森と人間 生態系の森、民話の森 (朝日選書 837)

  • 朝日新聞社
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022599377

作品紹介・あらすじ

日本の森の面積は国土面積の3分の2。けれども私たちは暮らしの中で森を身近に感じることは少ない。一方、環境保護の面では、森を守るためには人の手を加えずに保存しようという考え方が常識になりつつある。ヨーロッパでは森の風景に農業や人の住まいを積極的に取り込んでおり、経済と環境の相互利益になるよう、バランスを図りながら森を保護している。日本では森の面積は減少していないのに、森の多面的な働きは大幅に落ち込んでおり、さらに山村の過疎化や高齢化が森の危機に拍車をかけている。森が地球環境に役立つ働きを保っていくためには、どのような対策を講じ、また人はどのように森と関わっていったらよいのだろうか。ヨーロッパと日本の森の歴史と実態を比較しながら検証し、民話の中に人と森との交流をみつつ、森との真の共生を問う。

感想・レビュー・書評

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  • 資料番号:011024528
    請求記号:650.4タ

  • 技術論が中心かと思い手に取ったが、内容は、文化、風土を科学的裏付けとともに語る、というもの。科学的な記述が少なく、民話を紹介する紙幅が多い、という点が不満でもあったし、民話のくだりはほとんど読み飛ばしてしまった。しかしながら、ヨーロッパ、特にドイツ、との比較でデカルトの思想や志賀重昂の著述を紐解くあたりは奥の深さを感じた。


    p.46「いっぽう、日本の文明の中心は依然として照葉樹林帯にある。照葉樹林文化の複合という観点から農耕の起源を解き明かした中尾佐助は「照葉樹林は憂うつで悲しい」と表現した(上山、中公新書、1969)。照葉樹林の環境からは快活とか陽気とかという感じはとても出てこないというのである。これに比べて、ブナの森を見ると、春には新緑が萌え、地面には花が咲き乱れる。照葉樹のように葉が厚くないから、太陽の光は葉を通して森の中を明るくしている。」→ヨーロッパの落葉広葉樹林の森は明るく、それとの対比。それぞれの森を体験したい。

    p.51「人と森が共存するということは、自分と自分でないものとの相互の利益をしっかりと守ることである。天然林のように栄養循環を自力で行っているものは、生態系を乱さないように共存しなければならないし、人工林のように外から栄養を補給しているものは、土地の生産力を上回るような利益を求めてはならない。これが共存の出発点である。

    p53「さらに、森には強い復元力がある。雑木林をみると、春先に木を伐る。秋になると、根株から芽が出て、翌年には若木が成長をはじめる。十数年の後には元の雑木林を伐ることができる。天然林などは自らの生態系の中で栄養素を循環させている自給型であり、生物の中では際立って独立性が高い。」→個性的な木材が採れる天然林と画一的な木材が生産できる人工林の、そもそもの違いか(栗原、岩浪新書、1998)。→ふむふむ。

    p.102「雑木林の受難は現在も進行中である。木炭をはじめ薪の生産、落葉の肥料の役割が途絶え、落葉だけが林床にたまり、土に空気が入るのを妨げてしまった。しかも、木を伐っても芽かきをしないから、一つの根株から何本もの若木がひょろひょろと伸びている。それに追い討ちをかけたのが農村の過疎化であり、さらに雑木林を伐った跡地にスギ、ヒノキなどの人工林を作ったことが、雑木林の破壊に追い討ちをかけた。」→雑木林と人工林の違いがよく分かっていない人には、ちょっと難しい。

    p.134「北村昌美は著書『森林と文化ーシュヴァルツヴァルトの四季』で「森林は単に文化の根源という側面ばかりでなく、それ自体がまた文化的創造物としての側面を持つ」という名言を残した(北村、東洋経済新報社、1981)。この意味は森や木から生み出される文化を楽しんだり、保存したりするだけではなく、人は自然の一員となって森の中に溶け込み、森から受けるインパクトを地域の習慣、風俗、伝承に組み込むことによって、森を後ろ盾にした社会の総合的な文化が組み立てられるということではないかと思う。秋田スギの文化が衰退してしまった原因は、木を利用する文化は育ったが、地域社会の全体の文化との連携、とりわけ天然林のもつ文化を森の資源として十分に活用することができなかったからだろう。」→どのように実践すべきか、みんなで知恵を絞ろう。

    p.178「そこで思い出されるのは、ヨーロッパの森林観にはデカルトの思想が強く反映されているということである。北村昌美は「東洋の森・西洋の森」で、ヨーロッパにおける森林と人間の関係はどういうものであったか。これは(中略)デカルトの『人間によって支配されるものだ』という考え方に尽くされているように思います」と書いている(北村、講談社、1993)」

    p.196「その後、文学として森の風景論を論じたものはあるが、人と森との関係を真正面から取り上げたのは志賀重昂(志賀、岩波文庫、1937)と国木田独歩(国木田、東京民友社、1901)が最初で最後である。」→針葉樹派の志賀の日本風景論、広葉樹派の国木田の武蔵野。どちらも読んでみたい。

    p.240「落葉広葉樹林は明るい森である。四季によって若葉、紅葉の彩りが映え、そうした森の表情は人の心に郷愁を誘った。森の恵みも多種多様であり、春夏秋冬を問わず、人は積極的に森との交流を図ることができた。ブナ帯と照葉樹林帯を農業で比べてみると、耕作面積や収穫量などの面でブナ帯の農業は大きく遅れをとってしまったが、裏を返せば、農業の遅れは森の恵みに依存する割合が高かったことを意味するものである。ブナ帯に住む人は森との交流を軸に自然の循環システムをうまく利用し、その成果として文化を生み、それを育ててきたと言えるだろう。」

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