- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022517418
作品紹介・あらすじ
放送時、大反響をよんだNHK Eテレ「SWITCHインタビュー 達人達」とその未放送分、またコロナ後、新たに設定された対談を収録した一冊。対談はブレイディさんの「(イギリスに移住してから)23年経っても日本はあまり変わらない」、鴻上さんの「日本はどこに向かって変わっていいか分からないのでは」と始まり、日本社会とイギリス社会を交錯させながら、それぞれを象徴する興味深いエピソードが語られる。またあらたにおこなわれた対談では、コロナ禍で表面化した国民性について、日本では自粛警察が勃興し、イギリスではスーパーからパスタが買い占められたことなど国の事情を対比させながら、「生きづらい」という言葉が増す日本でどう風通しをよくし、幸せを感じられる国になる道を探るのか、その可能性とヒントが語られる。
感想・レビュー・書評
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【メモ】
・イギリスの保育施設は、例えば労働党が政権を持ってた時は、トニー・ブレアの一大改革で、保育の2本柱が「ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と社会的包摂)」。多様性推進をすごく柱に掲げていたので、そういう方面の教育は一生懸命してましたね。その前は単なるケア。単に子どもの面倒を見ることが保育士の仕事だと思われてたんです。トニー・ブレアの政権は、保育を単なる「子どものケア」から「教育」に変えました。だから0歳時からカリキュラムがバッチリ作られました。そのカリキュラムの中に、多様性推進がはっきり組み込まれているんですよ。
まず、託児所を辞めて保育園に勤めてたんですけど、そこが潰れて、託児所に戻ったらそっちも潰れてフードバンクになったんですよ。緊縮財政で補助金なとがカットされたせいなんですね。要するに政府が地方自治体に渡していた拠出金が減れば、それまで補助金をもらっていたところに補助金が回らなくなりますよね。私が勤めていたような託児所は、一番初めに補助金を切られるような、公営ではなくてチャリティ団体運営の施設でしたし。補助金をバサッと切られてしまったら立ち行かなくなっちゃうし、緊縮で経済が悪化すると、民間企業からの寄付も減る。結局、最終的には潰れてフードバンクに変わっちゃったんですね。それは本当に時代の縮図というか……食事を与えるところにはまだお金が出るけど、それ以外の、子どもの保育だとか文化的なところには、もうお金が回らなくなったという時代の現実を反映していました。
・本当にブレイディさんが書いた、この貧困と多様性の社会で、一歩間違うと簡単に差別や憎悪が生まれる時代を、どう教育として向き合い、どううまく生き延びて対処するかという問いと知恵が本当に大切だと思うんです。日本では今、真逆な方向に進もうとしていますから。
・昔は勉強ができなくてもスポーツができるということがあったけど、親の持っている資本によって子どもの資質の伸び方に、露骨に差が出てくる世の中になる。家庭の経済力で、学力だけじゃなくて、身体能力にも差が出る。
・視えてる世界がものすごく小さくなっているような印象があって、私たちの時代にはまだ経済が成長していたから、今こんなにフラフラしていても何とかなるっしょ、みたいな楽天性があったけど、今の子にはないのかな、と思います。だから日本に帰ってくるたびに、私は何か暗いものをすごく感じるんですよ。なんか陰気になっているというか……。
「許されたこと」しかしちゃいけない、という思考が染みついてて、何が許されることなのか、というところからしか考えが始まらなくて、枠そのものというか、構造そのものを疑うということができないんだと思います。これ、僕は、小学校、中学校、高校の「校則」の刷り込みが大きいと思ってるんです。
・イギリスとは違ってミドルクラスの子どもと、貧困層の子どもが分かれないことになる。ベンツに乗ってくるようなお母さんとママチャリに乗ってくるお母さんが普通に同じ保育園に交ざってる、ということなんですよ。それは日本の素晴らしいところで、そういう環境こその学びがある。普段では絶対に交わらない、会話しない人達と話すことになる。
・格差がはっきりしているイギリスの階級社会というのは、ミドルから上の人達にとってはいいんだろうけど、その社会制度の影響をモロに被ることになる労働者階級や移民の人達にとっては、生活は結構ハードだろうという気がしますよね。
だからイギリスでは、どうしてもワーキングクラスから政治家になる人はいない。ミドルクラスから上の階層の人々が首相になったり、国を動かす立場になそういう人たちが労働者階級とか、いわゆる地べたの世界を知らないというのは、結構致命的で、そこにすごく乖離が生まれてしまいますよね。
・自分と利害関係がある人達のことを世間と呼び、自分と全く利害関係のない人達が社会と呼ばれる。
・日本人は、みんな同じでないと安心できないっていう気分が昔からすごく強いと思うんですよ。それはもう、本当に日本人がずっと「世間」という均質な空間で生きてきたからだと思います。集団労働の稲作文化の島国で、異文化・異言語の侵略を一度も受けなかったことが歴史的に均質な空間を作り上げたんです。
・日本の場合は何が問題かというと、世間認定されてる人達のなかでは相互扶助が行われ、信頼感が生まれるんだけど、相手を社会認定した瞬間に、コミュニケーションどころか、何の関心もなくなってしまうところです。
・私達日本人は「世間」にしか生きてこなかった。一生、同じ「世間」に生きられれば、問題はなかったんです。でも「世間」は明治以降、中途半端に壊れていって、セーフティネットにはならなくなった。価値が急速に多様化し、仕事で外国の人達と接することも増えてきた。
・日本も演劇教育をやるべき。人とコミュニケートするときに自分の考えていることをいかに的確に伝えるかを学ぶため。演劇の授業は、別に役者を育てようとしているわけじゃなくて……みんなが自分のことを言えるということは、他者が言っていることも理解できるようになるということなんですよ。その営みは相互のことだから、コミュニケーション能力を鍛えるのに演劇ほど役に立つものはないですよね。ロールプレイはすなわちそのままエンパシー教育になるから。
・平等の概念というのは、そもそも違う人たち、例えば人種が違うとか、今まで育ってきた環境が違うとか、宗教が違うとか、男女とかジェンダーが違うとか、いろんな違いを持つ人たちが共生していく時に、違うからと言って不公平な扱いをするのはよくないよねという、みんな同じ扱いをされるようにしましょうねという考え方がequalityでしょ。でも、samenessというのは、力点が単に「違う」か「同じ」になってしまうから、「同じであることが正しい」みたいになっててそこに違うもの同士の共生という、そもそもの前提がないですよね。だから、それが例えば学校で、みんな同じ髪型をしてないと不平等ということになってしまう。それは「平等」じゃなくて、単に「同じ」なんですよね。今の日本では、samenessがequalityと勘違いされている感じがしてしょうがない。
・台風が来たときに避難所にホームレスが入るのを役所が断ったことに対して、ブレイディ氏の息子は言った。「日本人は、社会に対する信頼が足りないんじゃないか」「周囲の人達がきっと嫌だって言うに違いない」っていう考えは、あまりにも社会への信頼が足りない。
・菅義偉首相。「まず自助があって、共助があって、公助だ」と言っていたのが、ネットで盛り上がってましたよね。あれのまさに公助の部分が私に言わせる社会なんですよ。というか、イギリス人のイメージはそうだと思うんですよ。自助というコンセプトは、新自由主義的で、いかにもマーガレット・サッチャー的というか、彼女は「社会なんてものは存在しません」と言い切った人ですから。自助が最重要なのだと本気で思っていたからこそ、新自由主義を信じた。
共助は、まさに日本では、鴻上さんが言われる世間のこと。身内で助け合えよっていうことですよね。
だから公助よりも先に共助がくる。自助、共助、公助っていう順番はものすごく分かりやすく日本の構造を表している。
そう。まずは自分でやれっていうこと。次に世間がきて、最後に社会システムという順序。それがやっぱり日本的だなと思いましたね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本人にあるのは「世間」とういう考え方であって、「社会」ではない。
という定義を軸に展開される、「空気を読んでも従わない」を読んだとき、ぼんやりしていた物の焦点がピタリとあった。
その著者である鴻上さんと、「子どもたちの階級闘争」「僕はイエローでホワイトでちょっとブルー」で、イギリスの格差社会とそこにいる人々、とりわけ若い世代について伝えてくれたブレイディさんの対談が書籍化されたもの。
日本は「社会」という考え方が浸透していないのだなぁ…と改めて思う。
自分に直接かかわる「世間」には敏感だが、自分が直接かかわらない「社会」には無関心になりがち。だから、政治に対する関心も薄いのだろう。
しかし、コロナ禍があり、人々の考え方も少し変わっていたのではないだろうか。
今読むのにぴったりな本だと思う。
ブレイディさんがブレア政権下での多様性教育の改革とその徹底ぶりをかなり評価されていた。日本では、まだスカート丈がとか、Yシャツの下にガラTはダメとか言ってるもんなぁ…とため息が出たが、最近そのブレアさんの租税回避が報道され、なんとも複雑な気分になった。 -
イギリス在住・ブレイディみかこさんならではの視点と、同調圧力から日本・コロナ禍をみる鴻上尚史さん。
お2人の視点が、深く心に染みる1冊。
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NHK Eテレ「SWITCH」インタビュー(2020年春の対談)が基になっていますが、未放送分や2020年秋にあらたに行った対談も収録されています。
おなじ年でも春と秋での対談の焦点がすこし違っていて、そこもおもしろく感じました。
対談形式の文章なので、話し言葉で書かれているため、その形式に慣れない方はすこし読みにくさを覚えるかもしれません。
しかし本文のデザインは、とても読みやすいものになっていますし、まずは開いてさわりを読まれてからそのまま開き続けるか、閉じるかを決めればいいのだと思います。
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わたしは日本に生まれ日本以外では暮らしたことがないので、イギリスで子育て中のブレイディみかこさんによって語られるイギリスの教育の現状が、とても新鮮でした。
イギリスの教育の現状だけではなく、なぜそんなカリキュラムになったのかが、政治的な背景も踏まえて語られていて、教育と政治は切っても切り離せないこと、そして歴史の勉強って本当はこういう風に自分の考えを生み出すために生かされるものなんだな、とつくづく思いました。
いまも変わらず年号や歴史の出来事を暗記しているような日本の教育からは、絶対に生まれてこない対談内容だと感じました。
すこし話が戻りますが、「政治と教育はつながっている」という意味で、とても印象深かったのは「自助、共助、公助…という順序」(126ページ~)という章でした。
「自助(自分で防災する)、共助(周りの人と助け合う)、公助(公的な支援)、そして絆」という言葉は、菅総理の言葉だそうですが、 はじめにこの章を読んだときは「その言葉のなにがいけないのだろう??」と思っていました。
そこに疑問を持てないというこそ、まさにわたしは「自助、共助、公助」という教育にどっぷり浸かってしまっていたということですね。
あまりにわからなくて2回目読みをし、そのときになんとなく、この「自助、共助、公助、絆」という考え方こそが、鴻上さんがいわれている「社会」と「世間」という考え方そのものであり、生きづらさ・息苦しさを生んでいるおおもとの考え方なのだ…と理解しました。
そしてその考え方を日本のトップである首相が堂々と明言していることが、とても問題なのか、と感じました。
「自助、共助、公助」という考え方を、最も力のある政治家が信念として持っているということは、その考え方の上で教育カリキュラムが成り立ってしまうということです。
「自助、共助、公助」の考え方は、鴻上尚史さんが言われている「世間」と「社会」の世界観とぴったり重なります。
生きづらさ・息苦しさを生んでいるのが「世間」と「社会」という世界、でも日本はその考え方に通じる「自助、共助、公助」という理念を掲げて物事を行ったり教育が行われている…ということは、これからもどんどん、生きづらさを感じる人を作り出してまうということです。
そう考えると、ぞっとしませんか。
だから学校「以外」の人・物・コトに触れ、違う視点から眺められる人でいなければならないのです。
ですが、そのきっかけには(悲しいけれど)、学校にいるだけでは出会えません。
日本の外に飛び出せないのならば、せめて本を開いてみてください。
自分の信じている考え方が、本当に絶対的な考え方なのか…疑問に思い、考えるきっかけが、きっと本の中につまっています。
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そうは言っても、「何とかならない時代の幸福論」はピンとこなかったよ…という方には一度本書を閉じ、まずは「『空気』を読んでも従わない。」(鴻上尚史・著)から読まれてみることをオススメします。
「『空気』を読んでも従わない。」は、中高生向けの新書ですので読みやすいですし、特に生きづらさを感じている方にとっては、目から鱗の考え方が書かれていると思います。
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コロナ禍は現在進行形で続いています。
今までできていたことが、できなくなったということは、既存の考え方をぶち壊して新しい概念を作り出すチャンスでもあります。
苦境の時代だからこそ、今まで信じていたものを一回横に置いて、「何とかならない時代の幸福論」から、自分でこれから自分の歩く道を考えるエッセンスをいただいてみませんか。
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買って2年ほど本棚で眠っていだ本。コロナ禍真っ最中の時に書かれたものだ。
どの国でも新自由主義のヤバさに気づき始めた現代に、日本だけが、自助が大事と言う。日本社会の遅れ具合がよくわかる。
イギリスと日本との違いが浮き彫りになる本。何が違うって、まずは市民の力。しかも演劇力が違うらしい。
若い黒人の男の子が酔って「フェミニズムはナンセンスだ、ファック・フェミニズム」とか叫んでいる時に、黒人のウーピー・ゴールドバーグみたいな恰幅のいい女性が腰に手を当てて、「黒人の命は大切だが、女性の命も大切」と説教した話で、イギリスには必ずそういう人が登場する、それは国民に演劇教育が下地にあるのではないか、とブレイディさんは言う。
コロナ禍でも家の壁に「自分は水道業者だから、何か困っていたら電話してくれ」などと書いて貼っている人も多いという。このシチズンシップの違いなのかな。
日本で道徳が教科として導入されるにあたって、道徳教育も他の国でもあるんだという説得の仕方を政府はしているが、イギリスでは実はシチズンシップ(政治的な人間を作ろうとする教科)だったり、ライフスキルズ(性教育わLGBTQ、お金について)だったりして、日本の道徳とは中身が違うという…。いろんなカラクリが2人の対話でまた自明のものとなっていく。
ブレイディみかこの息子さんが言ったこと。
「本当に個人として自分のことを考えたら、そこで誰かの生命に対して責任を負うなんてことはしないはずだ」
周囲の人たちがきっと嫌だっていうに違いないから拒否するということの多さに、彼は「日本はあまりにも社会への信頼が足りない」と。
ブレイディみかこがなぜイギリスに行ったのか、とてもよくわかる。こういう国で子どもを育てたい。そう思うのは当然だなと。
水筒のお茶を飲む時に、「誰が飲んでいいと言った!飲みたかったら飲んでもいいのか!」と叱られる教育現場に子どもを入れたくない、ということだ。 -
NHKの対談番組のお二人の回を未放送分も含め加筆・修正し、書籍化したもの。
お二人が抱いている日本に対する問題意識は、わたしも同感だ。
欧米の民主主義は歴史の中で血を流して獲得したものであり、日本でなかなかそれが定着しない所以はそこにある、という点はなるほどなと思った。鴻上さんは、日本では一度「世間認定」されたら、相互扶助が働き、とても居心地の良い世界だが、そうなると今度は一歩踏み込んで相手と自分の立ち位置を確認しないと落ち着かない人が多い、と述べており、これも正にそうだなと。
もともと歩んできた歴史が異なるため、どの国も同じようにいかないが、日本の、周りと同じ出なけれな叩くといったいった姿勢(本書の中では « sameness »と言われていた)は窮屈だなとつくづく思う。ブレディさんは、sympathy(自分の立場から相手に同情するの)でなくempathy(相手の立場に立って考える)、sameness(同一)でなくequality(機会の均等)だと言っていた。
先日読んだフィンランドの働き方に関する本でも感じたが、同じようなリクルートスーツを着て就活し新卒で一斉に就職したりと、こうであるべき、という圧力が日本はとりわけ強い。そうではなくて、多様性を認め、誰もがやり直したり、周りを気にせずやりたいことに挑戦できる環境だと窮屈じゃないのになと思う。この本でも、日本は他国に比べ、抜群に安全だと言われていた。安全性もなかなか得難い長所だと思うので、同調圧力的なものがなくなれば最高なのにと思う。
お二人も述べられていたが、やはりまず教育が重要になってくるのではないだろうか。小さい時から違いを認め、自分の頭で考え自己肯定感を高められるようになれば、少しずつ色々変わってくるのではないかと思った。 -
この国の未来を考える。今最もトレンドな二人のアフターコロナに向けた有意義な対談。
イギリス社会と比較しつつ日本社会の欠点を校則ほか同調圧力等から考える。
世間と社会、シンパシーとエンパシーの比較は興味深い。
コミュニケーションを身につけるための演劇学習という視点は面白い。国会中継が俄然面白くなるだろう。みんなR4氏みたくなっても困るが。中身がありつつ演劇敵な表現力を政治家はもっと持っていい。
対談なのですっきりと読めるが一つ一つの内容は実に重い。出版が朝日新聞出版というところはいかにも。 -
英国と日本を比べても仕方が無いとは思うのですが、どちらもお互いの相似形というか、将来的にどうなるかという事自体は参考になる部分もあるかもしれません。
英国は社会保障が削減激しく貧困層は相当の貧困らしいので、日本の方がましな感じがしますが、草の根的には英国の方が相互扶助出来ているようです。
でも日本人は自分が貧困であることを物凄く恥に感じるので、自分と同じ一市民に貧困に対する扶助をしてもらうのは抵抗あるかも。これは自分をひるがえってもそう思うだろうなと。
特に答えの有る対談では無いのですが、色々考えさせられる本です。 -
サクッと読めてとってもいい
シティズンシップ教育と道徳の話あってそうこれ私がゼミ論で書きたいことって感じゼミ論としてこの本提出したい怠惰 -
自分も持てていないこと
社会への信頼
SNSと人と人との直接対話
どうすれば多様性を
このままで良いのか
考えさせられた