あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史

  • 朝日新聞出版 (1972年12月9日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784022540720

みんなの感想まとめ

過酷な労働環境とその中で生きた人々の姿を描いたノンフィクション作品は、明治時代の製糸工女たちの実情を浮き彫りにします。富岡製糸場を訪れたことがきっかけで手に取った読者は、農家の口減らしや国のために犠牲...

感想・レビュー・書評

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  • 工女へのインタビューとあったけど、工女だけではなくて工男や茶屋の鬼婆と言われてた人たちやその地域の人など、範囲が広いなと思う。
    工女たちの話は重くて、厳しいものが多い。当時の厳しさがわかる本だなと思う。

    明治大正昭和と移り変わってきた製糸工場。
    最初は『口べらし』の役目で「食べさせてもらえたらいい」というものだったので、給金も僅か。でもノルマも厳しくなくて、のんびりした空気があった。年末の工場を閉める時期も11月下旬ぐらいで峠が雪深くなる前に閉じて、工女たちは雪が少ないうちに変えることができた。
    それが徐々に……輸出量が増え、質も求められるようになると厳しくなっていく。工場が締まるのも12月末になり雪深い中で帰ることになった。給金もどんどん上がり、百円工女と言われる者たちまで出てきた。当時は百円でいいお家が二軒は立った時代らしい。ただ、それは一握りで、ほとんどの工女たちはそれ以下で厳しい環境の中で仕事をしていた。

    明治大正の頃は金を持って家に帰るので、おいはぎや強盗にもあう。昭和になって振込が普及し始めると明細だけを持って帰るようになったとあった。
    最初の頃は男の格好をして工場に行ったというのも書いてあったのに、後になると女の姿のまま金持ってたの?そっちの方が危険じゃないの?と思ってしまった。工場に行くだけなら金も持ってないだろうけど……女って言うだけで犯されるっていうのと最初は人数が少なくて危険ってこともあるのか。後になると五百人くらいの工女が峠を越えたとあったから、数がいたら襲えないってことなのかな。

    ……五百人の工女の峠越えは想像がつかなかった。そんなに若い子たちがいるっていうのも想像がつかない。

    濃厚すぎた。製糸工場の歴史もだけど、農村の状況や文化も書かれていて、これをもっとわかりやすくしたものを読みたい……と思ってしまった。

  • 富岡製糸場に行ったことがきっかけで手にとった本のひとつ。
    これはノンフィクション。
    農家にとっては口減らし、過酷な労働環境そして労働、国を支えるために犠牲になった人がいたということだろう。今の私からすると悲惨としか感じられないような状況も、当事者にとっては意外とそう思っていないことに驚かされる。時代背景のなせることだとはわかっていても、あまりにも悲しい。
    明治時代に実際あって今に至るということ。
    淡々と語られるからこそ響く史実。
    まずは知ることから始めよう。

  • 過酷な環境だったにも関わらず、取材してみると当人たちは特別に自分が哀史だと感じてないところが、哀史の哀史たる深刻な所以であることが読んでてかなしくつらく感じた
    山本氏の熱心な取材、尊敬する

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著者プロフィール

大正6年-平成10年(1917-1998)。長野県松本市に生まれる。農家の長男として農業に従事する傍ら、松本青年学校に通う。その後、現役兵として近衛歩兵第三連隊に入営、軍隊生活・闘病生活など合わせ8年間を送り、傷痍軍人として終戦を迎える。戦後上京して早稲田大学文学部哲学科に学び、小説誌の編集長を経て、作家に。昭和43年(1968)『あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史』を発表、250万部超のロングセラーとなった。

「2022年 『松本連隊の最後』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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