サブカルチャー文学論

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著者 : 大塚英志
  • 朝日新聞社 (2004年2月14日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (670ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022578938

作品紹介

文学の基準、サブカルチャーの倫理。かつて江藤淳が引いた「サブカルチャー/文学」の境界線を独自な構想の上に受け継ぎ、文学史の見えにくい現在の文学に、明らかな系譜と判断の基準を提示する画期的論考。

サブカルチャー文学論の感想・レビュー・書評

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  • 筆者は戦後、特に1970年代以降の文学作品がサブカルチャー化しているという。あるいは文芸評論家・江藤淳の言葉を引用し、そう主張する。だから文学のサブカルチャー化を日本文学に限定して言及しているかどうかは曖昧である。しかし、日本文学に限定しているとしても、はたして日本文学がサブカルチャー化していると一般に言い切れるかどうか疑問は残る。

     ただ、これも文学一般の状況として考えるならば、ルネサンス以降の世界の社会状況は少なくとも冷戦の終結に至るまでの約400年間は文学のテーマが存在していたと言えると思う。そのテーマとはその時代における人の有り様、生き方に対する疑問・苦悩であり、「どうあるべきか」「どう生きるべきか」というある種の運命論であった。

     しかし、冷戦以降の状況はいわゆる高度消費社会が急速に進展し、先進諸国に於いては表現・精神の自由、職業選択の自由はほぼ完全に達成された。つまり不自由が無くなり、と同時に政治的イデオロギーは瑣末な差異の問題に縮小した。今日の政治話題は環境問題や経済問題であり、それは方法面の論争はあっても、大きな方向性はほぼ誰にとっても自明になっている。

     今日の状況にいたっては個々人の人生に「どう生きるべきか」の問題は運命としてでなく、ただの趣向の選択としての「どう生きるか」になった。社会の制約に翻弄され、束縛される個人の問題は消滅したと言ってもよく、あったとしてもそれはまさに「個人」的な問題であり、共有し共感できる文学のテーマにはなりにくくある。

     結果、現実とのコミットメントとしての文学は確かに昔と比べて発生しづらい環境になりつつあるのは間違い無いと思う。故に文学が極めて「個人」的問題を扱うか、あるいは単に不器用な生き方しかできない人間のドキュメントか、虚構を背景とするサブカルチャー化になるのはいわば必然の成り行きであるとも言える。

     それを踏まえて上で「サブカルチャー」化していく文学の現状と展望を批評することはそれなりに意味の有ることだと思う。しかし、筆者である大塚はその点における切り口がどうにも歯切れ悪い。「サブカルチャー文学論」と銘打ちながらも、実際には江藤淳を中心とするサブカルチャー批評をする批評家の批評だけに終わっている。そこには筆者の「サブカルチャー」論が欠如している。別な言い方をすればサブ「サブカルチャー」批評をしているだけであり、例えて言えば、料理を評論するのでなく、料理評論家の評論をすることで「料理を評論した」と主張するようなものである。だから大塚の「文学のサブカルチャー化」に対する意見は見えてこないばかりか、評論の対象とする人物も村上春樹、村上龍、山田詠美、大江健三郎などの一部に偏っていて、それで文学の「サブカルチャー」化を総覧するというのはかなり無理がある。

     単純に純文学が急速にその範囲と意味と意義を失いつつあり、従来の純文学を模して継続するならば、虚構をその根城にしなければならないということであろう。つまり、リアルな社会ではなく、文学のテーマが発生する似非地球社会を想像し、その中で文学らしきものを継続する。それはもはや純文学の定義からすれば、かなりその範疇に入れるのは難しく、むしろあらたな文学のジャンルとして認知する方がいいのだろう。実際にリアルな社会で生きるテーマを見いだせず、それでも「純文学」に浸りたいとする需要は世界中にあるだろう。村上春樹が世界で消費されている状況はその反映とも言える。

     社会全般が急速に都市化されて、養老孟司が言うところの「死が日常から駆逐」され、かつて暗闇であった部分も明るい光度0になり「鬼」が消滅されつつある。かつて伝統社会や国家が意味を押し付け、その対比・反射として個人の生きる意味を容易に見出すことのできた昔と違い、いまは対照的な生きる壁と足場を失い、無重力な空間の中で自ら生きる意味を探すのでなく、創りださなければならない。その足場を提供することが果たして「純文学」のテーマとなりうるかは分からない。宗教にその役割を求めるひともいるだろう。しかし、科学観の発達・浸透は従来の宗教からも意味を蒸発させつつあり、一般的な生きる意味の創造と役割を担うことは難しい。

     ただこのような困難な文学の状況の中で「文学」そのものの生きる苦悩を眺めるのは興味深いかもしれない。文学が自己言及的に「文学」を文学する有様は現代だからこその眺めでありテーマであると思う。

  • ちょっと長いなと感じた。村上春樹の分析など面白かったけど、一番おぉっと感心したのは、ビックリマンチョコとかけたある種の物の売り方でした。

  •  連載当時から評判が悪かった一冊。 確かに文学をサブカルチャーの領域に無理やり引っ張り込んで(サブカルチャーしか大塚は語れないので)、文学と戯れるのはいかがなものか。 が、中身は以外と面白い。 こんな解釈もあるのだなと変に納得する一冊。

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