小箱

  • 朝日新聞出版 (2019年10月7日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (216ページ) / ISBN・EAN: 9784022516428

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、『夏至の翌日、プール開き』を自宅でするんだ!という友人の話を聞いたらどう思うでしょうか?

    えっ?実は超お金持ちだったんだ!羨ましいなあ、そんなある種の妬みや僻みの感情が巻き起こるのではないでしょうか?でも、『一搔きし、二搔きめの最後が完全な形を取りきらないところで、早くも向こう岸に到着してしまう』と聞いたとしたら、それってただの子供用プールじゃない、と呆れ返ると同時に、そんな友人のことを危険人物かもしれない?と訝しがるかもしれません。また、

    あなたは、毎月末の日曜日、『お邪魔して、よろしいですか?』とやってきて幼稚園の園庭の遊具を使う奥さんを見たらどう思うでしょうか?

    えっ?郷愁に浸っているのかなあ!微笑ましい光景かも、と思うかもしれません。でも、それが『反対側は空席にもかかわらず』『ぎっとんばったん』と一人でシーソーに興じている姿だったとしたらどうでしょうか?私なら、相手に気づかれないように、そっとその場から立ち去ると思います。

    人にはそれぞれの価値観というものがあり、そこから外れるものには違和感を感じます。もしくは、ある種の恐怖を感じる場合もあるかもしれません。しかし、そんな違和感を感じざるを得ない世界があくまで淡々と当たり前の光景として描かれる作品があったとしたらどうでしょうか?人は自らの価値観を信じ、そんな違和感満載の世界に囚われないよう拒絶反応を示します。それは、その作品に入り込めない、という症状として現れるかもしれません。しかし一方で読書とは趣味の世界でもあります。そんな違和感満載な世界に身を委ねることで、あなたが今まで経験したことのないような不思議な感覚を味わい、いっ時を興じることができるなら、それはある意味で幸せな体験だと言えるのではないでしょうか?

    さて、ここに淡々と描かれる日常世界が違和感そのものでしかないという摩訶不思議な世界観に彩られた作品があります。小川洋子さん「小箱」。それは、そんな摩訶不思議な世界の中に、死んだ我が子を見やる親のあたたかい眼差しを見る物語です。

    『私の住んでいる家は、昔、幼稚園だったので、何もかもが小振りにできている』という元幼稚園に暮らすのは主人公の『私』。『お遊戯室を居間兼食堂にし、職員室で書きものをし、保健室のベッドで眠る』という『私』は、かつての間取りのまま『どこにも手を加えず暮らしてい』ます。そんな日々の中、『火曜日の午後、バリトンさんが新しい手紙を一通携えてやって来』ました。『今では廃墟になっている、郷土史資料館の元学芸員だった』というバリトンさんは、『遠い町の病院に入院している恋人から届く』という『とても小さな字で書かれてい』る手紙を持ってきます。自分ではその手紙を読むことができず、『これを読めるのはあなた以外には誰もいません』というやりとりから『極小文字の手紙と関わるようになった』『私』。『あなたは誰より小さきものたちとお親しい。ここはかつての、子どもたちの楽園。子どもたちは小ささのシンボル。そしてあなたはその番人』と言うバリトンさんは、『資料館が閉鎖された翌日』、『朝目覚めると、声帯も舌も唇も、発声に関わるすべてが独自の変異を起こし』たと言います。『心に浮かんだ言葉を発しようとすると、本人の意思とは無関係に、それらは旋律にのり、拍子を刻み、ビブラートを利かせながらあふれ出』し、『歌でしか人と会話できなくなっ』た彼は、『町の皆からバリトンさんと呼ばれるようにな』りました。そんな彼に恋人の書いた手紙を『解読して清書した』ものを渡すとき、『手紙が長ければ長いほど、彼はいつまでも恋人と一緒に夜を過ごせる』と思う『私』。一方で『彼が手にし、見つめているのは、恋人が書いたのではなく、私が清書した文字だ』とも思う『私』。そんな私が暮らす元幼稚園には講堂がありました。かつて、『入園式やお遊戯会や卒園式が行われていた』というその場所。そんな講堂には『舞台に向かって右側から、四列の棚が設置され、そこに両腕で一抱えできるほどの大きさのガラスの箱が、びっしりと並べられてい』ます。『元郷土史資料館の備品を運び入れたもの』というそれらの箱たち。それらは『子ども一人分の魂があちらの世界で成長するのにちょうどいい大きさをしてい』ました。そんな箱に『おしゃぶり、初めての靴…九九の暗記表、野球のサインボール、ニキビ用の塗り薬』と、その場へとやってくる人たちは様々な物を持参し、『自分たちのガラスの箱に』『一つずつ納めて』いきます。『かつて郷土史資料館で過去の時間を閉じ込めていたガラスの箱は、今では死んだ子どもの未来を保存するための箱になっている』という小箱たち。そんな小箱たちを見守り続ける管理人の『私』の不思議感あふれる日常が淡々と描かれていきます。

    “芥川賞作家”でもある小川洋子さん。その物静かに淡々と情景を描写していく物語は一度ハマるともうたまらない魅力を感じさせてくれる独特な世界観に彩られています。しかし、一方で取っ付きにくいという印象を受ける時もあります。現実世界では決してあり得ず、かと言ってファンタジーという言葉で表現される世界ともまた異なるその独特な世界は、その情景を読者がイメージできないと、かなりの苦読を強いられる場合もあります。私にとっては久し振りにそのことを実感させられたのがこの作品「小箱」でした。『私の住んでいる家は、昔、幼稚園だったので、何もかもが小振りにできている』という冒頭だけだと、主人公は廃校になった校舎に住んでいる、というだけのことですが、その先に展開する物語世界はまるで読者の想像力を試すかのようです。小川さんの小説では登場人物に名前がない場合が多いと思いますが、この作品も同様です。まずはそんな登場人物をまとめてみたいと思います。
    ・私: 元幼稚園に暮らす女性で、講堂に並べられたガラスの小箱の管理人をしている。
    ・私の従姉: 息子を亡くして以降、彼の通った道は通らない。死んだ作家の本しか読まない。
    ・バリトンさん: 郷土史資料館の元学芸員で、遠い町で入院する恋人がいる。普通に話せず会話が歌になってしまう。
    ・バリトンさんの彼女: 指紋の模様を編みこんでセーターを編んでいる。
    ・クリーニング屋の奥さん: 月に一度、元幼稚園にやってきて園庭の壊れた遊具で一人で遊ぶ。
    ・元美容師: 死んだ子の遺髪を使って竪琴の弦を張り替える。
    といった感じですが、果たしてこの説明でこれら登場人物のことをイメージできる人がいるでしょうか?自分で言うのもなんですが、これではサッパリわかりません。全くもって意味不明です。そして、これら登場人物の中でも、”壊れた遊具で一人遊ぶ”と書いた『クリーニング屋の奥さん』の描写は強烈です。『滑り台、シーソー、ブランコ、鉄棒。生い茂る木々に隠れてほとんど壊れかけ、忘れ去られたそれら』遊具で一人で遊ぶという奇妙奇天烈な光景を見せてくれる奥さん。彼女に『修理をしてもらいましょうか』と声をかける『私』に、『どこを踏んだら危ないか、どれくらいの力加減が適切か、全部頭に入っています』という奥さんは『もったいないじゃありませんか。このままで十分です』と一人遊び続けます。『反対側は空席にもかかわらず』『ぎっとんばったん』と一人シーソーで遊び、『六段ほどの梯子』の滑り台を『上っては滑り』を一人繰り返すというあまりにシュールなその光景。こんな光景をリアルに頭の中にイメージができる人など果たしているのでしょうか?そう、この作品はそんな読者の想像力が試される物語です。そして、そんな摩訶不思議な世界の中で物語が展開するのがこの作品の一番の魅力でもあり、一方で取っ付きにくさの象徴ともなっているのだと思います。

    そんな物語は、他方で日本の風土に根ざした感覚を実は持ち合わせてもいます。それがこの作品の根底に横たわる世界観になります。『未婚のまま若くして亡くなった我が子が死後の世界で結婚できるよう、婚礼の様子を絵に描いてお寺に奉納する「ムサカリ絵馬」という風習が東北のほうに実際にあるんです』と語る小川洋子さん。そんな小川さんは、その感覚をこの作品に上手く落とし込んでいきます。『地方によってはガラスケースに花嫁・花婿人形が奉納されていて、中には玩具や文房具、はては大人の証である煙草や車の模型が一緒に納められることもある。そこにはとにかく「死んだ後でも子供を育てたい」という、親としての底知れない思いの強さがある』と続ける小川さんが落とし込んだのは『私』が管理する『全部でいくつあるのか数えたこともないガラスの箱』でした。『元郷土史資料館』の中で『過去の時間を閉じ込めていた』ガラスの箱たち、それらが『元幼稚園』の講堂で『今では死んだ子どもの未来を保存するための箱になっている』というその描写。それは、『死んだ後でも子供を育てたい』と願う親たちの思いの先にあるものでした。そんなガラスの箱に『新しいお友だちができないとかわいそうだからと言って人形』を、『字を覚える年頃だからと言ってドリル』を、そして『成人になったお祝いにとお酒のミニチュアボトル』を入れに訪れるという親たちの心。そこには、『人間の究極の喪失感が凝縮されているのを目のあたりにした気が』すると語る小川さんのあたたかい眼差しを見ることができました。しかし、小川さんはあくまで静謐な表現の維持に拘ります。そんなシーンを『一つ一つの箱には、あふれんばかりの思いが詰まって果てもないというのに、それらはみな仰々しい様子も見せず、ただ大人しく与えられた番号の棚に並んでいる』とあくまでモノの描写として締める小川さん。この辺り、感情に流されずにあくまで作品世界の温度感、空気感に拘る小川さんの上手さを感じるとともに、決して読者に阿らない、読者に媚びない、そして読者を裏切らない小川さんの一貫した姿を見た気がしました。

    『彼らは「過去」ではなく「未来」を納めているんですよね。そういう発想ができるのも親の愛のなせるわざ』とおっしゃる小川さん。そんな小川さんがこの作品で描いたのは、読者に極めてイメージのしにくい摩訶不思議な世界の中に生きる人々の淡々とした日常でした。そんな淡々と静かに描写される世界の中にガラスの小箱という唯一、『「過去」ではなく「未来」』を見つめる親の愛のぬくもりが象徴的に登場するこの作品。入り込みにくいと感じた作品世界が、読後、深く心に刻まれるのを感じた、これぞ”小川ワールド!”という魅力満載な作品でした。

  • 小川さんの作品はどうしていつもこうハラハラさせられ落ち着かない気持ちにさせられるのか。なのにどうしていつも小川さんの作品に引き寄せられてしまうのか。

    子供たちがいなくなってしまった町には、元幼稚園に住み続ける主人公の「私」、子どもを亡くした親たち、その親たちを慰める人々がいる。

    親たちは元幼稚園の講堂にずらりと並んだガラスの小箱の中で亡くした子供の成長を見守り、風の吹く丘の上で子供の遺品で作った楽器を耳にぶら下げ自分にしか聴こえないその音に耳を傾ける。
    子供を亡くし心を病んで入院中の女性は判読不能なほど小さい文字の連なりで綴られた手紙を恋人に送り、恋人のバリトンさんはその解読を「私」に託す。そのバリトンさんは口を開くと言葉が何故か全て歌になってしまう。

    この町の背景、過去は一切語られない。
    子どもたちは何故亡くなってしまったのか、「私」の日課や奇妙な習慣、『一人一人の音楽会』も『死んだ子どもが成長するための箱』についても同様だ。

    町の人々はみな死んだ子どもたちを通じて繋がっている。
    死者にこれほど執着した世界は見方によれば歪で異様で退廃的な筈なのに、小川さんの手に掛かると途端にどこまでも奥深くどこまでも追求出来て豊かな世界に生まれ変わっていく。
    死んだ作家の本しか読まないと決めている「私」の従姉。死んでいく作家は増えていく一方なのだから読む本のリストも増える一方なのと同様に、彼らの世界はどこまでも広がっていく。

    「私」とバリトンさんの関係も危うく歪なようでいてハラハラするのに二人の世界は静かで穏やかだ。
    「私」が住む元幼稚園は居住空間と講堂のガラス箱以外は朽ちていく一方なのにそれすらも愛おしく美しい。

    しかし新しいガラスの箱はいつかは調達出来なくなるだろうし棚もいっぱいになるだろう。亡くなった子どもの遺髪も骨もいつかは朽ちて消える。
    親たちも同様にいつかは老いて亡くなり、町の建物も元幼稚園も朽ちていき、人も町も消えていくだろう。
    そんな危うさを感じつつも今はそこから目をそらす。そしてこの歪で美しく静かな世界に浸る。そんな危うさ落ち着きのなさが分かっているから小川さんの世界は美しい。

  • 2013年に東北地方で出会った土着神事に亡くなった子どもが死後も成長し結婚できるように、玩具や文具を納めたり花嫁・花婿人形を収めたガラスケースを奉納する親たちからインスピレーション得て書いた作品だとか。
    『ことり』から7年ぶりの長編小説。

    子どもが死んで一人もいない町の元幼稚園に暮らす語り手の私、講堂にはガラスの小箱の中に、わが子を亡くした親たちが成長に見合う品々を収め続ける。(ぬいぐるみにお菓子、漢字ドリルからニキビ用の塗り薬とか)

    西風の吹く頃には、子どもの遺髪を弦にした竪琴、乳歯や 爪を入れた小瓶の風鈴など、小さな楽器のイヤリングを耳たぶにぶら下げて丘の上で風を受け、「一人一人の音楽会」が開催される。楽器は元美容師さんや虫歯屋さん(歯医者)が作ってくれるようです。
    郷土資料館の学芸員だったバリトンさんが入院中の恋人からの手紙の解読に私のもとを訪れるとか特異な世界。 流麗な文章で綴られてるわりには抽象的でイメージできない世界観に度々見失い寝落ちしてしまい何度も同じ個所を読み返したりしても払拭できない違和感に馴染めませんでした。

    ガラスの小箱って大きさどれくらいなんだろう、サイズは揃っているだろうかとか、イヤリングの大きさとか耳たぶちぎれたりしないだろうかとか、解読できないような小さい字って米粒に書くぐらいなのかって、歌う事しかできなくなったバリトンさんって恋人の手紙を他人にみせても平気なんだとか。子供用の鉄棒で大車輪とかクリーニング店の奥さんが、元体操選手であったとしても低すぎて無理じゃないかなとか、一人すべり台はともかく、一人シーソーとかも無理じゃない?遠近感無視して心にとまるものだけ描いたルソーの絵のような臭いがする。モヤモヤが溜まりすぎてイメージできない。

    この作者は、読者を愉しませたいとかそんなご機嫌取りな次元で書いてない。私にはこのイメージを越えてみろと挑発する格闘家(チャンピオン)がみえました。
    11ラウンド(209ページ)持ちこたえられるかわからないけどボクサーのように寝落ちしても立ちあがりファイティングポーズを作って挑みました。小箱が四角いリングとなって表れたのですが、作者のイメージによって変異されキャラメルの空箱となり狭く暗い空間に押し込められていく自分。箱から出された時は干乾びたカマキリになってました。

    私とバリトンさんの怪しい関係が謎すぎて掴めない。
    恋人から贈られたセーターは互いの指紋を編み込んだものを着てるのに。手紙の文字はついに見えなくなるほど小さくなって消失してるのを、私が作文してラブレターの解読文として渡すとか、もはや恋人の想いではなく私のラブレターになっているのにバリトンは気づいているのかいないのか。
    それを朗読させるとかちょっとヤバくない。恋人が亡くなった後も封筒をもってきて解読するように渡すとか、確信犯すぎてひいてしまう。
    私の朗読を黙って訊ているとかナルシストかぁ。歌で答えれてあげてもいいのにとか思ってしまう。バリトンとゆうくらいだから男らしくずっしりとした声の持主で言葉には重みがあり、落ち着いた誠実な印象で、とにかく渋いイケメンが思い浮かぶわけです。多少、道理のあわない行動も許される説得力もあったりとお得な感じ。
    私の方はかなり入れ込んでいる様子なのでホルモンバランスの変調期が近いのかもしれない。
    子供は死んで、産婦人科も爆破され、幼稚園もない町では恋愛も非生産的行為に思えたりするのですが、そもそも未来の納税者がいないわけだから先細る一方の世界。

    小箱の中では成長していく子供たち。見送り続ける大人たちのほうが時間が止まっているかのような世界で、死んだ作者の本ばかり従妹のために選んだりとかまるでこの世界に留まるように暗示してる感じが怖かった。

  • 新たな子供は生まれず、産院は解体される。
    亡くなった子供が保存され、成長するためのガラスの箱だけが、増えていく。

    死が常にそばにある町と、亡くなった子供を思って生き続ける人たちの物語。

    亡くなった子供の骨や遺髪で作られた楽器で奏でられる〈一人一人の音楽会〉。
    小さく、脆く、儚いものと、丁寧に慎重に向き合う人たち。

    荒廃していく町と、しめやかな人々の暮らしの、アンバランスさ。

    しっとりと、独特の空気感を持つ作品。

  • この静かで、ガラス箱の中で幼い死者の魂が時を重ねて行くだけの世界の中で、こっそりと私だけが生命を膨らませている。
    私の密やかな想いが、バリトンさんが暗い底のない透明な湖に沈んでゆくのを阻み、もう一度生命を吹き込む。

    この町にあって、私とバリトンさんの二人だけが、自らの子供を亡くしていない登場人物だ。
    二人だけが、過去を悼んで生きる人々に寄り添いながらも、現在と、もしかしたら未来の自分自身を生きている。生者の世界にある。

    私が幼稚園の備品に自らのサイズを合わせるように奇妙に縮み歪んでいっても、私の中に息づく生命力はその奇形には収まりきらない。

    最も死者が遠い夏至の日を選んでプール開きをするシーン。私は園児が残した水着を着る。
    明らかに小さなそれに私の身体は馴染み、脚も胴も鎖骨もするっと収まる。
    だけれども、、両脇からは乳首がはみ出す。老朽化して漏水する子供用プールでは、私の成熟した身体を誤魔化しきれない。水が徐々に抜け出して浅くなった底に乳首がこすれて血が滲む。
    生々しい生命のイメージが、幼い園児たちの静かな記憶の世界に侵入してくる。
    子供を亡くしたクリーニング店の奥さんが、園児用の低い鉄棒で大車輪をしても、不思議と調和して、死者の世界に完璧に収まって生きているのとは対照的だ。

    では、子供がもはや産まれず、亡くなった子供を悼んで暮らす町の人々と私を、彼岸/此岸(死の世界と生の世界)と対比しているのかというとそうではない。
    小川洋子さんは、デビューしてからずっと死者と生者をの世界を分つ事なく描いてきた。
    本作では、死者を日常の一部として共に生きる気持ちに優しい眼差しを向けながら、密やかに脈打つ生命の力を祝福している。
    そのことが、この小説を閉じきって完結してしまった物語とせず、開かれた可能性を感じさせる所以なのだろう。

    “まぶたの下に隠れた瞳には、産まれる前の風景が消えずにまだ残っているし、ミルクの滓で白くなった舌には、死者たちの言葉が刻まれている。
    赤ん坊と死者はとてもよく似ている。”

     “彼女は耳を澄ます。 最初にこの言葉、耳を澄ます、を編み出した人は見事だと思う。 ほんの一滴、あるかないかの雫が描く波紋を映し出すため、余分なものはすべて排し、どこまでも鼓膜を透明にする。”

  • 登場する人物は皆余計なことを語らない。でも、揺るがない強い意志を内に秘めている。小川洋子さんの小説では、そこに強く惹かれます。

  • ありえない世界。でも、少しだけ現実。
    マグリットの絵の世界のような…夜かと思って視点をあげたら青空が広がってた、みたいな。
    あるいは、コーネルの箱の中、なのかもしれない。いろんなもののコラージュ。
    そんな不思議をおもしろいと思えるか、ついていかれるか。
    文章で描いた現代アート。
    私は大好きだ。

  • 小箱 小川洋子 朝日新聞出版

    2019 10/30 初版

    2019 11/3 読了

    愚かと健気は良く似ている
    怯えるように生きて祈る想いが

    このガラスの小箱の中でのみ輝いて未来に繋がっていると信じてる以上
    その証になるんだろうなぁ…

    忘れないということと
    諦めるということ。

    どちらがより人として正しい行為なのか?

    親が子を思う気持ちのなんと健気で
    なんと愚かなことであろう…

    世界中の親子が幸せでありますように。

    こんな繊細で健気な小説をぼくは知らない。

  • 普通に考えたらちょっと怖い世界だったり、なんて感想をまとめたら良いのか分からない。けれども小川洋子さんの作品は読みだしたら止まらなくなる。この不思議な世界に毎回惹かれてしまう。

  • 幼い子どものいない世界。
    主人公は年齢不詳だが、きっとものすごく若くはないのだろう…今は廃墟のように古びた幼稚園に住んでいる。
    すべてが幼い子どものために作られた、部屋も食事も園庭もプールも講堂も、小さな作りのこの建物に。
    きっと何十年も前からこの街から子どもたちは消えてしまったのだろう。
    どうしてこの街の全ての子どもたちが死んでしまったのかはわからない。
    ただ死んでしまった子どもたちへ、街全体が哀悼からくる切なさと、亡き子どもたちへの想いを抱き続けることへの静謐な幸福感…それらが感じられる、舞台は確かに日本と感じられるのに不思議な…安らかな感覚になれる世界。

    亡き子どもたちの遺骨と遺髪でできた、乳歯ほどの大きさの竪琴が奏でる"一人一人の音楽会"、亡き子どもの大学入学祝い、結婚式。
    幼稚園の講堂には、かつての子どもたちの遺品を収めたショーケースが並ぶ。
    手作り弁当を売っている主人公の従姉妹は、亡き我が子が辿った範囲でしか生活しない。
    廃墟と化した元郷土博物館の館員であったバリトンさんは、ある日発する全ての声が美しい歌声となり、いつしかバリトンさんと呼ばれるようになった。
    そのバリトンさんの恋人は、遠く離れた病院の"安寧のための筆記室"でまるで儀式のように、解読が必要なもはや文字とは呼べない文字で綴った手紙をバリトンさんに送る。
    …印象深い不思議なこの世界は、きっと永遠に続く。
    永遠の静謐を予感させる物語。
    もしかして、幼い子どもたちのはしゃぎ声が聞こえなくなる、そんな世界が来るのかな。
    なんて思いながら読む時もありました。

  • 不思議な奇妙な、美しさに溢れた小さな世界。死が常に近くで佇む街は、知っていそうで未知の世界です。音楽会の描写が、読んでいて静かすぎて現実とは遠いところに連れて行ってくれます。
    亡くなった子どもの楽器は想像するだけであまりに儚いです。

  • 亡くなった子どもたちをいつまでも悼み、慈しみ続ける人々の日常の物語。

    ひたすら奇妙な話だ。ただし、魔法や不思議な生き物が登場するわけではない。何らかの理由で、ほとんどの子どもが亡くなった世界で、大人たちが亡き子どもたちを悼み続ける。

    彼らの日常は、その大部分が儀式的な、亡き子どもたちを偲ぶイベントごとで埋め尽くされている。生きるための仕事に関する描写はほとんどなく、なぜこれほど多くの子どもが亡くなったのかについても、最後まで一切語られない。その一方で、謎めいたイベントやその準備については、病的なほどに細やかに描かれている。そのため、この奇妙な世界が妙にリアリティを持ち、読者に独特の空気感を漂わせる。

    親しい人を失ってしばらくすると、激しい悲しみが静かで深い悲しみへと移り変わる。この小説は、その静かで深い悲しみを、ワインのテイスティングのようにじっくりと味わう趣を持った作品である。

  • 大規模な自然災害のあとを思わせるような、子供たちを失った世界。爆破される産院。
    子を失った親たちは、ガラスの小箱におもちゃやお菓子を入れ、成長し続ける子供の魂に語りかける。
    また、子供の遺髪や乳歯、骨を使って作った小さな小さな楽器を耳たぶにつけ、丘の上の音楽会で丘の上に吹く風に揺らす。
    設定も、詳細も最後まで一切語られない。
    美しくも優しい細かい描写と正直ちょい怖い描写が混在。
    大切な人を亡くし、それでもなお死者の魂に寄り添い生きようとする人びとの想いを、悲壮感なく不思議な世界観で描いている。なかなか難解~。

  • 不思議な話、というのが一番の印象
    詳細があまり語られない出来事が多く、ほとんどの謎が残ったまま最後まで進んでいく。人によっては物足りないと感じることもあると思う
    ただ、不思議でありながらも、美しい雰囲気によって、自分は終始涙ぐんでしまっていた
    続きが気になって眠れない、というような話ではなく、日常に寄り添うような、噛み締めながら読みたくなるような作品

  • 廃墟となった郷土史博物館で使われていたガラスの箱。
    一つ一つのその小箱に子どもたちの愛用品が並べられ、元幼稚園の講堂に並べられる。
    物語を貫く「メメント・モリ」。
    小箱は、子どもの骨壷だ。
    静かを極めると耳の奥からワーンと響く音。
    その音で満ちた作品。

  • いったいこの世界になにが起きてしまったのだろう? 本書に登場する人達は、今を生きているようで実は過去に生きている。名前を持たない彼らの職業にはすべて「元」が付く。亡くなった子供たちの髪や骨を楽器の形のイヤリングにし身に付ける。風がその楽器を奏で、彼らはその音に耳を傾ける。世界は静かに終焉を迎えようとしているのだろうか……。なんとも繊細だが居心地の悪さを感じる小説だった。

  • 8年前、愛犬のチワワが天国へ行ってしまった。
    それからずっと愛犬の誕生日が来るたびに、
    『〇歳になったね』と心の中でお祝いし
    寒くはないか、淋しくはないかと折に触れ思いを馳せたりしている。

    この物語の舞台になっている街に、生きている子どもはひとりもいない。
    人々はみな、子どもを失った悲しみをしっかりと抱いたまま日々を生きている。
    まるでその悲しみさえも失ってしまうことを恐れるように。

    亡くした子どもの成長に合わせて、玩具や本を選び
    入学や結婚まで祝う。
    悲しさを通り越した場所にある願いの切なさに
    胸がつぶれそうになるくらいの喪失感を感じ
    るのでした。

  • 小川洋子さんらしい筆致で終始密やかに語られ、苦しくなり、途中もう読むのをやめようかと思うほどだった。

    小川さんの本はいつも死の匂いが漂うけれど、この本は死者を悼むためのものなのでやっぱり寂しいし辛いし苦しい。

    そして、小さな魂の悼みかた、よくぞこんな術を思いつかれるものだと驚く。

  • 心の中の木の陰の水溜まりには日が射しているけれど、思いの外深いようだったから蒸発することはなかった。その底には祈るように、幾つかの色のあるものが呼吸をしていて、それらのものに呼吸を合わせることが、この小説を読むことだった。

  • 語り手の「私」はかつて幼稚園だった建物に住んでいる。この町にはなぜか子供がいないこと、大人たちはその失われた子供たちを悼み続けていることが次第にわかってくるが、理由は最後まで明かされない。ひたすら一種の「喪の仕事」を続ける人々の姿が、描きだされている。

    タイトルの「小箱」は、幼稚園の講堂に集められているガラスのケース。子供を失った人々は、そこに思い出の品々を仕舞い、飾り付け、誕生日ごとに祝いの品を入れたり、成長に合わせて中身を入れ替えたりといったことを定期的に行っている。「私」はおそらくもとは幼稚園の先生だったのだろう、我が子こそいないが、人々の「小箱」を管理し、幼稚園をありし日の姿のまま保存し続けている。「小箱」は、作中にも出てくるジョゼフ・コーネルの作品をイメージされたのだろう。

    「私」のもうひとつの仕事は、廃館になった郷土史資料館の学芸員だったバリトンさん(※通称)という男性の、入院中の恋人からの手紙を解読すること。その手紙はどんどん文字が小さくなり、ぎっしりと便箋いっぱいに暗号のように記されており、常人には解読不可能。幼稚園で暮らすうちに、小さく自分を変形させてしまった「私」だからこそ、その小さな文字を読み取ることができる。

    「私」には男児を亡くした従姉がおり、この従姉のために、すでに死んだ作家の本だけを図書館から借りてきてあげるのも彼女の日常の一部。そして子供を失った人々は定期的に丘の上で「一人一人の音楽祭」を開催する。遺髪や遺骨を使った、小さな小さな楽器を、イヤリングとして耳につけ、ただただその音に耳を澄ますだけの音楽会。小さな竪琴を削り出す元歯科医、その竪琴に遺髪の弦を張る元美容師。

    小川洋子さんの作品に常にある一種の静謐、死や記憶の「結晶」のイメージが凝縮されたような1冊でした。

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著者プロフィール

1962年、岡山市生まれ。88年、「揚羽蝶が壊れる時」により海燕新人文学賞、91年、「妊娠カレンダー」により芥川賞を受賞。『博士の愛した数式』で読売文学賞及び本屋大賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その他の小説作品に『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』『約束された移動』などがある。

「2023年 『川端康成の話をしようじゃないか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

小川洋子の作品

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