紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム (朝日選書)

制作 : 木村剛久 
  • 朝日新聞出版
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レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022599728

作品紹介・あらすじ

神武天皇による建国から二千六百年とされた1940年、大日本帝国では万世一系をたたえるさまざまな記念行事がくり広げられた。帝国臣民は定時に宮城を遙拝し、皇国史を学び、愛国歌・作文の募集に応じ、聖地を訪れ、催事を見に出かけた。神社を拡張整備する勤労奉仕もいとわなかった。こうした大衆参加を促したのは国だけではない。新聞社や出版社、百貨店、鉄道会社などの民間企業も祝典をビジネスチャンスととらえていた。帝国全土にわたる消費と観光を支えたのは近代ナショナリズムである。

感想・レビュー・書評

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  • 原題:Imperial Japan at its zenith: the wartime celebration of the empire’s 2,600th anniversary, London, Cornell University Press, 2010
    著者:Kenneth James Ruoff

    【目次】
    関東写真・図〔1~22〕
    目次 [iii-vii]
    凡例 [viii]
    日本の読者に向けて(二〇一〇年十一月 ケネス・J・ルオフ) [ix-xiii]
    謝辞(ケネス・J・ルオフ) [005-011]

    序章 013
    本署の構成/皇室関連史跡に観光客が圧倒/植民地観光の促進海外日本人社会の経験/文書と映像による記録/近代日本の天皇崇拝/一九四〇年の日本をどうみるか/西洋世界秩序への挑戦/モダニティとは何か

    第1章 国史ブーム 055
    紀元二千六百年のタイムカプセル/少国民の誕生/教育関係の商業出版物/絵本で皇国史/聖地をめぐる争い/認定された二一の神武天皇聖蹟/学者と国史出版ブーム/三冊の人気国史/もちこまれた「混合民族論」/国史の操作

    第2章 大衆参加と大衆消費 099
    国民的結束の強化/定時の大衆儀礼/溥儀の訪日/勤労奉仕/天皇崇拝を補強/寄付と寄進/懸賞募集/新聞と記念行事/百貨店の催事/忠順な消費と反動的モダニズム

    第3章 聖蹟観光 137
    役所が観光に力/観光と紀元二千六百年/肇国の聖地、宮崎/神武天皇船出の地/作家も観光に一役/ガイドブックなどで大宣伝/国史の故郷、奈良/つくられた聖蹟/記念品に人気/聖蹟観光とは何だったのか

    第4章 朝鮮観光 171
    同化と差異のジレンマ/絵葉書が物語ること/交通手段の広がり/京城のバス観光/観光客の別の楽しみ/本物の朝鮮とは/植民地時代の朝鮮観光をどう理解するか

    第5章 満洲聖地観光 205
    皇軍慰問/正当化される日本の特殊権益/日本の勝利を強調/スペインの戦跡ツアー/特急「あじあ」で途中下車/新京のバス観光/満洲ならではの場所/帝国観光と近代日本

    第6章 海外日本人と祖国――海外同胞大会 231
    帝国外に二五〇万人/日本人移民の背景/ブラジルから満州へ/海外同胞大会の参加者/モデルとしての神武天皇/厳かな開会式/血統か文化か/二世の問題/アルゼンチンでの暮らし/日本魂を吹き込む/海外日本人にとっての紀元二千六百年/国をまたがる難しい状況/民族の壁と戸籍制度/破綻した間国民性

    結び 281
    米国の日系人問題/帝国日本の両義性/ゴム人形から国民へ/何をもって「建国」を祝うのか

    解説 昭和史の見直しを迫る(明治学院大学教授 原武史) [297-303]
    丸山眞男説への懐疑/「動かない」天皇と「動く」国民/宮脇俊三の視点

    注 [1-49]
    索引 [I-VIII]

  • 官民が渾然一体となって仕掛けた「ディスカバー・ジャパン」としての『紀元二千六百年』


    本書を読んで驚いたのは、“国威発揚”のイベントというものは、何かしらの当局がその思惑のもとに総動員を下すのではなく、いわば官と対極にある民がそこにすり寄って、補完・補強していくという構造だろう。

    オリンピックを想像すればそのことは用意だ。東京オリンピックといえば1960年のそれを『三丁目の夕陽』的に思い出せばそのメカニズムを容易に把握することが可能であろう。しかし、開催中止となった1940年にも東京オリンピックは開催の手はずだった。日中戦争の激化で開催を返上したと言われるが、その1940年こそ、“国威発揚”の節目となる『紀元二千六百年』でもあった。

    本書を読むと恐ろしいほどにその時代の空気を感じることができ、それが遠い世界でないことにも驚く。そして、1940年の空気には、翌年末に突入する太平洋戦争の息吹は全く感じることができない。

    いうまでもなく総力戦へむけての体制の準備は着々として進んでいる。しかし、庶民の生活はそれとは程遠い現実でもあったようだ。明るい側面や活気が見えるからだ。

    本書の副題は、「消費と観光のナショナリズム」。

    戦後の高度成長期に日本は「明治百年」を迎える。そこでブームになるものと、1940年のそれが同じ光景……すなわち、「消費と観光のナショナリズム」であったことはこれまた驚いてしまう。すなわち、国史ブーム、大衆参加と大量消費、朝鮮満洲観光。まさに1940年の日本は戦争など予期できないイベントと金儲けの時代であったということだ。そしてその「消費と観光のナショナリズム」が日本という国家を大衆レベルで実感・共有させていく翠点となっていく。決して過去とは思えぬ筋道なのである。

    さて、冒頭で言及した通り、百貨店、新聞社、出版社、レコード会社、鉄道会社などが盛んに記念行事を煽ったことは忘れてはいけないだろう。一体感を演出する記念イベントはビジネスチャンスであったということだ。広告と消費、そしてマスメディアと戦争の関りは丁寧に探究されるべき。過去を知ることが現在を映しだす。

    このところ喧しいのが官か民かという二元論だが、結局のところ、「儲け」の前に、経済性に軸を置く「民」の正常性は担保されないのは現実なのかもしれない。

    紀元2600年つーうのは、要するに官民が渾然一体となって仕掛けた「ディスカバー・ジャパン」なんだよね(´Д` )

  • 聖蹟観光、植民地観光というあまりスポットのあたらない分野を通して戦前~戦中の消費やナショナリズムに焦点をあてている。戦後世代としては神武天皇の名前を教育課程で教わった記憶が無かった為一種のカルチャーショックを感じた。

  • 紀元2600年と言われても、今の若い人達には、「2001年宇宙への旅」と、錯覚してしまいそうだが、紛れもなく、西暦に対して、こういう呼び方が、まかり通っていた時代があった。昨年の暮れ間近に、友人である訳者の木村剛久君から,戴いた本(ケネス・ルオフ著)を、改めて読み返してみた。著者は、「国民の天皇」=戦後日本の民主主義と天皇制を著しているが、戦争が激しくなる前に、空前の消費と朝鮮半島・満州国等への観光旅行が、巻き起こり、それらが、軍事的なロジスティックに、安全を裏打ちされたものであり、且つ、百貨店などの催し物とのリンクで、一大消費ブームと化した時代があった。後半の章で、取り上げられた「日本人」、とりわけ、「海外植民地に在住する日本人のアイデンティティー」に対する論述に、今日的な課題として、大変、興味を持った。ナチス・ドイツのようなゲルマン民族の血統を、重んじるのではなくて、飽くまでも、大和魂的なイデオロギーを、中核にしつつも、海外に移民した2世・3世の抱く、祖父母や曾祖父母の母国、日本に対する想いと、現実に住んで、生活を営んでいるその国に対するロイヤリティーとの「矛盾的狭間と相剋」は、戦後、今日に至るまで、どうやら、新しい創造的な概念を描ききれず、解決・止揚しきれていないように、思われる。むしろ、内向きに、萎縮してしまった感が強い。当時の大和魂や大和なでしこの概念に対して、現代の「中華思想」や、「海外華人ネットワーク」は、どうなのであろうか?そして、「日僑」と呼ばれる海外在住者の存在の増加や、経済グローバリズムの中で、その国に、土着を任務とせざるを得ない日本人は、どのような国家意識を、アイデンティティーを核に、有し、子供達に、伝えてゆくのであろうか?大変、興味深い課題だと思う。小松左京の「日本沈没」ではないが、日本人は、どこへ,漂流してゆくのであろうか?
    http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/

  • 日中戦争真っ只中の皇紀2600年(1940年)、戦時下の大日本帝国では、なぜか観光旅行ブームが最高潮を迎えていた。

    いわゆるファシズムには大衆の参加が不可欠であるところ、当時の大日本帝国にあっては、旅行を媒介にして、
    「日本の旅行者が利用した言説、象徴性、記念建造物は、当時の軍国主義・拡張主義的な政策をさらに支持するように仕組まれていた。国は余暇旅行を史跡に向けるよう仕向け、いまと同様に「人と同じもの」が欲しくなる消費者意識が当時の消費者にも働いていた。」(p169)
    という形で、当時の臣民はファシズムに、積極的にというか無邪気に加担していたのではないかといたというお話。

    神武天皇の史跡を公定する(できっこないのに)のに最もらしい理屈をひねり出す国史学の帝大教授は御用学者の極北。これはひどい。

    あと、植民地も観光旅行先として人気があったが、余りに「日本化」を推し進めてしまうと旅情が失われてしまうという身勝手極まりない話には、「帝国主義的旅行」の矛盾そのものが現れているようで面白かった。これもひどい話だが。

    立体的に読むために参照してみた本
    ・井上章一「夢と魅惑の全体主義」(文春新書)
    ・曽我誉旨生「時刻表世界史」(社会評論社)
    ・「満洲朝鮮復刻時刻表」(新潮社)

  •  常々、大衆というのは支配されたがるものなのではないかと感じていたので、ヒットラーやムッソリーニのようなカリスマの代わりに、日本では、神武天皇という神話上の天皇をヒーローに据え、それを商業主義が利用したことによる、いわゆる民衆によるファシズムという見方が新鮮でした。

     中国や朝鮮半島からの非難にはヒステリックに反応してしまう日本人ですが、歴史と伝統と資本主義によって、自分たちが自分たちを抑圧したという視点は、検証してみる必要があるのではないでしょうか。

  • 山口新聞2011.02.13書評欄。

    暗澹たる時代ではあったがけっこうたくましくビジネスチャンスとしてイベントを利用していたというようなことが書かれてあるらしい。
    そういえば「紀元は二千六百年っ!!」ていうような歌詞をなんとなく知っていたりします。
    名前からすると外国人ですね?そういう人がこのテーマで書いていることにも興味をひかれる。

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