきましたが、この作品でなんといっても注目したいのは、『むらさきのスカートの女』と『わたし』の関係性です。当初、『むらさきのスカートの女』については『頰のあたりにシミがぽつぽつと浮き出ているし、肩まで伸びた黒髪はツヤがなくてパサパサしている』といった容姿や『ボロアパート』に住んでいたりといったマイナスの印象を与える表現ばかりが目につきます。その印象についつい引っ張られて『むらさきのスカートの女』のイメージを自分の中で作ってしまいがちですが、その印象は次第に変わっていきます。『いつも、パンを選ぶふりをしてむらさきのスカートの女の容姿を観察している』という『わたし』。女が働いているかどうかについて『どんな感じかこれまでのメモで振り返ってみると、去年の九月は働いている。十月は働いていない…』と何故かメモで語れる『わたし』。さらには、『勝手な憶測に過ぎないが、むらさきのスカートの女は男嫌いではないかと思うのだ』と女が男嫌いではないかと憶測とは言え、何故か知っている『わたし』。全くの赤の他人のことをこんなにも詳しく知っていて、『むらさきのスカートの女と友達になりたい』と望む『わたし』。これはもう完全にストーカーの世界です。そう分かった瞬間に『むらさきのスカートの女』と『わたし』の印象が逆転してしまいます。『わたし』が一気に怖いものに変わる瞬間が訪れます。しかし、作品はどこまでいっても、『わたし』視点で執拗に『むらさきのスカートの女』の行動を追っていく場面が続きます。ストーカーの行為、異常性を描いた作品というと、柚木麻子さんの「ナイルパーチの女子会」という作品を読みましたが、あちらは怖いです、ただただ怖くて、ストーカーの恐怖を感じさせてくれました。しかし、同じようにストーカーの行為、異常性が、ある意味で全編に渡って描かれているにも関わらずこの作品から受ける印象は、怖いというよりは”滑稽”です。おいおい!と声をかけてツッコミを入れたくなるような妙に間抜けな『わたし』のストーカー行為。そして、そんな『わたし』には、その結末に見事な、もしくはとてもシュールなどんでん返しが待ち受けていました。なるほど、そう結末させるんだ、と、とても納得感のあるまとめ方。これは上手い!そう感じました。

    『もぐもぐ、ぱりぱり。おいしい、おいしい』などの面白い文章表現が頻出し、また一方で『レジでは所長が支払った。モーニングBセットとミルクティーで合計八百八十円だった』とそんな細かいことをいちいち書くかなあ、というように細かい部分に妙な引っ掛かりを感じさせるこの作品。

    ”むらさき”、そして”黄”というそれぞれの色が持つイメージが読者にミスリードを与え「むらさきのスカートの女」という言葉が一定のリズムを刻み、一方で頻出する様々な文章表現が変拍子を刻んでいく、そんな凝った構成の作品は読者をとても不思議な読書の世界に誘ってくれます。そう、そんな不思議な気分に終始苛まれる読書の時間を与えてくれるのがこの物語、とても印象に残る、そんな作品でした。

  • むらさきのスカートの女。
    彼女をずっと見守る、いや、執拗に見続ける黄色いカーディガンのわたし。
    そしてその二人をただずっと見続けさせられる読者。
    なんとも奇妙な感覚に陥る、でも目が離せない、惹きつけられるそれはそれは不思議な時間だった。

    たしかに最初は むらさきのスカートの女に対して、大丈夫かしら、この人…と思ってしまう。が…次第にその対象が変化して行かざるを得なくなる。

    なんかこの変化が妙に面白かった。
    終わってみれば、結局、大丈夫かしら、この人…だらけなんだけど。

    こんな読後感というか作品は新鮮な気分。しかもスピンが綺麗なむらさき色だし。チラチラ目に入るし。
    これは忘れられない作品になりそう。

    • kazzu008さん
      くるたんさん。
      なるほど、「渦」は非常に良い話だと聞いていましたが、「むらさき…」はみなさんのレビューを見ると不思議な感じがする本らしいで...
      くるたんさん。
      なるほど、「渦」は非常に良い話だと聞いていましたが、「むらさき…」はみなさんのレビューを見ると不思議な感じがする本らしいですね。読む人によっていろいろ変わるというのは楽しみです。
      ぜひ、読ませていただきます!
      2019/08/09
    • けいたんさん
      わわっ(^-^)/

      芥川賞も読んだんだ!
      どっちが読みやすい?
      この作品の方が直木賞作品より有名だよね?
      今村さんはいつか読み...
      わわっ(^-^)/

      芥川賞も読んだんだ!
      どっちが読みやすい?
      この作品の方が直木賞作品より有名だよね?
      今村さんはいつか読みたいと思いつつ、暗い感じかなぁと思うとなかなか手が出せないまま。
      大丈夫かしら、この人…だらけというのに興味津々(*≧艸≦)
      2019/08/14
    • くるたんさん
      けいたん♪
      おはよ♡

      そう!タイミング良く芥川、直木賞を読めたよ♪
      芥川賞にしてはとても読みやすい!
      今村作品初だったけど、みんなこんなザ...
      けいたん♪
      おはよ♡

      そう!タイミング良く芥川、直木賞を読めたよ♪
      芥川賞にしてはとても読みやすい!
      今村作品初だったけど、みんなこんなザワつく感じなのかな⁇
      これ、奥深い作品かも。皆さまのレビューを読むと自分のが恥ずかしいわ〜。
      けいたん♪も読む予定かな⁇読んだら感想聞かせてね(*≧∀≦*)
      2019/08/14
  • 第161回芥川賞受賞作。
    むらさき色のスカートの不思議な女性。主人公の女性がこの女性に注目。気になって接触したくて、ついには同じ職場で働けるよう誘導する。むらさきスカートの女は仕事をするにつれ、普通の女性見えるようになるが、職場で問題を起こしてしまう。主人公の女性はむらさきスカートの女性を逃亡させる。彼女がいつも座っていた公園のベンチに今度は主人公の女性が座るようになる。
    誰が不思議なのかわからない感じね。なぜそこまでむらさき女性に惹かれるのかも謎。でも気になったらそんなものなのかな。同じ職場へ仕向けるというのは異常の域だと思いますがね。人の歪な形の一つを描いたものなのかなあ。
    表紙の絵も意味ありげですが。むらさき色と黄色、色彩的にも印象に残る一冊。

  • 第一印象をなんども塗り替えられる奇妙な小説です。

    語り手の「わたし」が「むらさきのスカートの女」に並々ならぬ関心を寄せ、その女を観察し続けるというプロット。

    「わたし」がいつ「むらさきのスカートの女」に話しかけるのか、そんなことも気になりつつ、「むらさきのスカートの女」も、第一印象のイメージとは違う顔を見せる。
    観察というプロットの割には妙に勢いもあり、数時間で読破。

    くるくる変わる「むらさきのスカートの女」のイメージと、そして「わたし」が表舞台に立つタイミングに惹きつけられて読み終えました。

    話しかけるタイミングもなく終わるのかと思いきや…、ここでか!と驚き、はじめての「わたし」の会話内容は頭の整理が追いつきませんでした。

    この「わたし」の存在感はとても不思議でした。
    友達になりたいと思ったり、女の様子がわからなくて残念に思ったりしながらも、女に対して同情や怒りといった、「わたし」の感情面が読めない場面が多い。
    語り手の「わたし」の人物の読み取りで、この小説の見方も一変すると思います。

    自分で見ている世界は他人から見えている世界ではないんだなということと、関わろうと関わるまいと、ひとをほんとに理解することは難しいんだなということがまず思い浮かびました。
    さっくり読めますが、読者に読み込ませる要素も多い。

    展開が予測できず、読むひとを取り込む一風変わったエンタメ性も持ち合わせています。
    普通の小説では味わえない、日常の見え方を示す一冊です。

  • 今村夏子の持ち味が最高度に発揮された力作と言えましょう。
    彼女の作品は全て読んできた私が言うのですから、間違いありません(全てって言っても5冊ですが)。
    では、彼女の持ち味とは何か。
    私は「書かないことで多くを書く」ことこそ彼女の持ち味だと思います。
    彼女の作品は、濃淡はありますが、大事なことがしばしば書かれていません(特に「あひる」がそう)。
    大事なことが書かれていないから、そこは読者が想像で埋めるしかない。
    そして、その想像には、狂気や恐怖が常に尾を引いているのです。
    しかし、ここで言う狂気や恐怖は、非日常のおぞましいものでは決してありません。
    彼女が読者に呼び起こす狂気や恐怖は、本当に身近にある(だからこそ怖い)類の狂気や恐怖なのです。
    と、ここまで丁寧に噛んで含めるように書いても、「え、でも、大事なことを書かなきゃいいんでしょ?」なんて、タピオカドリンクを飲みながら冷めた口調で言っているあなた。
    あなたはてっぺんから間違っています。
    だって、書きたいのが作家なんですから(特に、凡百の作家は書いてしまうのです)。
    それに、何を書いて、何を書かないかは、極めて難しい問題です。
    もっとも、謎解きメーンのミステリーなら、作者は緻密にプロットを作り、ここで何を書いて何を書かないかを注意深くハンドリングしているはず。
    ただ、それはあくまで物語の展開上の話です(それだって凄いことですが)。
    今村夏子が「大事なことを書かない」ことでしようとしているのは、感情とか感覚とか捉えどころのないものに働き掛けるということです。
    それをほぼ完璧に成してしまうのですから脱帽するほかありません。
    本作の主人公「わたし」は近所に住む、ちょっと変わり者の「むらさきのスカートの女」と友達になりたいと念願します。
    それで一計を案じて、まんまと自分の働くホテルにむらさきのスカートの女を働かせることに成功します。
    作中、一貫して、この「わたし」の単視点でむらさきのスカートの女を眺めているのですが、読者は途中から「異常だ」と思うはずです。
    「わたし」はホテルで働いているはずなのに、スカートの女のほぼ一挙手一投足を眺めているからです。
    少なくとも傍目にはそう映る。
    そして、そのストーカーとも言える執着度は物語が進行するにしたがって増してくる。
    この「わたし」って、そもそも何者なのか?
    読み進むにつれて、気になって気になって仕方がなくなってしまいます。
    これがぐいぐいと読者を引っ張る牽引力になっています。
    ラストも素晴らしい。
    やや無難な気はしますが、何度考えても、この終わり方しかない気がします。
    で、本作の何がすごいって、本を閉じた後。
    読了して2日経った今も、不意に「わたし」について考える瞬間が何度も来るのです。
    それだけ、この「わたし」は謎めいています。
    何かのメタファー? とか。
    いや、やっぱり、今村夏子はすごい。
    ☆4つは、単に「こちらあみ子」と「あひる」の方が好きだから。
    それに、「こちらあみ子」で芥川賞を取らせるべきだったと、今でも根に持っているのも理由。
    デビュー作だから見送ったんでしょうけど、あの作品の文学的な価値を理解してもらわないと、ホントやってらんない。

  • 今村さんの小説を読むと、本は本当に私をどこか別の世界に連れて行ってくれるなあと、しみじみ思う。

    世の中に溢れかえる極端な二元論、つまり善か悪、理非のような軸を吹っ飛ばす、我関せずの雰囲気が終始漂う。

    直近作「むらさきのスカートの女」も期待を裏切らなかった。変なのだ。真向ナンセンス。歪んでる。それがたまらなくいい。

    極めて平易な言葉と、短く簡潔な文章で、最後まで淡々とつづられる筆致。あれ、これ児童書だったかな?

    平準な叙述で、細やかな心情の動きを排しながら、淡々と、ひたすら淡々と。

    全体像を見たいのに、ひたすら一方からだけ光を当て、その面だけで物語を突き進ませる展開。
    なんなのよ、どうなっちゃうの?と、目が離せず、引き込まれる。

    ある意味そんな歪んだ作品は、人の持つ執着、強迫的な側面、正しさのずれを際立たせ、狂気すら漂わす。

    私もむらさきのスカートの女であり、黄色いカーディガンの女なのだ。

  • むらさきの女とは「ある特定の個人」を指す言葉ではなく、「ある立場の人間」を指す言葉なのではないか。
    読後に私はそう感じずにはいられませんでした。

    出てくる人出てくる人、自分のことしか考えていない。それが妙にリアルで、「ああ、現実ってこんな感じだよな」と思う。それは些細な情報から尾ひれをつけた噂だったり、自分の立場を守るための言い訳だったり、自分の興味・怖い物見たさを満たすための自己満足のためだったりするけれど、現実社会の人間というものをこんなに鮮明に見せることが出来るのか、と驚きました。

    表紙のイラストがむらさきのスカートではないところも少し気になるポイントで、このスカートなのか、一枚の布なのか、なんなのかわからないドット模様の下から、二本の足が生えている。それがどうにも不気味で、いろいろなことを想像させて来ます。たとえば二人羽織だったり、一つの体の中に同居する二人だったり、舞台がホテルであることを加味すれば、派手なシーツに見えなくもないですが、それは想像が過ぎるでしょうか。
    背表紙のイラストは黒いリンゴ。ぽっと色のついた箇所が二か所あって、片方は赤、片方は紫のように見えます。リンゴと聞いて浮かぶものは原罪。それに物語の中で出てきた、ゲスト用のリンゴです。

    話自体にまったく新しいという感じはありませんでしたが、そこから想像が膨らむ倍率というのか、膨らむ広さが強い作品だと感じました。

    あと、これは読む前に少し聞いた前情報ですが、むらさきのスカートの女を描写している「きいろいカーディガンの女」の存在も際立っていますよね。
    この人を中心に考えようとするなら、「あっ、きいろいカーディガンの女だ!」のくだりは妄想と自己顕示欲が混ざり合った、彼女の本心が垣間見えた瞬間と言えなくもないですよね。

    不思議で面白い本でした。
    また時間を置いて再読してみたいです。

  • 全く意味がわからなかった。
    けど、なぜか先が気になって、すぐに読んでしまった。
    本当に何が言いたいのか、伝えたいのか分からない。
    言いたいことも伝えたいこともないのが、逆に新鮮で良かったです。
    間違いなく、普通の読者は賛否両論、否の方が多いかも知れない。

  • 楽しく読んだけど、疑問をたくさんのこして終わります。
    「こういう小説ではいつもそうだな」と思う。
    でも、読後他の人の感想を楽しめるのも、
    こういう本の良さだと思っています。

    そしたらちょうど昨日の朝日新聞に東大教授(教育社会学)の本田由紀さんの書評があって、とても面白かったので、勝手にここにうつすことにしました。
    だって、できるだけたくさんの人に読んでほしいんだもの。

    〈芥川賞受賞作である。わくわくして読んだが、期待にたがわなかった。
    徹底して一人称で語られている。一人称の語り手はふつう、自分についてとうとうと説明したりしない。この小説でも、語られる内容はもっぱら、他者である「むらさきのスカートの女」(以下、「女」)のふるまいである。語り手である「わたし」はストーカーじみた異様に執拗な視線で、「女」の一挙一動を詳細に語る。それは「わたし」が「女」を見下しながらも、彼女と友だちになりたいからだ。そのために「わたし」は「女」の行動を密かに誘導しさえする。
    もっぱら「女」について語っているのに、語っている語っている側の「わたし」の状況が文章の隅々から透けて見えてくる。「わたし」も「女」も孤独で生活は厳しい。双子のように似ている。
    物語が展開するにつれて、「女」を見下していた「わたし」が、実は「女」よりもいっそう孤独で、いっそう悲惨な生を送っていることが徐々に明らかになる。最後に「女」は消え、「女」がいた場所にはいつの間にか「わたし」がすっぽりとはまっている。
    淡々と乾いた文章からは、不思議な可笑しさも立ち上る。でもその乾き方が、かえって彼女たちの孤独を映し出す。
    著者の「今日までのこと」という受賞エッセイも読んだ。1980年生まれの著者は就職氷河期世代であり、大学卒業後はアルバイトを転々としたという。その中でもっとも長く続けた職場が、この小説の主な舞台となっている。社会から見捨てられたような境遇に置かれた女性たちのうら哀しさは、自身の経験に裏付けられている。
    賞の選評の中には、「わたし」と「女」が同一人物ではないかと思わせるという指摘が複数みられた。別人でありながら、「わたし」は「女」に重なり、そしてあなたと私にも重なるのである。〉

    すごい、本田由紀さん。
    さすが東大教授ですねー。

  • 最近どハマりしていた作家、今村夏子さんの新作。

    購入してちょっと寝かしてる間に、なんと芥川賞受賞(笑)
    「この作家さんは絶対に芥川賞をいつか獲る!!」と思ったのがそれこそ2年前…
    お見事な受賞、とても嬉しいです(^ ^)

    いやー、本作とても面白かった!!!
    個人的には一番好きだった「あひる」に匹敵する傑作です( ̄∀ ̄)

    「むらさきのスカートの女」って、そもそもタイトル勝ちな気がしますよね。
    すでに滲み出ている不穏な空気感というか…
    いわゆる「今村夏子感」が存分に漂っています(笑)

    一見普通の小説のフリをしていて…
    でも、その世界に入り込むと少しずつ何かがズレている違和感、気持ち悪さを感じさせるこのスタイル。
    本当に唯一無二の作風だと思います。
    ホラーとはまた違う、人間の暗い部分に触れたような異質なこのゾワーっと感。
    コレがもうかっぱえびせん状態になるんですよねー( ̄∀ ̄)

    こういう作品を書く人って、頭の中どうなってんだろう…
    と、作家さん自身にもすごく興味が湧きます。

    本作の面白さの一つに、「むらさきのスカートの女」に対する印象の変化があると思います。

    序盤では、いわゆる「ヤバい奴臭」がプンプン出ています。
    しかし物語が進むと「不器用なだけの女性」なのでは?とその印象が変わります。
    「職場でのコミュニケーション」、「仕事疲れ」あたりの課題は、程度の差こそあれ人間なら誰しも感じることなのかなーと。

    つまり、真っ当に生きようと努力している「むらさきのスカートの女」が、周りの他人に振り回されるという構図になるんですね。
    「周りの方が悪いのでは?」という印象に展開していく、その流れがなかなかに巧妙で面白いです。

    最終的に「むらさきのスカートの女」はいなくなりますが、世間は何事もなかったように平穏な日常に戻っていきます。
    残酷なまでの人間の興味の移り変わりの早さ、そして社会の冷たい一面を表現している気がします。
    ここらへんは「あひる」とも共通する部分かなぁと。
    今村夏子さんの描きたいテーマとしてあるのかな?と思ったりしています。

    あと、個人的には「黄色いカーディガンの女」の正体には全く気付けませんでした…m(_ _)m
    あとあと読み返すと、ミスリードとも言いにくいくらいに露骨にヒントがありました…(笑)
    読んだ方は、みなさんは途中で気付くのでしょうかね?

    そして、ラストの終わり方も良いっすねぇ…
    鳥肌全開な感じで。
    世界は繰り返すってやつでしょうか。

    ベットで横になってこの感想を書いている私は、さしずめ「黒い短パンの男」といったところかな(笑)

    <印象に残った言葉>
    ・うちの近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。いつもむらさき色のスカートを穿いているのでそう呼ばれているのだ。(P3)

    ・つまり、何が言いたいのかというと、わたしはもうずいぶん長いこと、むらさきのスカートの女と友達になりたいと思っている。(P13)

    ・と、こちらを気遣っているつもりなのか、古株スタッフの一人が小さな声で言った。(P65)

    ・どうして、権藤チーフがそこまで…(P137、むらさきのスカートの女)

    ・訊けば、所長が来年には二児の父になるらしい。奥さんのお腹のなかには、新しい命が宿ったばかりだという。(P157)

    ・絶妙なタイミングでわたしの肩を叩いた子供が、キャッキャッと笑いながら逃げて行った。(P158)

    <内容(「BOOK」データベースより)>
    近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性のことが、気になって仕方のない“わたし”は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で彼女が働きだすよう誘導する。『あひる』、『星の子』が芥川賞候補となった話題の著者による待望の新作中篇。

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著者プロフィール

今村夏子(いまむら なつこ)
1980年広島県生まれ。2010年「あたらしい娘」で第26回太宰治賞を受賞。「こちらあみ子」と改題、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で2011年に第24回三島由紀夫賞受賞。2016年、文芸誌『たべるのがおそい』で2年ぶりの作品「あひる」を発表、同作が第155回芥川龍之介賞候補にノミネート。同作を収録した短篇集『あひる』で、第5回河合隼雄物語賞受賞。2017年、「星の子」で第157回芥川龍之介賞候補ノミネート、第39回野間文芸新人賞受賞。 2019年、「むらさきのスカートの女」が第161回芥川龍之介賞を受賞した。

今村夏子の作品

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