女ぎらい (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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本棚登録 : 834
感想 : 49
  • Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022619433

作品紹介・あらすじ

【社会科学/社会】ミソジニーとは、男にとっては「女性嫌悪」、女にとっては「自己嫌悪」。皇室、DV、東電OL、援交など、男社会に潜むミソジニーの核心を上野千鶴子が具体例をもとに縦横に分析する。文庫化に際し、「セクハラ」と「こじらせ女子」の2本の論考を新たに収録。

感想・レビュー・書評

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  • 異性愛男は、女との関係性において男としての自己同一性を確立しようとする。則ち、自己を性的主体として確立しようとする。ここから、男は性的なものにまつわる他者との関係性において「ミソジニー misogyny」「ホモフォビア homophobia」「ホモソーシャル homosocial」という形式をとることになる。

    ①女との関係性における「ミソジニー」 ・・・ 異性愛男は、女によって自己の内に強い性的欲望を喚起され、それに翻弄される。則ち、異性愛男の性的主体性は、女との関係性において危機に晒される。よって、異性愛男は、女を性的に屈服させ、女の主体性を無化し、女を全き客体に貶めることで、自己の性的主体性の回復を図る。つまり、異性愛男は、女を、男の性的主体性を確立するための手段とする。そこでは、女は、独立した固有の人格や感性を具えたものとは見なされず、男の欲望に従属する限りにおいて、その存在が認められる。ここには、女という他者への根深い恐怖と、そこからくる憎悪がある。ミソジニーとは、こうした女性蔑視、女性憎悪、女性恐怖を指す。

    ②同性愛男との関係性における「ホモフォビア」 ・・・ 同性愛男は、その性的欲望を男であるこちら側へ向ける可能性がある。そのとき、同性愛男の性的欲望の対象となった男は、女が異性愛男によって性的客体に貶められるのと同様に、その主体性を無化される懼れがある。つまり、同性愛男は、異性愛男の性的主体性を脅かす存在であり、それゆえに男のコミュニティから絶対的に排除されるべき存在とされる。ホモフォビアとは、こうした同性愛嫌悪を指す。いわば、異性愛男が女へ向けるミソジニーの裏返しであるといえる。

    ③異性愛男との関係性における「ホモソーシャル」 ・・・ 異性愛男は、女を性的に客体化することによって仮構した自己の主体性を、異性愛男同士で承認し合うことによって、男としての自己同一性をさらに強化しようとする。そこでは、女を少なくとも一人以上所有することが、価値ある男として認められる必要条件となる。ホモソーシャルとは、こうした異性愛男同士の連帯を指す。この結びつきは、ミソジニーとホモフォビアという価値を共有し確認し合うことで維持される。

    「ミソジニー」「ホモフォビア」「ホモソーシャル」は、確かに性にまつわる多くの事象を説明できる便利な概念であると思う。私が男として「男ぎらい」であるのは、男を男たらしめようとする男同士のホモソーシャルな関係性に対する、特にそこで共有されている力(腕力・金力・権力・精力)への志向性に対する、嫌悪ゆえであったことが改めて納得できた。

    「東電OL」は、女を性的客体に貶めることで自身の主体性を幻想する男に対して、主体的に自らの性を売ることで、男のほうこそ女の性に依存した性器的存在でしかないということを暴露し、以て男への復讐を果たそうとした、という解釈は興味深かった。
     
    男の性欲とは、自分が男であるということへの復讐であると、私は以前から漠然と感じていた。「男性性の現象学」のような試みが必要であると感じる。

  • この本で、あらゆる場面でのミソジニーをこれでもかと考察されて、好きで見ていたアベマの番組や、女性誌に載っているエッセイが、完全にミソジニーの文脈で読み解けてしまうことに気づいて嫌な気持ちになった。
    そういうものを楽しく見れてしまうこと自体、私が「自分を女の例外として扱い、自分以外の女を他者化することで、ミソジニーを転嫁」していて、それでもあわよくば女としての評価を得たいがために、男を立てよう、と潜在的に思っている証拠なのかなと思う。
    不用意に他者を傷つけたり自分を貶めたりしないように、自分の中のミソジニーに気づくアンテナを持っていたい。

  • #読了 2020.4.6

    2019年の東大入学式での祝辞が話題になった上野千鶴子さんの著書。どんな人なのかなぁってWikipedia見たら"フェミニスト"らしい。フェミニストと言えばTVタックルで舛添要一と戦う田嶋陽子(笑)フェミニストのイメージはヒステリックで攻撃的という印象。でも、祝辞を読んでもそんな印象を持たなかったし、フラットな話だなぁと感じる部分も多かったので興味を持って手にした次第。

    ↓話題になった祝辞
    ▼平成31年度東京大学学部入学式 祝辞
    https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

    著書はミソジニー(女性蔑視)について語られている。いろんな時代の文化や立場から、そしてフロイトやラカンや近年のジェンダー論者の引用を交えながら、ミソジニーの存在や歴史を解説していく。共感できる所があったり、上野さんはそう捉えるのだなぁと思う所があったり。全体としては「卒論でも書くの?」ってくらい付箋付けつつ1つずつ理解しながら興味深く読み進めることができた。面白かった。

    ただ。
    2010年に書かれた内容にプラス、2018年文庫化にあたり«文庫版増補»が追加されているのだが、それにしては、全体的に捉え方が少し古い印象。1990年代のような。
    私は2006年に大学を卒業をし社会人になり、2016年に結婚するまでの10年間の間に、ユニクロ→リクルート→IT企業で働いた。ユニクロでは女性店長もいたし、リクルートでは女性の上司や優秀な女性営業もいたし、IT企業でも役職や成績だけでなく文化としても男性だからとか女性だからとかまっっったく感じたことが無く、上野さんが言うほど社会が女性蔑視しているとも思ったことが無かったので、過去の話は納得感があったものの、現代の話になると「そーゆー考え方もあるだろうけど、決めつけてくるなぁ…」と感じた部分は多かった。
    ただ、上野さんいわく、本書が理解可能な限りミソジニーから自由ではない、不思議な時代の不思議な書物となる日がミソジニーからの解放らしいので、古臭く感じることは悪いことではないのだろう。
    でもきっと、上野さんの祝辞の通り、私が勤めた所は人材活用では先駆的な企業で"恵まれた環境"だっただけなのだろうし、もしかしたらそういう文化が残っているところは2020年の今でもまだまだあるのかもしれない。
    いまだに医者がセクハラ的なことで逮捕されたというニュースを見る。おじいちゃん先生が昔のノリのまま、最近の考え方の子に手を出してこうなったんだろうなぁと思ったりもする(苦笑)泣き寝入りしてる人はきっとまだまだいるんだろう。

    職場の中でのミソジニーを感じたことは無かったと書いたが、ひとりの女としては共感する所は多かった。私も"こじらせ女子"だからだろう(笑)上野さんが書いた通り、女扱いされるのも気持ち悪く、女扱いされないのも悲しいという時期が私にもあったなぁ(˘ω˘)そんな女の心理も著書には書かれている。

    歴史上はじめは男社会しかなく、女は子孫を残すためだけのもの。女は男に所有される対象という文化だった。その頃から男が"男"になるのは女を所有し、同性から「おぬし、できるな」と認められること。女が"女"になるのは男に選ばれる(所有される)ことだそうな。ここからミソジニーは始まっていると。
    この考えは根深く「顔さえ良ければ彼女もいて普通の暮らしをしていたでしょう」と"非モテ"を理由に起きた2008年の秋葉原無差別殺傷事件や、女性側が収入も名声も大きかったために不倫とDVで離婚した陣内智則の件にも繋がっていると。
    このような近年の具体例や、古代ギリシャの性愛、春画、聖女と娼婦、児童性虐待、皇室、母と娘、父と娘、女子校、などなど色んな角度からミソジニーを解説している。

    結論から言うと、フェミニスト一般がどうかは分からないが、上野千鶴子さんは攻撃的ではあるなぁという印象(笑)他のジェンダー論者の文献を引用して、絶賛したり批判したり激しい。でも時代的にも女性蔑視する社会と戦ってきた人なんだと思うと納得できる気もした。

    昨今では、なんでも過敏にハラスメントにしてる感じが私はイヤで、たとえば男性が女性に対して「そのブラウスかわいいね」はセクハラで、女性が男性に対して「そのネクタイかっこいいね」はセクハラでは無いという感覚がどうにも。男と同様に女も認めてもらいたいという割に公平じゃなくない?みたいな。
    ただベースに、男が女を評価し、選び、所有するものだという文化から、女性が社会的に認められるようになるまでの間に"(二元論としての)男が女を評価する"ことに敏感に反応し、戦ってきたからこそ、本当に傷ついた人が「セクハラです!」と声を挙げられる社会になってきたのかなと思う。からかいやいたずらをセクハラと名付け、痴話喧嘩をDVと名付け、つきまといをストーカーと名付け、再定義し、当事者の女性の恐怖を伝えられるようにしたフェミニズムの功績は大きい。
    私は成果物を当たり前に与えてもらってる世代なのだなぁと思うし、冒頭にも書いた通り、泣き寝入りしてる人はそれでもまだまだいるんだと思う。
    でもいずれ二元論の対象は、男と女より、例えば人間とAIみたいに変わっていく感じはもうするよね。上野さんが戦(ってくれた)った時代からしたら、女性はだいぶ生きやすくなったのだと思う。

    著書の中に出てくる"ワケ知りオバサン戦略"というワードも好きだ。セクハラにあっても男なんてそんなもんよ、下ネタには下ネタで返すワザを身につけ、男の下心アプローチをかわしいなすオトナの女の知恵。すごく共感(笑)でもこれでは男に都合が良すぎるらしい。たしかにそのコミュニティの中でセクハラを認めることに加担するし、自分は平気でも他の女性が傷ついたときに言い出しにくい文化を作っていることになる。
    でも結局は受け取る側に一任されてるので、私としては、いちいち騒ぎ立てるストレスより、目を瞑るストレスの方が楽。そして私は男ウケでも女ウケでも"コスプレ"をするのが得意だ。事なかれ主義なもんで。まぁ…戦ってきた人には失礼なんだろうなぁ…。

    男性より女性向きな本かな?真理なのかフェミニストだからなのか、男性に対して攻撃的に見える書き方になってる気もするので、男性は気分が良くないかもしれない。
    とはいえ、女に対しても「女も女で無意識にそーゆー考え方になってるんだからね!」と強めに言ってるけどね(笑)

    「男ってさぁ」と思ってる人も「女ってさぁ」って思ってる人も、どちらにせよ何か感じてるものがある人は興味深く読めると思います!



    ◆内容(BOOK データベースより)
    ミソジニー。男にとっては「女性蔑視」、女にとっては「自己嫌悪」。皇室、婚活、DV、自傷、モテ、東電OL…社会の隅々に潜み、家父長制の核心である「ミソジニー」を明快に分析した名著。文庫版に「セクハラ」と「こじらせ女子」の二本の論考を追加。

  • エッセイ投稿サイト「かがみよかがみ」、国際女性デー特別企画|株式会社朝日新聞社のプレスリリース
    https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001075.000009214.html

    朝日新聞出版 最新刊行物:文庫:女ぎらい ニッポンのミソジニー
    https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20416

  • 社会に出て働き始めてから感じていた「違和感」について知りたくて、読み始めた本。


    フェミニズムについて取り上げられることが多くなってきた昨今、切り離せないのがミソジニーである。

    日本で多く見られた家父長制や、ホモソーシャルな職場環境で発生するミソジニー。
    男女平等化が進んだ現代でも、働く女性達は非正規雇用や給与面で男性と差がつけられ、結婚して子供を産めば、仕事を辞めて家庭に入ることを強要される。

    普段職場で感じていた違和感を、論理的に分かりやすく教えてくれる内容だと思う。
    特に、上司が女好きな男性なので、1章の「女好きな男」のミソジニーには納得と共感の嵐だった。女性を見下す男性の心理がよく理解できた。


    しかし、まだまだミソジニーが絶えない日本社会の中で変わってきたこともあると、文庫版増補でセクハラ問題についての話を読んで感じる。
    大学など教育現場で起こるセクハラや、職場でのセクハラに対して、多くの女性たちが声を上げるようになったこと。

    また、これは最近みたニュースで知ったことだが、男子校や女子校を志願する家庭が減ってきたのだそうだ。男女が別々で教育を受けることで、自分の好きなことや勉学に励むことが出来るので良い面ももちろんあるのたが、異性に対する認識がどうもズレていることがあり、個人的には結構問題だと思っていた。
    最近では共学校の人気が上がってきているそうで、今後もこの動向については追っていきたいと思う。


    最後に。文章中に参考文献が沢山出てくるので、特に気になった文献を読みたいなと思った。

  • 辛辣で論理的。ミソジニー男はこういう本にどう反論するのか聞いてみたいけど、「どうせフェミが書いたもの」で終わらせるんだろうな。

  • 上野作品を読むのは2作目。
    共感出来る部分4割、よくわからない部分3割、そうかしらんと思う部分3割、という感じでした。

    2019年度東大入学式祝辞のインパクトが強いので、そういう内容(実力も運のうち)を期待してしまうが、タイトル通り、ふとした表現に染み込んでいる女性蔑視をとことん暴き出す内容でした。自身比較的フェミニストのつもりだったけど、全然違うようだ。

    天皇の、「一生全力でお守りします」も、囲いに閉じ込めて一生支配する、という意味で、ぜんぜんダメよのう。

  • 著者の東大祝辞で衝撃を受け、買ってみた。
    「よくぞ言ってくれた!」と思う部分が多く、同時にあまりに自分の心が抉られて辛くもあった本。
    ミソジニーとは女嫌い。男性にとっては女性蔑視、女性にとっては自己嫌悪。
    世の中に蔓延するミソジニーは時に無自覚に起こる。だからこそ本書のような本が必要で、「これは差別なんだ」と男性も女性もまずは自覚的になることが大事だと思う。

    フェミニズムって「ヒステリーおばさん怖い」みたいなイメージが先行してるけど、女性フェミニストは被差別当事者な訳で、そりゃ感情抜きで語るの難しいよね。事件の被害者やその家族が、犯人へ重い刑を望むのと同じ。しかも女性差別は太古の昔から続いて来て、今もなお存在する。差別の渦中にある人が、どうして冷静になれようか。そして、ことフェミニズムに関すると男も女も感情的になる気がするのは、自分自身が差別/被差別の当事者になるからか。
    そして、男性がフェミニズムに理解を示すのは難しいのではないかと思う。何故なら自分は上位階級だから。既得権益を放棄せよと言われている訳で、反発するのが普通の反応。
    でも著者が東大祝辞で述べていたように、フェミニズムとは弱者が強者になりたいという思想ではなく、弱者が弱者のまま尊重されることを求めること。決して男性/女性の二元論ではなく、性別を超えて人間一人ひとりが生きやすい世の中にしたいなと思う。

  • この読後感、なんと表現したら良いのだろう。何とも言えない不快感と爽快感。自分自身の価値観もミソジニーがベースになっているということを、非常に明瞭に突き止められたからだろうか。

    「男を男にするのは他の男たちであり、男が男になったことを承認するのも他の男たちである。女はせいぜい、男が男になるための手段。または男になった証明として与えられたりついてきたりする報酬にすぎない。
    これに対して女を女にするのは男であり、女になったことを証明するのも男である。」


    痛い。否定したいのに、否定できない。

  • この著者と言えばフェミニスト、フェミというとなんだか過激…なイメージがあったが、東大の祝辞といいこの本といい、全然過激でもなんでもなかった。寧ろ普通のことだったり事実だったり、それ以上にそういうことか!と今までの経験に納得のいくことだったり、そういうことが書かれている。
    特に第一章には目から鱗。何故、男性作家の書く話には娼婦が多く出てくるか。文学に出てくる女がイマイチ好きになれなかったんだが、これを読んで理由がわかった。逆にこれからは、あぁこんな女が出てくるのはこういう理由なんだな、と一歩引いた目で読めるので前ほど文学に抵抗がなくなった。この本をあと10年くらい早く読みたかったな。

    間丸々一章春画について述べているので電車の中で読むにはちょいときつかった(でも結局読んだ)。著者は真面目に春画を研究したのだが。

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著者プロフィール

1948年 富山県生まれ 京都大学大学院社会学博士課程修了 現在,東京大学大学院人文社会系研究科教授。
専門:女性学,ジェンダー研究。この分野のパイオニアであり,指導的な理論家のひとり。近年は高齢者の介護問題に関わっている。
著書に『上野千鶴子が文学を社会学する』朝日新聞社。『差異の政治学』『当事者主権』(中西正司と共著)岩波書店。『おひとりさまの老後』『男おひとりさま道』法研。『世代間連帯』(辻元清美との共著)岩波書店。など

「2010年 『「生きづらさ」の時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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