- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022517678
作品紹介・あらすじ
かつて中学1年の時に僕は、酒を飲む度に荒れる父親に手を焼き、遂に斧で殴りかかって殺そうとしたことがある──心に傷を負ったまま家族とも離れ、悪夢のような記憶とともに生きていく史也。荒んだ生活の中で、看護師の千尋との出会いから、徐々に自身の過去に向き合おうとする──これは「決別」と「再生」の物語。サバイブ、したのか? 俺ら。家族という戦場から――家庭内暴力を振るい続ける父親を殺そうとした過去を封印し、孤独に生きる文也。ある日、出会った女性・梓からも、自分と同じ匂いを感じた――家族を「暴力」で棄損された二人の、これは「決別」と「再生」の物語。父へ、母へ、この憎しみが消える日は来るのだろうか。酒を飲んでは暴れ、家族に暴力をふるう父に対して僕には明確な殺意がある。十三歳で刑罰に問われないことは知ってはいるが、僕が父を殺せば、もう母とも妹とも暮らすことはできないだろう。それがわかっていても僕は父を殺そうとしている。自分のなかに黒い炎を噴き出す龍が住んでいる。いつそれが自分のなかから生まれたのかわからない。龍は僕に命令した。今だ、と。 (本文より)
感想・レビュー・書評
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窪さんが得意とするところのR18文学とは、少し景色が違う。
父親の暴力に支配された家庭に育った少年。彼は、13歳の時に、父親を殺意を持って斧で打ち続けた。父親は、死なず不自由な身体となり、妻である彼の母親の介護が必要となる。
彼自身は、その罪を認めようとするが、周囲は事故によるものとして処理して、家族と離れて叔母の元成長していく。
成長しても、少年の時の罪の意識に葛藤する。しかし、そこに後悔はない。子供さえも守る事ができなかった母親への憎悪さえある。
父親の病死を迎えても、過去の呪縛から逃れられない。彼が、崩壊した家庭からのサバイブできたのは、理解し合える妻と子供を得た時。
最終章の新月は、朔からの始まりの月。詳細をみるコメント1件をすべて表示-
土瓶さん表紙が……怖いな……(-_-;)表紙が……怖いな……(-_-;)2023/02/25
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どう考えても 史也の行動は
正当防衛だと思えるが
親に手をあげたということは
強烈な罪の意識になる
一見 梓と史也は
親からの非道な仕打ちから
サバイブしたように見えるが
中身が違う
だからこそ 傷をいやし合い
梓が和解への道を
作ることができたんだろうな
しかし 個人的には
斧の刃が父親のほうに
向いちゃってたらいいのに・・・
と思ったよ
月が満ち欠けして
また新しく生まれ変わったように見える
人生もまた やり直せるなら
という願いに通じるのね -
昔は普通に家庭や学校で暴力振るわれていたよな。すんなりとそのシコリが取れるとは思わないけど、ずっと記憶しているんだね。お互いに。
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かつて父に斧を振り下ろした青年。家庭内暴力からの「サバイブ」と「再生」。 『朔が満ちる』 | BOOKウォッチ
https://books....かつて父に斧を振り下ろした青年。家庭内暴力からの「サバイブ」と「再生」。 『朔が満ちる』 | BOOKウォッチ
https://books.j-cast.com/topics/2021/08/11015802.html2021/08/12
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『朔が満ちる』
初めての読んだ窪美澄さんの小説です。
第一章 三日月/幾度となくくり返される悪夢
第二章 上弦の月/真夜中のサバイバーたち
第三章 十五夜の月/道行二人、北へ
第四章 下弦の月/闇夜の告白
第五章 新月/見出すもの、見出されるもの
父親の暴力に怯え耐え続けた史也。
13歳のある日、いつも通り酒を飲んで
暴れ始めた父親が母と史也に暴力を振るう。
史也の中で抑え続けていた殺意が暴れ狂い、
手にした斧を振り下ろしていた。
母と妹の千尋を守るためだったが、父親の怪我は
階段から転落したことにすり替えられてしまう。
明確な殺意があり、罪を犯したと理解している
史也は裁かれない罪を抱え隠して生きていた。
同じこちら側の梓と出会った事がきっかけで、
史也の生き方が少しずつ変わっていく。
今もどこか、目に見えない場所で息を潜めて
我慢して泣いている小さな子どもの存在を
考えずにはいられない物語。
生き延びた子ども(サバイバー)が抱える苦悩。
乗り越えようと懸命にもがく姿に逞しさを
感じると共に、乗り越えられない苦しさもある、
その両方を否定せずにいたいと感じました。
小説後半にある史也の想いが胸に刺さりました。
『ただ、元気で生き延びてほしい、
と祈ることしかできない』
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こんなにうまくいく訳がない。そう思いました。ただ、小説に希望を探している人が読むのなら良いと思います。現実はこううまく話が進む訳がないです。後半、主人公の2人が新しい家族になり、子供を授かり家庭を築く事に関して不安を抱く面は理解できました。その点をどう克服していくのかをもう少し見たかったです。余白で読み手に想像を委ねるという事なのでしょうか。小説だから、現実ではないからと理屈っぽく考えてしまいました。それとも、この話から希望をすくい取って自分の過去・現在・未来に前向きになれない自分が良くないのかとも考えました。作者が読者に自分の人生や家族などについて考えさせようとしているのなら、見事に成功していると思います。
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かつて中学1年の時に僕は、酒を飲む度に荒れる父親に手を焼き、遂に斧で殴りかかって殺そうとしたことがある──心に傷を負ったまま家族とも離れ、悪夢のような記憶とともに生きていく史也。荒んだ生活の中で、看護師の千尋との出会いから、徐々に自身の過去に向き合おうとする──これは「決別」と「再生」の物語。
サバイブ、したのか? 俺ら。家族という戦場から――家庭内暴力を振るい続ける父親を殺そうとした過去を封印し、孤独に生きる文也。ある日、出会った女性・梓からも、自分と同じ匂いを感じた――家族を「暴力」で棄損された二人の、これは「決別」と「再生」の物語。父へ、母へ、この憎しみが消える日は来るのだろうか。
DVサバイバーというあらすじを読んでいたので、陰鬱で重苦しい内容かと思っていたけれど、親しみやすい語り口なのでそこまでじめじめとせずに読みきれた。中高生にも勧められそう。
窪美澄さん、「ふがいない僕は空を見た」ぐらいの衝撃的な小説また書いてくれないかなぁ。 -
どんなに遠く離れても忘れようとしても、親との関係は離れられない。でもそれに囚われていてはいつまでも止まったまま。自分は親とは違うと思って、今大切な人を想って生きて欲しい。