- Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022569219
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p31 居職の弁
「
…略…総べての映像はカメラのレンズを透して固定された時、或いは放送された時に既に『やらせ(本文中では傍点)』である事が否めないのと同じく、如何なる映像も音声も、それが流れた時に、既に誰しもが簡単に心に描き易い”公正”などという概念とは無縁な聴覚と視覚の世界の映像になってしまうという事を言いたい。三人の人間が居ても、二人の人間が居ても、その相互の間に公正は存在し得ない。ましてや不特定多数を対象に流される報道に公正を求める事は、その受け取り側の不特定多数の人間に同一な受け取り方を期待する事を招来し、そうした思想はファシズムに通じてしまう。報道は誤っていても、偏向していても構わないのである。問題は一つ一つの報道を、これは誤り、これは正しい、これは偏向であると判断する能力を受け取り側が持てば良いだけである。日本の今日のように雑多な情報が入り乱れ、種々な報道が飛び交う中で生きる人間が、情報とその一つである報道を丸呑みに信じるとすれば、それは既に独立自尊の人間の意味を自ら放棄する道を歩いている事になる。この世に公正などというものが存在すると信じる”ユートピア思想”を持つ持たぬは自由だが、日中戦争、太平洋戦争、そして続く戦後の四十八年間に情報又情報、報道又報道を浴び続けて来た人間として言える事は、総べて流れて来る文字、音声、映像はその儘信じない事、自力を以って真剣に吟味した末でなければ心に取り入れぬ事である。
」
「
…略…あり得ぬものをあり得ると信じ、あり得るものをあり得ぬと信じる事は、共に君子のなす可き事では無い。
」
未だ未だ、これが難しいです……