ヒロシマはどう記録されたか 下 昭和二十年八月七日以後 (朝日文庫)

著者 : 小河原正己
  • 朝日新聞出版 (2014年7月8日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022618016

作品紹介・あらすじ

【歴史地理/日本歴史】1945年8月6日のヒロシマをとらえたわずか5枚の歴史的な写真は、いかにして撮られたか。原爆の一閃により、全てがとまった広島で、爆心地をめざした者たちがいた。核と人間の姿に迫る唯一無二のドキュメント。文庫化にあたり大幅加筆修正。解説・竹西寛子

ヒロシマはどう記録されたか 下 昭和二十年八月七日以後 (朝日文庫)の感想・レビュー・書評

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  • とにかく読むスピードが上がらない本だけど、7ケ月かけて読了。新聞の調査報道の書籍化なのだが、短くまとめるのではなく、取材した内容をすべて記すというスタンスで書かれている。

    市内壊滅後に新聞社がいかにして発行を再開していくかという記録は他では読んだことがない。多くの企業や人々が同様の辛苦を経たことだろう。

  • 上巻では原爆投下当日に、爆心地にいたジャーナリストたちが体験・
    目撃した被爆直後の惨状が中心だった。下巻は広島への原爆投下
    翌日以降の広島の様子、そしてメディア復旧への道、戦後の原爆
    報道を振り返る。

    原爆投下を私たち日本人がどのように捉え、どう伝えて行くか。年々、
    「語り部」たちは鬼籍に入って行く。当日の地獄絵図のような広島の
    様子を伝えられる人たちは、近い将来、いなくなってしまうだろう。

    それでも、人々が語った内容や当時を再現した映像は永遠に残る
    はずだ。「何が起きたのか知っておきたい」と思う人がいる限り。
    「あの日を伝えたい」と思う人がいる限り。

    広島平和記念公園の慰霊塔のある場所には、原爆が投下されるまで
    日常の暮らしがあった。その街の地図を再現しようとした住民がいた。

    被曝した上に憎しみの投石を受け、亡くなったアメリカ兵捕虜がいた。
    自国の兵士が被曝しているのに、アメリカ政府もやはり遺族に対して
    事実を伝えていなかったんだね。メディアは遺族を探し、彼らの家族
    がどのようにして亡くなったのかを伝えている。

    原爆とかから25年後。あの日、新聞を発行できなかった中国新聞社が
    当日の紙面を作っていたのはまったく知らなかった。

    そして、広島が受けたのは原爆被害だけじゃなかったんだよね。原爆
    投下の翌月に発生した枕崎台風でも甚大な被害を受け、疎開させて
    いた輪転機で新聞発行を続けていた中国新聞社は再度、自力発行
    中断を余儀なくされる。

    それでも、地元メディは復活した。70年は草も生えないと言われた
    広島の町が、徐々に復興へ向かったように。

    伝える側も受ける側も、戦争も原爆も知らない世代が多くなっている。
    それでも、伝え続け、受け止め続けることが必要なのだと思うわ。

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