記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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本棚登録 : 864
レビュー : 16
  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022619891

感想・レビュー・書評

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  • 非常に興味深く読ませてもらいました。新しく生きなおすことがどういうことなのか、彼の経験を鮮明に追体験できた感じです。できないことが徐々にできるようになっていく感覚。そして生まれる数々の疑問。でもそれを問うことができない。社会からの隔絶。いろんな困難があったんだろうなと思います。
    一番印象的だったのは、事故の前の記憶を思う出すことが今は怖いという感覚ですね。積みあがってきた記憶と過去の記憶が干渉する感じなんでしょうか。染師としてご活躍のほうでなによりです。とても面白い本でした!クリスマスに読み終わったというのも何というかプレゼント感がありますね

  • サクッと1、2時間で読了。
    前向きな内容。読んで暗くなる感じではない。

    人とは世界が違うように見えるという点では、『僕には数学が風景に見える』や『目の見えない人は世界をどう見ているのか』に似ている。

  • 名前や生活史などの記憶を超え、食べるという行為すら判らなくなる、これはいわゆる記憶喪失というレベルではないように思う。こういう状態になった人がどう感じているのか、滅多に聞けない体験記。
    『アルジャーノンに花束を』とか、『自閉症の僕が跳びはねる理由』とかを思い出しながら読んだ。染めの作品を見たい。

  • 事故によって逆行性健忘となった作者の実体験が書かれている。これはとても貴重な記録。分からないというのが、どういうことなのか。そういうことを考えさせられます。

  • 母親の手記で泣いてしまう。
    お金もカウント出来ないのに大学に行かせるとか、事故の原因になったバイクに乗せるとか、ご飯も炊けない状態で一人暮らしさせるとか、つい自分だったら制限していただろうと考える。
    その点、庇うほど自立出来なくなるとある程度突き放せる父性ってすごい。

    なぜなぜ??を繰り返す著者。
    純粋で無垢な感性。

    そして絵や染物を通して自らを表現することで彼自身も救われている。

  • 記憶ってなんだろうと考えさせられた。
    当たり前が当たり前でない世界。想像を絶するが、坪倉さんはそこから逃げずに乗り越えた。
    とても素晴らしい作品だ。

  • 当たり前だけど、普段忘れてるようなことを改めて考えさせられる。主人子の表現が面白い

  • 本書は、坪倉優介(1970年~)氏が、1989年、大阪芸大1年の時にスクーターで停車中のトラックに激突し、10日間昏睡状態が続いた後、意識は戻ったものの重度の記憶喪失となり、そこから新たな人生を生きる過程を、本人と母が綴った記録である。
    2001年に『ぼくらはみんな生きている~18歳ですべての記憶を失くした青年の手記』として出版され(2003年文庫化)、本書は、2019年に改題して復刊されたものである。2003年にはテレビ朝日でドラマ化された。
    坪倉氏は、事故後、大阪芸大工芸学科染織コースを卒業し、1996~2003年に京都の染工房夢祐斎(染色家・奥田祐斎の工房)で草木染め作家として活動。2004~05年にはヨーロッパ及び日本国内を旅し、2006年、大阪で「ゆうすけ工房」設立して、着物を中心に染色作品を制作している。
    本書の読みどころは、大きく二つあると思われる。
    一つは、ほぼ成人に近い人が、重度の記憶喪失になったときの、世界の見え方・捉え方がどういうもので、それを乗り越える過程の記録としてである。私は、医学的な知識は全く持たないが、記憶喪失の多くは固有の情報の喪失であって、生活における基本的な情報(文字や食べ物やお金や乗り物など)を喪失することはないとの先入観を持っていたのだが、著者のように、基本的な情報の大半を喪失した場合、まさに、18歳の赤ちゃんとして、世界が捉えられるということに、正直驚いた。(脳自体は発達しているので、再度教えれば、理解は赤ちゃんよりも急速に進むが) そして、著者が世界を捉える生き生きとした感覚は、子どもならみな持っているものの、それを表現できるような言葉を獲得した頃にはその感覚自体が失われてしまうものなのだ。そうした意味で、著者の綴るこの記録は貴重なものと言える。
    そしてもう一つは、著者を含む家族の物語としてである。本書には、著者本人の著述の他に、時期ごとの母親の記憶が収められているのだが、この家族(父・母・弟・妹)と著者の絆(月並みであまり使いたくないワードだが)には、しばしば涙なしに読み進めることができない。著者が、なかなか昔のことを思い出せないもどかしさから、家を出て行こうとしたときに、無言の母親の目から止め処なく流れる涙を見て、今後家を出ていくことは止めようと自分に言い聞かせる場面など。。。
    しかし、何より心に残るのは、著者が「あたらしい過去」を語った次の一節である。「何年か前までは、昔の自分に戻りたくて仕方がなかった。・・・今のぼくには失くしたくないものがいっぱい増えて、過去の18年の記憶よりも、はるかに大切なものになった。楽しかったことや、辛かったこと、笑ったことや、泣いたこと。それらすべてを含めて、あたらしい過去が愛おしい。今いちばん怖いのは、事故の前の記憶が戻ること。そうなった瞬間に、今いる自分が失くなってしまうのが、ぼくにはいちばん怖い。ぼくは今、この12年間に手に入れた、あたらしい過去に励まされながら生きている。」
    重度の記憶喪失を乗り越えた、本人と家族の貴重なドキュメンタリーである。
    (2020年6月27日了)

  • 俵万智が解説に書いていたけれど、

    子どもの時の純粋な感情を、彼らは言語化する力がない
    大人になると、その時の感性は失われてしまう


    ならば、言語化する力を持った上で記憶が無くなってしまったら…

    …いやでも筆者はあいうえおも忘れてるからなあ。
    うーん。



    読書の良さは、自分では体験できそうにないことも擬似体験できるということ。


    いちばん怖いのは、事故の前の記憶が戻ること。そうなった瞬間に、今いる自分が失くなってしまうのが、ぼくにはいちばん怖い。

    ぼくは今、この十二年間に手に入れた、あたらしい過去に励まされながら生きている。


    この文で何かが救われた気がした。
    優しい再生の物語。

  • 読み始めたとこ
    なんか面白そう

    『いろいろな物が見えるけれど、それがなんなのか、わからない。だからそのまま、やわらかい物の上にすわっていると、とつぜん動き出した。外に見える物は、どんどんすがたや形をかえていく』

    物忘れとは違う
    記憶喪失とは、こういう状況のことか

    、と新たに認識

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