読書家の新技術 (朝日文庫 く 5-1)

著者 :
  • 朝日新聞出版
3.46
  • (8)
  • (29)
  • (36)
  • (6)
  • (1)
本棚登録 : 247
感想 : 31
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022604699

作品紹介・あらすじ

わけ知り顔のオトナの現実主義ばかりが巾をきかす現代をいかに主体的に生き抜くか。自称知識人やえせインテリがうそぶく怪しげな論理と俗物教養主義にだまされない"知的武装"の方法は。若き評論家が、古典の読み方、探書手帳の作り方、書評の読み方、ブックガイドなど読書のノウハウを具体的に示し、知的「生活者」に贈る異色の読書論。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 呉智英の読書論であり、教養論でもあります。

    とくに、谷沢永一や山本七平の『論語』解釈と、その背景にある「俗流教養主義」を批判する「読書論を読書論する」の章がおもしろく読めました。

    谷沢や山本は、伝統的な教養主義が崩壊し、進歩的知識人や共産主義の虚妄が明らかになった現状を踏まえた上で、新しい時代の教養のあり方を論じていると、著者は言います。彼らが示そうとしたのは、従来の教養主義や進歩派的知識人が念頭に置いていた「青年の読書」に対して、「大人」であり「生産者」である「社会人の読書」でした。しかし、そこで彼らが想定している「大人」「生産者」「社会人」とは、「ビジネスマンという尊称で語られるサラリーマンのことにすぎない」と著者は指摘します。その上で、そうした想定は大衆社会の外の論理や近代以外の論理をまったく視野の外に置き去りにしてしまっており、人間を町人(ブルジョア)哲学によって刈り込むことになると著者は批判します。谷沢や山本の『論語』解釈は、孔子の理想主義者ないし革命者としての側面や、呪的世界に生きる古代人としての側面をまったく見ようとしていないというのが、著者の批判の骨子です。

    本書は、近代的教養がどのような形で崩壊し、新しい知の世界がどのようなものになるのかを見渡すための読書というものがありうることを示す試みでもあります。読書は、近代の地平から頭一つ抜け出た知性を獲得する営みと言えるのかもしれません。

    第2部以下は、本の読み方・探し方など、具体的なノウハウも解説されていますが、こちらはやや古びてしまった感もあります。

  • 大学生の頃、本棚の手許に近い位置に常に置いていました。当時の専攻分野(心理学)などそっちのけで、この本に取り上げられた本を読んで教養(?)を身につけようとしていたものでした。『バカのための読書術』の著者もこの本の読者だったようで、この本を評価しつつ批判を加えています。

  • あくまでも、自分の能力・要求に即す。自分用であることを忘れない。
    本の要約版を作るのではなく(必要があれば再読すればよい)“地図”を作る。
    特に自分が関心があることを中心にカードを取る


    1.本の基礎データ
    書名、著者名、出版社、価格、出版年月日、ISBN
    本の所在、読書期間、本の読み方(流し読み、部分読み、通読、精読)、評価
    2.本全体、あるいは各章ごとの概要
    詳しすぎることは無意味
    必要そうなら詳しく、不要そうなら省略
    ある章だけが重要ならそこだけ拾ってもよい
    3.個人的な知識・ターム
    覚えておきたい事(本全体の主張と関係なくともよい) + キーワードで興味のあるもの
    短い説明とページを記入
    4.自分の見解
    読後感・意見・反論・補足など書きたいと思ったこと

  • 知の戦士、知的ゲリラになって、世の中のウソを見破ろうと試みであり、そのための方法論。また、現在の民主主義が、民主、人権をあまりに恣意的に用いているとして、批判し、「封建主義」を唱えている。そして、そのでたらめに使われている言葉を正していくことを使命としている。

    大学教養という風にいわれることから、教養とは社会の中心にある考えであり、社会を正しく把握、変革するものである。

    書評の構造
    導入:
    その本の意義、位置、概略など最初の10行ほど

    本論:
    その本の紹介文章全体の8割を占める主要部分

    締めくくり:
    その本を主にどのような読者に推す、著者は次にどのような本を書くべきだ。少し批判めいて、この部分が不足しているのが惜しまれる、新しい発見、類書とは違う点を探るなど。

    書評は導入で読むべきかどうかが分かる。

    『やちまた』の書評の例

    一般書と専門学術書の違いは、論証の精密の違いだけ
    どの部分まで知りたいか、一次文献が必要なのかなどで考えて読む。
    ex埴輪の材料やの測定基準のようなものまで知らなくても、その意義や歴史を知りたいなら、一般書でも同じ。

    本には様々な種類があり、大体、①「基礎文献・原典」②研究書・教養書・入門書 ①を前提としつつ、教養人に書かれたもの。③①、②に入らないもの。と分けて考える。

    速読は基本的に多く読むことで分かってくる(500冊くらい)
    導入や結論は慎重に読んで、あとの説明部分はキーワードを追いかけながら読んでいく。

    本の中には、原典のキャッチボールをしているものも多く、原典に当たることが結果的に速読になることもある。ただし、外国語で書かれているものは読むことが早ければ良いが、そうでなければ日本の翻訳本を使うと良い。日本は翻訳大国で良書が多い。岩波文庫など
    ただし、誤訳や異文化齟齬による訳が直訳過ぎて意味が取りにくいものもあり、似非知識人の原著のキャッチボール本に気をつけながら、入門書や概略書をノートに取ったり、何冊か読んだ方が早いこともある。ネタ本を水増しした本が多いからだ。また、翻訳本は早く、キーワードに目を移す読み方が理解を深める。

    また専門用語に関しては、考えても分からないから、すぐに辞書を引いて調べる。感性=外界からの刺激を受けとめる感覚的能力 触発さるものを受けとめて悟性に認識の材料を与える能力 悟性=受動的理解(英語だとunderstanding) 理性=能動的に理解を進めていくことの精神作用(カント哲学)

    古文や漢籍を読むには、短くて、時代が比較的新しく、注釈や解説がしっかりとしたものを読むことで自信をつけながら読んでいくことが近道。現代で考えたらどうか?言葉を変えてみたらどうか?など、思考の材料にする。

    聖書を読むときも、歴史を見ながら(節目節目を見る)、その歴史の中の現象や行為をいくつかに分けて(exイエスであれば、①慈愛に満ちた普遍的人間②革命家③復讐者と分けてみる)

    この読み方はまっとうな読み方(本質、核を掴むようにして読む)であり、文章を抽象化して、捉えて、文章(具体)を体系的に捉えていく。

    また、このように見ていくと、西洋思想の枠組みが見えてくる。
    マルクス主義=被抑圧者(労働者=ユダヤの民)と抑圧者(資本家=エジプト人)の対立を経て、今まで抑圧されてきたがゆえに、革命家の指導によって普遍的人間性を実現していく。しかし、一方で、このことは、スターリンによる粛清やカンボジアの大虐殺のような形をとりがちになる。ファシズムは抑圧者をユダヤ人に見立てて行ったとも言える。ベトナム戦争も共産主義という邪教がはびこっていると考えれば同じ構造である。

    人類の終末を意味する核戦争をやめようとしなのは終末戦争(アルマゲドン)を描いた黙示録と同じ構造をを持っているからである。

    このことはD・Hロレンス(チャタレー夫人の恋人の作者)も「現代人は愛しうるか」で述べている。吉本隆明の「マチウ書式論」(マタイ福音書式論)でも似たことが書かれている。ただし、吉本は文章が下手で、論理も不明瞭。

    上記こそ真っ当な読み方(文章(具体)→内容の大きな枠組み(理解)→それの定義、意味付け(加工)→西洋の思考(抽象))である。ただし、現実には、なかなか読みにくい。そこで、このような読み方ではない、興味を抱ける読み方をすることを経て、真っ当にいくのも良い読み方だろう。ex イエスの家系図は、イエスではなく、養父のヨセフの家系図で、実際は「ヨセフの妻の連れ子のイエス」の家系図になる。また、イエスに兄弟はいたことになっており(また、イエスが生まれるまで、となっている)、ヨセフはマリアと性交を行っている。また、説法のシーンで、母と兄弟が話しかけてきたのに、私の兄弟、母はすべての人々ですと述べている。このような面白い読み方もできる。人間性や滑稽さを見出すのだ。論語にも見られる。(古典などの読みにくいと敬遠されがちなものを読む技術でもある。)思想や宗教がある人には喜びになり、ある人には苦痛になり、神聖劇は茶番劇にもなりうることを示し、まことに不可解なものだということを示すことになる。


    読書カード(論文作成をする際に今でも使われることが多い)を勧めており、本の内容を探るときの地図として用いるものとして、①本についての基本データ②本全体、各章ごとの概要③個別的な知識・ターム④自分の見解 そのまま書くより、自分に役に立つのかだけを考えて、書くことが原則。

    使える図書館として、①国会図書館(著者はここに通いつめて、読書カードを作って知識人、評論家への道を歩みだした)②大宅壮一文庫③現代マンガ図書館。古本は売るようにして、整理。

  • 初出から25年隔てて読んでみると、さすがに隔世の感が否めない。呉氏の読書論だけに何か突飛なことでも書いてあるんじゃないかと思いきや、けっこう真面目に「図書カードの作り方」や「図書目録の利用」について書いていて、読書論としてけっこう“律儀な”内容だったりする。IT導入前の書物との接し方を記憶にとどめておくためのノスタルジックな一冊。

  • はっきりいってBOOKLOGに登録する理由はこれを読んだから。
    やっぱりいっぱい本を読みたいものだ。

  • 呉智英氏の読書論です。
    氏の読書カードの方法を自分なりにアレンジしてカードを作っています。面白いことを忘れないように書き留めておくという意味もありますが、「書く」ということによって本の内容を整理して理解できるという面もありますし、書く練習にもなります。ただし、非常に面倒ですが。(苦笑) とは言え、「考える」という行為にとって「書く」という行為は重要だと思います。

  • 適当なことを言っている自称知識人(実は無知識人)にだまされないように、読書により知的武装をしようという内容

    1987年刊であり、紹介図書自体が古くなっているのが残念
    しかし、無知識人どころかオレオレ詐欺にまでだまされてしまうような世の中でどうするんだ

    【なるほどな点】
    ・事実と真実の二つは別のことなのであり、事実を集積すれば真実に至るという事実主義は、虚構なのである。(P28)
    ・専門バカになってはいけないと批判したまではよかったけれど、たしかに専門バカにこそならなかったが、ただのバカになるものばかりが増えた。(P39)
    ・いわゆるビジネスマン向けの実用書、(中略)編み物や園芸や健康法や囲碁と同じようなものだから、一々論じても意味がない。(P45)
    ・オトナになっても理想主義的なことを行っていることは、否定的に評価されるのだ。(P52)
    ・本は、内容によって、大きく二つに分けられる。「味わう本」と「知る本」である。(P98)
    ・私は、もっともっとナマイキに生きるためにこそ謙虚であることも必要だと悟ったのである。(P106)
    ・「知る本」の場合、中に書かれている概念や理念を理解することが中心となるのだから、現実に人間がしゃべっているような時間の経過の仕方はしない。(P130)
    ・私が実際にやっている速読のテクニックは次のようなものである。①まず、その本を速読すべきものかどうか、どの程度の速読の程度で行くべきかを判断する。(中略)②最初の概念部分・導入部分は注意深く読む。そして、その本に対するおおまかな判断を下して、あとは速度を上げるべきものは上げる。③本の全体のはじめには、キーワードやタームが出てくるので、それに注意する。あとは、キーワード、ターム、漢字などに力点をつけながら、速く読む。(P132)
    ・原典や基礎文献は、少し読みにくいようではあるが、できる限り読んでおいたほうがいい。(P135)
    ・知識コロガシしかできない無知識人にだまされない唯一決定的な方法は、原典や基礎文献を読んでおくことである。(P136)
    ・結論を言えば、外国語の原書は読んでもしようがない、ということになる。理由は効率が悪いからである。(中略)ただ、原書を読んだほうが良い場合ももちろんある。(中略)一つは、自分がその分野の専門家である場合。(中略)もう一つは、「味わう本」の場合、原書で読んだほうが味わいが深い。(P137)
    ・再読の場合も、速読でいきたい。その速読は、初読の時より速さも変わっているだろうし、アクセントの置き方も変わっているだろう。それが進歩なのである。(P142)
    ・(読書カードについては)あくまでも、自分の能力・要求に則したもの。自分用であることを忘れない。(P162)
    ・(読書カードについては)断片的な知識・ターム。これは、本全体の主張と関係があってもなくても、この話は面白い、覚えておきたいというものがあれば拾い出す。(P165)
    ・蔵書整理というのは、並べたり収納したりすることでもあるが、本を古本屋へ売ることでもある。(P180)
    ・現実に、一度読んだ本の9割以上は二度と通読することはおろか、部分的な参照もしない。(P181)
    ・(思想について)要領よくまとまった知識を得るのなら、大学の教科書・参考書で使う「カント概説」だの「仏教思想史」だのを読んだほうがいい。(P218)
    ・国語辞典は、系統の違う、方針・個性の違う二種類以上のものを参照すると、(中略)意味が限定されてはっきりしてくる。(P234)
    ・できることなら、多忙であっても、読書に少し時間を割いてほしい。生活者であり社会人であるオトナこそ、知的武装をしなければならないからだ。

  • まさに「読書」の「技術」を論じている実用書。

  • 大学時代に読んだので、内容の古さはどうしてもある。ただし、ネットのない時代で読む本を探していたころには、とても有用だった。あと、この本で探書ノートを作り、今でも使っている。この筆者はメディアでは見たことがないが、理系でも理解できるレベルまでわかりやすく書いてくれているのでありがたい。ただ、その考えに共感するかどうかはまた別の話である。

全31件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

評論家。1946年生まれ。愛知県出身。早稲田大学法学部卒業。評論の対象は、社会、文化、言葉、マンガなど。日本マンガ学会発足時から十四年間理事を務めた(そのうち会長を四期)。東京理科大学、愛知県立大学などで非常勤講師を務めた。著作に『封建主義 その論理と情熱』『読書家の新技術』『大衆食堂の人々』『現代マンガの全体像』『マンガ狂につける薬』『危険な思想家』『犬儒派だもの』『現代人の論語』『吉本隆明という共同幻想』『つぎはぎ仏教入門』『真実の名古屋論』『日本衆愚社会』ほか他数。

「2021年 『死と向き合う言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

呉智英の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×