記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版
3.91
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本棚登録 : 609
レビュー : 82
  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022616869

作品紹介・あらすじ

18歳の美大生が交通事故で記憶喪失になる。それは自身のことだけでなく、食べる、眠るなどの感覚さえ分からなくなるという状態だった-。そんな彼が徐々に周囲を理解し「新しい自分」を生き始め、草木染職人として独立するまでを綴った手記。感動のノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 19歳でバイクに乗っていて事故にあい,意識不明の重体から奇跡的に回復するも,記憶喪失となった坪倉さん。
    絵が好きで好きで,大学生として絵の勉強をしていた彼が,事故後は絵や大学が好きという気持ちも失い,周りの人のことのみならず何もかもわからなくなる。
    誰もいないところに行きたいと家出を繰り返したり,昔のことを思い出そうと必死になったり,なんでも周りに聞くうちに徐々に友人たちが離れていったり…。
    大変な苦労を経て,ついに大学を卒業し,草木染の職人として自立するまでを綴ったノンフィクション。

    記憶喪失に関する小説は読んだことはあっても,本人が書いたノンフィクションを読むのは初めて。
    ずっと読みたかったこの本を読み終わり,しばらく放心…。
    なんて壮絶なんだろう。

    あえて,記憶を失った状態を例えるとすれば,文明を知らない過去の人が,突如,タイムマシンに乗って外国に連れてこられた感じだろうか。
    …とはじめ思ったけど,坪倉さんは「寝ること」「食べること」「お風呂に入ること」,明日とか7時とか朝とか時間という概念,「心地よい」「心地悪い」ということを表現する言葉(甘い,辛い,冷たい,熱い,おいしい,まずい)すら失ってしまっているのだから,やはりこれは,身体だけ大人の,赤ちゃんの感覚に近いのだと思う。

    たとえば,家に帰ってご飯を食べるときの回想。

    “かあさんが,ぼくのまえになにかをおいた。けむりが,もやもやと出てくるのを見て,すぐに中をのぞく。すると光るつぶつぶがいっぱい入っている。きれい。でもこんなきれいなものを,どうすればいいのだろう。
     じっと見ていると,かあさんが,こうしてたべるのよとおしえてくれる。なにか,すごいことがおこるような気がしてきた。だから,かあさんと同じように,ぴかぴか光るつぶつぶを,口の中に入れた。それが舌にあたるといたい。なんだ,いったい。こんな物をどうするんだ。
     かあさんを見ると笑いながら,こうしてかみなさいと言って,口を動かす。だからぼくもまた,同じように口を動かした。動かせば動かすほど,口の中の小さなつぶつぶも動き出す。そしたら急に,口の中で「じわり」と感じるものがあった。それはすぐに,ひろがる。これはなに。”

    ごはんを口に入れ,噛み,味わったときの新鮮な驚き。

    一番胸がしめつけられたのは,「自分の話を誰も聞いてくれない」,「口から何度もハーという音を出す」周りからの疎外感に加え,家の中でも自分の話を聞いてもらえない,こんなところにいたくないと,家を出ようとする場面。
    出て行こうとする坪倉さんを,母が必死に引き留める。

    “「どうして家から出ていきたいの」と言っているかあさんの目から,何かがたくさん流れ出している。それは止まらずたくさん流れる。
     口は力を込めて閉じているのに,目から何かが,止まることなく流れている。それを見ると,急に息ができなくて胸が苦しくなった。それは見たくない顔だ。ぼくがこんなことするからこうなるのだ。もうやめよう,もうやめなくてはいけない。”

    随所にさしはさまれるお母様の述懐。
    過去を忘れ,外見も性格もすっかり変わってしまった息子に対するご両親の心配,苦労はいかほどのものだったのか。
    でも母は現状をいち早く受け入れ,「これからの生活の中で作り上げていけばよい」と思い,いちから物事を教える。時には疲れ,いらだっても,母は息子に根気よく向き合う。そんな母の愛は,ストレートに坪倉さんに伝わっただろうと思う。
    父は,当初,坪倉さんが記憶喪失になったことは認められず,母に対しては「甘やかすな」と叱る。子は親の背中を見て大きくなるのだから,親はしっかりしていないといけないと。(こんなあたり,本当に男女差が出るなぁ。。)
    二人とも,接し方は違えど,坪倉さんにべったりつきっきりになったり家に閉じ込めておいたりすることはせず,3か月目には大学に通わせ,福井に運転免許の合宿に参加させ,事故の原因となったスクーターに乗ることを認め,さらには一人暮らしさえさせるようになる。
    どんなに心配だったとしても,どんなに不安があったとしても,記憶を失ったことを言い訳とせず,社会人として自立して生きていけるように。
    そんなご両親に,敬意を表さずにはいられません…。

    最後の章。今は,なくしてしまった過去の18年の記憶より,あたらしい過去の方が大事になったという。
    そんな気持ちになるまでには,本人にしか分かり得ない葛藤がたくさんあっただろうことは,想像に難くない。
    現在,ありのままの自然を曇りない心の目で見,「生命の色を再生する」草木染の職人として活躍される坪倉さん。ありのままの自然を見つめる感性は,辛い試練を乗り越えた坪倉さんに,神様が与えてくれたプレゼントなんだろうと思う。

  • 今日、アマゾンを覗いたら、ランキング1位だった。とても読みたくなって帰宅途中に紀伊国屋へ。
    著者は18歳の時にバイク事故でそれまでの記憶を失った。自分が誰か、ここはどこか、話かける人は誰なのか、文字もご飯もお風呂もわからない。
    それでも家族、特に母親がじっくりと接していき、人としての生活を取り戻していく。記憶を失ってからの小さなエピソードが淡々とした文書で書かれており、合間合間に母親の当時の思い出が書かれている。本として読むには、あっという間に読み終わるものだが、その日々の不安や困惑は想像すら出来ない。
    美大を出た著者は染色家の道をたどるが、化学染料ではなく、自然の植物を使って染色するという。18年という歴史がなくなってしまった著者が、命あるものとして歴史を重ねてきた植物を使って染色するというのは、勝手ながら感慨深いものであると思った。

  • 記憶がなくなるとこうも人はわからなくなるものかと驚いた。
    家や、人が流す涙さえ何なのかわからなくなったというエピソードがありありと書かれていた。
    また「過去」が記憶から消えたことで、筆者の過去に対する考察がとても印象深かった。「過去がないと生きてる意味がない」という発言の真意を理解していないが、人は人生を今ゼロから始めることはできないのかもしれないと思った。

    視野を広めるという意味の読書をされようと考えている方は是非。

  •  記憶ってなんだろう。
     この本を読んでまず思ったのはそれだった。
     記憶喪失……単純に自分の名前や回りの人たちのことを思い出せないだけでなく、満腹感や睡眠の仕方まで忘れてしまうとのこと。
     これがこの作者固有の症状なのか、それとも記憶喪失とはそういうものなのか。
     食欲とか睡眠欲、あるいは性欲(作者が記憶を喪失してしばらくは女性の裸を見ても何とも感じなかったそうだ)などは、記憶という範疇ではなく、あくまでも生きていくための本能、後天的に積み上げられるものではなく、先天的に備えているものだと思っていたので、かなり意外だった。
     でも、よくよく考えてみるとそれら本能と思われていた事柄も、結構記憶に左右されているんだろうな、と思い直してみた。
     例えば、記憶があまり蓄積されていない赤ん坊などは、昼夜の区別なく、眠りたい時に寝る。
     人間は夜には寝るものだ、というのは、本能ではなく、あくまでも習慣、つまり経験の積み重ね、記憶の積み重ねによるものなのだろう。
     だから作者は「なぜ夜に寝るのか」の記憶を喪失してしまった。
     あるいは満腹感。
     これだけ食べたらもう十分ですよ、という脳からの信号ほど実はあてにできないに違いない。
     もし、その信号が完全に有効であれば、僕のお腹の周りにこれだけの脂肪はついていないはず(汗)。
     どれだけ食べれば満腹なのか、十分なのか、これもきっと記憶の積み重ねなのだ。
     そう考えると、記憶の重要さ、これが今まで以上に重く感じられる。
     そしてそんな記憶を喪失してしまった作者の言葉。
     記憶を喪失した人間でなければ判らない事柄に溢れている。
     もちろん、「記憶を喪失した」後に積み重ねられた「新しい記憶」を土台にして、「記憶を喪失した直後から現在まで」を回想して書かれているのだろう。
     非常に回りくどい言いかただけど、要するに、記憶を喪失した時点に書かれたものではなく、ある程度回復したあとになって、「あの時はこうだったなぁ」と思い出しながら書かれているのだと思う。
     だから厳しい書き方をすれば「純度100%」の回顧録ではないと思う。
     やはりある程度「話を盛っている」場面もあるんじゃないかと思う(決して悪いことではないと思っているので、あえてこう書いている)。
     そんなことを思いながら読んでいたので、実は他の方のレビューにあるように「感動した!」という状態までには至らなかった。
     母親の回想に涙しそうになったり、父親の厳しい中にも愛のある行動に拍手を送ったりもしたが、それでも「感動した!」というところまでは残念ながら達し得なかった。
     きっと僕自身、不純な記憶の堆積でもって生きているからなのだろう。
     そんな記憶を「喪失」する必要はないだろうけど、いつかはきちんと「浄化」しないとまずいだろうな……ブツブツ。

  • この世には体験者しか書けない世界があるが、この本はまさにそう。解説で俵万智が書いている通り、子どもの感性をそのまま書いたような文章は、書こうと思って書けるものではない。この文章を読むことで、毎日見過ごしているあらゆることが、全く新しい、けれどよく分かる感覚で立ち上がってくる。
    記憶は、結局全部は戻らなかったのだから、著者は1.5倍位の人生を生きたことになる。それも稀有な体験だ。
    「かあさんだよ」、ごはん、チョコレート、UFOキャッチャーなど、何度も読み返したくなる素晴らしさは、前に読んだ時と変わらないが、自分が年をとって、坪倉さんのご両親の偉大さを感じた。もし子どもが事故にあったら、自分は親として、ここまで見守りつつも手を離すことができるだろうか。

  • 事故により18歳で記憶と感覚、そして社会通念の殆どを忘失した青年の手記。
    思い出や物の名前だけにとどまらず、文字も眠ることも「味」という概念も、さらには自分が人間だということさえも忘れ赤ん坊に立ち戻った彼が、草木染め職人として独立するまでの「“人間という生きもの”の習得過程」が綴られている。
    その深刻を極めた症状の様子から、当人もご家族も血を吐き這いずるような日々だったろうと推察されるけれど、この手記には不思議と凄惨さがない。勿論、随所に胸の締め付けられるような悲しみやもどかしさはあっても。
    それはひとえに、著者が生々しい感情と現実問題の摩擦を文章から濾過してくれたからだと思う。最も理解して欲しかっただろうそれらを丹念にそぎ落としながら、作中同様「これでいいのだ」と穏やかに頷く顔が見える気がした。
    日常生活もままならない中で美大に復学してからのくだりは、ときに悪意の標的になりながらも置かれた状況から逃げ出さず、忘れてしまったものたちを懸命に掴もうとする姿に胸を打たれた。
    努力という投資への対価に見積もりをつけたり、その結果まだ見ぬ失望に恐れたりすることを忘れたからこそのひたむきさはいびつだけれどとても輝いている。
    また、まっさらな目で見た日常の数々の描写は、私にも沢山の発見をくれた。
    “しゃもじですくうと、地球にスコップをいれるような感じがしてどきどきした”
    (カズハ)

  • 通常記憶喪失というと、「ここはどこ?? 私はだれ??」
    という感じで、とりあえず日常生活をしながら
    自分に関する記憶を取り戻す、って話が多い。


    だけどこの作者は、バイクの事故で18歳の時脳に衝撃をうけて
    そればかりじゃなく、日常のすべても忘れてしまう。

    食べるも、眠るもわからない、
    ただ会話はできるだけの大きな赤ちゃんになってしまった。


    家族はもちろん困惑する。
    食べなさい、といっても食べ方がわからないとか、
    お風呂に入るといっても適温がわからないから用意しないといけない、
    寝なさい、というと寝る意味がわからないといって寝られない。


    母親は18歳の子を、赤ちゃんを育てるように育てる。


    これは日記風、というかエッセイ風に書かれているけれど、
    最初のころは本当に、小さな子供が
    何も知らないまま世界に出て行って思ったことを書いているようで、
    なんだかひどく神々しい。
    赤ちゃんが生まれてすぐ喋れたらきっとこんなことを言うんだろうな、という。
    だけど同時にそれが18歳になる大きな赤ちゃんだった時、
    家族の苦労を思うときれいな言葉ではまとめられない、
    苦しい気持ちになる。


    仲の良かったらしい女の子のことも思い出せない。
    そもそも女の子の扱いもわからない。
    友達のこともわからない。何一つわからない。



    自我はある作者の気持ちもつらい。
    何一つわからないから学んでいくけれど、
    周りは外見だけで、それを赤ん坊に接するようには対処してくれない。
    戻らない記憶、わからないことだらけ、焦燥感。


    結局彼は記憶が戻らないまま、再びの子育てを経て
    一人立ちをするようにまでなった。
    家族のささえってすごい。



    だけど、自分の大事な人が記憶を失ったらどうなるだろう??
    また自分を大事と思ってくれるんだろうか??
    全く興味のない人と思って去っていかれるんだろうか??
    自分が耐えられるだろうか??

    自分が大事な記憶を失ったらどうなるだろう??
    大事な人をまた大事に思えるだろうか??

    記憶ってなんだろう。

  • 先入観なくみたこの世界はなんて不思議なんだろうとしみじ思いました。

  • 記憶喪失になると、こんなことにまで影響が出るのか…と愕然とした。

    ただ、坪倉氏はその人柄から記憶喪失となる前にたくさんの信頼できる友人・知人を獲得しており、その大きな助けがあって今の新しい生活が築けたのだと思う。

    今振り返って、自分がそんな生き方が出来ているか、と考えると、全く自信が持てない。

    今からでも遅くないはず。

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