わかりやすさの罪 (朝日文庫)

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  • 朝日新聞出版 (2024年1月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (344ページ) / ISBN・EAN: 9784022620873

作品紹介・あらすじ

“わかりやすさ"の妄信、あるいは猛進が、私たちの社会にどのような影響を及ぼしているのだろうか。「すぐにわかる! 」に頼り続けるメディア、ノウハウを一瞬で伝えたがるビジネス書、「4回泣ける映画」で4回泣く人たち……。「どっち」?との問いに「どっちでもねーよ! 」と答えたくなる機会があまりにも多い日々。私たちはいつだって、どっちでもないはず。納得と共感に溺れる社会で、与えられた選択肢を疑うための一冊。

みんなの感想まとめ

物事の「わかりやすさ」に対する疑問を深く掘り下げる本は、現代社会が抱える複雑さを浮き彫りにします。著者は、単なる「わかりやすさ」を求める風潮が、私たちの思考を制限し、選択肢を狭めることに警鐘を鳴らして...

感想・レビュー・書評

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  • 世の中の物事は複雑で、自分の頭の中も複雑なのだから、その複雑な状態を簡単に手放して、わかりやすく考えてみようと強制してくる動きにからめとられないようにしよう。

    ****
    ル・ボン『群衆心理』 2021年9月 (NHK100分de名著)★3

  •  社会現象や世情といったものについて書かれれている本は、出版時から時間がたつにつれて現状との乖離がでてくる。もちろん、それを承知で読むわけだが、この本は著者によって工夫がなされている。

     元本は、雑誌コラムの連載を単行本化し2020年に出版されている。この文庫版は、2024年に出版されている。そして、各章に「いま思うこと」という一文が追加されている。つまりフォローアップがなされているのだ。さらに巻末に、「文庫版によせて」という章が追加されている。こんな本は初めて出会った。

  • わかりやすいは正義なのか?
    と言う疑問を最初から最後まで滔々と説明してくれるのをこの文章は何が言いたかったのかを理解するのに何度も読み返しながら時間をかけて読了。
    送り手の幅を読み手がそのまま受け取ろうとすると
    文庫一冊ぐらいになって当たり前だろう。
    要約しない。
    出されて来た選択肢を是としない。
    常に心掛けようと思います。

  • 日々起こる出来事について、実はこんな見方・考え方がありますよ、しっかり考えようね、と言われた気がした本でした。そしてこの本自体、わかりやすくは無いですが、新たな見方・視点が得られました。
    わかりやすく伝えるメディア、わかりやすいを売りにする本、わかりやすく伝えられることが当たり前の現在。削ぎ落とされる部分のために、伝わらないこと、間違って伝わること、それが意図的に行われていることがあること。
    わかりやすいものばかりに触れていると、考える余白がどんどん少なくなって、自分の頭で考えなくなっていきそう。しっかり自分で考えるために、意図的に騙そうとするものに負けないように、わかりづらいものから逃げないようにしたい。

  • 3年半経っての文庫化。確かに当時、本の要約などいろいろ、わかりやすさや簡単に知ることができる、的な発信が多かった気がする。ちょっと前だが筆者の主張を知りたい

    #わかりやすさの罪 (文庫)
    #武田砂鉄
    24/1/10出版

    #読書好きな人と繋がりたい
    #読書
    #本好き
    #読みたい本

    https://amzn.to/48Pflui

  • 簡単にわかりやすさを選ばないで、違和感やわかりにくいというところを大事にしよう。というのでこの本も最後に結論という章は無かった。
    武田氏の感じるモヤモヤ感は共感できるところも多いが、そもそもが誰かに対しての反論で構成されているような本書、そこがちょっとスッキリしなかった。

  • 【なぜ読むか】
    「わかりやすさの罪」というタイトルに対し、昨今の営業的なスタイルの提供(受け取り手に忖度して、単純化したりおもねる態度)が是とされている雰囲気に対し、「なんとなく嫌な感じ」を覚えていたので(おそらく)手に取った。そして冒頭の「どっちですか?」の危うさというところを書店で立ち読みして書店でニヤニヤして読んでしまった。大事な(仕事の)試験前だったので、試験後の楽しみにしようと思い(すぐ買うときっと読んでしまうので)その日は買わずに、試験後の仙台旅行中に購入した。しかも、旅行中なのに書店を3つほど回って探し、最後は売っている店を検索して買いに行くというほどの熱量でこの本を求めた。

    【感想】
    めちゃくちゃ面白かった。この本の中に出てきた言葉を借りると人が読みたくなる文章というのは「これまで見たことがない、ただ、それがあると知ってはいるが、それが語られているのを初めて見るもの」という。まさにそうだった。読みながら「いや、わかるなぁ、、同じようなことを友達に語った経験がある」とか思いながら、たまに来る著者の皮肉(途中で読むのを辞めたとか言いながら、各章の最後を読まないとわからない、という矛盾とか)に笑いながら読めた。この本に出合えてよかった。

    結論、自分はこれからも「他人の言葉に耳を傾けるときは自分の物差しを使って理解を急ぐとしても、「前提が間違っているかもしれない」と自問しながら謙虚に探っていく、ような姿勢と「100%理解できているかはわからないけど」という姿勢を大切にしようと思ったし、物事や人に向き合う、ことを大切にしていこうと思った。

    本編以外の解説や、終わりに、はじめに、などの箇所も面白かった。

    おわりに、で紹介されている朝日新聞出版の森さんが武田さんに対して本を書くことを以下の文章で依頼したようだが、この本を短くまとめると(この態度は正しくないが)、この本を書く人、読む人が大事にしたい価値観はそういうことだよね、と思ったし、すごく端的にまとまっている秀逸な文章と思った。
    「最近、日本語がどんどん「易しく」「わかりやすく」なってきているように感じられます。機微や行間のような部分は排除され、受け取る側が想像する余地がない、ストレートで額面通りにキャッチできる伝え方が重宝されているような印象もあります。どちらが先かはわかりませんが、そういう言葉ばかりに触れていると、受け取る側も「わかりやすくない」ものを理解しようとしなくなり、感覚が損なわれていくような気がいたします」

    私が著者に対して親近感を覚えるのは、この本の以下の点が私にとっても大事なことだと考えているからだと思う。
    ①多面的に物事を考えることが大切で、世の中の出来事は複雑であり、なんでも理解しきるのは不可能だという前提を置きなさい、としている点。
    資本主義社会ではアテンションエコノミーが存在するが、注目してもらうためには多くの人にわかりやすくウケることが必要とされる。玉石混交で情報が洪水のようにあふれている中、目に留まるためには「誰かに刺さりやすい」ようなものが好まれる。しかし、そのためには論じられる対象を単純化し、論点を絞り込んでそれの善悪を語る、などの加工が必要になる。でも、物事はそんなに単純ではない。例えば、明治維新の時に幕府側は旧態依然とした鎖国から脱却できず、先進的な考えを持った討幕派が日本を先進国の仲間入りをさせた、という理解があると思う。しかし、幕府側にも小栗上野介や勝海舟のような人間はいたし、井伊直弼は殺されたけど日米修好通商条約を結んでいなかったら列強に侵攻されていたかもしれないし、日本から使節を派遣して後の横須賀製鉄所とかできなかったかもしれない。物事は一面では語れないはず。そういうことの大切さを語っている点

    ②議論の俎上に載せるべき意見とそうではない意見があるはずだという点
    ・当事者ではないと語ってはいけない(という前提)はおかしい
    ・多面的な見方をするために、こういうことも言えるのではないか、という視点は大切だが、そもそもフィルターを通さずに雑に議論の俎上に乗ってくるような意見を「ちゃんと考えたけど白黒つけられないね、一理あるね」という意見と同レベルでとらえてはいけない
    この辺の感覚も近い。私が思うことでいえば「一票の価値」もそうかもしれない。政治に関心があり、これからの日本について真剣に考え、投票をするような一票(例えば、各党の公約をすべて目を通し、バランス感覚に優れた理想的な考え方(そういうものがあると仮定する)で投じられた一票と、何にも考えずに本当に適当に投じられた一票ではその一票を投じるためにかけた時間に大幅な差が生じる。しかし、どちらも同じ「一票」である。きっと世の中の人も「これじゃいけないよね」なんて思うはず。でも、そういう状態が今である。

    ③雑な理解で結論が出される
    ②に近しいが、これもある。高校野球の坊主問題とか、昨今の「多様性」に対する浅い理解が不寛容をもたらしている状態とか、そんな点。

    【発見】
    この本を読んで学びになったのは以下の視点
    ・自虐しているってことは、根底にそのモノサシを持っているということ。コンプレックスを受け入れ、主体的に提供していくことも結局は自分の中でそのモノサシを持っているということ
    ・本を通読し、ココがポイントだろうと加工する行為はその本の「真」をつかむための行為ではない
    ・他者のことはその他者にしかわからないのだから、こちらから意見を言うべきではないとまとめてしまうと、想像力というものが根こそぎ削られてしまう
    ・出された素材をすべて活かす、回収する作品をよしとする」判断基準にだいぶ毒されていた
    ・公的なお金が出ているから、その意向に沿わないことをやってはいけない、という考えってあまりに危険だ
    ・いちいちしっかり考えることを放棄してはいけない。それをしっかりと言わないと、「雑」がはびこってしまう
    ・雑に考える土壌が整えば整うほど、その中で、強い意見、味付けの濃い意見がはびこる。雑にしていくことで培養されるわかりやすさは、積み重ねられた論議を一気に無効化させる
    ・そもそも議論のテーブルに乗っかってはいけないものがのっかったことを繰り返し問題視しなければならない
    ・本来はグレーであるものをシロ・クロはっきり決めつけて処理したほうが合理的だと考える人々が増えた
    思考が迷子になった状態を整理するときに最も簡単なのが、自分の考えていることを盲目的に信じてみること。昨今跋扈している暴力的な断定は、おおよそこの仕組みの中にある

    【少し自分の中で違うと感じた点】
    この本の中では「安易に正解を求めに行く態度」や「他の人がどう感じたか、を基準にして自分を安心させること」の浅はかさを批判している点がある。しかし、誰しも本当のところは自分に自信がなく、「この感覚が世間とずれていないかな?」「俺ってバカじゃないよな?」「自分の理解が書いた人の意図とずれてないよな」なんて
    確認をしたくなると思う。確かに正解がないことをほかの人と一緒だったから大丈夫、は安直だと思うけど、何かを読んだり聞いたりして「世間の人とおおむね同じである」ことは一概に悪いことではない(むしろ集団生活を営んできた人間にとっては本質的に大切なことなのかもしれない)と思った。

    批判ではなく「意見の提示」だったのかもしれないが。

  • 決して読みやすい本ではないが、大事なことが書かれてあると思う、
    分かりやすいを疑うことから始めよう

  • 普段、仕事は分かりやすく話すように伝えていましたが、この本を読んで、全てを分かりやすく簡潔に伝えることは果たしていいのかと考えさせられました。

    自分の立場だけではなく、様々な立場から考えたとき、誰しもが同じ考え方ではないなぁと思いました。

  •  文庫化されていることを知りサクッと読んだ。もはやおなじみと化した砂鉄節がこれでもかと炸裂していて楽しかったが、それだけで済まないズシンとくるものがあった。
     世間の言葉使いやその風潮について逐一理詰めでツッコミを入れており、今回の大きなテーマは「わかりやすさ」。普段何気なくスルーしていることを今一度立ち止まって論考を深める作業は必要だと理解しつつ、大量の情報に溺れる日々ではいちいち気に留めていない。しかし、そうやってかまけていると権力や企業はその間隙をこれでもかと突いてくる。このように社会的に「わかりやすさ」が跋扈しやすい状況では流れに身を任せていない人間は偏屈、天邪鬼などと言われてしまう。しかし著者はそんな他者のことなんてつゆ知らず、ひたすらに思考し続けていることに勇気をもらえた。
     本著はここ5年くらいの社会のムードを分析しているので、最近の小説を読んでいるときに「まさしくこの話!」と思う場面がたくさんあった。最初は偶然の一致かと思っていたが、それよりも物書きの人が抱く現在の社会に対する違和感が一致しているということなんだろう。
     奇奇怪怪のTaitan氏が解説でも書いていたが本著の恐ろしいところは「何でも分かりやすくするの良くないよね!複雑なものはそのまま受け取ろうよ」といった短絡的な結論に向かえないところ。特にこうやって読んだ本の感想をつらつら綴っているのは「わかりやすい」要約を作る作業と変わらない。また個人的にグサッときたのは以下のライン。身に覚えがありすぎてコーヒー吹いた。

    *「さっきの話はとても重要で」ではなく、「さっきの話はとても重要だと思っていて」とする言い方。自分が話していることなのに、自分が話していることではないみたいだ。自分をどう見せるかに卓越しているかどうかが問われすぎているからこうなった、と結論付けるのも早計だが、あまりの頻度に驚いてしまった。感情を吐き出すのではなく、その感情を吐き出す理由、つまり「なぜなら」を必須にしているように思える。*

     ここで書いているのは本の感想なので「思った」の文末は致し方ない部分があると自分を甘やかしつつも断定を避けて保身に走っていると言われればそれまでだ。あと特定のラインを引用して本を象徴するような書き方もしているので心に鈍い痛みが…

    *本を通読し、ココがポイントであろうと加工する行為は、その本の「真」を摑むための行為ではない。加工では「真の情報」は摑めない。本は、そして文章は、すぐには摑めないからこそ、連なる意味があるのだ。簡略化される前の、膨大なものを舐めてはいけない。*

     何かをわからないまま置いておく、もしくは議論し続けるだけの忍耐力が社会から失われつつあるのは間違いなく近年は加速している。安易な二択の奥に潜む有象無象に思いを巡らせたい。戒めとして引用。

    *わかりにくいものをわかりやすくすることは難しいことではない。切り刻んで、口にしやすいサイズにすることはおおよそ達成することができる。でも、それを繰り返していると、私たちの目の前には絞り出された選択肢ばかりが提示される。選択肢が削り取られる前の状態を知らされなくてもそのことに慣れてしまう。「便利」と「わかる」が一体化している*。

  • 著者の主張になかなかクセがあるというか、「昭和時代の反体制おじさん」のような語り口が多く、途中で読むのに疲れてしまった。

    言いたいことは分かるし正論なんだろうけど、こういう伝え方だから「本来届けたい相手との間に分断が生まれる」典型な気もしてしまう。

  • 「共感」の反対は「権利」
    というのが、目から鱗だった
    色々な人に共感できる。寄り添えることこそが優しい人間だと考えてきたが、色々な人の権利を尊重できることが、あらゆる状況の人たちと共に社会で生きていく上で必要なのではないか?と思った。

    自分という存在や、自分が抱えている感じている問題はすごく複雑であり、曖昧である。
    それをシンプルに伝える作業が資本主義には求められているように感じる。
    転職活動では、自分のことを一言で簡潔に伝えることを求められる。
    しかし、私の心は複雑で曖昧なもので、はっきりしていない感情に揺れ動いている。
    それでは、採用する上でその人の特性がわからないから、最もらしいラベリングをしていく。

    分かりやすくすることで言葉や表現が画一的になる。
    →曖昧なことを考えたり感じたりする余白が少なくなる

    「不便益」川上浩司
    雑誌もラジオも欲しい情報以外にもアクセスできた。
    今は欲しい情報に直接アクセスしているようでいて、雑誌やラジオのようなノイズや考える余白がない分、本当に自分の欲しいものが分からなくなってしまっている。
    例えで印象的だったのは、遠足のおやつが300円と決まっているからこそ、考え抜いて選択するのだという事例だ。
    確かに自由すぎず、不便さが伴うほうが、自分の考えが浮かぶこともあるだろう。

    余計な話や無駄な話があるから考える余白が生まれる。
    すっきりしないもの、モヤモヤするものを許容する。

    「みんなはどう思っているか」を安堵のために使いたくない。

    ダイパについて
    →感情を決めてもらう安心感

    「わかりやすさ」そのものに罪はない



    相手が即答できなければ、たちまち論破したことになり、オレはアイツを打ち負かせたぜ!という実績が積み上げられていく。
    これは、リベラルも肝に銘じておかなければならない。どんなスタンスであっても言い負かすことに快感を覚えては議論は進展しない。


    【メモ】

    分からないことを残す。分からないことを認めることが他者の想像や放任や寛容の条件になる。

    「『言葉は常に、伝えるべき相手に、伝えるべき内容を理解してもらう』必要がある」
    (梅田悟司『「言葉にできる」は武器になる。』)という断言が何を生むかといえば、相手に伝わりやすいように簡略化した文章こそ卓越している、との考え方の強化ではない
    か。

    わかりやすい解説ばかりしていると、自分はどう思うんだ、と考えることができなくなる。このことは「わかりやすさの罪」の最たる例として語ってきたことだが、つまり、「何かを言うととは最後通告のように行ない、実はそれが話のはじまりであることに気がつかないことが多い、、という事例そのものになってしまっている。

    たくさん話したくなるのは、調べたこと、考えたことを全部伝えたい!、『頑張った!』と思ってほしいという話し手のエゴです。
    でも、聞き手は、必要最低限の情報しか、ほしくないのです


    自分が「出された素材を全て店かす、回収する作品を良しとする」との判断基準にだいぶ毒されていたことに気づく

    私とあなたの意識のズレを埋めようとする。別にそれは埋めなくてもいいのではないか。



    雑にしておくことで、予め与えられた立場や声の大きさによって勝敗が決まる

  • 第131回アワヒニビブリオバトル テーマ「コミュニケーション」で紹介された本です。ハイブリッド開催。
    2025.9.2

  • わりと普通のエッセイでした。
    解説にもあった、これ自分のことだなって思ったり確かに確かに、としたり顔でうなづいたりした。

    2倍速でみるのはいいけど、ちゃんと伝わっていないよと自覚を持ってみたい、というところに共感した。

  • 『わかりやすさの罪』は、分かりやすさを善とする社会への鋭い批評だと感じました。

    特に「どっちがいい?」という問いが、無自覚に他の可能性を排除してしまう指摘は強く印象に残ります。選択肢が提示された瞬間に、考える余地は狭まり、深い思索や創造力が奪われるという視点は、日常のあらゆる決断に潜む危うさを突きつけます。

    また、「要するに?」の思考停止にもハッとさせられました。本を要約することで便利さを享受してきた自分に、削ぎ落とされた背景や文脈への想像力の欠如を痛感します。

    さらに、当事者性への過剰な依存が対話を妨げ、想像力を奪うという指摘も現代的です。

    本書は、効率や即答を追う日常に潜む「思考放棄」の構造を暴き、敢えて遠回りすることの価値を教えてくれる一冊でした。

    読後、情報に飛びつく前に「本当にこれでいいのか」と問い直す癖をつけたいと思いました。

  • 著者に言わせると、現代は「わかりやすさ」偏重社会だそうだ。
    あらゆる場面で、短時間で明確な説明ができる人がもてはやされるようになった。
    著者は、そこに違和感を唱える。
    「わかりやすい」を前提に置くと、物事の深度や多様性が損なわれてしまう。
    自分の思ったことの理由を探そうとすると、理由が探し出せる出来事だけを述べるようになってしまい、大切な自由を手放すことになる。
    また、昨今はSNSで、賛同者だけの空間で厄介な議論が生まれなくなる。
    以上のような考えはある程度、理解できた。
    だが、書いてある内容はメディアに携わる著者の感性に拠るところが大きく、一般人の私には理解できない部分がほとんどだった。

  • 「わかりやすい文章」を書くことや「わかりやすい資料」を作るべきだと思っていたが、立ち止まって考えてみたいと思った。

    ---
    ・こんなにも堂々と、複雑に入り組んだものを嫌悪し、ちゃんとほどいてから私の目の前に差し出してください、と要請するのが、当たり前になったのはいつからのことなのだろう。…どうしてわからせてくれないのか、どうして私が知らないことを言うのか。鎮座した自分の目の前を通り過ぎていく情報に対して、フィットするものだけを選ぶようになった。23

    ・建築家が小説を書けば絶対に面白いものになる…建築家は、あらゆる空間にいくつもの可能性をぶつけていく職業だから129

    ・短いプロフィールに「二児の母」と書いてある。141

    ・「過圧縮ポップ」…要素を全部盛るように、短時間の間に圧縮していく。…「情報量が多く、メロディや曲展開が細密化し、1曲の中にジェットコースターのようなめまぐるしい展開を持つ」173

    ・「わからなくても恥ずかしがらずに質問するゲスト」が求められているが、そこに用意されるのは、大抵。若い女性である。事務所から「おバカ」でいけ、とキャラ付けされたような誰かである。その誰かは、本当はおおよそクレバーだ。219

    ・「冗長率」とは「一つの文章の中に意味伝達とは関係ない無駄な言葉がどのくらい含まれているかを数値で表したもの」…うまく話の腰を折る、といのは解決しているように思わせて、実のところ、さらなる混在、齟齬に誘い出している言葉でもある。234,235

    ・「不便な本屋はあなたをハックしない」…私たちの情報網を勝手に完成させ、更新してくるGAFAだが、これらに体をあずけすぎると、いつのまにか自分の言動が絞り込まれていく。自分のためのおすすめ商品を紹介してくれるありがたさと裏腹に、自分が好む範囲が絞り込まれていることに恐怖を覚える人はまだまだ多い。243
    →確かに、昔自分はそれに恐怖を覚えていたはずだったのに、最近はそれを忘れていた。。

    ・毎日送られてくる新聞には、か習う、自分の知らないことが、そしてまったく知りたくもないことが、確実に一定数含まれている。246
    →そうそう!だから新聞取るのやめられない

    ・「出版物が世の中全ての悪いことを亡くすことはできないが、人の心に良い方向を生み出す、何らかの小さな種子をまくことはできる。人生の中で大きく実となり、花開く種子をまくという仕事が出版であり、これが当社の理念です」…小学館の理念である。267

    ・「うまく言葉にできない」という感想は、
    ただただ、言葉にする能力が欠けているってことなのかもしれないのに、そういう即物的な反応が何より素晴らしいとされてしまう。323
    →耳が痛い。自分の語彙力の貧弱さを言われているようだ。

  • 細谷功さんの「具体と抽象」で、「分かりやすさってそんなに大事か?」と感じていたので、タイトルが気になって手に取ってみた。

    職場の上司とかで「俺にわかるように、短時間で説明しろよ」という人がよくいると思うんだけど、そういう人に対するモヤモヤとかが背景にある。

    偉い人は忙しいし、結論だけで良いというニーズも分かるのだけど、内容によっては結論に至った経緯とか微妙なニュアンスとか伝えたい時もあるって話。

    【総評】
    基本的なスタンスには共感するけど、ちょっと自分には合わなかった。具体的には「分かりやすさに対するアンチテーゼの本だから、この本はわかりにくくても良い!」という開き直りが垣間見えるところとか。ただ、良い意味でキャラは立っていて、そういう人なんだな、というのはよく分かる。

    【内容について】
    本の要約サービスに対する著者の怒りは理解できる。
    でも、自分はYouTubeの要約チャンネルを見ている。見る側の理屈で言うと「読む本を選別する」という観点で有益なのは確か。(タイトル詐欺なども多いので)

    自分が今書いているこの感想も、要約行為には変わりないんだよなぁとか考えたりする。
    でも読んだ本の中身なんて正直すぐに忘れちゃうから、思い出すのに役立ってるのは確か。
    中身をまとめるというより、読んだ時に考えたことや感じたことを書いとくとより良い感じなのかもしれない。

    【印象に残った部分】
    ・こっちが理解できるもんを出してくれという生ぬるい受動性と、こっちはそっちも理解してますから、という身勝手な能動性

    ・大切なことは、「こんまり化する民主主義と差し出された本をそのまま信じるのではなく、自分の中で民主主義がこんまり化しているかもしれないと考える主導権を持ち、目の前にある偶然を確保する姿勢」もしかしたらそうかもしれない、という偶然を、他社に委ねすぎなのではないか。

    ・検索できるのは自分の知っていることのみ。そうならないよう、検索未満のうっすらとした記憶や興味を特定の場所(本屋)を徘徊することによってかたちにしたい

  • ラッパーのTaiTan氏の後書きに興味を惹かれ購入。
    コスパ・タイパが正義という価値観が蔓延し、「5分でわかる」「〇〇が9割」のようの自己啓発本が本棚を埋め尽くす現代に警鐘を鳴らす一冊。情報が溢れて人間の処理能力を超えた結果、つい考えることを放棄してしまいそうになるが、それではいけない、屈するな!と我に返らせてくれる。

  • 複雑なものを複雑なまま受け入れる、曖昧さに耐える、そんな姿勢を持ち続けたいと思った。

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著者プロフィール

武田 砂鉄(たけだ・さてつ):1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年秋よりライターに。ラジオパーソナリティとしても活躍している。『紋切型社会』(朝日出版社、のちに新潮文庫)で「第25回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞」「第9回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞。他の著書に『べつに怒ってない』(ちくま文庫)、『テレビ磁石』(光文社)、『「いきり」の構造』(朝日新聞出版)などがある。2025年、第28回みうらじゅん賞を受賞した。

「2026年 『そんな気がする』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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