- Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022601834
感想・レビュー・書評
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古代両島は鹿卜の占人を出すことになっていた。残念ながら鉄器や甲骨は発掘されたが文字が無く詳細不明だが万葉集十五巻に遣新羅使一同の歌がある。対馬(府中)藩は米が穫れず、釜山との管理貿易で利を得るという変則的藩。江戸時代初期、『海遊記』申某の尊大な態度で朝鮮通信使を迎える格式について新井白石は簡素化を図り、対立した雨森芳州は忘れられた存在となった。壱岐は平戸藩に属し米の産地で孤立農地が多いため「触れ」という独自の単位で統治され、数年毎に耕作地を交代する土地公有制。朝鮮に友情のある著者でも対馬領土主張には不快感
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★3.5。
農耕という観点からの日本社会の考察というのは色んな人がやっているんでしょうが、漁業と対比しての考察というのは少なくとも勉の足りない当方からすると結構新鮮で面白かったです。
でも紀州・泉南地域の敬語の欠落ってそうなんですかねぇ、いまいちピンと来なかったけれども、昔の社会が消失してしまったということやもしれず、この意味で都市化・グローバル化というのは画一化と同義という議論も成り立ちうるんでしょうな。 -
「対馬は朝鮮領だと李大統領はいっている」まわりの者はみな大声をあげて笑った・・・しかし、彼らは当時のアメリカの国務長官に対馬の領有権を主張したのである。この申し入れに対しては国務長官は対馬は「きわめて長期的にわたり日本の領土であった」(会談メモ)と簡潔に答え問題を終了している(P152参照)かっての対馬十万石の地が朝鮮領であるなどとは思ってもいなかった・・・その声明が憎むべき日本に対する隣国のブラック・ユーモアだと思っていた(P144参照)
この両国の意識のヅレは恐ろしいものがある。竹島を韓国に譲れといった山本太郎議員は、対馬も同じように考えているのだろうか、国会では一人牛歩で目立っていたがあの姿が国益に利するというのだろうか、はなはだ疑問である。 -
韓国からかえってきたところだったので、対岸の対馬についても思うところがあった。
古朝鮮王、麻立干についての考察、ハンだったのではないかには脱帽。そうなのかもしれない。
やはり朝鮮ももともとは北アジアの範囲なのだ。 -
14/12/28読了 20/4/28再読
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朝鮮との接点に位置する壱岐・対馬は、異文化交流の文物や建物が残されているのではと期待しました。しかしながら、例えば対馬などは島の大半が山林に覆われ、田畑無く、道なく、貧しい漁村でした。交流も朝鮮の人が来たというより、釜山の倭館に出向いたようです。遺跡も乏しく、司馬さんの筆を持ってしても感興が湧きませんでした。
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対馬の予習。