市民の科学をめざして (朝日選書 617)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022597175

作品紹介・あらすじ

わたしたちにとって科学とは何か。「もうひとつのノーベル賞」ライト・ライブリフッド賞を受賞した著者が四半世紀にわたる反原発運動の経験を振り返り、新しい科学のあり方を提言する。

感想・レビュー・書評

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  •  この本の第一版が1999年のこと。そこから14年後に、日本がとんでもない状況になるとは誰も予想できなかったであろう。しかし、原発の危険性を考えるなら、その影響を予測することはある程度で来たはずである。この当時、高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩火災事故や東海村再生処理工場の火災爆発事故が起こっていた。原発の危険性に誰も接する機会があった。
     そして、14年後。福島原発の悲劇に、我々市民は立ちつくすしかなかった。政府は二転三転の会見を繰り返し、真実と誤報が飛び交う中、何が正しいか、間違っているかを判断でできない状況にあった。また、政府と東京電力と現場の連帯もスムーズに行かず、現場の対応が早急に行われなかったことも明らかになる。誰が原発を作ったのか、こんな現状になると反対の声が高くなる。原発を誘致したのは、アメリカの意向を受け、政治家の判断によるが、エネルギー計画を作成するのは官僚である。しかし、政治家を選ぶのは我々国民である。ただ、官僚が築き上げたシステムに政治家の入る余地がなく。官僚依存という形態になっているのは事実である。そこに市民の声は届かない。選挙で入れる一票が全く反映されないのが今の民主主義である。それならば、我々ができることは、市民が科学に対して知識や教養を持ち、行動していくのが正しい道ではないか。
     長くなったが、1999年に出されたこの本の著者、高木仁三郎は「市民の科学」を提唱した。高木氏は、日本の原子力事業に携わっていた。しかし、自らが市民として疑問を抱き、あるいは一般市民の質問を受けて立ち、科学者としての専門性を保持しつつ、問題に答えるような営みの必要性を感じた。「市民の科学」である。このような「市民」の科学には、市民社会が実際に直面する問題から出発し、その営みの成果も市民の評価によって問われることになるから、市民と科学の間には、たえず密接な相互作用が必要となる。

  • 「市民のための科学」とは何か。

    色々な面で、日本は遅れていると思った。
    もっと、国民が決定権を持てると良いと思う。プルトニウム利用についても含めて。

    筆者が開催している高木学校、とても興味があります。
    行ってみたい。

  • 高木仁三郎さんというと「大学を辞めた人」として私の中にはあった。

    高木さんの本はいくつか読んだことがあるけど、これは読んでなかった気がして図書館で借りてきた。原子力資料情報室のことや、プルトニウム政策のことが書かれていて、エネルギー計画、原子力計画がどうなってきたのか、私があまり知らずにいたことが、よくわかった。

    プルトニウムが、語源からして特権階級と結びついている、という指摘はおもしろかった。プルートー(地獄の王)から派生した言葉の一つが、プルトクラシー(plutocracy;金権政治)。Plutoが金にも金権にもつながっているというのは、人工の元素であり、元素の大量転換という錬金術師の夢を最初に実現した元素だというシーボーグの論ともあわせ、皮肉な偶然だと高木さんは書く。

    うしろのほうで、核兵器の解体・処分について、「核兵器は困るものの、核兵器のうちはまだ良かったというところがあります」と書いてあるところ、そうなんやと、あらためて「核」を処分していく難しさを思った。
    ▼つまり、高濃度の核物質が核兵器の外に出てきてしまうと、誰かがそれを持ち出して使うかもしれないという問題が出てきますし、環境上の問題も出てくる。いわばプルトニウムが解放されるわけで、これを何とかしなくてはならない。軍事的な高度な管理からの解放という意味ではウランも同じですが、一般にはプルトニウムの管理のほうが大変なのです。(p.161)

    私の物理の勉強は高校の理科Iレベルで終わっているので、込み入った話になるとついていけなくなる。もうちょっと物理を勉強したいなーと思った。

    ▼…「情報公開」とか「透明性」とかが、政府官僚によって合い言葉のように言われるようになった今日においても、巨大な壁が市民の前に立ちふさがっている。さらに、原子力情報は、開示された場合でも、市民にとってはあたかも暗号か呪文でしかないような数字や数式、専門用語に満ちていて、それ自体が市民にとっては高いところから抑圧的な形をとって下りてくる、という側面をもっている。この呪文を解きほぐし、市民の目の高さから見えるようにするのが大きな作業である。(p.52)

    前に読んだ『ヘラクレイトスの火』を、読みなおしたくなった。

  • 分類=原発・高木仁三郎。99年1月。

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著者プロフィール

理学博士。核科学専攻。原子力の研究所、東京大学原子核研究所助手、東京都立大学理学部助教授、マックス・プランク研究所研究員等を経て、1975年「原子力資料情報室」の設立に参加。1997年には、もうひとつのノーベル賞と呼ばれる「ライト・ライブリフッド賞」を受賞。原子力時代の末期症状による大事故の危険性と、放射性廃棄物がたれ流しになっていくことに対する危惧の念を最後のメッセージを記し、2000年10月8日に死去。

「2004年 『高木仁三郎著作集 全12巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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