女ぎらい (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022619433

作品紹介・あらすじ

【社会科学/社会】ミソジニーとは、男にとっては「女性嫌悪」、女にとっては「自己嫌悪」。皇室、DV、東電OL、援交など、男社会に潜むミソジニーの核心を上野千鶴子が具体例をもとに縦横に分析する。文庫化に際し、「セクハラ」と「こじらせ女子」の2本の論考を新たに収録。

感想・レビュー・書評

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  • 異性愛男は、女との関係性において男としての自己同一性を確立しようとする。則ち、自己を性的主体として確立しようとする。ここから、男は性的なものにまつわる他者との関係性において「ミソジニー misogyny」「ホモフォビア homophobia」「ホモソーシャル homosocial」という形式をとることになる。

    ①女との関係性における「ミソジニー」 ・・・ 異性愛男は、女によって自己の内に強い性的欲望を喚起され、それに翻弄される。則ち、異性愛男の性的主体性は、女との関係性において危機に晒される。よって、異性愛男は、女を性的に屈服させ、女の主体性を無化し、女を全き客体に貶めることで、自己の性的主体性の回復を図る。つまり、異性愛男は、女を、男の性的主体性を確立するための手段とする。そこでは、女は、独立した固有の人格や感性を具えたものとは見なされず、男の欲望に従属する限りにおいて、その存在が認められる。ここには、女という他者への根深い恐怖と、そこからくる憎悪がある。ミソジニーとは、こうした女性蔑視、女性憎悪、女性恐怖を指す。

    ②同性愛男との関係性における「ホモフォビア」 ・・・ 同性愛男は、その性的欲望を男であるこちら側へ向ける可能性がある。そのとき、同性愛男の性的欲望の対象となった男は、女が異性愛男によって性的客体に貶められるのと同様に、その主体性を無化される懼れがある。つまり、同性愛男は、異性愛男の性的主体性を脅かす存在であり、それゆえに男のコミュニティから絶対的に排除されるべき存在とされる。ホモフォビアとは、こうした同性愛嫌悪を指す。いわば、異性愛男が女へ向けるミソジニーの裏返しであるといえる。

    ③異性愛男との関係性における「ホモソーシャル」 ・・・ 異性愛男は、女を性的に客体化することによって仮構した自己の主体性を、異性愛男同士で承認し合うことによって、男としての自己同一性をさらに強化しようとする。そこでは、女を少なくとも一人以上所有することが、価値ある男として認められる必要条件となる。ホモソーシャルとは、こうした異性愛男同士の連帯を指す。この結びつきは、ミソジニーとホモフォビアという価値を共有し確認し合うことで維持される。

    「ミソジニー」「ホモフォビア」「ホモソーシャル」は、確かに性にまつわる多くの事象を説明できる便利な概念であると思う。私が男として「男ぎらい」であるのは、男を男たらしめようとする男同士のホモソーシャルな関係性に対する、特にそこで共有されている力(腕力・金力・権力・精力)への志向性に対する、嫌悪ゆえであったことが改めて納得できた。

    「東電OL」は、女を性的客体に貶めることで自身の主体性を幻想する男に対して、主体的に自らの性を売ることで、男のほうこそ女の性に依存した性器的存在でしかないということを暴露し、以て男への復讐を果たそうとした、という解釈は興味深かった。
     
    男の性欲とは、自分が男であるということへの復讐であると、私は以前から漠然と感じていた。「男性性の現象学」のような試みが必要であると感じる。

  • この本で、あらゆる場面でのミソジニーをこれでもかと考察されて、好きで見ていたアベマの番組や、女性誌に載っているエッセイが、完全にミソジニーの文脈で読み解けてしまうことに気づいて嫌な気持ちになった。
    そういうものを楽しく見れてしまうこと自体、私が「自分を女の例外として扱い、自分以外の女を他者化することで、ミソジニーを転嫁」していて、それでもあわよくば女としての評価を得たいがために、男を立てよう、と潜在的に思っている証拠なのかなと思う。
    不用意に他者を傷つけたり自分を貶めたりしないように、自分の中のミソジニーに気づくアンテナを持っていたい。

  • #読了 2020.4.6

    2019年の東大入学式での祝辞が話題になった上野千鶴子さんの著書。どんな人なのかなぁってWikipedia見たら"フェミニスト"らしい。フェミニストと言えばTVタックルで舛添要一と戦う田嶋陽子(笑)フェミニストのイメージはヒステリックで攻撃的という印象。でも、祝辞を読んでもそんな印象を持たなかったし、フラットな話だなぁと感じる部分も多かったので興味を持って手にした次第。

    ↓話題になった祝辞
    ▼平成31年度東京大学学部入学式 祝辞
    https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

    著書はミソジニー(女性蔑視)について語られている。いろんな時代の文化や立場から、そしてフロイトやラカンや近年のジェンダー論者の引用を交えながら、ミソジニーの存在や歴史を解説していく。共感できる所があったり、上野さんはそう捉えるのだなぁと思う所があったり。全体としては「卒論でも書くの?」ってくらい付箋付けつつ1つずつ理解しながら興味深く読み進めることができた。面白かった。

    ただ。
    2010年に書かれた内容にプラス、2018年文庫化にあたり«文庫版増補»が追加されているのだが、それにしては、全体的に捉え方が少し古い印象。1990年代のような。
    私は2006年に大学を卒業をし社会人になり、2016年に結婚するまでの10年間の間に、ユニクロ→リクルート→IT企業で働いた。ユニクロでは女性店長もいたし、リクルートでは女性の上司や優秀な女性営業もいたし、IT企業でも役職や成績だけでなく文化としても男性だからとか女性だからとかまっっったく感じたことが無く、上野さんが言うほど社会が女性蔑視しているとも思ったことが無かったので、過去の話は納得感があったものの、現代の話になると「そーゆー考え方もあるだろうけど、決めつけてくるなぁ…」と感じた部分は多かった。
    ただ、上野さんいわく、本書が理解可能な限りミソジニーから自由ではない、不思議な時代の不思議な書物となる日がミソジニーからの解放らしいので、古臭く感じることは悪いことではないのだろう。
    でもきっと、上野さんの祝辞の通り、私が勤めた所は人材活用では先駆的な企業で"恵まれた環境"だっただけなのだろうし、もしかしたらそういう文化が残っているところは2020年の今でもまだまだあるのかもしれない。
    いまだに医者がセクハラ的なことで逮捕されたというニュースを見る。おじいちゃん先生が昔のノリのまま、最近の考え方の子に手を出してこうなったんだろうなぁと思ったりもする(苦笑)泣き寝入りしてる人はきっとまだまだいるんだろう。

    職場の中でのミソジニーを感じたことは無かったと書いたが、ひとりの女としては共感する所は多かった。私も"こじらせ女子"だからだろう(笑)上野さんが書いた通り、女扱いされるのも気持ち悪く、女扱いされないのも悲しいという時期が私にもあったなぁ(˘ω˘)そんな女の心理も著書には書かれている。

    歴史上はじめは男社会しかなく、女は子孫を残すためだけのもの。女は男に所有される対象という文化だった。その頃から男が"男"になるのは女を所有し、同性から「おぬし、できるな」と認められること。女が"女"になるのは男に選ばれる(所有される)ことだそうな。ここからミソジニーは始まっていると。
    この考えは根深く「顔さえ良ければ彼女もいて普通の暮らしをしていたでしょう」と"非モテ"を理由に起きた2008年の秋葉原無差別殺傷事件や、女性側が収入も名声も大きかったために不倫とDVで離婚した陣内智則の件にも繋がっていると。
    このような近年の具体例や、古代ギリシャの性愛、春画、聖女と娼婦、児童性虐待、皇室、母と娘、父と娘、女子校、などなど色んな角度からミソジニーを解説している。

    結論から言うと、フェミニスト一般がどうかは分からないが、上野千鶴子さんは攻撃的ではあるなぁという印象(笑)他のジェンダー論者の文献を引用して、絶賛したり批判したり激しい。でも時代的にも女性蔑視する社会と戦ってきた人なんだと思うと納得できる気もした。

    昨今では、なんでも過敏にハラスメントにしてる感じが私はイヤで、たとえば男性が女性に対して「そのブラウスかわいいね」はセクハラで、女性が男性に対して「そのネクタイかっこいいね」はセクハラでは無いという感覚がどうにも。男と同様に女も認めてもらいたいという割に公平じゃなくない?みたいな。
    ただベースに、男が女を評価し、選び、所有するものだという文化から、女性が社会的に認められるようになるまでの間に"(二元論としての)男が女を評価する"ことに敏感に反応し、戦ってきたからこそ、本当に傷ついた人が「セクハラです!」と声を挙げられる社会になってきたのかなと思う。からかいやいたずらをセクハラと名付け、痴話喧嘩をDVと名付け、つきまといをストーカーと名付け、再定義し、当事者の女性の恐怖を伝えられるようにしたフェミニズムの功績は大きい。
    私は成果物を当たり前に与えてもらってる世代なのだなぁと思うし、冒頭にも書いた通り、泣き寝入りしてる人はそれでもまだまだいるんだと思う。
    でもいずれ二元論の対象は、男と女より、例えば人間とAIみたいに変わっていく感じはもうするよね。上野さんが戦(ってくれた)った時代からしたら、女性はだいぶ生きやすくなったのだと思う。

    著書の中に出てくる"ワケ知りオバサン戦略"というワードも好きだ。セクハラにあっても男なんてそんなもんよ、下ネタには下ネタで返すワザを身につけ、男の下心アプローチをかわしいなすオトナの女の知恵。すごく共感(笑)でもこれでは男に都合が良すぎるらしい。たしかにそのコミュニティの中でセクハラを認めることに加担するし、自分は平気でも他の女性が傷ついたときに言い出しにくい文化を作っていることになる。
    でも結局は受け取る側に一任されてるので、私としては、いちいち騒ぎ立てるストレスより、目を瞑るストレスの方が楽。そして私は男ウケでも女ウケでも"コスプレ"をするのが得意だ。事なかれ主義なもんで。まぁ…戦ってきた人には失礼なんだろうなぁ…。

    男性より女性向きな本かな?真理なのかフェミニストだからなのか、男性に対して攻撃的に見える書き方になってる気もするので、男性は気分が良くないかもしれない。
    とはいえ、女に対しても「女も女で無意識にそーゆー考え方になってるんだからね!」と強めに言ってるけどね(笑)

    「男ってさぁ」と思ってる人も「女ってさぁ」って思ってる人も、どちらにせよ何か感じてるものがある人は興味深く読めると思います!



    ◆内容(BOOK データベースより)
    ミソジニー。男にとっては「女性蔑視」、女にとっては「自己嫌悪」。皇室、婚活、DV、自傷、モテ、東電OL…社会の隅々に潜み、家父長制の核心である「ミソジニー」を明快に分析した名著。文庫版に「セクハラ」と「こじらせ女子」の二本の論考を追加。

  • 私の本棚のタグには#女性の生き方 とか#女性と仕事 とかがいっぱいついています。ジェンダーの問題、女性の生きづらさなどに関心が高いので読んでみました。
    最初の方は、とにかく男女の非対称性について論じていて、納得する部分もあるが、「そんな極端な!」と思う部分も多かった。何より私自身が、「女に生まれて損をした」とはあまり思わず、かえって得したと思っているからだ。著者によれば、男は皆「女でなくてよかった」と一度は思ったはずだし、女は皆「女に生まれてソンをした」と一度は思ったはずだ、とのことで、すべてその前提に立っている。
    しかし読み進めていくと非常に納得することが多い。この社会は常に男が主体であり、女が客体である。女の価値が男によって決められ、女が男を値踏みするようではあっても結局は男の価値も男社会の中で決まる。私自身は、男女平等でセクハラもなく、管理職には男性が多いが女性もそこそこいて、上司はハラスメントに関して常に研修を受け人権意識が高い職場で働いているので、女という記号で見られたり、女だから損をしたことは(全くではないが)ない(つまり「私は主体であり、客体ではない!」)と思っている。しかし男からの、女としての評価を気にせずに生きてこられたかと言われれば、それはやはり常についてまわった。褒めるにしたって、「女の子なのに勉強ができるね」とか。私は当たり前に普通の仕事をしているだけだが、「女性なのに男性と対等に働いているからすごいね」という評価だ。自分でも自分をそう評価していたのだと気づかされた。
    著者はちょうど私の母と同じ世代。私の母は、好きなことや得意なことがあったのに、大学には行かせてもらえず、結婚して家族のために生きてきた。(長男である弟だけが大学に行き、そこそこ出世したが、親の世話は長女である母がしている。)母は私には好きなことを学んで男性と対等に働いてほしい、女だからって家事に追われなくていいと小さい頃から言っていた。自分に経済力があったら…とか、男の子を産みたかった、とか、自分が女であることを嘆き、私が性別に縛られない生き方をすることを望んだ。上野千鶴子さんに、私の母の話を聞いてほしい!と思った。死ぬほど平凡な昭和の母だけれど、だからこそ。

    以下引用
    ・・・私も若い女たちに言いたい。(中略)手前勝手な男の欲望の対象になったことに舞い上がるな。男が与える承認に依存して生きるな。男の鈍感さに笑顔で応えるな。じぶんの感情にふたをするな。そして・・・じぶんをこれ以上おとしめるな。

    ・・・おんなもいよいよ企業のなかで定年を迎えるようになったのだ。そのうち「退職女子」ばかりか「要介護女子」「認知症女子」という呼び名も登場するかもしれない。なぜって女子は一生、女子だから、女子は生涯、自分のなかに誰にも侵されない透明な核を持っているはずだから。
    (最近は、私の職場でも60歳を過ぎて再雇用で働き続ける女性の先輩が増えてきた。10年前は、多くの女性が50代で辞めていたが、私も60を過ぎても働きたいと思えるようになった。)

    ・・・「わたし」はつねに中途半端な、過渡的な時代の産物である。過去の自分を否定して生きる必要はない。過去の自分の、限界や過ちや「こじらせ」があったからこそ、今の自分がある。過去の自分を許し、和解し、「わたし」のなかに抱きとめたらよい。
    (これ、なんてあたたかい言葉なんだろう・・・!)

  • とある会合で、男性の在り方を問い直す言説で最近売り出し中の清田隆之氏の講演を聞いた。なぜか中高男子校時代の同級生のお仲間を1人連れてきており(当初予定になかったそうだが、花粉症で話しにくいから急遽とのことだった)、講演の後半は2人の対談形式であった。

    前半はマイノリティの生きづらさなどを(ちゃんと)話していたのだが、後半は2人の高校生時代の「楽しい」思い出、悪ノリなどの話で、何かとよく裸になったよな、なにかというと「走ろうぜ」となる、と言った男子校の思い出話をとっても楽しそうに披露。
    夜中のDJ番組を聞かされているようで、だんだん苦痛になってきた。

    (この話全然楽しくないんですけど!)心の声

    全く気が付かない二人。笑いながら楽しそうにずっと話す話す。男ってバカっすよねー。ゲラゲラ。

    (悪いけど本当にそう思う)心の声

    長い。二人の世界。じっと我慢。

    (マジョリティはマイノリティの辛さを分からないとさっきは言ってましたよね!どの口が!)心の声

    女性ってこういう仕打ちに慣れているので、みんな黙って聞いている。寝ている人も多い。ただただ苦痛。

    だって清田氏の講演の題は「『一般男性』の話から見えた生きづらさと男らしさのこと」なのだ…。

    今この講演会で話されるべきなのは、今ちょうど面白おかしく披露されている男子集団から弾き出された生きづらいマイノリティの男子のことではなかったか?
    男性集団の非言語的ノリをどう解消するかではなかったか?
    じっと我慢を強いられる女性との共生についてではなかったのか?
    清田氏も最初はおそらくそのつもりで話し始めたと思われる。確かパワポにもそう書いてあったし。

    でも嬉々として語られる思い出話はまるで自慢話のように聞こえる。全く生きづらくなさそうだ。

    なぜ彼は途中からすっかり会の趣旨を忘れて、聴衆(一人を除き全員女性)を置き去りにしてしまったのか?

    そこで感じた違和感に答えをくれたのがこの本だ。

    ようやく本題(笑)

    通常の講演なら、多分日頃の著作で披露している表向きの話ができたのに、同級生を連れてきたことで、ホモソーシャルな世界が形成されたということ。(二人で語るうちに甘美な思い出が蘇り、ホントに楽しかったからね、二人でいつのまにか思い出話に花が咲いてしまったよ、てことだ。)
    女性の聴衆より目の前にいる一人の男友達の方が彼にとって大切でもあったということ。
    それほどホモソーシャルな絆は魅惑的だということ。男にとっては。

    その魅力は抗いがたく、男は単体でなく複数になると、そこに引き摺り込まれてしまう。その現場を目撃したこと。それが違和感の正体だ。

    「ホモソーシャル」とは性的主体同士の連帯を指す。
    「おぬしできるな」と承認されることを良しとする強い絆だ。
    「ホモソーシャリティ」は「ホモフォビア」によって成維持され、「ミソジニー」によって成り立つ。
    「男と認め合った者たちの連帯は男になり損ねた者と女を排除し差別することで成り立っている」

    この分節は、視界をクッキリさせてくれた。本来ならゼジウィックの著作を読むべきかもしれないが、上野千鶴子さんのわかりやすい解説がとても助けになった。

    あースッキリした。
    偶然これを読んでくださった(読んでしまった)方々すみませんでした。そしてありがとうございます。

    • ぶーちんさん
      いいねありがとうございます!まさに「おぬしできるな」の絆(ホモソーシャル)に付き合わされたご経験でしたね(笑)楽しく読ませていただきました!...
      いいねありがとうございます!まさに「おぬしできるな」の絆(ホモソーシャル)に付き合わされたご経験でしたね(笑)楽しく読ませていただきました!(^^)
      2023/03/28
  • 上野作品を読むのは2作目。
    共感出来る部分4割、よくわからない部分3割、そうかしらんと思う部分3割、という感じでした。

    2019年度東大入学式祝辞のインパクトが強いので、そういう内容(実力も運のうち)を期待してしまうが、タイトル通り、ふとした表現に染み込んでいる女性蔑視をとことん暴き出す内容でした。自身比較的フェミニストのつもりだったけど、全然違うようだ。

    天皇の、「一生全力でお守りします」も、囲いに閉じ込めて一生支配する、という意味で、ぜんぜんダメよのう。

  • エッセイ投稿サイト「かがみよかがみ」、国際女性デー特別企画|株式会社朝日新聞社のプレスリリース
    https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001075.000009214.html

    朝日新聞出版 最新刊行物:文庫:女ぎらい ニッポンのミソジニー
    https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20416

  • 日本にはびこるミソジニーをいろんな例から解き明かす本。
    でも、自分自身全然ミソジニーから自由じゃないしあまりに内面化されすぎててこの思想から自由になった姿、心象風景が全く想像できないよ!どうしたらいいんだよ!理論だけわかったって仕方ないだろ!と思いながら読んでたけど、最後に「過去の自分は他者なのだ」という文があってちょっと救われた。
    内面化してるってことがわかっただけでも、内面化に無意識だった自分とはもう他者の関係になれたってこと。
    何回でも読み返したくなる本だと思う。

  • 辛辣で論理的。ミソジニー男はこういう本にどう反論するのか聞いてみたいけど、「どうせフェミが書いたもの」で終わらせるんだろうな。

  • 著者の東大祝辞で衝撃を受け、買ってみた。
    「よくぞ言ってくれた!」と思う部分が多く、同時にあまりに自分の心が抉られて辛くもあった本。
    ミソジニーとは女嫌い。男性にとっては女性蔑視、女性にとっては自己嫌悪。
    世の中に蔓延するミソジニーは時に無自覚に起こる。だからこそ本書のような本が必要で、「これは差別なんだ」と男性も女性もまずは自覚的になることが大事だと思う。

    フェミニズムって「ヒステリーおばさん怖い」みたいなイメージが先行してるけど、女性フェミニストは被差別当事者な訳で、そりゃ感情抜きで語るの難しいよね。事件の被害者やその家族が、犯人へ重い刑を望むのと同じ。しかも女性差別は太古の昔から続いて来て、今もなお存在する。差別の渦中にある人が、どうして冷静になれようか。そして、ことフェミニズムに関すると男も女も感情的になる気がするのは、自分自身が差別/被差別の当事者になるからか。
    そして、男性がフェミニズムに理解を示すのは難しいのではないかと思う。何故なら自分は上位階級だから。既得権益を放棄せよと言われている訳で、反発するのが普通の反応。
    でも著者が東大祝辞で述べていたように、フェミニズムとは弱者が強者になりたいという思想ではなく、弱者が弱者のまま尊重されることを求めること。決して男性/女性の二元論ではなく、性別を超えて人間一人ひとりが生きやすい世の中にしたいなと思う。

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著者プロフィール

東京大学名誉教授,NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長

「2024年 『挑戦するフェミニズム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

上野千鶴子の作品

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