ものの見方について (朝日文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022604378

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  • 20170526
    戦後間もない昭和25年夏の初版。時代背景を加味しても掛け値無しに現代に通じる普遍性がある。何よりその国際性に対する柔軟な態度が爽やかで心楽しい。自分がイギリスに1年、内、約2か月ドイツに住んで出会った人々、起きた出来事の一つ一つを思うと、滑稽な程に文化背景と国民性から逃れられていないことに思い至る。鮮やかなる集団としての個性。それに比べ、日本人は何か。特徴がないことが特徴とは如何にも寂しい。話し合うデモクラシーの英国に、果たし合うデモクラシーのフランス、文句言うデモクラシーのスイスに対し、日本は一体何か?

    ー自分の「考え」を持っていないということは、この考えを作りあげるための「考え方」を持っていないということである。

    ーイギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そして、スペイン人は、走ってしまった後で考える。

    ー(イギリス)一人の優秀といわれる頭脳が考え出した知識ではなく、二十人の平凡な頭脳が寄り合って考えたものである。(中略)現在お互いの頭の中にある疑いのない知識をもち寄って来て、そのなかから僅かに一歩だけ高い知識を作ってゆく。それなら安心してこの知識に寄りかかってゆける。

    ー平生の観察はやはりできるだけ多面的で、できるだけ細かいのでなければ、役に立たない(中略)悪い面を指摘しながら、同時にその良い面を見てやるゆとりが出てくるわけであって、いわゆる「寛容・トレランス」の精神がそこから出てくる可能性がある。

    ー考えにプロポーションがとれているということは、(中略)要するに多面性を見せている社会の現実を、あまり理屈でひねくらず、経験的に、素直に見てゆく、従っていろいろの現象をその重みに従って秤量しているということであろう。

    ーMay we suggest to you that you may perhaps wish to do such and such a thing?(中略)といった廻りくどい表現は、どんな場合にも、事柄は各個人のそれぞれの意志が結局において決定するものだという「自由」の形式を厳格に守ったものだと見てよいだろう。

    ー考えを作るのにつねに見落としをやらないという態度が必要で、それにはまた不断の観察、つねなる勉強と努力をもってしなければならない

    ー(ドイツ)「天国への入り口」と「天国に関する講演会への入り口」があると、ドイツ人は全員が第二の門に殺到する。

    ー理屈が整然として筋が通っていることと、その理屈が細かく、そして分量が多いということで、論争の相手を参らせることは容易である。「なるほどお前のいうことはローギッシュだ!」ということで、たいがいの議論はお終いになる。

    ー観念が現実よりも先に立ち、その観念が論理的一元性を要求するということから、ドイツ国民の思想的な傾向に(中略)一つのまとまった思想なりドクトリンなりが出来ると、それはだんだん大きな幅をとり、全国民的なものに拡がってゆかねば承知しないようなところが出てくる。(中略)いつかは一つの思想体系が、他の思想体系を排除しながら、全ドイツを覆うてしまおうとする

    ー「ドイツ人は組織的だとは言えない、組織されうるものとしか言えない」(ラテナウ)

    ーイデーと大衆の組合せ、これがドイツ人にとって何より大切な謂わゆる「秩序」であって、この「ドイツの秩序・ドイチェ・オードヌング」によって、ドイツの大衆は自由と安心とを得て生きているようなところがある。

    ードイツの「全体」とか「社会」とかいうものが、観念から来ている合理性をもったものとすれば、日本にある「全体」はかなり素朴な集団意識で、まだ合理性の網で濾過されていないと言えそうである。日本の「全体」は、いわば個人のない集団で、それを「一致団結」と呼んでいる。

    ー絵画と音楽の例え。色彩のフランスに対して、色のない現実!のドイツ

    ー(フランス)一つの思想だけが圧倒的であることを許さず、どこまでも競り合いをつづけ、非妥協的である。

    ー「フランス人は左に心臓をもち、右に財布をもつ」(アンドレ・ジークフリード)

    ー(日本)日本の伝統は、実際に流れている生活に即して発展していない場合が多い。(中略)ことに、戦後の今の状況についていうかぎり、日本は伝統主義の国といえるどころか、むしろ非伝統的といえる面が強調される

    ー外から流入するものが、こういった調子で受け入れられてきたということは、やはりこれを取捨選択し、濾過して、自分のものに消化させてゆくための、自分の思考形式がないか、あるいはそれが非常に弱かったということになりはすまいか。

    ー法律は法律だか、実際はこうだというわけで、情状の方が大手を振って通りかねない日本では、人間に対するあまり当てにならない信頼関係を当てにしているようなもので(中略)その場その場によって現われ方が違い、その解釈には主観的な要素が入り込まないではすまないし、客観的な基準というわけにはゆかなかった。したがって、この道義は、おそらく強いものには有利に、弱いものには不利に作用したに相違ない。

    ー個人や家庭の経済生活にはじまり、企業の活動ぶりを経て、国民経済の全体にひろがっている合理性の欠如、言いかえると「経済」というものに対する近代的な「感覚」を欠いている(中略)何よりも、なんという規律のない執務状態であろうか。訪問や会談の、なんと冗漫で、秩序がなく、時間を食うことであろうか

    ー「近代の日本は、国家の偉大を教育の最大目的とする事例を、どこの国よりも明瞭に示している。(中略)神道は、ちょうど聖書の創世紀とおなじように疑わしい歴史を内容としているものであるが、大学の教授ですら、これには疑問をさしはさんではならない。(中略)国家主義、親孝行、天皇崇拝などは、決して疑いをさしはさんではいけないものであり、したがって、多くの進歩がむつかしくなる。(中略)こうした強力な国家と教育のワクのなかに住んでいると、井戸の中の蛙ではないが、自分が一体どんなところに居るのか、その位置すらが、わからなくなる

    ー自主性を失わずに自分を豊富にするには、自分の調理法をもつことが、必要である。これを調理し、摂取し、消化させ、新しいエネルギーに変えることができれば、自分の力は拡充する。そうでなかったら、模倣はできようが、創造はできない。(中略)いつも相手によって動き、結局は相手に振り廻されているようなところがあるのは、やはり自主性を欠いているということではあるまいか。

    ー「私の哲学は四つの異なる科学、すなわち物理学と生理学と心理学と数学的論理学との総合から生まれた」(バートランド・ラッセル)

    ー科学について重要なことは、科学はそれぞれ独立のもので、一つの科学と他の科学との間には、原則的に橋渡しができないということである。(中略)「真実」をつかむには、(中略)自分の頭で綜合する。

    ーこの最後に判断する人間は、(中略)多分に不合理性をもった、しかし統一のある不可分の人格である。その人間が、この主体が、最後的には判断の責任をとるより外に方法はないのである。

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