文学じゃないかもしれない症候群

著者 : 高橋源一郎
  • 朝日新聞 (1992年7月発売)
3.13
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  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022564894

作品紹介

超面白ポップな、地上最強の文芸評論集。

文学じゃないかもしれない症候群の感想・レビュー・書評

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  •  初めて読んだ、文芸時評というものを。冒頭の、現役の名作(斜陽)と引退した名作(蒲団)の話が面白かったのだけど、以後ほとんど何言ってるのかわからず。まだまだ教養が足りない。足りなすぎる。
     1991年。ソ連解体のとし。バブルの名残はあったのかな?どんな空気だったのかな?こうゆうのを読むと、生まれる前の世界に連れてってもくれるのが文学だなと。

  • わたしは初めて高橋源一郎の文芸評論に出会ったときの衝撃をいまも覚えている。こんな風に文学を語れるなんてこと、わたしは考えたこともなかった、なんてことだろう、って。久しぶりに高橋源一郎の文芸評論を読みながらわたしは、わたしにとっての「文学」はなんだろう、ということをずっと考えていました。
    高橋源一郎からわたしが学んだのは、ものを考えるということに対する姿勢、愚直な迄に真摯に小説を愛すること、柔軟な、本物の知性というのはあらゆる関連性の無さそうに見える物事を結びつけて思考していくものなのだということ。彼の著作を何冊か読んできて、彼が主題にしているいくつかの事柄について自分なりに考えをまとめてきたつもりですが、特に今回本書を読んでいて目についたのは「ドン・キホーテ」と「正しさ」です。ゲンちゃんてドン・キホーテになりたいのかなあ、高橋源一郎は、ドン・キホーテなのかもしれない。愚かさと賢さと、誇大妄想と、孤独と、道を切り開くそういうドン・キホーテ的な道化として現代日本文学のなかに高橋源一郎っているのかな。そして3.11以後に出した本にまで続く彼の「正しさ」を巡る問い。「あの日から僕が〜」よりも、わたしはここで行われている正しさを巡る考察のほうがすきだ。こっちのほうがずっと整理されていなくて、破綻していて、何を言っているのかわからないから。わたしがゲンちゃんのことを好きなのは、喜びと哀しみが共にあるような、どちらか正しいかではないような、混沌とした場所に身を置こうと常に試みて、でも失敗したりして、また希求して、そういう「辿り着かない」感覚がすごくあるように思えて、わたしにとっては「辿り着かない」ことしか信頼できないので、好きなんです。
    わたしがいま好ましくおもっているものについて言語化していくことは、わたしにとっての「文学」がなんなのかを考えるうえで重要であり、わたしはこれからも高橋源一郎を読みながらあらゆることを考え続けていくのだと。高橋源一郎は自分にとって根源的問いかけに出会うために、必要ななにかを引き出すのがとてもうまく、そんなことができる本書は「文学」なのかな、っておもいます。

  • 「あなたは文学に興味がありますか?」と正面切って問われると、何だか照れ臭いのですが、私は目を伏せて「…ある」と答えるでしょう。
    現代日本に生きていて、多少なりとも文学に興味があるのなら、決してスルーしてはいけない作家。それが高橋源一郎さんです。
    なぜ、このような前置きをするかと言いますと、レビューは何を書いても自由だから、じゃなかった、高橋さんを横目で気にはしながら、これまで長いことスルーし続けてきたから。
    最近、ちょっとご縁があって「自分もそろそろ高橋さんを読むべきだろう」と思い為し、何から読むべきか考えあぐねて図書館に出向いて借りてきたのが本書。
    1992年第1刷発行ですから、20年以上前の著作ですね。高橋さんってこんな前からバリバリだったんですね。
    文芸評論集ですが、扱うテーマはファッションあり、漫画あり、戦争ありと幅広いです。ただ、そこは博覧強記の高橋さんですから、どんな素材であろうと、古今東西の文物から適切な「道具」を選び出し、見事な手際で料理していきます。すごい。ぱちぱち。
    ほとんど全編にわたって興奮しながら楽しみましたが、最も感動したのは「威張るな!」(P198~202)です。
    太宰治の「親友交歓」というあまり知られていない作品を取り上げます。太宰の親友を名乗る農民が太宰のもとを訪ね、傍若無人な振る舞いをした挙句に、太宰に向かって吐いた言葉が「威張るな!」。
    高橋さんは「もの書く人」(太宰)と、「もの書かぬ人」(農民)の関係性に興味を覚えます。
    ここから先は少し長いですが、引用します。なぜなら、たとえばこうしたレビューであれSNSであれ、「もの書く人」は自覚すべきことのように思ったからです。私はドキリとしました。
    「もの書く人はそれだけで不正義である―作家太宰治のモラルはこのことにつきている。ものを書く。恋愛小説を書く。難解な詩を書く。だれそれの作品について壮大な論を書く。政治的社会的主張を書く。記事を書く。エッセイを書く。そして、文芸時評を書く。どれもみな、その内実はいっしょである。見よう見まねで、ものを読みものを書くことにたずさわるようになって数十年、ちんぴらのごとき作家のはしくれであるぼくがいやでも気づかざるをえなかったのはそのことだけである。もの書くということは、きれいごとをいうということである。あったかもしれないしなかったかもしれないようなことを、あったと強弁することである。自分はこんなにいいやつである、もの知りであると喧伝することである。いや、もっと正確にいうなら、自分は正しい、自分だけが正しいと主張することである。『私は間違っている』と書くことさえ、そう書く自分の『正義』を主張することによって、きれいごとなのである。もの書く人はそのことから決して逃れられぬのだ」
    思い当たる節はあります。そして、この一節を、それこそスルーせずに、きちんと「思い当った」ことが幸運に思えてなりません。

  • 私が買ったのはハードカバーですが一見すると少女マンガ風。
    しかし中身は文芸エッセイ集です。

  • 2009/12/5購入

  • 文学のなんたるかなんてわからない俺だ!

    昔の本も外国の本も想像力を有するから敬遠してしまいがちな俺だ!

    でも、そんな本がよみたくなるぜ!

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