- Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022597175
作品紹介・あらすじ
わたしたちにとって科学とは何か。「もうひとつのノーベル賞」ライト・ライブリフッド賞を受賞した著者が四半世紀にわたる反原発運動の経験を振り返り、新しい科学のあり方を提言する。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
「市民のための科学」とは何か。
色々な面で、日本は遅れていると思った。
もっと、国民が決定権を持てると良いと思う。プルトニウム利用についても含めて。
筆者が開催している高木学校、とても興味があります。
行ってみたい。 -
高木仁三郎さんというと「大学を辞めた人」として私の中にはあった。
高木さんの本はいくつか読んだことがあるけど、これは読んでなかった気がして図書館で借りてきた。原子力資料情報室のことや、プルトニウム政策のことが書かれていて、エネルギー計画、原子力計画がどうなってきたのか、私があまり知らずにいたことが、よくわかった。
プルトニウムが、語源からして特権階級と結びついている、という指摘はおもしろかった。プルートー(地獄の王)から派生した言葉の一つが、プルトクラシー(plutocracy;金権政治)。Plutoが金にも金権にもつながっているというのは、人工の元素であり、元素の大量転換という錬金術師の夢を最初に実現した元素だというシーボーグの論ともあわせ、皮肉な偶然だと高木さんは書く。
うしろのほうで、核兵器の解体・処分について、「核兵器は困るものの、核兵器のうちはまだ良かったというところがあります」と書いてあるところ、そうなんやと、あらためて「核」を処分していく難しさを思った。
▼つまり、高濃度の核物質が核兵器の外に出てきてしまうと、誰かがそれを持ち出して使うかもしれないという問題が出てきますし、環境上の問題も出てくる。いわばプルトニウムが解放されるわけで、これを何とかしなくてはならない。軍事的な高度な管理からの解放という意味ではウランも同じですが、一般にはプルトニウムの管理のほうが大変なのです。(p.161)
私の物理の勉強は高校の理科Iレベルで終わっているので、込み入った話になるとついていけなくなる。もうちょっと物理を勉強したいなーと思った。
▼…「情報公開」とか「透明性」とかが、政府官僚によって合い言葉のように言われるようになった今日においても、巨大な壁が市民の前に立ちふさがっている。さらに、原子力情報は、開示された場合でも、市民にとってはあたかも暗号か呪文でしかないような数字や数式、専門用語に満ちていて、それ自体が市民にとっては高いところから抑圧的な形をとって下りてくる、という側面をもっている。この呪文を解きほぐし、市民の目の高さから見えるようにするのが大きな作業である。(p.52)
前に読んだ『ヘラクレイトスの火』を、読みなおしたくなった。 -
分類=原発・高木仁三郎。99年1月。