街道をゆく〈26〉嵯峨散歩、仙台・石巻 (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞社
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レビュー : 15
  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022606266

感想・レビュー・書評

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  • 嵯峨の話も仙台・石巻の話もなかなかに面白い。
    加賀との比較はなかなかに興味深いし、漱石の味方も面白い。やはりこのお人、尋常ならざる文筆家だと認めざるを得ないでしょう。
    しかし仙台・石巻編に地震の影が見えてこないところが悲しいというか何というか。ここで描かれた風景はどうなったんでしょうか、、、

  • 「文明とは、だれでも参加できるもの」「文化とは、そのグループの特異なもの」と定義すれば当時の日本(五世紀ごろ)に必要なのは中国文明となる。土木技術、漢字による文書作成など(P35参照)中国文明なければ今の日本国なしと言い切れるわけである。日本にとっては明治維新は突発的な出来事、出来心ともいえる(笑

  • 司馬遼太郎の松尾芭蕉についてはちょっと過激であった。松島や~なんてそんなだじゃれみたいな句を詠んでいるわけないだろうと苦笑

  • 2013.7.24 読了

  • 15/1/2読了

  • 嵯峨のあまり知られていない方面への訪問が司馬遼太郎らしい。仙台、石巻は懐かしい。仙台駅前のペデストリアンデッキの描写は、思わず、「そうそう」と言ってしまいそう。

  • 嵯峨は京都市北西部の山間。清和天皇陵ほか社寺を訪ねる。仙台は、古代の蝦夷防柵であった多賀城から近代の東北大学の独自性 まで。歴史の大メジャーたる京都よりも仙台のほうが面白く読めるのは、著者がとにかく「北」が好きだから。

  • 松島の項は、珍しく司馬遼太郎が激怒している。
    「松島や ああ松島や 松島や」を松尾芭蕉の作であると、松島の観光業者(?)が掲示しているのを見て、芭蕉がそんな句を作るはずがないと激怒。
    私自身も、てっきり、芭蕉の句だと思っていたが、調べてみると江戸時代後期の狂歌師・田原坊の作ではないかと伝えられている模様。
    司馬遼太郎は、松島に対する芭蕉の表現とその美的センスから言えば、こんな駄作を作るはずがなく、何も考えずに「松島や ああ松島や 松島や」と掲示している松島の観光業者を相当ページを割いて批判している。
    ここまで感情的になっている文章も珍しいかも。

  • ダ・ヴィンチ 10年3月号 紹介著書

  •  深夜徘徊が好きだった。

     18、9のころ高円寺の街をよく歩いた。浪人中は受験勉強に疲れ、新入生時代にはやるべき何ものかが掴めず、焦りや不安に負けそうになる深夜2時とか3時とかに歩きに出たものだ。駅近くのアパートから、後に純情商店街と名を変えた北口商店街や、反対側の南口商店街を気まぐれにぐるぐる徘徊した。そのころ出初めだったコンビニの明かりが、ところどころの止まり木みたいだった。ひとしきり歩いて駅前に戻ってくると、いつものラーメン屋がやはり明るく待っていてくれていた。
     「らっしゃい、お兄ちゃん」
     おやじの声にいつもほっとした。
     トレーナーの胸の文字をみて、「りっぱな学校に通ってんだねえ」
     社会人になり街を離れてからも、何年かぶりに訪ねると、
     「りっぱな会社にはいったねえ、お兄ちゃん」
     係長になったとき、名刺をくれといわれて
     「りっぱに出世したねえ、お兄ちゃん」
     いつもストレートに誉めてもらえるのが、このおやじからだと素直に嬉しかった。私の孤独を、誰よりも見ていてくれた人だったから、かもしれない。
     副長に昇格したときも「報告」に行った。

     『街道をゆく26 嵯峨散歩、仙台・石巻』を、今更だが読んだ。ちょうど私の学生時代の頃、週刊朝日に連載されていたものだ。今日まで8年間住んだ仙台に、司馬遼太郎が「来て」、「歩いて」、「どう思った」か知ってみたくなったからだ。

     だが、当初のその目論見とは全く関係ないちいさなエピソードがひとしお滲みた。中国の文豪魯迅と藤野先生の話よりも胸に響いた。
     司馬氏のある友人は、広島出身のくせに東北大の国文科に学んだ。仙台の駅前に屋台があって彼はよくそこで飲んだ。「飲む側もまずしく、飲ませる側もゆたかでなかった」
     だが、「金は出世払いにすっぺし」といって金を受け取らなかった。
     彼は卒業し就職し、その後、仙台にゆくたびにその屋台をさがしたが、すでになかった。いまなお仙台の街にくわしい人に会うと、必ず聞いてみるという。
     エピソードは、ただそれだけだ。

     出世払いすることは、結果的にできなかったワケだ。今でもその屋台を探しつづけるその人の気持ちが、私には痛い。

     課長に昇進したときも、高円寺にやはり行った。だが、ラーメン屋は既になく跡地は賑やかな焼き鳥屋に変わっていた。何気にやって来ただけの昔なじみの場所だったのだが、取り返しのつかない悔しい気持ちに襲われた。でっかい穴をぼかんと空けられたかのようだった。
     浪人生だったとき、一年生だったとき、スープの湯気に浮かんだバターとおやじのひと言が、埋めようのない漠たる不安の穴に、いつも蓋をしてくれていた。
     世間並みの会社員として歩みながらも、私は何かの穴を胸に抱え、止まり木になってくれる明かりを求めていたのかもしれなかった。ようやく課長になれたとき、やはり「りっぱに」というおやじの声が、なんとなく聞きたかった。あそこでだけは胸を張ってみたかった。

     俺は、もはや「お兄ちゃん」じゃないし、立派でもないし、出世もしてはいないけれど、こうして生きている。
     おやじどこへ行っちゃったのかなあ。
     
     ああ、もう一度、夜中の味噌バタラーメンが食いたい。

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