なぜ対馬は円く描かれたのか 国境と聖域の日本史 (朝日選書)

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  • 朝日新聞出版
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レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022599605

作品紹介・あらすじ

あるときは辺境に、あるときは東アジアの中心に日本と朝鮮双方で育まれた聖域=アジールの島。中世から近世へ、国家に繰り込まれる対馬を通してみる日本史の縮図。歴史学の気鋭が読み解く絵地図・景観・祝祭。辺境の島から読む新たな日本史。

感想・レビュー・書評

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  • 国境域としての対馬。隣接しあう文化の重なりあう周縁地域として奄美と共通するであろう対馬に興味をいだいた。また島主とし中世から君臨した宗氏が島津氏と同じ惟宗氏の出であることを初めて知った。奄美を支配した島津との関連性は直接にはなさろうだが、元々が渡来者の秦一族の惟宗氏。国を超えたあり方が興味深い。表題の「なぜ円く描かれたのか」の明確な答えが無いのが少々不満だが、対馬に興味を持たせるきっかけとしては、面白い本だ。

  • 何故、対馬の浅茅(あそう)湾が浅海湾とも呼ばれるのか知りたいのです。たぶん遠浅ということか、そういうことなんでしょうね。すみません。本書の内容とはまったく関係無いです。

  • (2009.12.19読了)
    少し前に「青嵐の譜」(天野純希著、集英社)を読みました。蒙古襲来をテーマにした小説です。また、日経新聞・朝刊で、「韃靼の馬」(辻原登著)が連載中です。1700年代の朝鮮通信使をテーマにした小説です。
    いずれも、対馬を経由して本州へとやってくることになります。
    この本を読めば、「青嵐の譜」や「韃靼の馬」の時代の対馬の様子が分かるのではないかと思って読んでみたのですが、著者の意図は全く別のところにありました。
    第一部は、1471年に朝鮮王朝で書かれた「海東諸国紀」という書物に収録されている対馬がなぜ丸く描かれたのか、ということ。「卒土浜」とは、どういう意味を持つ地名なのか、ということ。この2つのことが書いてあります。
    第二部では、天道信仰と赤米神事について書いてあります。
    民俗学に興味のある方には、お勧めの本です。それ以外には、あまりお勧めできません。

    27頁に「鎌倉時代の博多商人謝国明」と書いてあります。謝国明は、「青嵐の譜」の登場人物です。実在の人物だったのですね。

    ●蒙古襲来(82頁)
    13世紀後半、ユーラシア大陸にまたがる強大国モンゴル帝国は、その版図を広げるべく日本への侵攻を開始した。文永11年(1274年)と弘安4年(1281年)の二度にわたる元軍の対馬襲撃は、これを迎え撃った宗助国が佐須郡小茂田で戦死をとげるなど、当時の対馬に全滅にも等しい被害をもたらしたとも言われている。
    ●藪入(223頁)
    「初山」(正月16日)は、山の神を祭ってその年の豊穣を祈る「初山入り」の日であるとともに、山仕事を休む日でもあった。のちに正月16日は「藪入」とも呼ばれ、奉公人が主人から暇をもらって実家に休息に帰る開放日とされた。
    (2009年12月21日・記)

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著者プロフィール

1970年生まれ。金沢大学人間社会研究域学校教育系教授。専門は中近世日本文化史。
著書に『なぜ対馬は円く描かれたのか―国境と聖域の日本史』(朝日新聞出版、2009年)、『藤原鎌足、時空をかける―変身と再生の日本史』(吉川弘文館、2011年)、『天皇の美術史』3 乱世の王権と美術戦略(吉川弘文館、2017年、共著)などがある。

「2017年 『里山という物語 環境人文学の対話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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