戦時下日本の建築家: アート・キッチュ・ジャパネスク (朝日選書 530)

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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022596307

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  • 253夜

  • 1930年代、日本が着実にファッショ化していくなかで建築はいかなる相貌を見せたか。

    気になる点はふたつ。ひとつはモダニズム対老大家という図式があまり有効には見えないこと。ファッショ化直前の1920年代は長谷川尭が示したように大正建築の時代であり、モダニスト=昭和、老大家=明治と挟まれた時代とは明らかに異なる特徴がある。いわゆる「表現主義」的傾向である。そこで活躍した建築家が、概して、昭和に入ってしばらくしたのちモダニストの枠組のなかへ収まってしまったというのは事実であるが、そのあたりの丁寧な記述は欲しかった。ふたつは、とくに「帝冠様式」の第一章なのだが、論理展開が見えにくいこと。

    「帝冠様式」はファッショ化とナショナリズムの高揚から、体制側から建築家に押しつけられた設計手法である。このような通俗的認識に異議を差し込むという、構成自体はまさに井上っぽいものなのだが、ほかの著作を読んでいるときと異なるのは、どうも読んでいると混乱してしまうこと。おそらく、差し込んだ異議が明快なオチを含んでいないからか。じゃあ「帝冠様式」はなんで生まれたの?という起源への問いに答えるオチがイマイチなんじゃなかろうか。起源への問いというしばしば不毛である問いに対し、文献あさって整理して、見事に答えた『法隆寺への精神史』や『桂離宮神話の崩壊』のような明快さがない。ざっくりまとめると、ここでは井上は「様式史的な空白」が「帝冠様式」を生んだ、と言っている。

    でもこれは、抽象的な理論である。井上の文献・学説調査とは、仮定した抽象から帰結したであろう事実を引っぱってきて論証していくことを目的としているはずである。だから、ここから「観光資源としての自発的なエキゾチズムへの迎合」とか「たんなる老大家の保守的な趣味」とか「下田菊太郎の国会議事堂コンペの帝冠併合式のぶり返し」とか、具体的なレベルに話を落とすそぶりをくりかえし見せていくのだが、結局、落とさない。これらの事実を可能性として羅列して、終えてしまっている。やはりオチがない。異議申し立てだけで終わってしまっている感は拭えない。これだと、すこし卑怯に見えてしまうよ。

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著者プロフィール

建築史家、風俗史研究者。国際日本文化研究センター所長。1955年、京都市生まれ。京都大学工学部建築学科卒業、同大学院修士課程修了。『つくられた桂離宮神話』でサントリー学芸賞、『南蛮幻想』で芸術選奨文部大臣賞、『京都ぎらい』で新書大賞2016を受賞。著書に『霊柩車の誕生』『美人論』『日本人とキリスト教』『阪神タイガースの正体』『パンツが見える。』『日本の醜さについて』『大阪的』『プロレスまみれ』『ふんどしニッポン』など多数。

「2023年 『海の向こうでニッポンは』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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