自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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レビュー : 27
  • Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022616012

作品紹介・あらすじ

自閉症の青年による殺人事件は、なぜ単なる「凶悪な通り魔」による殺人事件とされてしまったのか?四年にわたる取材から浮き彫りになる、障害を持つ青年の取調べ・裁判、そして何より当人が罪の重さを自覚することの難しさ。刊行時に大きな話題を呼んだ問題提起の書、待望の文庫化。

感想・レビュー・書評

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  •  2001年浅草で、ハーフコートにサンダルばき、さらにレッサーパンダの帽子をかぶっているという異様な出で立ちの大男が、白昼、19才の短大生を刺殺する事件がありました。犯人は養護学校の卒業生であり、軽度の知的障害がありました。しかし、新聞はこの事件を大きく取り上げたものの、犯人を中学校卒業と書き、養護学校出身であることを隠して報道しました。
     養護学校(現在は特別支援学校)の教員を長く務めた著者は、この国全体に漂う、障害者へのそうした、よく言えば慎重な、悪く言えば腰が引けたような何とも言えない雰囲気が、我々の判断や裁判に影響を与えているのではないかという疑問を持ち、裁判を傍聴し、被害者や加害者の家族、関係者と話すことで、障害者が関係する事件の裁判のあり方、このような事件を防ぐために何が必要なのかを考えていきます。
     自閉症に関して学ぶことが多く、また、著者の目指すもの、執筆の動機にも賛同できるのですが、それでも、この本は少しまとまりを欠いているという印象を、私は持ちました。著者はあとがきで、枚数の制約から削らなければならなかったエピソードに少し触れているのですが、その一つ、犯人が獄中で女性と文通し、結婚を望むようになったこと、それ以来供述が変わってきたことは、あとがきで簡単に紹介するだけで済ませられる事実ではないでしょう。また、ある部分を削った事情からか、前後とうまくつながらない文が不意に出てきたりする箇所がありました。
     そして、犯人の妹についてのエピソード。重い病気を抱え、父と兄の犠牲になり、「いままで生きてきて、なにひとつ楽しいことはなかった」と言う彼女に、最後に幸せを味わってもらおうと、福祉関係のスタッフが彼女を旅行に連れて行ったり、おいしいものをごちそうしたりします。彼女は最後に「ありがとう」という言葉を残して息を引き取るのですが、その「ありがとう」を著者は以下のように解釈します。

    「あなたのおかげです。
     あなたの分も、私なりに精一杯生きました。
     生きることができました。
     あなたのおかげです。
     ありがとう」

     「あなた」とは彼女の兄に殺された被害者の女性です。兄の犯罪がきっかけで、彼女は善意の人に巡り合えた、最後にささやかな幸せを味わった、それは確かなのですが、それでも、著者の解釈によるこの言葉は、被害者の遺族の心に突き刺さります。私が遺族だったら、ふざけるな!娘はあんたのために生きたり死んだりしたわけではない!と、叫びたくなります。この言葉で本は終わるのですから、これが結論ととられかない。私は、著者はこれを本の結びとするべきではなかったと思います。
     しかし、そうした点(私の感じ方では瑕疵)はあるものの、これからも同じ著者のルポを更に読んでみたいという気持ちには、十分にさせてくれる本でした。こうした問題に興味があれば、一読をお勧めします。

  •  日夜、事件が起こる。今も起こっているだろう。われわれはそれをニュースで知る。しかし事件はわれわれのもとを通り過ぎて忘れ去られる。
     そんな事件を丹念に追い求め一冊の本にする。ルポルタージュである。ニュースで語られなかった詳細があるかも知れない。隠された真実があるかも知れない。当事者の心情があるかも知れない。
     私はそんな本を一冊読む。でも、あまたあるルポをすべて読むわけではない。いったいそんな本にどのような意義があるのか。本は図書館で眠る。そうしているかぎりは記録として残る。それが意義だろうか。なぜ私はこの本を読むのか。

     漠然とした違和感を抱きながら本書を手に取ったが、その疑問を言語化すれば以上のようなことになるだろうか。本書が単行本で出たことを私は知らず、文庫の新刊で「レッサーパンダ帽男」の文字に反応して手に取ってみたのである。「そんな事件があったな」。私によって見事に忘れ去られていたには違いない。レッサーパンダの帽子をかぶっているという異様な風体の男が若い女性を刺し殺した事件である。
     著者はこの男が高機能自閉症であり、彼を裁くに当たってそのことを踏まえた上でなければ罪も問えないし、罰も与えられないと考えるが、しかして法廷はそのような観点を避けて、あくまで猟奇殺人的な見方で事件をまとめてしまった。本書の主張点はおよそそういうことである。しかも、被告本人も自分が障害者であることを否定するという展開の中で。

     障害児教育畑をへて文筆業となった著者は「彼らをよりよく知ることから始めることが、不幸な事態を防ぐための最善の方策なのではないだろうか」と述べる。まったくもって正論である。しかし「よりよく知る」べき「異人」たちは自閉症の人々ばかりではない。そうした幾多の「異人」たちをすべてよりよく知ることができるのだろうか。そのような多くの知識を国民みなに求めることができるのだろうか。せいぜい寛容であろうとか一般的な姿勢を正すしかないのではないだろうか。
     他方、本質的に現行の法体制・裁判システムで、認知も行動もわれわれとは異なる部分のある「異人」を裁くには、むりやり自分たちの土俵にのせて(猟奇殺人!)裁くしかないのではないか。その意味では警察官・検察官・裁判官ともに自己の枠の中で実際的に行動したといえなくはない。筆者の批判はその枠を破れということであり、それは「~官」には無理な相談ではないか。読みながらつきまとう疑問はそんなあたり。

     ルポの内容としてはまったく頭の下がるいい仕事だと思う。是非多くの人に読んでいただきたい。しかしこれだけ読んで、それでいいのだろうか。本当はあまたの事件のルポを読まねばならないのではないだろうか。他の「異人」たちのことも知らねばならないのではないだろうか。いい仕事であればあるだけ、釈然としない気持ちがもまた残るのだった。

  • かつて話題になったレッサーパンダ帽事件について、自閉症(とは認定されていないが)の加害者をいかに裁くかをテーマに事件の詳細を描いたルポ。

    この手のルポは著者の独断的な主張によって、検察か弁護側のどちらか一方の肩を持って描かれることが多いが、この著書は被害者と加害者のどちらの声も肩入れせずに伝えようとしている点で良い作品だと思った。

  • レッサーパンダのかぶりものをした男が起こした、殺人の裁判について。記憶にあるものの、詳細は忘れていたし、親族の話も初めて知ることばかり。難しい問題を含んだものだったと知らされた。

  • 2001年に起こったレッサーパンダ帽男による女性殺害事件が題材。
    事件が報道された時その特異な風貌から話題となったがその後犯人が逮捕され、養護学校出身の障害者と判明、裁判では責任能力の有無が争われた。

    元養護学校教諭である著者の眼を通して、教育を終え社会に出た障害者が福祉の網から漏れた時、本人や社会に危険が及ぶことがある。けれど、どうやって防ぐことができるのか。
    被害者の親族が吐露した悲しみに胸を打たれ、犯罪者は皆同じ目にあえばいいと感じるが、果たして犯罪の自覚がない場合は?

    加害者の親族で加害者を含む家族のため抑圧された生活を送ってきた妹は死の間際に支援者により救われた。加害者にもこういったサポートが必要だったのか?障害に関わらず、社会的に孤立した人を救うのは難しいことだ。

  • レッサーパンダ帽子の男による殺人事件。何となく覚えてはいたが、この本を読むまでこんなにも裁判に時間がかかり、しかも問題をはらんだ事件とは知らなかった。
    最近、「絶歌」で少年犯罪での真の意味での「更正」に問題提起がされたが、こちらの事件でも同じような問題が。
    加害者に障害があるがために、加害者本人が真の意味での罪の重さを自覚し反省できるのかどうかということ。
    よく捕まった犯人の供述がちんぷんかんぷんだったりするが、この事件の裁判での被告と弁護士、検察とのやりとりが、ある意味不毛で気が遠くなった…。
    質問しても、ちゃんと答えが返ってこない。そもそも質問の意味すら理解していない?人を殺しているのに、本当に事の重大さをわかっているのか?この違和感は取り調べをした刑事も気づいていたはず。でも日常生活に不便しない普通の人間であるし、通常の手続きに従い通常の裁判が始まる。だが、蓋を開けてみたら養護学校出身であり、軽度の障害があるとわかる。
    筆者は中立の立場に立って書いているが、読んでいるこちらはどうしても被害者立場に立ってしまい、極刑を望むのは仕方ないが、でも本当にそれは正しい裁判と言えるんだろうか?
    私自身、目には目を歯には歯をと考える人間なので、何の罪もなく無残に殺された被害者の事を思うと、無期懲役は生ぬるい判決だと思う。基本的に自身の欲望の為に殺人をおかすような犯罪者に人権はないと思うから。でも被告に「責任能力」を問えるかという問題でいつもモヤモヤしてしまう。本当に責任能力の問えない犯罪者だったら?加害者に人を殺す意味すら理解できなかったら?
    …難しい問題だと思う。答えはきっと出ない。でも私は裁判は、遺族の思いに寄り添った判決であって欲しいと思う。だって、何の落ち度もなかった被害者の生きる権利はどうなるのか。加害者の障害を理由に減刑されるようなことがあれば、殺された被害者はただの殺され損ではないのか?残された遺族の気持ちを考えたら、加害者の立場を理解しろなんて言えないはず。
    考えるきっかけとして、色々な人に読んで欲しい本だと思う。

  • こんな事件があったのは知らなかったな。知的障害者が凶悪な事件の加害者だったことがわかるとマスコミが不気味に沈黙する、そんな事件がつい先日もあった。おうむ返しに代表される自分を他人から相対化しにくいという発達障害の特徴が、取り調べでの供述書作成で不利にはたらくというのは確かにそうかもしれないな。暗い話題だが、最後に一筋の光が垣間見える、すばらしいノンフィクションだ。

  • エピローグとして「最期のレクイエム」と題された最終章-
    被告や父親など、男たちの身勝手に翻弄されつづけ、ひたすら一家の暮し向きを支えるために、身を粉にして働きつづけ、ガンを発症、脳に転移し手術するもすでに手遅れ、25歳の若さで逝ってしまった被告の妹。
    その救いのない孤立した末期を、障害者自立支援団体「共生舎」らの救援にはじまり、さまざまな人々に支えられ、生の輝きを取り戻したかのように生き得た8ヶ月をスケッチ、報告しているのは、重い全編中において珠玉の章となる。

  • レッサーパンダ事件て覚えてますか?女子大生を殺めたのは養護学校出身のハンディキャップをもつ男でした。彼の生育環境(特に妹さんの不遇な境遇)や報道のあり方、被害者家族の心理。重い本です。

  • 大変な力作。発達障害にあるものが、現行の裁判制度では適切に対応できていないこと、密室での取り調べの問題、加害者一家に対して届いていなかった福祉の手、等々。

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著者プロフィール

批評誌『飢餓陣営』主宰。『自閉症裁判』ほか、福祉関連分野の著作多数。

「2014年 『「生きづらさ」を支える本』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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