読書家の新技術 (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞社
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レビュー : 22
  • Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022604699

作品紹介・あらすじ

わけ知り顔のオトナの現実主義ばかりが巾をきかす現代をいかに主体的に生き抜くか。自称知識人やえせインテリがうそぶく怪しげな論理と俗物教養主義にだまされない"知的武装"の方法は。若き評論家が、古典の読み方、探書手帳の作り方、書評の読み方、ブックガイドなど読書のノウハウを具体的に示し、知的「生活者」に贈る異色の読書論。

感想・レビュー・書評

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  • 呉智英の読書論であり、教養論でもあります。

    とくに、谷沢永一や山本七平の『論語』解釈と、その背景にある「俗流教養主義」を批判する「読書論を読書論する」の章がおもしろく読めました。

    谷沢や山本は、伝統的な教養主義が崩壊し、進歩的知識人や共産主義の虚妄が明らかになった現状を踏まえた上で、新しい時代の教養のあり方を論じていると、著者は言います。彼らが示そうとしたのは、従来の教養主義や進歩派的知識人が念頭に置いていた「青年の読書」に対して、「大人」であり「生産者」である「社会人の読書」でした。しかし、そこで彼らが想定している「大人」「生産者」「社会人」とは、「ビジネスマンという尊称で語られるサラリーマンのことにすぎない」と著者は指摘します。その上で、そうした想定は大衆社会の外の論理や近代以外の論理をまったく視野の外に置き去りにしてしまっており、人間を町人(ブルジョア)哲学によって刈り込むことになると著者は批判します。谷沢や山本の『論語』解釈は、孔子の理想主義者ないし革命者としての側面や、呪的世界に生きる古代人としての側面をまったく見ようとしていないというのが、著者の批判の骨子です。

    本書は、近代的教養がどのような形で崩壊し、新しい知の世界がどのようなものになるのかを見渡すための読書というものがありうることを示す試みでもあります。読書は、近代の地平から頭一つ抜け出た知性を獲得する営みと言えるのかもしれません。

    第2部以下は、本の読み方・探し方など、具体的なノウハウも解説されていますが、こちらはやや古びてしまった感もあります。

  • 大学生の頃、本棚の手許に近い位置に常に置いていました。当時の専攻分野(心理学)などそっちのけで、この本に取り上げられた本を読んで教養(?)を身につけようとしていたものでした。『バカのための読書術』の著者もこの本の読者だったようで、この本を評価しつつ批判を加えています。

  • あくまでも、自分の能力・要求に即す。自分用であることを忘れない。
    本の要約版を作るのではなく(必要があれば再読すればよい)“地図”を作る。
    特に自分が関心があることを中心にカードを取る


    1.本の基礎データ
    書名、著者名、出版社、価格、出版年月日、ISBN
    本の所在、読書期間、本の読み方(流し読み、部分読み、通読、精読)、評価
    2.本全体、あるいは各章ごとの概要
    詳しすぎることは無意味
    必要そうなら詳しく、不要そうなら省略
    ある章だけが重要ならそこだけ拾ってもよい
    3.個人的な知識・ターム
    覚えておきたい事(本全体の主張と関係なくともよい) + キーワードで興味のあるもの
    短い説明とページを記入
    4.自分の見解
    読後感・意見・反論・補足など書きたいと思ったこと

  • 知の戦士、知的ゲリラになって、世の中のウソを見破ろうと試みであり、そのための方法論。また、現在の民主主義が、民主、人権をあまりに恣意的に用いているとして、批判し、「封建主義」を唱えている。そして、そのでたらめに使われている言葉を正していくことを使命としている。

    大学教養という風にいわれることから、教養とは社会の中心にある考えであり、社会を正しく把握、変革するものである。

    書評の構造
    導入:
    その本の意義、位置、概略など最初の10行ほど

    本論:
    その本の紹介文章全体の8割を占める主要部分

    締めくくり:
    その本を主にどのような読者に推す、著者は次にどのような本を書くべきだ。少し批判めいて、この部分が不足しているのが惜しまれる、新しい発見、類書とは違う点を探るなど。

    書評は導入で読むべきかどうかが分かる。

    『やちまた』の書評の例

    一般書と専門学術書の違いは、論証の精密の違いだけ
    どの部分まで知りたいか、一次文献が必要なのかなどで考えて読む。
    ex埴輪の材料やの測定基準のようなものまで知らなくても、その意義や歴史を知りたいなら、一般書でも同じ。

    本には様々な種類があり、大体、①「基礎文献・原典」②研究書・教養書・入門書 ①を前提としつつ、教養人に書かれたもの。③①、②に入らないもの。と分けて考える。

    速読は基本的に多く読むことで分かってくる(500冊くらい)
    導入や結論は慎重に読んで、あとの説明部分はキーワードを追いかけながら読んでいく。

    本の中には、原典のキャッチボールをしているものも多く、原典に当たることが結果的に速読になることもある。ただし、外国語で書かれているものは読むことが早ければ良いが、そうでなければ日本の翻訳本を使うと良い。日本は翻訳大国で良書が多い。岩波文庫など
    ただし、誤訳や異文化齟齬による訳が直訳過ぎて意味が取りにくいものもあり、似非知識人の原著のキャッチボール本に気をつけながら、入門書や概略書をノートに取ったり、何冊か読んだ方が早いこともある。ネタ本を水増しした本が多いからだ。また、翻訳本は早く、キーワードに目を移す読み方が理解を深める。

    また専門用語に関しては、考えても分からないから、すぐに辞書を引いて調べる。感性=外界からの刺激を受けとめる感覚的能力 触発さるものを受けとめて悟性に認識の材料を与える能力 悟性=受動的理解(英語だとunderstanding) 理性=能動的に理解を進めていくことの精神作用(カント哲学)

    古文や漢籍を読むには、短くて、時代が比較的新しく、注釈や解説がしっかりとしたものを読むことで自信をつけながら読んでいくことが近道。現代で考えたらどうか?言葉を変えてみたらどうか?など、思考の材料にする。

    聖書を読むときも、歴史を見ながら(節目節目を見る)、その歴史の中の現象や行為をいくつかに分けて(exイエスであれば、①慈愛に満ちた普遍的人間②革命家③復讐者と分けてみる)

    この読み方はまっとうな読み方(本質、核を掴むようにして読む)であり、文章を抽象化して、捉えて、文章(具体)を体系的に捉えていく。

    また、このように見ていくと、西洋思想の枠組みが見えてくる。
    マルクス主義=被抑圧者(労働者=ユダヤの民)と抑圧者(資本家=エジプト人)の対立を経て、今まで抑圧されてきたがゆえに、革命家の指導によって普遍的人間性を実現していく。しかし、一方で、このことは、スターリンによる粛清やカンボジアの大虐殺のような形をとりがちになる。ファシズムは抑圧者をユダヤ人に見立てて行ったとも言える。ベトナム戦争も共産主義という邪教がはびこっていると考えれば同じ構造である。

    人類の終末を意味する核戦争をやめようとしなのは終末戦争(アルマゲドン)を描いた黙示録と同じ構造をを持っているからである。

    このことはD・Hロレンス(チャタレー夫人の恋人の作者)も「現代人は愛しうるか」で述べている。吉本隆明の「マチウ書式論」(マタイ福音書式論)でも似たことが書かれている。ただし、吉本は文章が下手で、論理も不明瞭。

    上記こそ真っ当な読み方(文章(具体)→内容の大きな枠組み(理解)→それの定義、意味付け(加工)→西洋の思考(抽象))である。ただし、現実には、なかなか読みにくい。そこで、このような読み方ではない、興味を抱ける読み方をすることを経て、真っ当にいくのも良い読み方だろう。ex イエスの家系図は、イエスではなく、養父のヨセフの家系図で、実際は「ヨセフの妻の連れ子のイエス」の家系図になる。また、イエスに兄弟はいたことになっており(また、イエスが生まれるまで、となっている)、ヨセフはマリアと性交を行っている。また、説法のシーンで、母と兄弟が話しかけてきたのに、私の兄弟、母はすべての人々ですと述べている。このような面白い読み方もできる。人間性や滑稽さを見出すのだ。論語にも見られる。(古典などの読みにくいと敬遠されがちなものを読む技術でもある。)思想や宗教がある人には喜びになり、ある人には苦痛になり、神聖劇は茶番劇にもなりうることを示し、まことに不可解なものだということを示すことになる。


    読書カード(論文作成をする際に今でも使われることが多い)を勧めており、本の内容を探るときの地図として用いるものとして、①本についての基本データ②本全体、各章ごとの概要③個別的な知識・ターム④自分の見解 そのまま書くより、自分に役に立つのかだけを考えて、書くことが原則。

    使える図書館として、①国会図書館(著者はここに通いつめて、読書カードを作って知識人、評論家への道を歩みだした)②大宅壮一文庫③現代マンガ図書館。古本は売るようにして、整理。

  • 初出から25年隔てて読んでみると、さすがに隔世の感が否めない。呉氏の読書論だけに何か突飛なことでも書いてあるんじゃないかと思いきや、けっこう真面目に「図書カードの作り方」や「図書目録の利用」について書いていて、読書論としてけっこう“律儀な”内容だったりする。IT導入前の書物との接し方を記憶にとどめておくためのノスタルジックな一冊。

  • はっきりいってBOOKLOGに登録する理由はこれを読んだから。
    やっぱりいっぱい本を読みたいものだ。

  • 呉智英氏の読書論です。
    氏の読書カードの方法を自分なりにアレンジしてカードを作っています。面白いことを忘れないように書き留めておくという意味もありますが、「書く」ということによって本の内容を整理して理解できるという面もありますし、書く練習にもなります。ただし、非常に面倒ですが。(苦笑) とは言え、「考える」という行為にとって「書く」という行為は重要だと思います。

  • 第1部 知の篇
    "足"や"調査"や"取材"で本質そのものをえぐることはできない。事実と事実の二つは別のことなのであれば、事実を集積すれば事実に至るという事実主義は虚構なのである。(p28)
    知識人、三つの分類ー専門家・教養人・変革者(p30)

    第2部 技術篇
    書評はまず「導入」に注目。「導入」その本の意義・位置・概略などで、最初の10行ほど。「本論」その本の内容の紹介。文書全体の8割ほどを占める主要部分。「しめくくり」その本を特にどういう読者に推す、とか、筆者は次にどういう本を書くべきだ、とか、あるいは少し批判めいて、これこれについての論及が不足しているのが惜しまれるとか、というもの。
    本を読む速度(p130)
    キーワードやターム(専門用語)には、意味が凝縮され、それ以外は希薄。
    だいたい半日で。再読は読者ごとのやり方で。(p141)
    普通、本の内容を吸収し、整理しておく方法として、ノートやカードが使われる。しかし、現実の問題として、これはものすごく労力がいるし、そのわりには、効果も意味もない。中途半端な教養願望を満足させるもので終わりがちである。(p159)

    第3部 ガイド篇
    「政治」「日常生活に隠された意味」「歴史」「科学」「アジア」「宗教」
    科学はトマスクーンのパラダイム論に触れる。和書では村上陽一郎をあげている。

    知ることについて、考察を行ったあと、知ることの基本的行為である読書の技術について独自の手法を披露してくれる。ガイド篇には、分野ごとの文献整理方法の見本を示すとともに読者に文献を紹介してくれている。少し古い本であるが、時代が変わっても本質は変わっていないため、普段の読書に大いに参考になる。

  • 1988年刊行。選書術、読書記録等、叙述内容が余りに古い(これは止むを得ないが)。それよりも、他者の読書論批判。それが内実批判なら読書「論」批判ではなく、本書のテーマからはやや外れている気も。さらに不味いのは、第三部のブックガイド。選書が肝だが、「科学」において物理関連が皆無という致命的な誤謬を犯していることに加え、一方の生物関連で、古典としてのダーウィンやネオ・ダーウィニズムに触れることなく、ある意味盲目的に今西生物学をことさら賛美するのは偏頗の謗りを免れまい。他項目の選書に疑義を生みかねない程。

  • ペダンティックがみえかくれ

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著者プロフィール

呉智英(くれ・ともふさ、ごちえい)1946年生まれ。評論家・マンガ評論家。近著に「吉本隆明という共同幻想」「つぎはぎ仏教入門」など。

「2014年 『愚民文明の暴走』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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