- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022572295
作品紹介・あらすじ
少女たちは沈黙のなかに閉ざされることを欲し、うつろな目と石の胸を持つ青白い彫像になりたいと望んでいる。いったい娘たちをどうしたものか?夜ごと姉妹団は私たちの町のなかを動いていく。(「夜の姉妹団」)。僕たちは光のなかでしなかった。僕たちは闇のなかでしなかった。刈り立ての夏草のなかでもしなかったし、秋の枯葉の山のなかでも、月光が僕らの影を投げかける雪の上でも僕たちはしなかった。(「僕たちはしなかった」)。「でも母さん、クラウチ・エンドなんかで何してるの?母さん、死んだんでしょ」母はキッとなって言った。「知ってるわよ自分が死んだことくらい、あたしがこの十か月何してたと思ってるのよ?カリブ海のクルーズに行ってたとでも?」(「北ロンドン死者の書」)。
感想・レビュー・書評
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レベッカ・ブラウンの作品が読みたくて手にとった。
「結婚の悦び」がとてもよかった!
幻想的な雰囲気をうまくいかして、
結婚生活の不条理さ・悲しさ・皮肉・可笑しさが
せつなく伝わってきて、小説の世界にどっぷり酔いしれた。
そのほかの作品もほとんど外れがない短編集だった。
スティーブン・ミルハウザーの「夜の姉妹団」、
スチュアート・ダイベックの「僕たちはしなかった」、
ジョン・クロウリーの「古代の遺物」、
レベッカ・ゴールドスタインの「シャボン玉の幾何学と叶わぬ恋」、
ルイ・ド・ベルニエールの「ラベル」、
ウィル・セルフの「北ロンドン死者の書」が気に入った作品。
それぞれの作家の作品をもっと読んでみたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
スティーヴン・ミルハウザー「夜の姉妹団」
レベッカ・ブラウン「結婚の悦び」
ミハイル・ヨッセル「境界線の向こう側」
スチュアート・ダイベック「僕たちはしなかった」
ジョン・クロウリー「古代の遺物」
レベッカ・ゴールドスタイン「シャボン玉の幾何学と叶わぬ恋」
ドナルド・バーセルミ「アート・オブ・ベースボール」
ドナルド・バーセルミ「ドナルド・バーセルミの美味しいホームメード・スープ」
ドナルド・バーセルミ「コーネル」
ジェームズ・パーディ「いつかそのうち」
アンジェラ・カーター「ジョン・フォードの『あわれ彼女は娼婦』」
ラッセル・ホーバン「匕首をもった男」
ルイ・ド・ベルニエール「ラベル」
ウィル・セルフ「北ロンドン死者の書」 -
短編集
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【夜の姉妹団】のみ読了。
少女たちは毎晩何処へ姿を消すのか。何をしているのか。胸の中に仕舞いこまれ、完璧に守られた秘密というものは秘密として意味をなさない。
けれども、僅かでも外に出してしまったなら、たちまち解き放たれ、細かな種子のように空中に拡散し、吸い込んだ者の胸に好奇心を芽生えさせる。
少女たちは秘密が何であるかを人に知られたくないが、何か秘密を持っていることは人に知られたいのだ。あらゆる暴力的な解釈を拒絶し、自由であり続ける夜の姉妹団。
彼女たちを理解する資格を持たない私の憶測は、闇に宙吊りにされるだけ。 -
やはり好きだった、スティーヴン・ミルハウザー。表題作の「夜の姉妹団」夜毎少女たちの集団が家を抜け出し何かしているらしい、でも何をしているかはわからず、様々な憶測が愚かな大人たちの間でされるが、少女たちは決して何がおこなわれているかを語ろうとはしない。柴田元幸が雑誌で連載していた翻訳を出版。三度に一度は本邦初訳の作家をという通り、ミルハウザー以外は今まで読んだことのない作家であった。全体的に不可思議な話しが多かったが短いので読み易い。一人一人の長編だと辛いかもしらないが。スチュアート・ダイベックの「僕たちはしなかった」面白い。
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少し前の本だが、図書館の新着図書のなかにジョン・クロウリーの『古代の遺物』があるのを見つけ、検索をかけたら、表題作の短篇が収まった柴田元幸訳編による、この一冊が引っかかってきた。スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベックはじめ、12人の作家による、英米小説14編が入った短篇集である。1995年から96年にかけ、雑誌「エスクァイア 日本版」に連載した作品を集めたもの。雑誌掲載の縛りは四百字換算で四十五枚までというだけで、あとは訳者の好きなものを選べばいいというので、訳者好みのアンソロジーができあがった。
もうずいぶん前のことになるが、「奇妙な味」というネーミングで括られた作家たちがいた。柴田氏の見つけてくる作家や作品には、それらに通ずる味わいを持つものが少なくない気がする。荒唐無稽というのではない、ちょっと目には辻褄はあっているのだけれど、よくよく見てみると、やっぱりおかしい、そんな作風を持つ作家や作品がお好きなようだ。もちろん、目利きとして知られる柴田氏のお眼鏡に適うのだから、文章が達者でなければならないことは言うまでもない。つまり、どの作品も読ませる、ということだ。
スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベックといえば、柴田氏とは切っても切れない作家だから、今更言うまでもないし、ジョン・クロウリーについては、別の作品で詳しく紹介しているので今回ははぶく。どれも、いいのだが、短いものでは、球史に残る名試合に名立たる詩人、音楽家、画家、批評家を立ち合わせるという奇跡を成し遂げたドナルド・バーセルミの「アート・オブ・ベースボール」は奇観である。T・S・エリオット、ジャンゴ・ラインハルト、デ・クーニング、スーザン・ソンタグらが野球選手になって登場するというだけでも奇想だが、『荒地』の詩句を野球に読み替えるなどという神業は誰も思いつかないにちがいない。
ロシア系ユダヤ人で母語はロシア語だが、小説は英語で書くというミハイル・ヨッセルの「境界線の向こう側」は、アメリカとロシアに暮らす、よく似た境遇の二人のユダヤ系青年が、ソヴィエト時代のロシアで出会うところから始まる。「向こう側」からこちらを見るという視点の設定が秀逸で、曰く言いがたいペーソスが漂う佳篇である。
絵本『フランシス』シリーズで知られるラッセル・ホーバンの「匕首の男」は、ボルヘスの短篇「南部」の続きを描いた物。ボルヘスにインスパイアされた世界をモノクローム映画に置き換え、白と黒の強烈なコントラストを効かせて、夢幻的なブエノス・アイレスを舞台に再現して見せる。ホーバンって、こんな小説を書くのか、と驚かされた。
しかし、いちばん気に入ったのは、最後に置かれたウィル・セルフ作「北ロンドン死者の書」だ。訳者の評を借りれば「趣味のよい悪趣味ともいうべきキッチュなブラックユーモア精神を展開して、明るいんだか暗いんだかよくわからない話を書く」、このセルフの面白さは半端ではない。歳をとったせいか、死後の世界について書かれた本がやたら気になるこのごろだが、これも所謂「死後の生」を主題にしている。
同居の母を癌で亡くした「私」は、一時は鬱に沈み、その後は夢で母を見るようになる。それもようやく癒えたかと思ったある日、友達の家を訪ねてクラウチ・エンドを歩いていた「私」は、通りでばったり母に出くわす。このクラウチ・エンドという地区が東京で言えば足立区か板橋区という感じだそうだが、その辺の土地勘が地方の者にはわかりにくい。とにかく、生前の母なら行きそうにないところらしい。死者と出会うのに土地などどうでもいいと思うのだが、そこが気になる、この母と子が変。とにかく、死んだら人間はどうなるのか、という根源的な問いの答えとして、作者が導き出した、この解答は「最高!」の一語に尽きる。自分がいよいよ死にそうな時がきたら、「北ロンドン死者の書」を枕元で朗読してもらいたいと思うほどだ。短篇ながら、母と子の独特の関係の濃さも心に残る。巻末に邦訳のリストがついているのも親切。古本屋や図書館でぜひ捜し当てては読んでみたいと思わせる作家、作品が、まだこんなにあったか、とうれしくなる。 -
きっかけは小川洋子さんのエッセイ。飛び込んできた題名を迷う事なく手に取った。
シャボン玉の幾何学と叶わぬ恋、が一番好きかも。
夜の姉妹団も好き。その存在意義が文章の通りならなおさら。大人になってから読み返したいものだ。 -
読書会BOOKREADERS!
久保良子選 テーマ短編1位 -
「夜の姉妹団」スティーヴン・ミルハウザー
「結婚の悦び」レベッカ・ブラウン
「境界線の向こう側」ミハイル・ヨッセル
「僕たちはしなかった」スチュアート・ダイベック
「古代の遺物」ジョン・クロウリー
「シャボン玉の幾何学と叶わぬ恋」レベッカ・ゴールドスタイン
「アート・オブ・ベースボール」「ドナルド・バーセルミの美味しいホームメード・スープ」「コーネル」ドナルド・バーセルミ
「いつかそのうち」ジェームズ・バーディ
「ジョン・フォードの『あわれ彼女は娼婦』」アンジェラ・カーター
「匕首をもった男」ラッセル・ホーバン
「ラベル」ルイ・ド・ベルニエール
「北ロンドン死者の書」ウィル・セルフ
が読めます。
こういう小説たちのような世界との距離の保ち方が好きだなと思いました。
これは編訳者の柴田元幸さんの世界観でもあるのかもしれない。
世界は優しくておかしいということを悲しい中にも感じられる作品たち。
秀逸な短篇集だと思います。
とくに面白かったもの。
「僕たちはしなかった」
「シャボン玉の幾何学と叶わぬ恋」
「いつかそのうち」
「ラベル」←最高すぎる!こういう人間が最高すぎる!
「北ロンドン死者の書」