増補新版 霊柩車の誕生 (朝日文庫)

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  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022617477

作品紹介・あらすじ

あの独特なデザインの「宮型霊柩車」はどのような経緯で誕生し、全国に広まったのか。明治から現代まで、葬送風俗の変遷を解明する唯一の書。増補にあたり、近年、急速に「宮型」が路上から姿を消し、アメリカ風の霊柩車が主流となった背景にも迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 面白い! 近代化に伴って衰弱していった葬列の聖性。近代的合理主義の象徴である霊柩車の周りには時代に取り残されて崩壊して行った葬具の破片が吸い寄せられて酔狂でエキゾチックな宮型霊柩車が誕生した。森鴎外「ヴィタ・セクスアリス」を彷彿とするお葬式の近代。名著。

    望むなら霊柩車の現代を読んでみたい。昭和天皇の葬列が宮型でもなければ当時珍しい黒塗りの洋型霊柩車であった点。まもなく宮型は忌避されて現在は洋型が主流の昨今、家族葬の隆盛も含めて著者の考察を読んでみたい。

  • 霊柩車の誕生からの歴史であると同時に、江戸時代からの葬儀感の変異も書かれている。

    葬列が大名行列の流れをくんでいるというのはとても驚いた。
    公共交通機関の発達や関東大震災による道路事情の変化による葬列の減少と戦争による廃止。その途中に自動車による経済的理由による"運送"としての霊柩車の誕生。

    宮型の霊柩車の減少について昭和天皇の大喪の礼の時の霊柩車のイメージが関わっているのでは?という指摘。

    その次代の人々のイメージによる"こんなもの感”こそが文化風俗だと感じるが、その内容はやはりその次代に生きていないものには説明されないとわからない。

  • そう言えば最近、街中で見かけないなと軽い気持ちで手にとったのだが、読めば読むほど奥が深い。

    本書『霊柩車の誕生』は1984年に刊行。その後1990年の新版を経て、この度三回目の増補新板となった、知る人ぞ知る名著である。路上から消えゆく今を起点に変遷を辿ると、その誕生をもって”終わりの始まり”を意味していたということがよく分かる。

    霊柩車とは、文字通り遺体をおさめた霊柩を運搬する自動車のことを指す。多くの人がイメージされる霊柩車は、荷台部分が伝統的な和風建築のスタイルで形づくられ、屋根には唐破風がかけられているものであるだろう。これは通常、宮型霊柩車と呼ばれるものである。

    上半身が神社仏閣系の装飾で、下半身は高級乗用車。この組み合わせ、さては名古屋発祥かと思っていたのだが、どうも大阪に起源があるようだ。誕生したのは、大正の終わり頃の話である。(※名古屋説もあり)

    興味深いのは、この組み合わせを良しとした時代背景である。昭和初期の日本では、鉄筋コンクリート造の現代建築に和風の瓦屋根を載せた和洋折衷の建築様式が流行していた。この帝冠様式と呼ばれるスタイルは、旧様式が解体し新様式が盛りあがる、そのはざまに位置するデザインであったという。そんな時代に、宮型霊柩車は生まれたのだ。

    だが帝冠様式の建築物は、昭和のモダニズムとともに、その多くが姿を消した。それなのに宮型と霊柩車という組み合わせは、なぜ消えなかったのだろうか。一方は弔いという聖性を象徴するものであり、一方は近代化による合理主義の権化のようなもの。かたや日本古来のもので、かたや西洋直輸入のもの。

    そのヒントは、一見別々の文脈の上に成立してきたかのように思える上半身と下半身の相関関係にヒントがありそうだ。これを著者は、明治以降の葬送の移り変わりという文脈の中で、解き明かしていく。形態は機能に従い、機能は慣習に従う。すなわち、弔いという風俗の変遷を抜きにして、霊柩車を語ることはできないのだ。

    明治の葬列は、江戸時代にくらべて全体的に肥大化の傾向がいちじるしかったという。江戸時代にあった身分に応じた「各法」が消滅し、明治以降、葬列は世間に対して見栄をはるための儀式、という性格を強めてきたのである。つまりこの時点で既に、葬式としての聖性など消滅し、世俗化の一途を辿っているのだ。

    だが、大正時代になると様相は一変する。葬列を廃止するケース、あるいは夜間の密葬にするケースなども増えてきたのだ。この要因となったのが、交通機関の発達、路上の混雑、都市圏の拡大といった要素である。これらの変化は、葬列自体を効率よく運用しようという変化を促し、葬列の形態も人間が運ぶ輿→トラックが運ぶ輿→霊柩車へと発展していくのだ。

    それでも、にぎやかな葬列への未練は、大正時代以降も残っていたのだ。また、死体を自動車で運搬するという過激な近代主義にも抵抗はあったのだろう。そこで自動車には、葬列を暗示させるにぎやかな装飾が施されていく。その古風な飾りつけにより、近代主義の行き過ぎを覆い隠し、霊柩自動車の先端性をやわらげることが目論まれていたのだ。

    外部要因としての交通事情と、内部要因としての聖性の喪失。この二つがシンクロし、「効率化」と「スペクタクル化」を併せもつ宮型霊柩車の普及に、一気に拍車がかかる。

    また、宮型霊柩車の普及が、貧民から上・中流階層へと逆流していった点も注目に値する。明治維新によって士農工商という枠組がくずれ、階層間の社会的流動性が高まる。このため大正期には、上流と下流の格差がちぢまり、おしなべて全階層が、下層レベルに同化しようとする風潮があったのだという。宮型霊柩車の普及も、この大衆社会の形成というトレンドと不可分の関係にあるのだろう。

    一方本書では、文庫化にあたっての補筆として、今なぜ宮型霊柩車が消えゆくのかという点にも言及されている。まさに著者の手で、霊柩車自身の弔いを行っているかのような章だ。

    大きな要因としては、葬儀や告別式を自分の家で行う人が減っているということがあげられている。そのため、霊柩車が行き交う道も、葬祭場と火葬場付近へまとめられたのだ。霊柩車と日に何度も出くわす人びとの数は、そのぶん大きく増加することになる。

    特定層への大量リーチという観点から考えると、そのスペクタクルは度を過ぎており、近隣住民に忌み嫌われたということが真相であるようだ。つまり霊柩車には、自分自身の進化が仇となって返ってきたのである。葬列自体の発展過程のなかに、将来の衰弱をひきおこすモーメントが内在していたとは、なんたる運命のいたずらだろうか。

    ヴィークルの移り変わり、それに伴うメッセージの変容、大衆の消滅など、今のメディアを取り巻く状況にも通じるところの多い内容ではないかと思う。そして時代の節目における日本的な”折り合い”の行く末がどうなったのかという意味において、非常に示唆に富む内容である。

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著者プロフィール

建築史家、風俗史研究者。国際日本文化研究センター所長。1955年、京都市生まれ。京都大学工学部建築学科卒業、同大学院修士課程修了。『つくられた桂離宮神話』でサントリー学芸賞、『南蛮幻想』で芸術選奨文部大臣賞、『京都ぎらい』で新書大賞2016を受賞。著書に『霊柩車の誕生』『美人論』『日本人とキリスト教』『阪神タイガースの正体』『パンツが見える。』『日本の醜さについて』『大阪的』『プロレスまみれ』『ふんどしニッポン』など多数。

「2023年 『海の向こうでニッポンは』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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