- 本 ・本
- / ISBN・EAN: 9784022618658
作品紹介・あらすじ
【文学/日本文学評論随筆その他】かつての都、日本文化の中枢であった大阪・京都は、没落しきっている。しかし、没落の先進地帯である関西には、現在の日本全土の低迷期に役立つ知恵がたくさんある。ベストセラー『京都ぎらい』の著者による、知的興奮に満ちた関西論。
感想・レビュー・書評
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20年以上も前に書かれた本なので、今は少し雰囲気違う感じもしますが。関西没落を嘆く、斜めから観る。井上さんらしさは感じました。後書きで宗旨替えを告白されてましたね笑。
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献血ルームで出会った本。関西人という括りに対して、疑問を感じているようだ。
関西人は“関西人”というありもしないイメージに踊らされている凋落と悲哀の内容な。 -
内容は、
1.関西弁の真実
2.大阪の正体
3.京都の正体
4.関西全体への大誤解
と、「関西論」を展開しているが、殆どが関西の没落を嘆く、自虐的なものであるが、その議論の展開がユニークであり、面白い。
この本が1995年に出版されてから、25年。
ベストセラーとなった「京都ぎらい」の素材が随所に見られるが、ただ幾つかの矛盾というか、特に京都についての著者の考え方に大きな変化がある。
2016年の「朝日文庫版へのあとがき」の冒頭で、著者は「ひさしぶりで、自分が書いたこの本を手にとり、書き出しの第一行目に驚いた。なんと、そこにはこうしるされている。『私は京都に生まれ、京都に育った。今も京都に住んでいる』・・・」
この後、著者は「京都ぎらい」で、自分は「京都人ではない」と、述べた事との違いを、れんめんと言い訳をし、自分の考え方の変遷を説明する。
やはり、人間25年も経つと、意見も立場も変わるんやなあ・・・と思った次第です。
他の面白い箇所をいくつか紹介します。
【関西弁】
「京都の若いお嬢さんから、こう言われた。『先生、先生は研究者なんやし、関西弁はやめはったほうが、ええと思います。値打ちを下げて、損するんと違いますか』と」
また、著者が日頃から愛読している中野翠は、こう書くのである。「抽象度の高いことを語りあうシンポジウムなどでは、関西弁を使わないでほしい。その場の空気が乱される。卑俗な言葉で、場の気分を混乱させる手段として関西弁を使うにいたっては論外。つつしんでほしい」、と。
【食いだおれ】
「大阪の食い物といえば、うどん、たこ焼き、お好み焼き・・・なんとも安っぽいライン・アップである。いわゆる高級料理はひとつもない。この顔ぶれに、ホルモン焼きあたりがつけ加われば、安価イメージは決定的。安い食いものの街という大阪像は、不動のものとなる。
さて、大阪には『食いだおれ』の街という評判がある。だが、どうだろう。うどんやたこ焼きなんかで、『食いだおれ』がはたしてできるのか・・・『食いだおれ』とは、食道楽により家の資産を使い果たすことを意味する」
最近の関西の若い世代では「うどん、たこ焼き、お好み焼き」で「食いだおれる」と本気でそう思い出していると、著者は嘆く。
【関西という言葉の意味】
さらに「近畿・畿内」「関東」「関西」の意味を解読することによって、ますます著者の自虐感は熱気を帯びる。
「民度の高い文明圏が『畿内』、そして関所の向こうにある野蛮な地域が『関東』だった。明治以前は『関西』という言葉があまり使われなかった。だが、今では『関西』という言い方がすっかり浸透した。『畿内』がすたれ、『関西』が普及している。この現状は、関西地方が文化の中心から辺境へ落ちていったことを、物語る」
かなりどぎつい自虐感の詰まった本であり、私のように面白がってハマる人がいる一方で、癖のある議論展開に嫌気がさす人も多いと思われる本なので、良く考えてから読むように願う次第である。
因みに「翔んで埼玉」の我が家での公用語は「関西弁」であり、標準語を喋るはずの娘は、時々怪しげな「関西弁」を喋っている。 -
大阪に住んだことがある人であれば、共感できるエピソードが数多く登場する。あるある!とうなずきながら読むのが楽しかったです。
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「京都ぎらい」の20年以上前に書かれた本。
エッセイ集のようなものなので、
20年という時間は長く、違和感を覚える点もしばしば。
著者自身も言及しているが、
屈折した邪推が多い、という印象。
諸行無常(関西の没落)を受け入れて楽しもう、
というスタンスは共感する。 -
前に読んだ「京都ぎらい」で有名な著者、井上章一さんの93年〜
95年頃までに連載してたコラムをまとめた本でした。
なので内容は若干少し前の関西についてのことなのでちょっと「京都ぎらい」に比べればズレてるところがあったかも…。
「くいだおれ」の意味を僕は誤解してました。
それくらいですかね。発見は。
まぁこれ読むなら京都ぎらい読んだ方が面白いと思います。
事実3割思い込み7割で作られた本かな。
実際著者は京都出身なのでそういう意味でも「京都ぎらい」のほうが面白いんかも。 -
京都ぎらい、京女の嘘の後に読んだ。20年以上前に書かれたものだ。あとがきが3つある。
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建築史を専攻する著者の、1993年~1995年にかけて雑誌に連載されたエッセー。大阪や京都に関するステレオタイプなイメージや偏見を、向きになって否定する、著者の屈折した情念を感じる。最近「京都ぎらい」という本を出したそうだが、どんな本か想像できるなぁ。
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疲れて最後まで読めない
著者プロフィール
井上章一の作品





