性犯罪被害にあうということ (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022616999

作品紹介・あらすじ

24歳の夏、私は性犯罪被害にあった。加害者への恐怖と憎しみ、被害者への偏見、変わってしまった人間関係。孤独の中で泣きながら、携帯電話を使って自分の気持ちを打ち込んだ。「私の人生は、続いています」。実名と顔を出し、被害者の心境をありのままに記した勇気のノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 『性犯罪被害とたたかうということを』を先に読んだ後でこちらも読みたくなり購入。

    ページをめくるのがつらかった。

    性犯罪被害の凄惨さについては言うまでもありません。
    ここまで勇気を持って語っていること自体が奇跡としか言いようがないほどすごいことだと思うし、だからこそ感じていた痛みを思うとこちらもつらくてつらくて仕方がなくなります。
    心に刺さる言葉、考えさせられる言葉、沢山あって本当に読んでよかったと思える手記でした。

    ただ、ただそうであってもですね、好きか嫌いかで言えば私、この本大嫌いです。

    小林さんの生き方が、あんまりにも小林さん自身に対して無茶苦茶なことをを強い過ぎているように思えてならなかった。
    はっきり言って痛々し過ぎます。
    何故そこまで自分に鞭を打てるのか?

    何でレイプされた次の日に当たり前のように出社したのか?
    何故精神科を受診していない(p.66)のか?
    何故身体が男性を拒絶しているとしか思えない状況で男性と結婚したのか?
    何故「甘えること」を何もそこまでというほど頑なに拒むのか?

    休んでいいじゃん。
    精神科受診してみてもいいじゃん。
    傷が癒えるまで男性と付き合うことないじゃん。
    何より、甘えたっていいじゃん。
    泣いたっていいじゃん。
    助け求めていいし、わがまま言っていいじゃない。
    それが大切な人を傷つけてしまっていたとしても、いいじゃない。
    それが人間じゃないですか。

    とにかく、読んでいるこちらがイライラする程の強がり。強情張り。
    最初の読み始めは強烈な悲しみや同情が先に来るので、読後は何も言えない感じで一杯になるのですが、よくよく読み返すとところどころ妙に腹が立つ。

    小林さんの両親も読ませてもらった限り、「厳しい」とかそういうレベル通り越して、かなりの毒親ですよ?
    父親とか平然と殴ってるじゃん。れっきとしたDVしてますやん。
    母親も母親で、「誰にも言わないでちょうだいね」「よかったね」とかそういうの含めて、かける言葉も態度もどうかしてるよ。
    こんな両親、元から信じるに値しないじゃない。こう言っちゃなんだが、こんな親からはとっとと逃げて一切連絡も絶って、逃げた先で自分のQOL上げることに専念する方が遥かにマシだと思う。
    なのに、「失望した」とか書いておきながらどこかでは両親のことをしっかり信頼しようとしている。

    とにかくそういうこともあって、書き口の「攻撃性」が嫌というより、小林さんが生きている世界観というか価値観の「人間に対する要求のハードルの高さ」が嫌い。
    端的に言って、ナチュラルに意識が高い。寛容性が無さ過ぎる。
    だから、自分の言っていることがどれだけ無茶振りかということを、無茶苦茶なことを言っていたのかということを、いつも何かトラブルがあった後になって思い知り続けているようなフシを読んでいて感じます。
    本の中でカウンセラー目指すくだりがあったけど、行動力は評価するとして、そもそもそういう癖の持ち主にカウンセラーが向いている訳がない。平然と高い要求ふっかけてクライアントにプレッシャーを与えるような人間に誰が悩みやコンプレックスを打ち明けたいと思うのかね?
    こういう面も含めて、親の教育の与えた闇は深いと思うし、だからこそ余計好きになれません。読んでいて不快になりました。

  • 体験した本人が語るという点ではとても貴重だと思うし、敢えてその記録を公開した著者に敬意の念という言葉では表現しきれないほどの思いを感じた。
    事件自身も大変な体験ですが、その後の周囲の無理解・誤解による二次被害も実は結構ダメージを受けるものなんだなと。
    必ず「される方も悪い」という意見が出たり、意外なやっかみがでるものらしいが、いずれも被害当事者の思いからかけ離れた信じられないコメントなのだが、現実は一定の割合でそうした意見とぶつからなければいけないらしい。
    しかもこのような犯罪がそこそこ日常的に行われている可能性があって、おそらく警察につかまる可能性があまり高くないことがとても恐ろしい。

  • 人間って話す事が出来るのに何でここまで伝わらんのか。まだまだこういう事件…被害者さん達には偏見の目が向けられると思う…けど、それを何とか動かそうと努力してる人達も素晴らしいと思う。
    まぁ、この著者さんの親には反吐が出るけどね。あまりにも酷すぎる。
    あと『裏切り』って言葉で、自分も経験した史上最悪な出来事を思い出し、ちょっと泣いた。忘れたくても忘れられへん、誰かに話したくても話されへん事って誰しも持ってるよな。
    話ズレたけど著者さんが前向きに伝える事は無駄ではないと思います。

  • 色々考えさせられる。みなさんのレビューにとても共感します。
    こうして勇気を出して声をあげることで、警察や裁判所、相談センター、マスコミ対応など、諸々のことが改善されてほしい。
    二次被害が大きいからこそ、被害者は告発することができなくて、性犯罪はますますはびこる。
    そんな理不尽な傷つけられ方をする人が、少しでも減りますように。
    傷ついてしまった人には、「あなたは悪くない」ってすぐに抱きしめてくれる人が現れますように。
    アメリカで何年も監禁されて虐待を受けていた女性のことが報道されていましたが、そんな風に堂々と犯罪のみを糾弾して、被害者のことは生きのびたことを讃え、支援する社会でありたいです。
    編集の矢部万紀子氏の名前はアエラの記事でたびたび目にしていましたが、今回改めて、著者の信頼を得ているいい編集者なのだな、と感じました。

  •  性犯罪被害にあってしまった女性が事件から2年ほど経った頃に「泣きながら携帯電話に打ち込んで」書いた手記が、筆者の実名・写真付きで出版され、大きな話題を呼んだ本です。出版された当時にも一読したことがあるのですが、昨年から今年にかけて設置されていた法務省の性犯罪の罰則に関する検討会のヒアリングに筆者が出席されていたことを知ったのをきっかけに改めて読んでみることにしました。

     「誰かに読んでもらうためでも、世に出すためでもなく、ため息や涙のように、私が吐き出したもの」と筆者自身が述べているように、必ずしも時系列を追って書かれているわけでもなく、テーマごとに整理されているわけでもありませんが、そのぶん胸に迫るものがあります。 *1

     この本はすでに広く知られていますから、今さらわたしがレビューを書いたところで特段の意義はないかもしれませんが、自分の読書メモとして3点、印象に残ったところを書き残しておきたいと思います。


    ①ひとつは家族との関係についてです。
     この本では、筆者が両親に事件のことを打ち明けてから、両親に怒りをぶつけられるなどして、関係がうまくいかなくなった様子が詳細に書かれています。

     わたしは3年ほど前にうつを患って治療中なのですが、うつ病が一番ひどかった頃、母親との関係が悪化したのをなんとなく覚えています。母親が自分を心配してくれるのはとてもよくわかっていたのですが、母親が泣き叫びながら自分をなじるのを聞くのは辛かったです。

    「きっと、母は私以上に事実を受け止められずにいたのかもしれない」
    「『なぜ当事者の私のことを一番に考えてくれない? “辛かったね”ってたった一度でも抱きしめてくれたらどんなに安心したか……』(中略)しかし私の母は、それができない。それは、きっと、母にとっては、母が「娘を傷つけられた」当事者だから……。」
    *2

     ここを読んで、率直に、「ああ、自分と似ているな」と共感しました。
    (自分に似ていると思い込んでしまうと、ありのままの筆者を理解しようという姿勢が欠けてしまう危険が生じるのには注意したいと思いますが、これが読書中の率直な感想でした。)

     うつ病の治療においては家族の協力がとても大事だと言われていますが、患者本人と家族との関係はなかなかうまくいかないことが多いのです。休職・退職で収入が途絶えてしまうことによるお金の不安。日がな一日寝込んだり散歩したり気ままな一日を送る本人を片目に、家事や育児や仕事の負担を一手に負わなくてはならない疲労感や理不尽感。色々な理由が考えられます。
     この理由のひとつとして、「母にとっては、母が「娘を傷つけられた」当事者だ」、すなわち家族もまたうつ病によってショックを受ける当事者なのだということは意識されてもよいのかなと思います。


    ②もうひとつは、自責の念にとらわれがちなこと、人に言えない後ろめたいものであると思われていることが、性犯罪被害とうつ病とで似ているのではないかということです。

    「『人に言えない恥ずかしいことをした』という気持ちを抱えて生きることの屈辱と、理不尽な罪悪感をいつも持っていた。性犯罪の被害者の悩みは、ここなのだ。誰しもが持っている常識や習慣や文化が、こんなかたちで自分に降りかかるとは思わなかった。私も、以前はその中で疑問を持たずに生きていたのだから。」
    *3

     性犯罪被害については、被害者が悪いと断ずる風潮は少しずつながら弱まってきているように思います。もちろんまだまだ被害者に対する偏見を持つ人は多くいるはずですが、一般的な傾向としては。
     そのひとつのあらわれが、今年の11月から、強姦罪の非親告罪化、すなわち被害者の告訴がなくても犯人を罪に問えるようにするべきかの議論が法務省の法制審議会で始まったことではないでしょうか。法務省の「性犯罪の罰則に関する検討会」取りまとめ報告書(平成27年8月6日 *4)でも、「性犯罪の被害に遭ったことを不名誉だと考えること自体がおかしい」(4ページ)という意見が述べられていました。

     ひるがえって、うつ病ではどうでしょうか。
     「ケガもしていないんだから、働けるはずだろう」「働かざる者食うべからずだ」――このような常識や習慣や文化が、患者の周りの人にも患者本人にも強く残っていて、休職に対する大きな重圧になっているように思えてなりません。
     「犯罪被害者は悪くない、悪いのは加害者だ」というのは絶対の真理であると言いやすいのに比べて、「働ける者は働け」という倫理はそれ自体がおかしいものではないので、うつ病患者の後ろめたさを解決するのはなかなか難しいのでしょうね……。


    ③3つめは、筆者が周りの人を傷つけてしまったところが隠さずに書かれていた点です。

     「ゼロ地点」の章では、筆者が「シンちゃん」や「イギリス留学が決まった男性の友人」を傷つけてしまうシーンが詳細に描かれています。
     筆者が性犯罪の被害にあってしまったことに何の非もないように、「シンちゃん」にも「友人」にも何の落ち度もありません。それなのに筆者に甘えられ、なじられ、迷惑をかけられる。この部分を読んで反発を覚える読者も少なくないようです。*5 わたしも正直、「シンちゃん」が気の毒に思えてなりませんでした。

     反発を受けることはおそらく筆者も予想済みだったでしょう。
     それでもここを削らずに残して世に出したのは、事件後に周りの人に甘えたり責めたりしてしまう性犯罪被害者のかたが少なくないから、性犯罪被害者の事件後の反応としてこういうことがありうることを知っておいてほしいからなのかな、と思いました。

    「家族から理解を得られず苦しむ前に、被害者駆け込みセンターがあったらどんなに気が楽だったろう。『私はこんなだったよ』と泣きながら話せる場所があったら、事件直後に戸惑うことなくそこへ向かったと思う。安心できる場所、救われるかもしれない場所があることを広めること、これも必要なこと。」
    *6

     もしも事件後、筆者が被害者駆け込みセンターに駆け込むことができていたら、「シンちゃん」にかかる負担は軽減されたことでしょう。
     わたしが今後、性犯罪に限らず苦しんでいる人に出会うことがあったら、自分でも出来る限り支えたいけれど、自分も一緒に折れてしまわないように、「駆け込みセンター」を探して紹介するようにしたいなと思いました。






    以下、余談です。

     本書は手記を出版したものであり、言い回しは直していないと「文庫版あとがきにかえて」で述べられていますが、実際のところは、かなり綿密な推敲を経ているのではないかと推測しています。
     というのも、読者、とりわけ筆者と同様に性犯罪の被害にあったことのある読者が傷つかないように、慎重に言い回しを選んでいるように感じられたからです。

     本書のAmazonページには「自分も性犯罪の被害にあった」と打ち明けて書かれたレビューが多くありますが、そのなかには、とげとげしい言葉のものも見られます。たとえば、
    「1番共感できなかったのは犯人に対して反省してほしいで終わってる事でした。私は今でも犯人に会ったら殺したいとの思いは変わりません。子供なのでしょうか。心が狭いのでしょうか。」*7
    「 最近思うのですが、ネットや成人雑誌を見ると女性を性の道具として扱っているように感じてなりません。
    AVやアダルト雑誌からは女性に酷い仕打ちのような行為をしているもので溢れています。見る度に女性の人権と性を踏みにじられている気持ちになります。あれを見て気分の良くなる女性はいないと思います。」*8

     性犯罪被害を受けたかたが、加害者を殺したいと思うのも、ネットや成人雑誌を見て人権を踏みにじられた気分になるのも、とても自然な反応だと思います。そういう思いを打ち明けること自体は間違いなく意義深いことです。

     ですが、その言い回しには若干の問題が含まれていると思います。
     犯人に対して殺したいと思わないなんて共感できない。女性が酷い仕打ちをうける成人雑誌を見て気分の良くなる女性なんていない。これらの文言には「他の人もきっとこうに違いない」「こうでない人はおかしいに違いない」という“決めつけ”の要素が含まれているからです。
     特に、性犯罪被害を受けたかたのなかには、その後性依存症に悩まされるかたもいるとのことです。*9 事件をきっかけとして、女性が酷い仕打ちを受けている行為を描いたネットや成人雑誌をむしろ好んで見るようになってしまう、といった形の後遺症だってあるかもしれません。
     そういうかたが「あれを見て気分の良くなる女性はいない」という言葉を見たとき、どう思うでしょうか。自分はやっぱり女性としておかしいんだ、と自責の念を深めてしまうのではないでしょうか。
     個人の書くAmazonレビューのレベルとしては十分許容される表現でしょうけれど、出版して広く世に知らしめるにはより細やかな配慮が必要になってくるでしょう。

     本書の言い回しは、それぞれの性犯罪被害者がそれぞれに抱える思いをどんなものでも否定しないように、こういった“決めつけ”を注意深く避けたものになっていると思います。だから、安心して読むことができ、ここまで反響を呼んだのではないでしょうか。



    *1 ここまでのカギカッコ内は「文庫版あとがきにかえて」から引用

    *2 「二次被害」の章から引用

    *3 「放熱」の章から引用

    *4 http://www.moj.go.jp/content/001154850.pdf

    *5 http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20080528など参照

    *6 「ゼロ地点」の章から引用

    *7 http://www.amazon.co.jp/review/R1MHW9CG25PVCE/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4022504218&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books

    *8 http://www.amazon.co.jp/review/R3I2MA5SWGTDC1/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4022504218&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books

    *9 http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/popress/love_and_sex/CK2013050102000174.htmlhttp://oshiete.goo.ne.jp/qa/6423483.htmlなど参照

  • 顔と名前を出して発言していることだけで、十分に評価されるべきだと思う。

  • この著者のように強い人間はそうそういないと思う
    まさに、行動し戦い続ける姿は日本人の魂を思わせる
    まるで、武士
    私が勝手に感じた事なのでご了承願います

  • 性犯罪被害者は加害者だけでなく社会全体からも苦しめられる。そしてそれは被害者だけでなくその最も身近な方たちをも苦しめ、彼らの人間関係をも破壊する。性犯罪被害の苦しみは当事者しか真に理解しえないものだが、それを皆が理解しようとして支えることが重要であると筆者は語る。特に男の側からは性犯罪被害の苦しみについて想像するのも難しい。その苦しみとはどんなものであるのか、被害者は何を求めているのか、そして被害者やその身近な人たちは一生その事実と向き合っていかなければならないということ、を気づかせてくれる本だった。

  • ニュースのドキュメンタリーを観てこの人のことにすごく興味を持ち自伝を読んだが自分から困難な道に進んだのは素晴らしいと思うがそれによって自分も周りの人間も幸せになれただろうか?人生って難しい。人の為にすることはもっと難しい。

  • あえて★はつけません。
    読んでるだけで気管をぎゅっとされたみたいに、
    息をするのも辛くなる。
    友だちがこんな目にあって、話してくれたら。
    きっと何も言えない。
    だからレビューだって。なにも書けない。

    あたしもタガタメ好き。
    ミュージシャンでも、フォトグラファーでも、
    小説家でも、アーティストでも。。
    表現することで誰かを救える職業ってすてき。

  • 読んでいて最初に感じたのは、「筆者の両親はもう少し気持ちを汲んだ接し方は出来ないのだろうか」、「もし身近な人が同じ体験をしたと私に告白した時に、自分は筆者の友人達と同じような声掛けをしてしまうのではないか」、「この専門学校の講師はまともな教育・指導を受けてきたのだろうか」といったひどいやりきれなさ、苛立ちであった。
    筆者が体験したことを読むだけでも、上に綴ったように感情的になってしまうのに、筆者自身がどう感じたかを想像すると生きていたくなくなってしまった。
    実名を出してこの本を出版なさった筆者に良いことが起こりますように。

  • 表紙に惹かれて、冒頭を立ち読みして次の日もこの本のことが忘れられず、購入してすぐ読んだ。
    読み終わってしばらく余韻からぼうっとした。
    なんとなしにテレビをつけたら、芸人がくだらないことをやっていて、この間反対さというか、落差にがく然とした。これが性犯罪被害者の目線かもしれないと感じた。

  • 以前から知っていましたが,読む機会がなかなかありませんでした。
    読んでみて,当事者でないと分からない,いろいろなことが書かれていました。ご本人も書かれていますが,理解してもらうということの難しさを改めて感じました。
    でも,支援を行う人は,当事者でないと分からないことを根気強く理解しようとすることを止めてはいけないとも思いました。

  • ふむ

  • 2023.10.12

  • 2 どんな辛い出来事も時間がたてば楽になるのか―トラウマという問題[渡邊誠先生] 3

    【ブックガイドのコメント】
    「当事者の言葉を超える言葉はない。トラウマを実感的に理解するために手記は重要。」
    (『ともに生きるための教育学へのレッスン40』66ページ)

    【北大ではここにあります(北海道大学蔵書目録へのリンク先)】
    https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2001775951

    【関連資料(北海道大学蔵書目録へのリンク先)】
    ・[単行本]2008年発行
    https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2001499857

  • 言い知れぬ程の辛い体験をされたということは理解できるのだが、心に響いてくるものが無い。そんなノンフィクション。

  • 掃除していたら出て来ました。
    思わず「あ…」と声を上げてしまいそうになりました。

    色々、思うところがあります。
    時間が出来た時にでも、じっくり読もうと思いました。

  • 淡々とした文章。
    自分だったらどうだろう?と想像せずにはいられない。

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著者プロフィール

【小林美佳】日本ヘルスケア歯科学会認定歯科衛生士

「2016年 『歯科臨床会話フレーズ275』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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