津田梅子 (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022619822

感想・レビュー・書評

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  • 津田塾大学出身の著者による津田梅子の評伝。
    なんと言っても驚くのは、1871(明治4)年から11年に渡って米国に国費留学しているということ。しかも、渡米した時の梅子はわずか6歳。今の6歳児と単純比較はできないとしても、親の決断力も含め、これは画期的。
    当時の日本女性としては相当高いレベルの教育を受けた、この留学体験がその後の梅子を形作ったのは容易に想像できる。でも、この評伝の中心に据えられている、帰国後の梅子が米国のホスト・ファミリー宛に出した手紙などから感じるのは、梅子の持って生まれた素朴さと謙虚さ。学識を鼻にかける高慢なところなど微塵もなく、あくまでも自然体。肩に力が入って周囲の人から距離を置かれるということは、今も昔もよくあることだけれど、梅子にはそれが全くない。それでいて、使命感にあふれ、志は人一倍高い。だからこそ、伊藤博文をはじめとした支援者が後を断たなかったのだろう。
    ところで、今の日本を梅子が見たらどう感じるのか。自身と同じように使命感と高い志を持った女性が増えてきたことを歓迎する一方、旧態依然としている男性に嘆いたのではないか、という気がする。

  • 偉大な人についての本は、いつでも感心したり励まされたりしますが、
    これは、中でも女性で日本人ということも手伝って、
    本当にとっても勉強になる本でした。
    おすすめの本です。もし機会があったら、一度手にとって読んでみてください。

    以下気になったページ:

    P223夫とともに働かなければならない階級の女性は、外の世界に接する機会もある。
        階級がいちばん貧しい階級では、(友働きだから)平等に近い。中間などは女性の発言力がない。
    P228 多いときは月に300通もの手紙を書いていた。(日本とアメリカ)
    P235 日本のスピリットを忘れるなといつも話していた。(津田)
    P248女子高のよいところ。両性の必要性を感じさせられる

  • 今度の5000円札の顔になるというので
    知らない人だったので読んでみました。


    色々な本も出ていますが
    これを詠む前に子供向けの漫画を読んでいたので
    わかりやすかったです。

    この本は 梅子さんが アメリカでお世話になった
    ご夫婦へ送った手紙を元に書かれていました。

    梅子さんたち 留学した女性たちは
    国費で留学したのだから
    戻ったら 国の役に立つことをしなくてはならないと
    思って帰国したけど
    まだ 日本は男性社会で活躍の場がない。

    他の女性たちは 何もできない事で
    諦めて 結婚の道に進みましたが
    梅子さんだけは 女性たちの学ぶ所を作りたいと
    ずっと考えて 実現しました。

    梅子さんは アメリカの文化や風習を実体験して
    日本と比較して 冷静に 見てそれを手紙にしたためていました。

    国民が苦しんでいるのに
    上級の役人は楽しんでいると 腹を立てている所を
    読むと今と世間は変わらないなぁ~~って 思いました。

    梅子さんは 伊藤博文など この時代を動かした人たちとも
    交流をしていて 大変な事もあっただろうけど
    やりがいのある人生だったと思いました。

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50183011

  • 資料ID:98191552
    請求記号:080||A
    配置場所:工枚特集③
    (※配置場所は、レビュー投稿時のものです。)

    ☆特集展示「おかねのはなし特集」☆
    私たちの暮らしと切り離すことができない「お金」に関する図書を
    さまざまな視点で集めました。

  • ▼次の5000円札の顔に選ばれた津田梅子の生涯について
    ■6歳に国費でアメリカ留学
    ■女性に英語教師としての職を与え経済的な自立を促すことを考えた
    ■1900年9月に女子英学塾を開校

    ◉自身の使命感と性差別をなくすべく活動

  • 津田塾大学出身の作者による津田梅子の評伝。小説だと思い込んで手に取ったので、評伝と気づいた時はややがっかりしてしまった。
    日本史で誰もが目にする梅子の名前だが、では帰国してからの梅子はと言えば、津田塾大学を創設したことくらいしか知らなかった。
    その塾創設費用がほとんどが寄付で賄われていたほど、梅子の日本女子教育に対する私心のない情熱や使命感が多くの人の心を動かしたという事実。
    実は再度アメリカに留学していたこと。それも教育者としての鍛錬のためだったこと。
    現代にあっても容易ではない行動の数々を、明治の若い女性が成し得ていたということにとても共感した。

  • 津田塾出身の著者が学園創立者の生い立ちを記述。梅子が大山捨松、永井繁子たちと留学先の米国から日本に帰国する船の中から始まる。結婚していく2人と違い、使命感に燃えて独身を辞さないとの覚悟を固めていく梅子。多くの有名人たちの助けを得るという不思議な魅力を持っていたのだろう。特に伊藤博文の邸宅に寄宿していた若い日があったとは驚き。伊藤の生の人柄が感じられて面白い。米国で実の娘のようにかわいがってくれたアデリン・ランマンさんとの手書きの私信が津田塾に保管されており、これが素になっているということで、100年以上前の一人の女性が、女性の地位向上のために意欲に燃えている姿が実にリアルに感じられた。梅子自身が熱心なクリスチャンでありながら、津田塾がミッション系でない、その背景については納得。梅子が「『日本語は雛しく、 気の遠くなるほどうんとこさある言い方の中で「使わなければならないのは、 長い、含みのある、意味のはっきりしない、理解し難いセンテンスなので実す』と述べているところは、彼女の言語に対する感覚が鋭敏であることの証拠である。まさに日本語の本質を衝いている」との文章は全くその通りで可笑しかった。

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著者プロフィール

1930年、東京生まれ。津田塾大卒。68年、処女作『三匹の蟹』で群像新人賞、芥川賞を受賞。代表作に、谷崎潤一郎賞作『寂兮寥兮(かたちもなく)』、野間文芸賞作『啼く鳥の』、川端康成文学賞作『赤い満月』など。小説の他にも、詩、エッセイ、評論、翻訳など幅広い著作を生み出している。芥川賞など数々の賞の選考委員もつとめた。

「2005年 『大庭みな子全詩集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

大庭みな子の作品

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