- Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022518194
作品紹介・あらすじ
妻に異変が起きたのは、結婚4年目、彼女が29歳の時だった。摂食障害、アルコール依存症……。介護と仕事、その両立に悩み続けた20年近くにわたる自らの体験を、貧困ジャーナリズム賞受賞歴もある朝日新聞記者が克明に綴る。
感想・レビュー・書評
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朝日新聞記者が、精神疾患を抱えた妻の介護と仕事を両立させながら踠き悩み続けた20年ほどの日々。
結婚4年目で、激しい過食嘔吐に始まり、途切れないアルコール摂取、大量服薬、繰り返す入退院そして、40代で認知症になる。
辛い、苦しい、それは、夫でもあり妻でもある。
読んでいても同じ気持ちになる。
だが、決して逃げずに介護と仕事をし続けていることに凄さを感じた。
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【まとめ】
1 摂食障害のはじまり
妻が29歳のとき、過食嘔吐を繰り返すようになる。
摂食障害の患者の特徴として、「太りたくない」という強烈な強迫観念や体重へのこだわりがあげられる。嘔吐でやせが進むと、血中の電解質異常や不整脈、腎機能低下などにつながり、命を落とすこともある。
精神科の受診を勧める筆者を妻は頑なに拒否した。
「食べ吐きは、たった一つの私の部屋なの」。
摂食障害は過去に受けた虐待が原因だった。つらい気持ちでいっぱいになった時、いつでも逃げ込める。そこにいる間だけは安心できる。秘密の場所だから、誰も立ち入らせない。摂食障害という疾患は、彼女にとってそんな「部屋」のようなものだという。
やがて、妻の飲食代で貯金が底を尽きる。筆者への暴力と自分自身への傷害も始まった。そんな中でも、妻は精神科への受診を拒否し続けた。
本人が受診に積極的でない場合、家族だけでも相談できる専門家がいるかどうかが大きなカギを握る。筆者の場合、M医師につながったことで生き延びることができた。しかし、現実には、精神科医によっては家族の代理受診をしてもらえないこともあるという。そこで、都道府県や政令指定市の精神保健福祉センターや保健所という公的機関が担う役割が重要になる。
2 精神科病院へ
筆者たちが関西に引っ越してから、引き続き過食嘔吐は続いたが、多少の安定が見られていた。
しかし、2007年春、穏やかな時間がふいに断ち切られた。妻がセクハラ被害を受けたのだ。
被害をきっかけに妻は心療内科の受診を決断し治療を受けるも、連日幻覚を見るようになっていく。「あの男が白い服を着て走ってくる」と真顔で話し、夜が更けると「死に場所探し」と称し近所を歩き回る。症状を重く見た院長から紹介状を渡され、精神科病院での入院生活が始まった。
入院すると、妻は一つの行為を儀式のように繰り返した。閉鎖病棟の入り口で腰をかがめる。強化ガラスに顔を近づけ、じっと外をのぞき込む。それから加害者の名前を口にして、叫ぶ。「あそこにいる。逃げて」。病室では、「(加害者が)隣の部屋にいます。追い出してください」と切願した。加害者の臭いが染みついた気がすると言って、汚れを落とすように自分の腕を強くこすった。過食嘔吐をできないため血色はよくなったが、しばらくすると「家に帰って食べ吐きしたい」と泣いて訴えた。
この後も妻はずっと、入退院を繰り返していく。最初に心療内科を受診した2007年5月から現在まで、妻の精神科病院への入院は30回を超える。彼女自ら入院を望んだことはめったにない。ほとんどは、本人が納得しなくても家族の同意により入院する「医療保護入院」制度を利用した。
精神医療を利用するようになり、さらに生活は一変した。受診付き添いや入退院手続き、問題行動への対応、ぎりぎりの家計管理、最低限の家事。仕事のなかに「生活」が入り込んでくる。仕事のアポイントをとる時は、妻の受診予定をにらんで日程を調整しなければならない。毎日のように預金残高をチェックし、生活費や医療費を払えるかを確認するようになった。妻が自殺していないか。近所に迷惑をかけていないか。
会社でも、取材先でも、不安の塊がのしかかって集中できない。仕事のやり方を変えた。午後は早めに帰宅した。妻が危険な行為をしないか見守り、いつでも夜間救急に連れて行けるように心づもりをしながら、電話取材をして原稿を書く。夜が更けて、処方された睡眠剤で妻を寝かせた後、集中してパソコンに向かった。
3 アルコール依存のはじまり
2008年に入ったころから、妻はアルコールを頼るようになった。2010年に入ると、アルコール度数の高い日本酒に手を出すようになり、一日中酔いが途切れることがなくなった。
摂食障害にアルコール依存症が重なると、体へのダメージがより深刻になる。酒量が増えてから、妻は過食が減り、逆に食事をあまりとらなくなった。やせ細った体にカップ酒を流し込み、低栄養と肝機能障害が進んだ。
2011年8月には肝機の指標とされるGOT(一般的な基準値上限は55前後)が1542を記録し、緊急入院になった。彼女のケアはさらに煩雑になり、仕事のスケジュールとの調整がいっそう難しくなった。
身体機能の低下により何度も命の危機に見舞われた妻だったが、そうした瀬戸際にあっても、身体科の医師は精神科患者をときに拒否する。
精神疾患の患者が併せ持つ身体疾患をどう扱うかは、精神科医療の世界で課題になっている。とりわけアルコール依存症や摂食障害では身体合併症が深刻になり、救命を急がなければならない場合もある。そんなときは身体科での治療を優先するのが原則だが、現実には、身体科の医師が精神科の患者を敬遠するケースがある。
アルコール依存症を専門とする成瀬暢也医師は著書で、「身体状態が悪く身体科へ入院を依頼しても、二次救急レベルでは受け取ってもらえないことも多い」と指摘している。また、日本の精神科救急の草分け的存在である計見一雄医師は「精神病患者に対する差別感や偏見が一番強いのは、地域の住民ではなく、精神科以外の医者たちだ」と断じていたという。
2014年9月、ついに筆者の身体にも変調が起こる。精神科クリニックを受信した結果、「適応障害」の診断が下り、3ヶ月間仕事を休んだ。その間、抗不安薬を服用しながら無為の時を過ごした。
4 認知症の発症
アルコール依存症の治療は完全に酒をやめる「断酒」が原則とされる。最近では酒量を控える「節酒」を軽症者向けの目標にするケースもあるそうだが、断酒よりも険しい道のような気がする。酒量をコントロールする脳の機能が壊れるのがこの病気だからだ。
そんなことを思い知らされたのは、退院から間もなく妻が飲酒を再開してからの日々だった。はじめは休肝日をつくり、節酒に努めていた。しかし、しだいに飲まない日がなくなって酒量が増え、1年もたつと頻繁に酔いつぶれるようになった。
2019年5月15日、ヘルパーから「奥さまが部屋中に嘔吐して倒れている」とメールがあった。
妻には抗酒剤を服用させていた。抗酒剤は体内のアルコール分解酵素の働きを阻害する作用がある。そこに酒が加われば、動悸、頭痛、息苦しさなど悪酔いと同じ状態になるため、服用することで飲酒の歯止めにできる。
それまで治療プログラム、自助グループ、専門病棟への入院など定石とされる治療法がいずれも功を奏さなかった妻にとって、この薬は断酒の切り札だった。彼女は専門医の説明に納得したうえで、朝一番で服用した。筆者は「これで酒が止まる」と期待した。
だが、あっさり裏切られた。彼女はふだん通りに飲んだ。当然ながら頭痛やめまいを起こし、激しく嘔吐した。専門医は「抗酒剤とアルコールを一緒に飲むことは危険」として服用中止を言い渡した。万策尽きた。
この年、妻の身体合併症はいっそう重篤になっていた。4月、内科の入院で肝硬変と診断された。6月には、大腿骨の上部(骨頭)が壊死する国指定難病「大腿骨頭壊死症」が判明した。前年暮れから妻は左足付け根の激しい痛みを訴え、しだいに歩くことすら難しくなっていた。ほかにも吐血、下痢、腹痛、酔ったふらつきによる火傷には日常的に見舞われた。もはや断酒に一刻の猶予も許されない。でも、彼女は飲み続ける。
2019年7月、一向に改善しない妻に対して、医療保護入院措置が決まる。
主治医は妻に「アルコール性認知症」と診断を下した。
5 妻は生き残った
転機となった2019年7月の緊急入院は約4ヵ月におよび、11月27日に退院した。40代にして認知症という新たなハンディを抱えたが、妻も筆者も施設でなく在宅での生活を希望した。
彼女に笑顔が増えた。目に光が宿り、肌の色つやが戻った。上機嫌な時間が多くなり、感情を爆発させて危険な行為をすることもなくなった。酒をやめた効果は大きい。認知症によって金銭管理が難しくなったためお金を持たせないようにしたせいもあるが、彼女自身が強い気持ちを保っている。「今も飲みたくなることはある。でも、もうやめた」。
一番ひどかったころと比べると、過食の量も時間も大きく減った。受診や通所に支障をきたさないよう、自分で症状をコントロールできている。主治医も当面は過食を静観する方針だ。酒をやめたうえ過食嘔吐まで一気になくしてしまえば、逃げ場のないつらさを味わうかもしれない。
身体障害者にとっての障壁が例えば段差だとすると、精神障害者にとっての障壁とは何だろう。それは社会の偏見であり、差別感情だと思う。
段差と違って目に見えないが、精神障害者の家族でいると、いやでも直面することがある。妻の病気を周囲の人に打ち明けると、「もっと厳しくしないからだ」と見当違いの説教をされる。「閉鎖病棟に閉じ込めておけばいい」と平然と言う人もいる。身体の病気やけがで医療にかかれば露骨に嫌な顔をされ、ときには治療を拒まれる。
社会の無理解が、当事者や家族に希望を失わせる。そして次第に、社会の中にある偏見や差別感情を、当事者が内面化してしまう。
妻がそうだった。「あんな人たち(精神障害者)と一緒にしないで」「鉄格子の中に入れられたら一生の終わりよ」「廃人になってしまう」。精神科の受診を拒んでいた時期、口にしていた言葉だ。
なぜ、心の傷を抱えた人は依存や嗜癖にのめり込むのか。その疑問に一つの答えを示すのが、米国の精神科医、エドワード・J・カンツィアンが唱えた「自己治療仮説」である。
依存症は「快楽におぼれている」とイメージされがちだが、カンツィアンは逆に「苦痛の緩和」に本質があるととらえる。心の傷の痛みをやわらげるためにアルコールや薬物を用いる、つまり痛みを「自己治療」していると考えるのだ。
摂食障害などにもあてはまるという。妻のこれまでを振り返ってみると、腹に落ちる。飲むときも、食べて吐くときも、皮膚を切るときも、何かから逃れようと必死だった。何から逃れていたのか。かつての彼女は「頭の中で、ワーッと何かがくる」とあいまいな表現しかできなかった。カウンセリングを経て過去の被害体験を具体的に語るようになり、自分にとっての過食や飲酒の意味をさとったようだ。
妻は20年間、「緩慢な自殺」を試みていたのだろうか。否。必死で生きようとしていたのだ。子ども時代の虐待、大人になって受けた性被害。そんな苦難を乗り越えるには、過食や酒といった「鎮痛剤」が必要だった。意識を遠のかせ、別のことに振り向けて、一時的であっても苦痛から逃れるためだ。
彼女にとって、精神科の治療とは「鎮痛剤」を手放すことに等しかったはずだ。それでも治療に取り組んだこと自体、勇気のある行動だ。
私にできることは、ただ彼女のそばにいることでしかなかった。
いま、妻は「鎮痛剤」の大幅減薬に成功した。1人のサバイバーとして、「私みたいに苦しむ人を、もう出さないでほしい」と願っている。そんな社会を私も願っている。 -
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◆「生きて」壮絶介護の記録 [評]秋山千佳(ジャーナリスト)
<書評>『妻はサバイバー』永田豊隆 著:東京新聞 TOKYO Web
ht...◆「生きて」壮絶介護の記録 [評]秋山千佳(ジャーナリスト)
<書評>『妻はサバイバー』永田豊隆 著:東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/184136?rct=shohyo2022/06/20
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書かれるべき本だ、と思った。
虐待を発端として、のちにさまざまな精神疾患に苦しむ妻と、それを支える新聞記者である筆者。
壮絶すぎる2人の記録が、1、2時間もあれば読めてしまう厚さの本にまとめられている。
当事者でありながら、取材者としての目線も死守しつつ書かれた本書は、行間に著者の血のにじむような葛藤が見える。
しかしその、取材者という立ち位置こそが、著者を正気につなぎとめていたのではないかとも思う。
幼時の虐待経験は、その後の人生すべてを壊してしまう可能性がある。
本人だけでなく、その一番身近なひとの人生も。
そんなひどい罪が、おそらくいまも野放しになっている。 -
期間限定でnoteで全文公開されておられたので読み始め、壮絶なのだけれども冷静な筆致で整然と綴られていて内容が濃く強いのでどんどんぐいぐい読んでしまい、その日のうちに読了しました。以前にやはりWeb上で読んだ『母さん、ごめん』のときと同じ感じの、心と感情と脳の体力を使い果たしたような、圧倒的な読書体験でした。題名にある「サバイバー」とは、幼少期に受けた体験(詳細は語られませんが)にもかかわらず、その後の人生を生きて成人し筆者に出会い生き延びたこと、生き延びながらもずっと過去の重石に耐えながら耐えきれない部分は自身の身体と精神を犠牲にしながらギリギリのところで命を絶たずにやってきた妻への敬意と愛情が込められた表現なのかなと思いました。書かれていることは「壮絶」のひとことなのですが、書かれなかったこと書ききれなかったこと、書こうとしても書けなかったのかもしれないことがあるだろうということを想像すると、もう言葉もなくなってしまいます。★を付けて内容を評価するような対象になる著作ではないと思いますが、多くの人に読んでもらえたらと考え、5つつけます。
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状態が悪くなっていくパートナーを支え続ける著者に『なぜ離婚しないんだろう』と思い、答えを探しながら読みました。最後まで読んでも、私には答えは分かりませんでした。ただ、タイトルは胸に迫ってきました。
きっと共倒れになる可能性だって少なくなかったでしょう。頂上がどこだか分からない、霧の中を登山するような感覚だったのではないでしょうか。──だとしたら、そんな道の途中でパートナーを放り出すことは出来なかったのかな… -
依存症 考えさせられる。
他人目線で言えば本人の意思だからどうしようもない。
もし私の家族にいたら やめて欲しい、辞めさせたい、最終的に歯痒さで私自身メンタルやられてしまいそうです。
人に言えない経験や悩みが与える精神的ダメージ 難しい問題だと思いました。
著者の粘り強いサポート優しさが伝わります。
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大きなトラウマと絶望を抱えてもなお必死に生き続けた妻と伴走する夫。
当事者にしかわからない、この社会の精神病患者に対する根強い偏見と差別。
「わかる」ことと「できる」ことの大きな違い。
身につまされる文章が真に迫る。
自身も精神を病みながらも妻の支えになり続けた筆者に敬意を表する。 -
摂食障害、アルコール依存、精神障害と夫婦の20年間は本で読む以上に過酷な日々だったと思います。人間の心は思った以上に脆いものなのだとあらためて感じ取れた。