街道をゆく (1) (朝日文芸文庫)

著者 :
  • 朝日新聞社
3.58
  • (24)
  • (25)
  • (58)
  • (4)
  • (2)
本棚登録 : 381
レビュー : 35
  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022601711

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • ・現実を頭ごなしに否定してしまえば、評論というものは実に鋭利になる。

    ・徳川慶喜には、官軍に勝る艦隊とフランス式幕府歩兵と箱根の天嶮があった。しかし、薩長士が京の王をかついだため、水戸史観から賊軍となるのを恐れた。その為、勝は幕府の武力を散らさねばならなかった。

  • 少し前に読んだオランダ・アイルランド紀行が面白かったこともあり、大量に借りてきました。暫く司馬遼漬けかな。
    ともかくやはりこのお方の本領は紀行文にあると再確認。豊富な知識が土地そのものと密接に結びついていて、過去の記憶を喚起してくれます。しかも単なるノスタルジーでもなく、傍観でもなく、おそらくは為政者に対する隠された怒りが込められて。
    また改めて感じたのは、建材が木造が多いと言っても確かに日本は過去を忘却し過ぎてるかもしれない。でもそれがイシグロが指摘するところの何かの代償なのかも。
    いずれにせよちょっと旅したい気分になってくるのは否定しようもなく。

  • ブラタモリみたい!(笑)
    司馬さんとおしゃべりしながら旅してるようで、とても楽しい一冊でした。

  • 積本中のシリーズ本の昇華第3弾は、司馬紀行文「街道をゆく」シリーズひと桁巻と決定。

     第1巻の叙述地域は、
     ① 近江の湖西地域、
     ② 大和の竹内街道、
     ③ 武蔵・相模の甲州街道、
     ④ 大和の葛城、
     ⑤ 長州街道。

     確かに、地図を参照しながら読んだ方が良い感じか。また、著者らしいのは、土地や人々との会話からインスパイアされる時代が、古代・中世・戦国・幕末と全く縦横無尽であることに加え、その視野が各地域間交流、朝鮮半島を代表とする東アジア間交流にズームアップされている点だろう。

     1978年(週刊朝日初出は1971年)刊行。

  • 新たな発見

    ・朽木谷の歴史
    ・一言主神社

  • 「甲州街道」の章だけ読了。

    なんでも、八王子のほうに住んでおられる徳川慶喜研究家(といってもそれは偉大なる趣味であって、生業は履き物屋さん)の女性に会いに行く旅だったようで、慶喜のことが旅の主な話題のひとつ。
    その前段として、「関東地方の歴史」と言えるようなものがざっくり語られ、個人的にはそちらが面白かった。

    大阪生まれの司馬さん、江戸には愛も親しみもないんだな…ということがそこはかとなく感じ取れます(笑)。
    江戸っ子や江戸文化についても、「魅力的だよねー、ぼくなんかもう降参」って、一応言葉の上では敬意を表してくれているけど、棒読みに聞こえるのは私だけだろうか…。「東京なんてよく知らずに田舎だと思っていた」ともはっきり言っているし。

    20世紀の東京生まれの私は、つい最近まで東京(それも23区)が世界(※ま、これは誇張ね)の中心だと信じて疑わなかったものだが、確かに古くは関東のほうこそ田舎だったんだなあと、それは改めて少しずつ学んできたつもりでした。
    が、この度、東京の中でも始めに栄えたのは八王子だったと知ってまたもや仰天。23区なんて成り上がりもいいところだなあ。

    まあそもそも、都会だから偉いとか古いから偉いとか、そういうことではないのですが。ただ、そういうすさまじい変化の先っぽにあるのが今の東京だということを思うと、今見えている姿の儚さ脆さみたいなことも考えてしまいます。


    以下、関東の歴史部分だけ備忘メモ。
    ・太田道灌、足利義政と同時代人。後土御門天皇に拝謁したとき、坂東とはどんなところかと聞かれて詠んだ歌が、
    「露おかぬ方もありけり 夕立の空より広き武蔵野の原」
    夕立が降っても雨粒のないところもある、それくらい広いんですよ武蔵野の原は!という意味。これは15世紀半ばごろの話。

    ・11世紀はじめの『更級日記』で描かれるあづまはこんな感じ。
    背の高い葦や萩が生い茂っていて、たまにすれ違う「馬に騎りて弓持たる」人も、振り向けば草のなかに消えてしまうぐあいだ。

    ・広大な関東平野だが、丈なす草ぐさが生えるばかりで、農耕が盛んだったのは多摩川流域の八王子付近だったようだ。府中や国分寺といった地名が、律令制での中心地であったことを表している。
    (そうだよなー!まんまの名前なのに今まで気づかなかった…)

    ・7世紀半ば、朝鮮半島では騎馬民族である高句麗が勢力を増し、任那や百済を圧迫。大和政権も百済に援軍を送るが敗退し、多くの百済人が倭に流入する。近江や東国に何人やってきたという記録が残っている。

    ・この百済人流入によって、騎馬文化が関東に根付いたと考えられる。百済は長きにわたる対高句麗戦で騎射には習熟していただろう。関西ではもともと騎馬はいまいちだそうだ。また、灌漑技術なども含めて農耕文化も大いにもたらされた。こうして開墾地主が生まれ、荘園制度と絡んで、坂東武士団が誕生する。らしい。

    ・戦国時代、関八州は小田原北条氏の勢力圏であった。とはいえ北条系列の豪族たちが小城を築き、越後の上杉や甲府の武田との小いくさを繰り返していて、この広い版図を平定したといえるような英雄はついぞ現れなかった。北条さんにしても、あんな西の端で箱根の山にへばりついて、へっぴり腰で関東経営していただけである。
    (まあそうなのかもしれないけど、司馬さん、やっぱり関東お嫌いなんですね…(苦笑))

    ・その関東平野を、秀吉が家康に差し上げた。そして、首府は江戸がよいと助言した。そのころ(1590年に家康は江戸入り)の江戸は寂しい漁村で、太田道灌の作った小城があったがこれも、質朴で知られた三河衆ですら驚くほどの粗末な建物だったらしい。
    北条の落武者たちは、当時の都会だった八王子のほうへ集まっていく。家康は彼らを「八王子千人同心」として召し抱え、甲斐や相模に抜ける小仏峠の防衛にあたらせた。

    ・幕末には、甲州街道ぞいの農民から新撰組が生まれた。全盛期には京都で大いに活躍するも、最後、政局を丸く収めるうえでは厄介者となり、勝海舟の知恵で甲府へ送られる。そこで死ねと言っているようなものである。
    近藤勇には、どうせ行ってもダメだという気持ちが半ばあったのかもしれない。甲州街道を甲府へ向かって進む間、およそ戦闘行軍らしい行軍をせず、故郷の村むらで毎夜のように歓待され酒宴に興じた。

  • 2012.8.15 読了

  • 20141019

  • 14/6/8読了

  • 国内外を街道という視点でとらえた紀行集。必ず夢中になります。 
    熊本学園大学:商学部(分野 金融) 教員 安田嘉明

全35件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

司馬遼太郎は、1923年、大阪市生まれの日本の歴史小説家・エッセイストである。故人。
本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
特に歴史小説の大家として知られ、代表作は「竜馬がゆく」「坂の上の雲」「翔ぶが如く」「燃えよ剣」「新撰組血風録」「菜の花の沖」「花神」「世に棲む日日」「梟の城」「関が原」「功名が辻」「国盗り物語」「街道をゆく」「十一番目の志士」「城をとる話」「風神の門」「二十一世紀に生きる君たちへ」他多数。その多くが大河ドラマ化、テレビドラマ化、映画化、コミック化などの形でマルチメディア展開されている。

司馬遼太郎は産経新聞社記者として在職中の1960年に、『梟の城』で直木賞を受賞。
1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。
戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。
1996年2月に72歳で逝去。
2001年には、東大阪市の自宅隣に司馬遼太郎記念館が開館。

街道をゆく (1) (朝日文芸文庫)のその他の作品

司馬遼太郎の作品

街道をゆく (1) (朝日文芸文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする