私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち (朝日文庫 ふ 26-1)
- 朝日新聞出版 (2008年6月6日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (461ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022615381
作品紹介・あらすじ
少女マンガ評論の新境地を拓いた名著、待望の文庫化。1960年代末から90年代末頃までの少女マンガの描写から、女性の恋愛観、セクシュアリティ、家族観、職業観の変化を概観、同時にトランスジェンダーなど性的指向に関する描写の変遷も追う。"居場所"を求めるすべての人必読の書。
感想・レビュー・書評
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完成度がたく、内容の濃いすばらしい論文。かつ、マンガのブックガイドとしても使える。
しかし、締めにエヴァをもってきたことに、いささか裏切られた感はある。マンガ主題ごとにおっており、60年代以降の少女漫画を深堀してきた(かなりのネタバレあり)。
が、後半になりテーマが「仕事」「組織」になったあたりから、青年誌に掲載された女性主人公ものも取り上げられ、違和感。
少女漫画だけを素材に結論までいってほしかった。(かろうじてレディコミまでは可)
そもそもエヴァは漫画じゃない、アニメだ。8割がすばらしいだけに、ラスト2割が残念でならない。ジェン ダー展開として、少年が主人公なエヴァを使うのがスムーズだということは理解できるが。
今から、残しておいた三浦しをんの解説を読む。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2022.6.13市立図書館
このところ70年代80年代の少女漫画にあらためて手を伸ばしているのでその副読本として借りてみた。単行本は1998年学陽書房、文庫化は2008年。そこからさらに15年近くたち、さらに新たな展開はあったし(BLの世界や近年のシスターフッド系など)、その後生まれた読むべき作品もあまたあるが、それらがどういう延長線上にいるのか知るのは考えを深める助けにもなりそう。
この本のタイトル「私の居場所はどこにあるの?」ががこのうえないまとめといえるが、「少女漫画」という存在は、一般的にはたぶんまだまだ夢見る少女のお花畑というイメージが強いけれど、意外と社会派な面もあるというか(もちろんけっきょく玉石混交なのだろうけど)、そのときどきの時代の空気や作家の問題意識がしっかり反映されており、複雑な関係や感情がていねいに描かれ、手塚治虫の「リボンの騎士」から始まって作家も読者も成長しながら幹を太らせ枝葉を伸ばし、女の子のしあわせや居場所を出発点に常に一歩先を行く世界を見せてくれてもいる巨木なのだということが改めてわかる。少女マンガ誌のみならずレディースコミック誌や少年マンガ誌、青年マンガ誌などへの言及・対比もあり読み応えがある(女性向け商業誌の歴史的展開は一度勉強し直したい気もする)。
私は中高生の時期にマンガをあまり読まずに育ってきて、いまちょっと悔やんでいるが、世の女の多くはこうした作品に心を耕されながら生きてきているから、お仕事漫画の章などを読むにつけても、中途半端で視聴者をなめてるような作りの朝ドラ(これも少女漫画同様、軽く見られているところがあるけど)なんかは物足りなく感じるのだろうなあと腑に落ちた。 -
前日に、よしながふみ氏の対談集を読み、文中にかなり少女マンガの話題が出たので、こちらの本も読んでみました。
編集者であり少女マンガ評論家の著者による本著は、膨大な作品群をジャンル別に分類し、系統づけて解説してくれています。
その量の多さには圧倒されるばかり。
登場するマンガを細かく掲載しているのがわかりやすいです。
中島梓の『コミュニケーション不全症候群』の編集担当をし、帯のコピーも手掛けたという著者。
ずいぶん前に上記本を読だことがあり、もう故人である中島氏の本を思い出して、感慨深い気持ちにりました。
作品を通して、少女マンガ萌芽期から現代に至るまでの女性の考え方や心理が、つぶさに解説されています。
少女マンガを読んで育ってきたような自分としては、その深い見方にうなるばかり。
なるほど、自分は楽しい楽しいと読んでいましたが、作品ひとつひとつの奥には、どんなに現実離れしていようとも、時代背景が影響を与えていたのですね。
女の子は「いつか王子様が」と夢みるものだ、というイメージがありますが、それは真実で、さらにその大元には「私の居場所はどこにあるの?」という不安を常に抱えている者だ、という定義が、たくさんの作品例を通して明確に語られていました。
女性であることの悲劇性と幸せが、少女マンガにはいっぱいにつまっているものなんですね。
無意識的に、そういった抑圧から解き放たれようと、マンガの世界にひたっている少女も数多くいると思いますが、現実から逃げて非現実の世界にいるようで、実はしっかりと現実の中にいたということを知って、やるせない思いや安心した思いがないまぜになった、複雑な気持ちになりました。
かつて「りぼん」や「なかよし」が興隆した頃の明るくほのぼのとしたタッチから、BLというジャンルができ、レディコミという年長者向けのジャンルもできて、今の少女マンガ界は混迷を極めているように思っていましたが、どれも時代の流れを元に、支流として発生、発展していったものなのだということがわかりました。
私が好きで愛蔵しているマンガも多々紹介されていましたが、萩尾望都は『トーマの心臓』の原型『11月のギムナジウム』を、下書き段階では男バージョンと女バージョンと二通りで描いていたことや、女バージョンが生々しすぎたため、採用しなかったという話を知って、驚きました。
さらに、清水玲子の『天使たちの進化論』は、周りの友人が次々に結婚、出産をして行くのに取り残された気がして描いた作品だという制作エピソードを知り、(そうだったのか)と新鮮に感じました。
また、少年マンガの主人公は必ず少年(男性)で、女性ということはないという指摘も、今まで気づかなかったことだったので、目からうろこが落ちました。
少女マンガでは、少年や男性が主人公となることも多々あるため、やはりなにか構成の段階から違うものなんですね。
少年マンガで少女を主人公にした者と言ったら、「アラレちゃん」くらいしか思い浮かびません。アラレちゃんは、ロボットで性別がないようなものですからね。
深い指摘はそこかしこに見られましたが、女性として、読み続けているとなんだかいろいろ暴かれていくようで、けっこうつらいものもあります。
これはマンガを介したジェンダー論なんですね。
女性がどう生きればいいのか、もがいてきた軌跡が語られているため、なかなかハードで切ない気持にもなりました。
"愛する男性が自分を愛してくれ、自分の存在を肯定してくれた時に、「女」というマイナス符号はプラスに変わる"という論。
いやあ、女はつらいよ、ですね。
この本の執筆に10年をかけたという著者。どの章も詳細に念入りに分析されており、その絶対的な論に、かすかな絶望さえ感じながらも、粛々と読み進めることができます。
ただ、ジェンダー意識の変遷を中心に語っているため、本作に採り上げられていない作品も多々ありました。
少女マンガ全体系を論じたものではないので、当然ではありますが、ここまで深い洞察の評論を読んだ以上は、ジェンダーから離れた、冒険ものやコメディ、ギャグものなど、全体網羅をした変遷史も発刊されてほしいと思います。 -
膨大な少女漫画(少年漫画や青年漫画も含む)から、女性の意識の変容を描いた作品。
それにしても著者エヴァンゲリオン好きなんだね。
エヴァンゲリオン以前、エヴァンゲリオン以後という言い回しがあったことを思い出した。 -
少女マンガ、という文化に焦点を当てた本。内容が多岐にわたり具体的で、語り口も良く読み進めやすく、また様々な捉え方が出来て非常に面白かったです。私が特に関心を寄せたのは「女性は役割で生きている」という点。しかし男性諸氏にも少女マンガ、というジャンルが人気を得ている昨今、この捉え方はもしかしたら日本社会の共通意識なのかもしれないな、と考えてしまいました。
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こんなふうに、真面目にマンガについて話すのは、とっても、楽しいことです。
まあ、多少、ボーイズラブとやおいは、同じものかとか、荒く感じるところはあるのですが、それは、わかってやっているんだろうなぁということで。
でも、この「自分の居場所」という問題は、別に何も、女の子だけの問題ではないなあと思ったりします。
わたしが、少女マンガや、映画の「マイ・ガール」に惹かれたのは、多分、このテーマが強く関わっています。
「私の居場所はどこにあるの?」
というよりも、
「わたしは、ここにいても、本当にいいの?」
という強い疑惑。
このコンプレックスは、いったい何だったんだろう……。
でも、こうやって、少女マンガを見ていくだけでも、ものすごく社会が変わっていったことがよくわかります。
社会が変わったから、物語が変化していったということもあると思うのですが、わたしは、やっぱり、物語が社会を変えていった一面もあると思います。
だから、いい物語を紡いでいけるといいですね。