街道をゆく (3) (朝日文芸文庫)

著者 :
  • 朝日新聞社
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レビュー : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022601735

感想・レビュー・書評

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  • やはりこの作家、薩摩とかを書き出すとその想いが迸るようですなぁ。明らかに陸奥、河内とノリが違うように感じるのは気のせい?
    それにしても稲作に日本社会の本質を見い出すのは、この作家の慧眼と言うべきか。それこそ濃厚に、怨念的にその想いを土地の記憶・歴史に結びつけておられるかと。

  • 1978年刊(週刊朝日初出1972年)。
     第3巻は、
     ① 陸奥・八戸久慈街道、
     ② 肥前熊本・田原坂、薩摩・八代、人吉から鹿児島。
     ③ 南河内
    を叙述。

     所々に伺えるトリビアは流石。
     例えば久慈市が津軽氏(大浦氏)の発祥地、西行の終焉地が南河内弘川寺、廃藩置県において官軍側は県庁所在地と県名が同一だが、佐幕派は違う等々。
     あるいは彦根藩が近江牛肉を将軍へ献上、天領の年貢率が総じて低い。
     近世期なのに薩摩藩では一向宗弾圧も、それに相当するか。

     しかし、一番驚いたのは、終戦時まで薩摩蒲生郷(かもごう?)に近世的なサムライ結社が温存されてきた点。タイムカプセルか。

     もっとも残念な点もある。紀行文で重要な「食」の蘊蓄が皆無の点た。稲作不適地の南部藩にて肉食解禁、牧畜を主産業とする英断が成されたらという、ある種どうでもよい仮説に思考を巡らせる著者には詮無いのだろうが…。

  • 2012.8.17 読了

  • 陸奥・肥薩・河内のみち

  • 「肥薩の道」旅に行ったあとに読むと情景が目に浮かぶ箇所があります。西南戦争の時、なぜ薩摩郡が熊本城を無視しなかったのか、司馬遼太郎先生によると関ヶ原以来、薩摩にとって熊本城は中央政権の最前線であり、300年間薩摩を抑えこんでいた砦であると、戦略的にどうかという評価はあるにしても、薩軍にとって熊本城を攻略することが重要だったとのこと。

    ところで、電子版ではバラ売りしないのかな・・・
    http://publications.asahi.com/kaidou/03/index.shtml#kaidou02

  • 14/6/22読了

  • 高山彦九郎だったんだね

  • 小南部藩といわれる青森県八戸、熊襲の国・肥後の日吉盆地、そして薩摩隼人の鹿児島と日本らしさを感じさせる3つの辺境を訪ねます。そして「(関が原の時代から幕末の)薩摩」と「(現代の)鹿児島」のギャップの大きさを指摘する著者は寂しさを感じているのでしょうか。そして司馬遼自身の出身地、河内。河内の近年のイメージと異なり楠正成を出した本来非常に文化的な土地として日本人の誇りの場所だったと強調する著者の情熱が面白かったです。PL教団と富田林の関係についても公平に記述しています。

  • 肥薩のみちで肥後と薩摩の特殊性が面白かった。そして西南の役で、薩摩の反骨精神が失われたというのも興味ふかい。
    ヤマト政権初期にも抗った隼人の伝統も、廃藩置県によって途絶えたような気がした。
    陸奥と河内は微妙だった。

  • 八戸駅にて本書の一部を引用したポスターを見て感動

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