お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か (朝日文庫)

  • 朝日新聞出版
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レビュー : 12
  • Amazon.co.jp ・本 (514ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022615978

作品紹介・あらすじ

1960年代後半、番組内容や報道の取材方法を巡って「TBS闘争」が起こった。本書は、闘争のさなかで三人のテレビマンが「テレビになにが可能か」を繰り返し自らに、会社に、社会に問い続けた記録である。テレビの本質をもっとも深く問うた本として、復刊が待ち望まれてきた名著。

感想・レビュー・書評

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  • 学生時代に読んだ本を再読。この本が私をテレビ局就職に導いた。成田空港建設をめぐってのTBS労使紛争を描いた本。

  • 2-3-1 メディア論

  • 21世紀に読めば何かのヒントになるかと思って読んだが、あまりに環境が変わりすぎててなんにもならなかった。そんな時代(環境)もあったんだー程度。
    しかし、この本の所々に出てくる「テレビとは」という部分を「インターネットとは」という風に置き換えてもまったく違和感は無い。
    この本の出版から40年近くたってからの続編が「あやとりブログ」なのかもしれん。
    40年間、なにも解決しなかったらそれは最初から回答など無かったのか。
    それとも「まだたったの40年しか経ってない」からなのか。

  • わたしたちが普段見ているテレビ。
    報道、バラエティー、ドラマ、ドキュメンタリー。
    どの局を見てもなんとなく同じような番組が羅列されているように感じるのは私だけだろうか。

    テレビ創世記の時代に「テレビとは何か」という問いを
    萩元さん、村木さん、今野さんの3人は発していた。

    彼らが考えていたことや問題提起したことは、
    こんなに時間が経った今でも未だに解決されていないどころか、
    もはやその問い自体が消えかけているように感じる。

    産まれた頃から当たり前にテレビがあって、
    テレビと一緒に育ってきた私の世代で
    「テレビ」について真剣に考えている人はどのくらいいるだろう。

    ネットが出現してきた昨今のメディア環境について考えるように、
    テレビが出現してきた時代を生きた先人たちはテレビについて考えていた。


    「テレビとはなにか」
    「テレビにできることはなにか」
    「テレビ的な表現とはなにか」

    ーテレビはジャズであり、テレビは時間であり、
    テレビはただの現在に過ぎない。

    テレビとはなにか。
    メディア環境が揺れ動く今だからこそ、
    もう一度テレビについて考えるべきときだと思う。

    必読の一冊。

  • テレビジョンに何ができると思いますか?





    「お前はただの現在にすぎない」
    という言葉はトロツキーの言葉です。
    ---「降伏せよ、哀れな夢想者。お前が長い間待っていた20世紀、お前の<未来>がやってきたのだ」
    「いや、お前はーお前はただの現在にすぎない」---

    本書では、トロツキーが込めた意味のとうりにこの言葉を用いているわけではありません。
    テレビの本質そのものへの表現として使っています。
    テレビは現在にしかすぎない、いやただの現在であるべきである、と。

    しかし、この本が出版されてから40年あまりがたち、テレビの存在を脅かすインターネットが発達した現在、
    この言葉はそのものの意味として虚しく響くだけのように感じます。

    もはや、テレビはただの現在ではない。

  • 著者の村木・萩本両氏の生前の仕事と、彼らが抱いていたテレビ論を綴ったドキュメンタリー「あの時だったかもしれない~テレビにとって「私」とは何か~」を見て購入。
    テレビが試行錯誤と挑戦を続けていた60年代の話であり、保守的で事なかれ主義な最近のテレビしか知らない僕にとってはまったく別世界のもののように見える。
    本書の大半はTBS成田事件とその後の社内の話なのだが、先述のように「別世界」なのでいまいち僕には理解しにくい部分もあった。
    しかし、文章の中から垣間見える60年代のテレビの姿は、荒削りで挑戦的で野心的で、いまのインターネットに近いものを感じられる。インターネットの今後を考える上でも参考になる一冊だと思う。

  • 「テレビに何が可能か」を問いかけたメディア論として、映画、新聞、放送、出版など、メディアに関わる人たちや、メディアが内包する本質を理解したい人たちに向けた良書だと思います。

  • 「週刊誌記者の取材に心が汚れた」佐々木俊尚
    http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2009/05/26/entry_27022642/

    この記事を読んで、興味をもったので買ってみました。

    テレビの持つ力、そして、なぜテレビ(番組の制作サイド)が今のように考え、今のようになったのか。
    そのヒントが学べました。

    この本は、ドキュメンタリー形式で、成田事件を中心に「テレビとは何か?」を問うていくのですが、その作りがあまりにテレビ的で驚きました。

    僕が編集者となったとき、最初に学んだのは「編集者の作為」についてでした。
    編集者は編集によって、ある意見を白とも黒とも表現できる。
    だからこそ、バイアスのかかった情報を出さないように、いかに公平に、純粋に、情報をその情報のままに表現できるかが重要だと。
    もちろん、時には飾って書くことは必要です。
    でも、飾って書くのは技術だが、「編集者の作為」は編集者として最もやってはいけないことだと叩き込まれました。

    この本は、その「編集者の作為」を中心に構成されています。

    例えば、自分たちの身内が質問され、話し始める場合は
    「Aは、静かに周りを見渡し、一息おいて、落ち着いた声で語り始めた」
    となるのが、体制側の人間が同じ行動をとると、
    「Bは絶句し、目は泳ぎ、ぼそぼそと小さな声で話し始めた」
    となるわけです。

    ここで僕が言いたいのは、それが「悪いことだ」ということではありません。
    むしろ、その時代では、その書き方が「正義」であり、上手なアジテーションだったのだと思います。
    しかし、時代は変わり、そのやり方は受け入れられにくくなってきました。

    テレビの根本思想は今も変わっていない気がします。
    いや、大手マスコミ全般の話なのかも知れません。
    「編集者の作為」をすすんでおかす週刊誌も数多くあります。

    今、大手マスコミに吹き荒れる逆風のひとつは広告の問題ですが、もうひとつの大きな風は、ウェブの存在ではなく、この「編集者の作為」から抜け出せない体質ではと思います。


    と、マスコミ批判になってしまいましたが、この本にはメディアのあり方について非常に熱く書かれており、その意味でも学ぶところは多かったです。
    後日、そちらについて続きを書きます。








  • 後に日本で初のテレビ番組制作会社「テレビマンユニオン」を立ち上げる事になる3人が、そのきっかけとも言える1968年の「TBS闘争」とその後の状況を様々な資料と取材のコラージュによって構成した「テレビジョンとは何か」と問うた本。3.10成田事件。萩元・村木配転事件。田英夫ニュースコープ“辞任”事件。三つの事件からTBS労組は立ち上がった。その“現場”から常に問い続ける「テレビジョンとは何か」「テレビジョンに何が出来るのか」多くの社会主義政権が倒れ、左翼運動は衰退し、テレビジョンの状況は、はっきり言って「惨憺たる状況」そしてインターネットとブログという新しいメディアに囲まれた状況でこの本を読むのは中々判断が難しい。難しい故に吉岡忍さんの解説にもあるとおり、そんな状況だからこそ刊行後40年にしてようやく正当に評価が出来るようになったのかも知れない。そこいらの70年代回顧本とは全然違う、すごい臨場感。

  • 朝起きてすぐにテレビのスイッチを入れ、寝るときに切る。一部屋に一台どころか、キッチンと風呂場にも、それから車の中にも備え付けの専用のものがある暮し。
    通常放送だけでなく、BSやCSやインターネットからの無数の放送受信のみならず、HDやディスクに記録されたものを見ることも可能になった情況のいま、はたしてこのままただ単に無造作に垂れ流しの状態で受容し続けることが正常なのか? という疑問めいた感慨を抱いたことがある人は少なくないはずです。

    そんなふうに迷ったら、その時には思いきって一度スイッチを切って、テレビと自分とを文字通り切り離してみればいいのさと、誰かが言ったはずでしたが誰だったか思い出せません。

    ゴダールは「然り!重要なのは実存を意識することだ。」といいますが・・・。

        テレビよ、お前はいったい何者なのだ・・

    この本は、テレビと格闘した人たちの貴重な証言・記録です。私はたまたま古本屋で1969年刊行の田畑書店版を入手して読みましたが、番組の内容や報道の取材方法に関して起こったTBS闘争に端を発して、闘争の真っ只中でテレビマン3人が自らと会社と社会に繰り返し「テレビに何が可能か」を鋭く問い続けた記録で、もっともテレビの本質を深く問いかけた本で復刊が待望されてきた名著です。

    1968年のTBS闘争は、成田闘争のドキュメンタリー番組の取材姿勢が偏向していると自民党から横やりを受けて起こったもので、その時の首相は佐藤栄作、あの『運命の人』で沖縄密約問題を不倫密通へとすり替え、西山記者を首に毎日新聞社を零落させた張本人ですが、この時も番組は放送されず、関係者は懲罰を下されるという理不尽さ。2001年には政府自民党・安倍晋三内閣官房副長官が慰安婦問題でNHK番組の内容を改竄要求し物議を醸したのは記憶に新しいことです。

    ただこの本は、表現の自由を御旗に権力と真っ向勝負しようというものではなく、試行錯誤のテレビ初期にあって、テレビの表現とはいかにあるべきかを自らと視聴者に根源的に問いかけた真摯な本だと思います。

    それを真に受けて冒頭や末尾に私が現在の情況を睨んで措定した問題性を抽出しました。

    下賤なタレントたちが跋扈する低俗番組から皇室アルバムまで、ありとあらゆるものがごった煮状態でノンストップで私たちの日常生活の真っ只中に土足で入り込んでくるテレビについて、立ち止まって考えることが不必要なわけがありません。

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