- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022616760
作品紹介・あらすじ
東京大空襲、原爆投下、玉音放送。新聞・ラジオでそれを知った大人たちは日記に何を書き残したか。当時十四歳だった著者は何を思ったか。中野重治、高見順、永井荷風、大佛次郎ら一流の知識人たちの日記をもとに、日本人が「しようがなかった」で済ませようとしている、あの時代を振り返る。
感想・レビュー・書評
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様々な人たちの日記と、自らの体験を通じて、あの戦争は何だったのかを考える。東日本大震災、原発事故の起こった今、戦争末期から戦後の混乱期に、一般の日本人がどのような考え方をしていたかを、改めて見直したくなった。
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野坂氏はとても誠実な人だと感じた。一時TVCMに出た頃は気障を装う変なおじさんという印象しか持たなかったのだが、『火垂るの墓』を読んで一変した。そしてこの『「終戦日記」を読む』のあとがきではこう締めくくっている。「ぼくはぼくなりにあの戦争と向き合い、書き続けることこそ、自分に与えられた業だと思い定めている。」ますます敬意を表したくなった。
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小学生の頃、水練学校(今のスイミングスクールで当時大阪の小学生は夏休みに堺・浜寺海岸にある水練学校に男の子は6尺褌を締めて通った)に行く途中の浜寺公園全体が進駐軍の住居地区になっていた。日本人は中に入れず広い進駐軍の住居地区をまたいで南海電車浜寺駅から海岸まで長い陸橋があり、当時はめずらしい青い芝生や白いモダンな西洋建築の家、自転車に乗ってアスファルト道路を走り回るアメリカ人の子供たちを見ながら水練学校に通った。住居地区には映画館まであり、子供の目には別世界に映った。戦後10年余、昭和30年代初頭である。
戦争を知らない子供たちとして生まれた私でも、終戦当時の日記を読むとつらい。
つらいと同時に改めて怒りを感じる。何に怒りを感じるかというと軍部であり国である。
ただ軍部や国が暴走したのは、世論がそれを容認し当時のマスコミ(新聞、ラジオ)がそれを煽ったから。そしてその風潮を軍部が利用し政府が容認した。
もちろん当時は今ほど国政の情報は公開されておらず(それどころか情報統制で一般国民は嘘八百の情報を聞かされていた)、国民は騙されていた。
戦後民主主義となり情報は以前と較べたら随分公開されるようになった。ただ私はマスコミを十分信じることができない。世論操作や情報操作をしているとまではいわないが、事実をバランスよく伝えるのではなく、売らんが為の感情的情緒的な報道が多い。
良くも悪くも世の中を変えるのは一部の権力者ではない。
世の中を変える根源は世論とマスコミである。
世の出来事に対して感情的情緒的にならないよう、一人一人が極力自制する以外に無い。
Boy! Boy! Crazy Boy! Get cool boy! Get a rocket in your pocket! Keep coolly, cool boy!
映画West Side Storyの歌Cool!
高校時代に観た。カッコ良かった!
2010年08月21日 12時17分 [ 閲覧数 15 ] -
アジア太平洋戦争での,大日本帝国降伏調印の1945年9月。その前のポッダム宣言受諾の天皇放送。暑い夏だったが,1930年生まれで当時14歳の著者は,6月の神戸空襲で妹とともに戦災孤児となり、すでにこのとき妹は栄養失調で死亡していた。
妹の死,放浪,飢餓そして少年院収容などの二年ほどは、作家としての著者の原体験となった。その時期を人々はどう生きていたのだろうか。
著者は70年代から、出版された「終戦日記」を集めていたという。それらを読みつつ,あの時代と人々を、語っているのが本書。
日記などは以下のもの。(出版年は原本ばかりではなく、文庫化したものも含む)
細川浩史ほか編『広島第一県女一年六組森脇瑶子の日記』1996
山田風太郎『戦中派不戦日記』1985
高見順『敗戦日記<新装版>』1991
大佛次郎『大佛次郎 敗戦日記』1995
永井荷風『摘録 断腸亭日乗/下』1987
渡辺一夫『渡辺一夫 敗戦日記』1995
徳川夢声『無声戦争日記抄 敗戦の記』2001
中野重治『敗戦前日記』1994
海野十三『海野十三敗戦日記』1971
木戸幸一『木戸幸一日記/下』1966
軍事史学会編『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌/下』1998
岡本望『嵐の青春 神戸大空襲』1993
大木操『大木日記 終戦時の帝国議会』1969
松波盛太郎『こころの遺書』1983
伊藤整『太平洋戦争日記/3』1983
藤原てい『流れる星は生きている』1976
今井弥吉『満州難民行/第二部大陸避難日記』1980
安里要江/大城将保共著『沖縄戦・ある母の記録』1995
著者は<あとがき>で述べる。
「少しでも戦争を知る人間は,戦争について語る義務を持つ。もはや残された時間に限りがある。
ぼくはぼくなりにあの戦争と向き合い,書き続けることこそ、自分に与えられた業だと思い定めている」